「受け取る力」とは何か ― 女性性の本質的な感受性について
【受け取る力の真価と、その先にあるバランス】
〜女性性の目覚めと男性性へのまなざし〜
現代に入り、「女性性」への注目が高まっています。
それはスピリチュアルな文脈で語られることも多いのですが、私たちが日々感じること・生き方の感覚にも通じています。
■ 「受け取る力」とは、ただ受け取ることではない
「女性の受け取る力」とは、ただ物や愛情を“受け取る”という意味だけではありません。
それは、感受性やインスピレーションを受け取る力。
美しいものに心動かされ、それを「これは良いものだ」と純粋に感じ、シェアしようとする。
この透明な感性が「受け取る力」の本質だと私は考えます。
つまり、女性性には「広く開かれたアンテナ」があるのです。
■ そのアンテナは、美も、悪意も、すべてを拾う
ただし、その受信能力の高さは、美しいものだけを受け取るとは限りません。
その感受性は“危険思想”まで吸収してしまう恐れがありました。
悪意があろうとなかろうと、「染まりやすい」というのが女性性の特質でもあります。
「あなたに悪意がないのなら、悪意が入ってくることはない」
という教えもありますが、女性性にはそれが当てはまりません。
なぜなら、女性性の感受性は、意図せずとも周囲の雰囲気や感情、無意識の情報までを拾ってしまうからです。
洗脳されやすく、洗脳から解放されにくいのは圧倒的に女性が多いものです。
それは決して弱さではなく、影響を受けやすいほど“開かれている”ということ。
だからこそ、内面や心の器——つまり女性器のように「受け入れる器」そのものを清らかに保ち、不要なものは定期的に手放す必要があります。
月経がその自然なリズムであるように。
■ アンテナのお手入れと、向ける先
「受け取る力」を正しく活かすには、自分のアンテナがどこに向いているかを意識することがとても大切です。
・日常の中で触れる言葉
・人間関係
・インターネット上の情報
それらが自分の心にどんな影響を与えているかを、無意識にしてしまわないこと。
そして、できるだけ「良いもの」「清らかなもの」「命を喜ばせるもの」に触れるように意識すること。
そしてアンテナは肉体に備わっているので、ボディケアは食事・運動と両方を適切にすることがとても大事です。
■ 男性の中の女性性もまた、同じケアが必要
この「受け取る力」は、女性だけにあるわけではありません。
感受性豊かな男性や、女性性を強く持つトランスジェンダーの方の中にも、広いアンテナを持つ方が多くいます。
その場合、やはり同じように、受信力の強さ・繊細さと染まりやすさを理解し、心のお手入れや方向性の意識が大切になります。
■ なぜ女性性は長く抑圧されていたのか
かつて歴史はもっと困難で、飢え、戦争、貧困……そして偏見や抑圧、危険な思想が当たり前のように存在していました。悪意は人類だけが持っていたわけではないので、なんとも複雑だったはずです。
その中で「女性性」という受け取りやすい性質は、外の世界からの悪意にも善意にも、染まりやすいという特性ゆえに――
“包まれる”ことが必要だったのです。
さらに、女性は直感的に優れたものを見抜く力、ひらめくインスピレーションの力が強かったため、歴史上の特権階級からすると自分の地位をひっくり返しかねない恐れもあったのです。
地位はあるけど魅力はない王様より、生命力と賢さ、顔立ちの良さなど優れたものを持っている男性なら農夫でも海賊でも騎士でも女性はそちらを選ぶでしょう。……家からの圧力さえなければ。バターカップのように。
そういう意味でもガウェイン卿とラグネル夫人の物語は、とても大きな価値があります。
ガウェインは最終的に彼女の美しさを独占するのではなく、見栄のために利用することもなく、ただ、彼女の意志にすべてを委ねたのです。
結果一日中美しく、賢いままの彼女が妻になります。
彼がアーサー王の中で珍しく恋愛面ではハッピーエンドを迎えたことは決して幸運でも偶然でもなく、当然のことだったのでしょう。
そしてその決断が出来る男性だからこそ、ラグネルのような賢い女性は彼を選んだのでしょう。
現代は相対的に見ればとても安全で、感性が花開きやすい時代になっています。
今は、女性性が目覚めていいタイミングなのです。
■ でも忘れてはいけない。男性性は“敵”ではない
女性性の開花を妨げてきたものとして、男性性が一括りに悪者にされるような風潮がもしあるなら、それは大きな誤解です。
男性優位社会ではありますが、男性に「優しい楽園」だったわけではありません。むしろ過酷でした。
日本には「男は敷居を跨げば七人の敵あり」ということわざがあります。
外に出れば、「男には多くの敵が待っている」という意味で、社会的な重圧や競争を表しています。
そしてその上で「あなた以外にあなたの敵はいない」とも言われています。
結局のところ自分の中にある「弱気、怠惰、自己中心的な考え、性欲の暴走、お酒などへの逃避等々」……そういったものが敵なのであって、周囲は敵ではない、という意味です。
特に「自分は男だ」という自覚の強い男性ほど(つまり責任感や与える力、守護力の強い男性)孤独を感じやすく、知らず知らず苦悩を抱えることがあったのです。
現代は男性同士もかなり優しくなったように見受けられますが、本来、男女ともに同性にこそ厳しいものです。
本当に問題だったのは、「男性性」そのものではなく、「品性を欠いた行為」や「暴力的な価値観」、「偏向的な教え」でした。
それらは男性であっても、女性であっても持ち得るものです。
男性性とは、本来――
- 与える力
- 形にする力
- 守る力
なのです。
そして男性はサバイバル時代に仲間や家族を守るために、住まいや塀を建てました。その安全性を高めることにも注力してきました。
それを建ててきた男性と、その男性を支えた女性への尊敬と感謝を思い出す必要があるのではないでしょうか。
そしてその男性の力が癒されず、ただ消耗されてきたのは、むしろ女性性が抑えられてきたからともいえます。
陰陽のマークが常に寄り添っているからこそ球体でいられるように、どちらかが欠ければ、その力は減ります。
陰陽は、一方の力が高まることで、もう一方も自然に生じてくるという思想です。つまり、二つの性質は対立ではなく、補い合う存在なのです。
安全になってきたからこそ女性性は開花の時を迎えているのです。それに貢献してくれた性別問わず過去の人々を忘れて、過去への批判ばかりするのはもうやめた方が良いのではないか、と思います。
残念ながら下品な人ほど目立ちます。悪いニュースほど目立ちます。
人は危険に反応するように仕組まれているため、そちらに反応してしまうのです。
だからこそアンテナを良い方向へ向ける集中力がいるのです。
そのためには感謝をクセにするのが近道です。
品性のない言動に惑わされる必要はありません。彼らが自ら気づき、変わる努力をしない限り、何も変わりません。
成功している男性たちは、多くの場合、恋愛対象への情熱が強い、もしくはパートナーや家族との良い関係性がある、という共通点があります。
彼らは、女性に安全と物資を与え、女性性が生む“美しさや喜び”を一緒に受け取り、そして癒されていたのです。
それが、次の行動力や創造力につながっていました。
■ いま、橋をかけようとしている
もし、女性性と男性性の間に小さな衝突が起きているのだとしたら、それはお互いを理解するためのプロセスかもしれません。
でも、分断を深めるような言動には、ストップを。
苦痛の解消を目的にすると、際限なく苦痛がやってきます。意識が向くところに現実が引き寄せられるからです。痛みにばかり意識が向ければ、次の痛みを呼び込みやすくなるのです。
そして攻撃には攻撃が返ってきます。
そのため目的はきちんと良い方向に向けなければいけません。
右か左か、とても単純な道の選択で、まるで違う道をたどることになるのです。
苦痛ではなく、癒しや解放、尊厳を目指した方が良い、と私は思います。
しかし選ぶのは、いつもその人自身です。その選択を誰かが左右していいわけでもありませんが……。
本当は誰もがわかっているように、「いい男」は、ちゃんといます。
私自身、近い男性として父や兄を見ていたので男性不信ギリギリでしたが、従弟たちはしっかり者で、ついでに”彼”は驚くほど誠実な人なので男性に対するイメージは変わりました。
同時に女性もみな様々だ、と気づくことが出来ました。
いざ外に出れば、意外と頼りになる、尊敬出来る男性は非常に多い、と感じている方は多いのではないでしょうか?
誰かをさげすむのではなく、「受け取り、与え合う」ために、私たちはまた歩み寄ることができるのではないでしょうか。
これからの時代にこそ——受け取る力 × 与える力が、世界をよりあたたかく、創造的なものにしていくのではないでしょうか。
東洋医学や日本の考えでは”身体と心と脳、そして魂は生きている間常に一体”です。幽体離脱という言葉があるので、肉体と精神が離れることもある、とも考えられています。
そのため、まず肉体を「美しさの探知機としての身体」として大切に扱うと良いでしょう。
ところで「アンテナ」がもしかしたら古い表現かもしれないので、「センサー」「インナーコンパス」など、お好みの表現で捉えてください。
➡️映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』に見る、陰と陽の交流