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椿の庭

第1話 出逢い

 それから3日後。
 琴はスタジオでミクのメイクをしていた。
 ミクはきめ細かい肌は健康的な小麦色、薄い茶髪はショートで、ボーイッシュな雰囲気に姉御肌な色っぽさを併せ持った人だ。
 モデルとしてデビューしたのは17歳で、芸歴はもうすぐ10年。
 演技指導をみっちり受け、今回ついに女優デビューだ。準ヒロインとして、メインキャストの一人である。
 琴と知り合ったのは1年前。
 琴がまだ駆け出しだったころ、メイクについての研究ノートをミクが読んだのが出会いだ。
 琴の方針はそれぞれに似合う、流行に流されない芯のあるメイク、食事、体型、美容のすすめである。
 ミクは今まではボーイッシュ・マニッシュを求められるばかりだったが、年齢的にきついと感じていたこともあり、琴にメイクを頼んだのである。 仕上がったのは今までとは違った、健康的ながら色気を滲ませる、レディ感のある大人な女性。
 ミクはこれを気に入り、契約を結んだのだ。
「今日ウィッグをつけるじゃん、ロングにするでしょ。なんか慣れなくてさ」
 ミクはかなり気さくな人だ。琴に話すときはまるで親戚のお姉さんのようである。
「慣れない?」
「うん。ロングに慣れてないんだ。なんか女っぽくなりすぎちゃう感じ?」
「あー…じゃあメイクは少し抑えめにしましょうか」
 ベージュやブラウンを基調にするか。ピンクを使っても良いかもしれない。
 琴は頭の中でイメージを固めてゆく。
「そうねぇ。出来れば女っぽくなりすぎないようにしたいな」
 ミクの演じる役は「仕事の出来る女上司」である。主演の沖 陽は今売り出し中の二枚目俳優で、年齢不詳としているがおそらく30代か。
 彼は中途採用の元・エリート弁護士、しかし今や新人営業マンという役どころである。
 映画の内容は、主人公が弁護士としての口の巧さを武器に、悪徳・ブラックビジネスを打ち負かすという、昨今のストレスを吹き飛ばす痛快コメディーである。
 ミクは主人公の上司で、普通とは違う彼に手を焼きながらも次第に彼のペースに巻き込まれ、仕事への情熱を取り戻すという役だった。
「ヒロインちゃんが可愛い系だからなぁ。対比っていうの?」
「なるほど……そうですよね。彼女はラベンダーカラーですから、ミクさんはブラウン系でいきます? 赤もマット系で、深紅っぽい色」
「そうしよう」
 ミクは指を鳴らしてゴーサインを出した。
 ヒロイン役の結城 カリナは、色白で唇は小さく、ぱっちりした目の可愛らしい女性だ。
 琴と年は変わらない。
 ダンスの経験があるにもかかわらずほっそりした手足は華奢で、お人形さんのようだ。
「おはようございまーす」
 と、鈴を転がすような声でメイク室に入ってきた。
「おはようございます」
「おはよー、カリナちゃん」
「ミクさん、今日はロングヘアーのお披露目ですよね。すごい楽しみです~」
 カリナはミクの隣の席に腰を下ろし、二人を覗き込むようにしてそう言った。
 彼女のメイク担当はまだ来ていないため、室内は彼女のマネージャーである辻を含め4人だった。 辻は細身のフレームの眼鏡、アップスタイルの髪型、スーツの似合うビジネスウーマンという雰囲気だ。
 ぱっと見はクールだが、話すととても気さくな女性である。年齢不詳だが。
 ミクは目線だけカリナを向いて、琴に化粧水を塗ってもらいながら返事した。
「そうそう。制作発表だからね。キャラの印象ばっちり決めてやるぜ~ってね。カリナちゃんどんな感じになる予定?」
「髪はアップですって。編み込みして、ちょっとアクセもつけます」
「似合いそう。衣装どんな?」
「オフホワイトの、ふわふわしたやつです」
「ふわふわ?」
 ミクが聞き返した。琴が答える。
「ジョーゼット地ですか?」
「そうそれ! 詳しいなぁ」
 カリナが人なつこい視線で琴を見た。
 カラーコンタクトの入った、不思議に印象強い目だ、と琴は思いながら返す。
「良いですよね。カリナさんに似合いそう」
「あたしのはなんだっけ?」
「ミクさんのはスーツですよ。黒だけどなめらかな光沢があります」
「完全に対比だね。エロと清純?」
 ミクの言葉に3人で笑い出す。
 が、辻の咳払いでそれは止められた。
「壁に耳あり」
 と、冷静な声でたしなめられる。
「ごめんなさ~い」
「すいやせん」
「失礼しました」
 そう言いつつも3人でくすくす笑いながら、途中カリナのメイク担当も入室し、やはり和気あいあいと話ながらメイクを完了した。

***

 都筑は避難訓練時の報告をまとめ、管理人と話をつけた所だった。
 井上は防犯カメラを確認させて欲しいと頼んだが、それはプライバシーに関わると断られた。
「おかしいっすよ。明らかに誰かがやったでしょ」
「井上。それを突き止めるのは俺たちの仕事じゃないだろ」
「いたずらとしても、タチが悪いでしょ?」
「誰も乗らない可能性もあった」
 都筑の言葉に井上は眉根を寄せた。
「そうは言いますけど、実際に上原さんって子が乗って、パニックになりかけたんですよ。失神の可能性だってあるし、なんならトラウマになることもある。助けたのは都筑さんでしょ、なんでそんな冷たいんですか」
 井上はまだ若い。
 感情が理屈より優先されるのだろう。
 都筑の考えが気に入らなかったようだ。
「俺たちも確認を怠っただろ? 入念にエレベーター、その他密室になる可能性がある場所は見ておくべきだった。いたずらだとしても今回のことで反省しないといけないのは俺たちで、今やるべきはビルの安全を徹底させることだ。違うか?」
 井上は不服そうな顔だったが、頭をかいた後に頷いた。
「反省はしてます」
「それはもう充分だよ。井上が真剣なのはわかってる。俺にも甘さがあったんだ。管理人や上からは、なおさら一所懸命やるよう言われてる。とにかく集中しよう」
「……はい」
 都筑はBエレベーターでのことについて説明していたが、上司からも管理人からもおとがめはなしだった。代わりに徹底的にやってくれと励まされ、今に至る。
 管理人にいわく、いたずらだとするなら防犯カメラは自分たちで確認するらしい。
 気になるところがあればおって連絡をくれるそうだ。
 井上も渋々頷いた形だった。
 自分の仕事場を汚された気分なのだろう。
「ところで腹減ったな」
 都筑は腕時計を確認した。
 13時半だ。
「昼食っすか」
「ああ、お前どうする?」
「気分変えたいんで、行きます」
「ならさっさと行くか」
 ビルを出て、少し歩いて見つけたのは中華料理の店。
 油のしみついたような看板。小さい店だった。
「ここでいいか」
「いいすね。こういう所が結局美味いんですよ」
 中には60代らしい、背の低い男性料理人が一人。店主だ。
「こんにちは」
 と声をかけると、店主は笑顔を見せた。
「カウンターでよろしいですか」
「はい」
 とんとん、と素早く出されるコップにいっぱいの水。
 メニューを広げればランチタイムは唐揚げ定食のみ、と書かれている。それを注文した。
 つと目線を巡らせれば、降り曲がったカウンターの、一番奥にいたのは最近テレビで見た顔だった。
 甘いルックス、明るい髪色、姿勢の良い色男。
「お、俳優の沖じゃん」
 井上が声をあげる。
 小声だったが、小さな店だ。すぐに相手に聞こえたらしく、目があった。
「失礼しました」
 都筑と井上が軽く頭を下げると、俳優の彼はにこやかに笑う。
「いいや。顔が売れてるみたいで、嬉しいよ」
「はぁ……」
 井上は生返事だ。
 都筑はこれまでとばかりに視線を手元に戻す。
「そういやあのメイクさんから連絡はあったんですか?」
 井上がそう切り出した。
 都筑は首を横にふる。
「いや。会社にも無かった」
「そうですか。まぁ何事もないなら良かったですけど」
「そうだな……しかし文句くらい言っても良さそうなのに……」
「何も言われなかったんですか?」
「何も、どころかエレベーターが安全だと知れて良かった、だそうだ」
「うわ、やさし」
「人が良すぎるんじゃないか?」
 都筑は首を捻った。
 井上は目を丸くする。
「いいんじゃないですか? 文句なしなら」
「それはそうだけど。ああいう態度だと、そのうちだまされるんじゃないかって思っただけだよ」
「あー……心配なんですか」
 井上がそう言って、都筑は納得したように頷いた。
 思い出すのは明かりのないエレベーターで不安げにしていた様子だ。
 心配。
 不安。
 職業病のようなものかもしれない、不安げな人を見ると、何かせき立てられる思いだ。
「可愛い子だったし、確かに心配っすね」
「まぁな……」
 防犯の手引きなど、無料のパンフレットを依頼してくれた所には配布しているが、都筑としてはもっと広く知らせたいと考えている。
 その一環のつもりでの返事だったが、井上はにやにやしていた。
「へぇ~。都筑さん、ああいう子が好みですか?」
「は?」
「可愛い子だって言ったら『まぁな』って」
「そういうつもりじゃ……」
「お待ち遠様ですー」
 じゅうじゅうと油の弾ける音がたまらない、唐揚げの乗った定食が目の前に置かれた。
 ごま油の香りの卵スープがなんとも美味しそうで、井上は「この店は当たりだ」と言いながら箸を割って手を合わせている。
 都筑は琴を思い出す。
 はにかんだような、困ったような笑顔を浮かべながら名刺を受け取ってくれた。
 さらさらした黒髪はよく似合っているし、清潔そうな服装も好ましい。
 メイクは都会らしい派手さはないが、丁寧だ。
 確かに可愛い人柄だと思った。
 しかし都筑はメイクをした女性の顔をあまり信用していない。
 あれほど変わるのか……と感心しながら少し恐ろしさも感じたものだ。
「上原さんは誠実そうな人だとは思ったけど」
「上原?」
 都筑の言葉に反応したのは俳優の彼だった。
 都筑は名前を知らないが、沖 陽だ。
「メイクの上原なら、上原 琴さんのことか?」
 都筑と井上は彼の方を見た。
「なぜ知ってる?」
 沖は重ねて訊いてきた。
 都筑は彼の視線に居心地の悪さを感じたが、肩をすくめて返した。
「仕事場でちょっと知り合っただけですが」
「ちょっと? ちょっと知り合っただけの人の名前をなぜ知ってて、なぜ話に出す?」
「なぜって……」
 井上が向こうを向いて、都筑の肩に隠れた。
 気配からして笑っている。
「ちょっと仕事場でトラブルがあっただけですが」
「彼女にどう関係する」
「それは仕事にかかわるので言えません」
 はっきりとした口調で返すと、沖はあからさまに気分を害された、と眉を寄せてみせる。
「トラブルに巻き込んだのか」
「どうでしょう」
 都筑がやんわりかわせば、沖はさらに眉を寄せた。
「はい、お待ち遠~」
 店主が沖の前に白米を出した。
「なんであれ彼女を厄介事にまきこむな」
 と、沖は正義の味方のように釘を刺してきた。
 都筑はなんのことやら、と首を捻る。
 隣で井上が遠慮無く唐揚げを口に入れていた。

***

 その翌日だ。
 都筑は琴を見かけた。
 ショートカットの美女と二人、コンビニで何やら商品を見ている。
 元気そうだ、と彼女の横顔を見て安心し、設備の説明のためあのビルを目指した。
 スプリンクラーを新型にし、誘導灯も明かりを強くしてパネルを変える、そういったものはすぐに決まり、都筑も管理人も納得の行く方向で話は進んでいった。
 管理人は眼鏡をずらし、都筑を見てきた。
「実は井上さんがおっしゃった“いたずら”の件なんですが」
 彼の言葉に都筑は表情を変えた。
「その可能性が高そうでして。あなた方が張り紙をして、2時になるほんの数分前、見回り確認が済んだのを見計らったかのように、女性が一人、現れたんですよ」
「数分前に? 狙ったように、15階ですか」
「そうです。張り紙を剥がして、どこかに行ってしまいましてね。うちに通ってる従業員はみな私服でしょ、だから部外者かどうかわかりにくいんですよね」
 都筑は目に力が入っているのを自覚し、呼吸を整えながらそれを逃がす。
「手の込んだいたずら……」
 都筑のつぶやきに、管理人は頷いた。

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