社会的なことではなく、人間関係でつく肩書がありますよね。
友人、恋人、妻、夫、父親、母親……というように。
©VOICEVOX:四国めたん
私自身は「友達夫婦」というものに対しては違和感があります。
科学的には長続きするカップルは「友情がある」と言われていますが、それは厳密には友情ではなくて信頼でしょう。
友情であっても恋愛であっても夫婦であっても、全ての人間関係で信頼や尊敬、愛情がベースとして大切なことは変わりません。
友達夫婦はある意味気楽だと思います。互いを尊重しているので、という雰囲気も確かに感じます。
でもどこかで無責任な感じも漂っているのです。
夫婦は基本的には一つ屋根の下に暮らし、生涯をともにするパートナーとして選び合った仲です。
苦楽も共にすると決めました。そのため、どちらかが病気をしたなどの際にはやはり夫・妻が支えることになります。
しかし友人はそれはしません。彼らは別々の家に帰ったあとは他人なのです。冷たく感じる?でも他人という言葉にもそれなりの敬意もあります。
距離感が違う。
友人はキャッチボールを滞りなく行える距離感。嫌な面はあまり見なくても良いものですし、都合が悪ければ付き合いをやめても誰にも責められることはありません。
夫婦となったら距離は隣でしょう。隣を立って歩く関係になります。荷物は半分に分け合います。時として距離感を間違え、甘えすぎて依存になるケースもあるくらい、近い距離なのです。そして人生を最後まで一緒に、と決める相手でもあります。
今や離婚は多少気軽なものにもなりましたが、本来は「人生」をかけた決断なのです。重みは友情とは全く違います。
離婚した人が「バツついてます」と自虐的に言うのはやはりそれだけの重みがあるからでしょう。
男女で友情がある人もいますが、「そんだけ仲いいならつきあっちゃえばいいじゃん」と言われても、「いや、そういうんじゃないの!」と否定する人は男女問わずいます。
彼らの中でもやはり友情と恋は明確に違う、と認識しているので、友情ベースの恋愛であればうまく行く……とは限らないのです。というか、スタートすらしない友情もある。
中にはもちろんスタートする人もいるでしょうが、本当に好きになったら友人という関係でいられるでしょうか? なぜ他の「友達」に嫉妬するのでしょうか?
肩書は心の深い部分に大きな影響をもたらすもの。
子どもの前では良いのですが、「パパ」「ママ」と互いを呼び合う仲になると、関係は親としての、になります。
そうなると男女関係にはなかなか戻れません。
役割認識というもので、役割・肩書に沿った思考、決断をしなければ、と深層心理で思ってしまうのです。
「妻は親友」「夫は男友達」、というような友達夫婦として捉えることは、関係において健康な境界線を保つことを困難にすることがあります。
夫婦関係は友人関係とは異なる独自の特性を持ち、それらを混同することは健全な関係の構築を妨げる可能性があります。
夫婦関係においてはお互いへの尊重やサポートはもちろん重要ですが、二人が異なる役割やニーズを持ち、それぞれが個別のアイデンティティを持っていることも大切です。
適切な距離感や健全な関係のバランスを保つためには、友人関係や親友関係と夫婦関係を区別すること。
相手を尊重し、信頼し合いながらも、お互いの役割や個別のアイデンティティを尊重することが、健全な夫婦関係の構築につながるでしょう。
また、遠距離恋愛は壊れやすいと言われていますが、そうではないカップルは「婚約」をしていることがあります。
指輪などの物質を身につけることで、彼は「自分には婚約者がいる」という実感があり、彼女は「彼と一緒にいる気持ちになれる」という安心感で壊れにくくなります。
将来を具体的に考えられる肩書でもあるので、共通した目的意識によって関係性が強くなるとも。
夫婦とは子供のいるいないに関わらず、新しい家庭を築き、家族を作っていく特別な関係です。
だからこそ現代でも結婚式が行われるのでしょう。友達成立の時に式は挙げません。
さらに両家族との付き合いも始まります。
子どもが出来たら夫婦で育てていくことにもなります。
そこに友情、友情、という言葉を持ち込んでしまうと、関係性が違う方向へ進む。
妻は夫を頼って良いのですが、友人には頼れません。
夫は妻に甘えて良いのですが、友人には甘えられません。
そのうちSexもしなくなるでしょう。だって友達だから。
それでも仲は良いから……という態度には「互いや自分を成長させる努力」を感じないのです。
甘えではなく怠けがあるのです。もう頑張りたくないのでしょうか?
友情と恋情と夫婦愛は違うものなのです。
友達夫婦は長続きするとしても、その長続きにはどんな意味があるのでしょうか?
互いの譲歩や折衷案ではなく妥協、諦めが多いのでは?
諦めは肝要?確かに時にはそうですが、もっと大切なのは自助努力や成長です。諦めに浸るのは言い訳です。
せっかく女性として産まれたのだから、女性として、妻として、愛されたいと思いませんか?
結婚した途端に夫から「愛してるよ」と言われて気持ち悪さを感じた女性は多いものです。なぜなのでしょうか。
だから友達夫婦になりたがったのかもしれませんが、その場合、彼が浮気しても良いという事でしょうか?
妻や夫という存在は、それこそあなた自身のもう一つの側面を映す鏡のような存在でもあります。
信頼と愛情に相応しい相手を選んでいるはずなのです。だけどどちらかが成長することをやめ、その時一人だけが成長していたら、釣り合いが取れなくなり関係は終わります。相手から得られるものがなくなるからです。
「あなたのことがよくわかった」
これは女性から離婚を切り出す時によく出てくる言葉だ、と言われています。
彼が自己成長をやめたら、もう妻としては彼とともに歩むことは出来ません。その反対ももちろんあります。
人生の伴走者ではいられなくなるのです。
友達だったら多少だらけても良いでしょう。それが許されます。友達なので、そこまで深い関係ではありませんから。友達が嫌がってしまって、離れて行っても誰も責めません。
どの人間関係でも信頼、尊敬、愛情といった思いやりは間違いなく大切です。
友人だから、あるいは夫婦だからと雑に扱って良いわけはありません。しかしどの肩書も、微妙に、あるいははっきりと「違う」のです。
科学的には「友達夫婦が優れている」のではなく、「人としての信頼関係が確立されている夫婦が長続きする」の間違い……聞き間違いか違訳だっただけなのだと信じたいところです。(そもそもその科学はどんな科学なのだろうか)
友達が良いなら、恋愛や結婚というものの意味ないですから。
それでは、ありがとうございました。