世の中には
「愛する人になりましょう」
「無償の愛を与える人になりましょう」
という教えが多いです。
これは半分正解で、半分は間違いでしょう。
女性、あるいは女性的というのは本来受け身です。
凸と凹があるからぴったりはまるのであって、全員が全員与える側、凸であるならばそれは言い過ぎとは思いますが暴走します。
抜き身のままの刀みたいなものです。
受け入れるというのも一つの愛情です。
相手という存在そのものを受け入れる、肯定する、愛する。
これは生半可な覚悟では出来ません。
そしてもう一つあるのが、「与える愛情」はある意味楽です。
だって自分を顧みなくていいから。
「片思いが一番良いんですよ」という人がいる。
「だって相手に迷惑かけないで済むから」
と、相手のためを思ったふりをしている人もいる。ふりではないかもしれませんが。
嫌味なものの見方かもしれませんが、本当は自分の今の生活、世界を壊したくないのではなかろうか。
それをしても良いと思えるほどの相手と巡り合えていないだけかもしれませんが。
ただ、片思いでいい理由が「迷惑かけないで済む」というのは、ちょっと相手のせいにして自分が行動するということから逃げてるようにも見える。
恋愛成就であれ失恋であれ、「誰か」を自分の今の世界に迎え入れるには世界をぶっ壊す必要がある。
実際私はぶっ壊れました。
子供のころから恋愛する気はなかったし、仕事一筋でいいや、と淡泊に過ごしていたし、Xジェンダーだから性別を気にしたくなかったのですが、否応なく女性にならざるを得なかったですね。
じゃないと彼を受け入れられないので。これも結局自分の意志なので、彼のせいとかではないですよ。
愛されることを考えに置かないなら、自分をきれいにする必要ありません。
だって家に入る関係じゃないなら家が散らかっていても問題なし。
料理だって自分の好きなようにしたらよくて、好きな時に好きなところへ行って良い。
好きだなあと思う相手を思うことも好きにしていい。
好きな人を自分の好きなように妄想しても良い。
人間誰しもが「短所」があるけど、相手のそれも見なくていい。
自分の性格の改善点を見つける努力も不要。
悪いところはそのままに、腐った生活してたって問題ありません。
だって愛されなくていいんだもん。
こんなに楽なことはないですよね。
そりゃ、楽と書いたけど、本気の恋愛や人間関係で本当に見返りを求めないのも辛いですよね。
誰だって本当は愛されたいもんね。
男性なら、根本の愛情は「与える」だから、片思いでもまだ耐えられるのかも。
女性の場合は「受けいれ」の愛情だから、片思いは辛いかもしれません。
それでも与えるのが普通になるとある意味で気楽にもなれます。
受容でも同じことは言えます。
だから与えるのか、受け入れなのか、どっちが楽とか厳しいとかは言えない。
嫌な相手を受容できるか?というのもきつい問題ですから。比較できるものではない。
だけど言葉に出すと、いかにも「愛されたいなんてわがまま」。
優等生気取っていたいなら
「私は愛したいの。愛されようなんて期待してないから……」
と言えば良い。
「良い子だね」
と言われて、利用されて、体で遊ばれるかもしれないし、ないかもしれないけど、とにかくそれだけになる可能性は高いでしょう。
良い人、良い人、それは都合の良い人。どうでもいい人です。
見返りを求めて行動するのはちょっと違いますが、かといってあげるばっかりも危険です。それはお互いに対して無礼です。
だって上から目線ですからね。これはある意味。相手を信用していない可能性すらある。
相手からするとその良い子は芯がないので、押しても引いても思うまま。お人形さんだから人間味がありません。敬意も何もそこには発生しません。
しかし良い子なので一時はモテるでしょうし、結婚も出来るかもしれません。
事実、つきあった人全員からプロポーズされた、と自慢する女性もいましたが、離婚しています。
なぜか。
都合良い女だったので、旦那さんは子供の面倒も家事も車の故障時の対応も何もしてくれず、一人きりで頑張る羽目になったと。
彼女は彼の世話をしたのに、彼は大事にしてくれなかった。
お互いに不幸になったので離婚したそうです。
話の本筋からはずれるのですが、なんだかんだ言ってくる人に対して素直に従順にしていると、向こうはこっちを「人間扱い」しなくなります。
対等な存在だと認識しなくなるんですよ。
これはあくまでも個人的な経験の話なので、全ての人に当てはまるかわからないのですが。
喧嘩上等だよ、くらいの気持ちでいた方が却って向こうからの尊敬を得られることがあります。
喧嘩はね、暴力も進んでするものではないのですが、しっかりと意見、芯を持ち話し合う覚悟を持たないとどんどん侵略されます。
自分を磨く必要はあるけど……。
女性が反省をし始めると行かなくていいところまで反省してしまう、自分を責め続けてしまうというのがあるので、ほどほどで良いんですが。
いや、本当に気を付けて欲しいところです。
何かあった時、男性は外に責任を求めてキレる、女性は自分に問題がなかった場合でも自分を責めて拒食症、というのが多々ある。
どっちも良くない。
だから男性には「本気の後悔の一つくらいしろ」とアドバイスする男性もいる。
反省は良い方向へ向かうためにすることなので、決して自分や誰かを責めてはいけない。
自分や誰かを責める、それはある意味、自慰行為でもあるので、何か損なうことがあったなら、それを補うことを考えよう。
誰かを傷つけてしまったなら、自己憐憫して自分を責めるより、すぐに相手に謝りに行こう。
こういう場合は相手が最優先です。
愛すべき人って、ようは誠実である、責任感がある、ということです。
ざっくり5つの要素を並べてみましょう。
1・思いやりがある。慈しむ心がある。
2・人として正しいことをする。
3・礼儀正しい(肩書に流されず、人に対し礼節を尽くすという事。舞妓さんは一般人に対しても丁寧なお辞儀をして下さいます。めっちゃ可愛かった!)
4・知性がある。知識もそうですが、善悪の判断をつけるということ。かといって悪をそのまま嫌うわけでもない。言い換えると、短所長所は誰にでもあるが、短所が長所になることもある。
5・自他問わず信じること。まずは自分を信じられるようにする、が良いでしょう。
ちょっとした成功体験を積むのが一番良い手段です。いつもより遠回りして長く歩いてみた、階段を昇ったとかでも充分です。
こうやって、愛されるには自分という人格を磨いていかなければならない。
相手がくれた愛情を返せる人になる、その愛情に相応しい人になる。
これは自分を卑下していたら出来ないんですよ。
相手を信じるってことは、自分を信じるっていうことなので。
自分は足る人物か?と自分を見ないといけないんですよ。醜いと思う部分も。
だって与えられる愛情は「あって当然。もらって当然」のものではないから。
だって、誰一人として自分の奴隷なわけないですからね。
ましてや相手の心を支配することは出来ないし許されませんからね。
上下関係や役割の違いはありますが、それでも人というのは対等でしょう。
向こうにも尊厳があります。
こちらにもあります。
追いかけている方が良いでしょうか?
愛を与える人っぽく見えて、素晴らしいでしょうか。
ならなぜ、その人は愛されていないんでしょう。
理想を追いかけるというのは、ある意味相手の嫌な面を見なくていい行動でもあります。
人にはそれぞれ嫌な面もありますが、それを見る度「ああ、やだやだ」と言っていては本当の人間関係は手に入りません。
そして「自分の理想」を他人に押し付けるのも、変な話ですよね。
その「人」を好きになったんじゃないの?
自分の理想という幻を相手に見てただけなの?
それこそ、自分の好きな人を自分の理想通りに育てた、という自慢をする人もいるけど、それって「自分の理想に恋している」だけで、相手の尊厳はどうなってる?
愛される人になるためには?
これ言い過ぎるのは好きじゃないんですけど、自己肯定感というのはやはり大切です。
相手が誠実な愛情を向けてくれているのに、自分を卑下している時は信じられないし、受け取れないものです。
「私なんて……他にもっといい人いるでしょ?」
これは相手を思いやっての言葉に聞こえますが、
「相手は見る目ないな、なんで私なんだ、バカじゃない?」
みたいなことです。
(そこまではひどい考えでもないと思うんですけどね。極端な例として)
自分を否定していると、つまり相手のことすら否定します。
そして相手の差し出した好意を捨てているわけです。
相手はそりゃ傷つきますよね。(過去の私がこれをやってしまった。それが分かったから何とかしようとも思えたけど)
とはいえ自分のことが大好き、と言える人はそんなに多くないでしょう。
自分のこと嫌いです、という人の方が多いと思います。
かくいう私もそうでしたが、それって結局、逃げてるだけなんですよね。自分自身から。
でもなぜ嫌いなのか?と考えてみました。
怠けものだから。頭悪いから、性格悪いから。
人により理由は色々だと思いますが、それって裏を返すと
「努力家であって欲しい」
「賢さを持って欲しい」
「良い人になって欲しい」
という願望があってのことのように思えます。
これらの願望の根底は「愛情」ですよね。
生きていく上で怠け者では厳しいし、あほのままだと厳しいし、何より愛すべき人でないのは辛い。
自分に対して厳しすぎて、その結果「嫌い」と言ってるだけかもしれません。
あるいは「いかにもナルシシストみたいで恥ずかしくね?」と言われたらどうしよう?と考えてしまっているからかも。
自己陶酔と自己愛は違うのでそこをはき違えなければ大丈夫でしょう。
だから他人のそういう評価は気にしなくて良いです。
本当の友人なら、あなたが「自分のこと嫌い」というと悲しがるでしょう。
寂しくない? 友人他人限らず、大切な、好きな人が、「私、自分のこと嫌いなんだよ」と言ったら。
ではどうすれば自己肯定感を養えるのか?
なかなか荒療治ですが、シンプルです。
「私のことを愛してる。いつもありがとう」と言い続けることです。
最初は感情が伴わなくても大丈夫です。はじめはちょっと痛いかもしれないけど、そのうちその言葉がなじんできますし、自然と受け入れられるようになります。
自分の中のツンデレ子ちゃんに声をかける気分で良いのではないでしょうか。
言うべきは「ありがとう」と「愛してる」この2つで良いでしょう。
実際、しっかり生きてくれている体です、そして生きるためには食物連鎖も関わっています。
大切にしないと、バチが当たる。
我々はもっと色んな事に感謝してもいいはずですよ。
また、長所も書きだしてみましょう。
必ず見つかるはずです。
友人との約束を守る、募金をしたことがある、成績は良かった、仕事もそれなりに出来る、家事が得意……などなど。わからない場合、あなたを良く知る人に聞いてみるのも良いでしょう。
じゃあ、相手の好みに合わせるのが良いか?と言うと、それは違うでしょう。
人にはそれぞれ個性があり、好みも違います。
ロングヘアが好きという男性もいれば、ショートヘアが好きという男性もいる。
究極言うと「好きになったら好き」なわけだし、何より自分に嘘をついても長続きしないか、自分を見失うだけです。
そのうち違和感に押しつぶされる。
それに、本当の自分じゃない、嘘をまとった自分を好きになられても、意味ないじゃないですか。
本当の自分を愛してくれる、そして本当の相手を愛せるようじゃないと。
そして「相性」がある。
活発な人、大人しい人、とそれぞれにはそれぞれに合う人がいるでしょう。
彼は「活発で、ショートヘアの可愛い子が好きなの。だから髪を切った」。
でもその人が実はおとなしくてロングヘアが似合うお姉さんタイプだったらどうでしょうか。
なんかちぐはぐだよね?
ありのままを見たうえで、自分を磨く。
そうしたら相性も良く、お互いに支え合える人と出会う確率は高くなるはず。
趣味は全くちがうんだけど、お互いを認め合えるならそれもそれでアリでしょう。
そして好きなタイプが愛せる人とも限らない。
これは私もそうでした。そんなものらしいです。
誰かをむやみに追いかけるより、自分自身をちゃんと磨いてあげた方が、結果良い人と巡り合えると思います。
そして受け入れるのにも覚悟が必要になってきます。
体の仕組みで言えばわかりやすいですけど、女性は「入れる」側ですよね。
中が相手のものでいっぱいになるわけです。
それを包み込んでるのか、それとも嫌がってるのか。
しかも中出しなら、相手のものが本当の意味で体の中に入り込むわけですよ。聖域である子宮に。
そして子供が出来たら、命がけです。
受け入れるって、簡単なことではない。
自分と相手の好意に対する責任が出てくるわけですから。
だから昔の女性は「結婚・離婚」に対して大きな責任と覚悟を持っていた。
今は離婚なんて大した話じゃない……かもしれませんが、一生一緒にいる、互いを慈しみ合うと決めたはずのに相手を幸せに出来なかったと悔やむため、簡単な話じゃないということになるんでしょう。
しかも男性の愛って、強すぎてけっこう怖い。
その愛情に飲み込まれないようにするためにも、自分でしっかり自分を保たないと受け止めきれないんですよ。
ぼろぼろのグラスに水を注いだって、こぼれていくだけですから。
金継ぎという技術もあるので、壊れたら「はい、終わり」ではないですからね。大丈夫ですよ。
「愛されたい、愛されたい」で何もしない自己中が過ぎるだけの人って、その時は願いを叶えられてもいつか捨てられます。
だって誰も誰かの奴隷ではないですからね。
人間誰しもが男性的な部分、女性的な部分を持ってはいる。
でも一応性別があり、そして自分は女なのだという意識があるなら、こういう「愛される」ということを学ぶのは大切だと思います。
人間関係はややこしいことも多いのですが、しかし結局人間関係が人を成長させるものであるのも確か。
私も好きな相手に出会わなければ自分を磨こう、良い人になろう、相応しい人になろうと思わなかったでしょうし、Xジェンダーそのままに性同一性障害をたまにこじらせながら男っぽいことをし続けてホルモンがたがた女性で生きていたかもしれない。つまりボロボロになっていたかも。
どれだけやっても愛されないかも?
いや、少なくとも、最大の味方が出来ます。
そう、あなた自身が。
あなたという愛情が育つほど、強力な味方になってくれます。
そして無償の愛情が出てきているのなら、推し活でも何でも好きなものは増える一方。
人生花開きっぱなしです。
やって損はないでしょ?
なんだか長文になってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。
自分磨き、というとダイエット、美容、という感じがして、それも大切だけど今回はちょっと違うしなあと捻くれた感じで書いたら長くなってしまった。
色々な意見があるテーマだと思いますし、私も言うてもまだ30代なので、青臭い考えかもしれません。
しかし、これは活かせそう、と思える部分があったら、ぜひ取り入れて下さい。
特に5つの要素と自己肯定感!