Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第3話 授業

 オニキスに教師をつとめるよう勅命が下ったのはその日の夕方だった。
 明日から10日間。
 相手はバーチ女王・シルバー。
 授業内容は二人で話し合って決めるよう言われたため、今出来ることはかつて学んだ書物を引っ張り出すことであった。
 役立つであろう歴史、地質調査書、星図、植物学、動物学など。技術系も役立つはず。
 オニキスはそれらの基本のみ見繕い、明日への準備を終わらせた。
 舞踏会で出会い、お茶会で知りあった。
 猫のような目に、狐のような雰囲気。
 蠱惑的な美女で、匂い立つような白い肌。
 そして気品と王者の風格。
 皇帝の姪だというが、あまり話題にのぼらない人物だった気がする。名も初めて聞いた。
 だが話した感触は悪くない。
 12日後に彼女はバーチへ帰るということだ。
 オニキスはソファにどっかりと座ると、出窓に踵を乗せて脚を伸ばす。
 窓の向こうに細い月が見えた。

 シルバーは気の強そうな女性、舞踏会で言い争った武人と待っていた。
 場所は宮殿の執務室の一つだ。
 窓からは庭園がよく見えた。
 挨拶もそこそこに、何を学ぶかを決める。シルバーは、とにかくバーチの土地そのものが抱える難点を克服したいようだった。
「特に困っているのは?」
「エメラルド川の……水害全般ね」
「巨大な川が縦横無尽に走っていますからな。湿地帯が多いのなら、氾濫した後も水が引きにくいのでしょう?」
「その通り。おかげで植物の多くは腐り、カビなどが発生して疫病が起きるの」
「その中で育つ植物をまとめてみましょう」
 オニキスとシルバーはお互いに質問を重ね、歴史から答えを探すなどしてその時間を過ごした。
 女王は熱心で、よくオニキスの話に耳を傾けている。
 ある程度バーチのことを知ると、休憩を、とお供の女性がお茶を持ってきた。
「ずいぶんお詳しいのね」
 シルバーは舞踏会の時と同じように、椅子にゆったりと腰掛ける。
 その自然な威圧感。なるほど皇帝の姪である。
「いいえ。バーチのことはよく知りません」
「本当? 質問が止まらなかったわ」
「知らぬがゆえ、聞くのです。私はウィローに留学しておりましたが、山を越えただけで国柄は一変する。こちらの常識が通用しないことをよく知りました」
 貴女も同じでは、と言えば、シルバーは額を抱えるようにして息を吐き出す。
「そうね。2年前まではなんと無知だったのでしょう」
「無知を知ることが第一歩なのです。それすら出来ない者はゴマンといますよ」
「辛辣なのね。ところで留学先はウィロー? なぜ?」
「治水に興味がわきましてね」
「治水……?」
「それこそ川、湖、池、氾濫が起きないようにするためには? 川の源流である山をどう拓く? 堤防はどうするのか、住居は? そういったことです。皇帝陛下が貴女のもとに私を遣わしたのは、そういう理由からでしょう」
「では陛下は川そのものを考えるよう、仰せかしらね。私は女王として必要なことをするまでです。特にこれとこだわるつもりはないの」
「では治水を学ぶと?」
「それが良いでしょう。バーチに必要なことだと思うわ。医術よりもね」
「雨期が来た……その直後に氾濫がよく起きると聞きましたが、あと半年後……ほどですか」
「そうなりそう。道の舗装も考えたけど、まず水をひかせることが先決のよう」
「舗装も同時にやるのはどうです? 避難のためには重要です」
 オニキスの提案に、シルバーは顎を指先でこすってふうむ、と思案顔を浮かべる。
「決定は急がなくて良いでしょう。しかし、バーチは興味深い土地だな。裂け目から命の活動が東西に別れるのでしょう?」
 オニキスが話題を変えると、シルバーは目線をオニキスに戻した。彼女の形の良い赤い唇が目に入る。
「そうです。そこで植物の種子を分けて植えるよう提案したのですが、これは買い取ってもらえない植物だと一蹴されました」
「なんの種子です?」
「白樺」
 オニキスは首を傾げた。白樺はバーチの特産品で、その油は香り良く化粧品に、木本体は皮付きのまま細工に使え、薪材としても優秀である。
「良い選択ではありませんか」
「そうです。でも、育ちが悪いのかしら。あまり好まれないわ」
「それはおかしい。バーチの民は……彼らの教育はどうなっているのです?」
 白樺の利用法さえ知っていればこんな扱いを受けないはずだ。
「バーチに学校は少なく、よい教育を受けるためこちらに移住した者は皆帰ってきていません。老人はいて、彼らは利用法を知っていますが、細工する職人はいないのです」
 オニキスは大体の事情を察した。
「人も金も知識もここに吸い取られた形だと」
「バーチに住む魅力がないのは分かるわ。病気も孤児も多く、安定しないから」
「それを改善するための知識でしょう」
「あなたはそうと分かっているのね。古里はどちら?」
「私はずっとここですよ」
 シルバーは納得だ、と言わんばかりに頷いた。
「道理で舌に”品”がおありね」
 どこかいたずらめいたトゲのある言い方に、武人がにやりとした。
「ご教授どうもありがとう。10日間よろしくね」
「こちらこそ。今日はこれからどこかへ参られるのですか?」
「皇子達と顔を合わせるわ」
 オニキスは口をへの字にした。彼らとは気が合わない。
「あなたも来る?」
 シルバーがまさか水を向けた。オニキスは首をふる。
「ご家族の再会に水をさすような真似はしません」
「あらそう。彼らとは気が合わなくて、あなたがいてくれれば退屈しないで済むかと思ったのに」
「私は盾か何かですか? そちらの武人にお任せすれば良い。身分は高いのだから、出席できるでしょう」
「俺に?」
「彼の名前はシアンよ」
 シルバーは書物を片付け始めたオニキスの隣に立った。身長差のせいで丸い額がよく見える。流れるような首筋も。
「彼女はマゼンタ。二人は兄妹」
「よろしく」
 オニキスが礼をすれば、二人は整列してそれにならう。
「ではオニキス殿をお送りしましょう」
「女王殿下の見送りを受けるとは、光栄ですな。私も出世したものです」
 シルバーは廊下に出ると見上げてきた。
「明日は天候についても教えて下さる?」
「治水に関してでしょうか? 天候そのもの?」
「治水に関して」
「もちろん。しかし知識は急に身につくものではありませんよ」
「では良い本など、ご存じかしら」
「タイトルをまとめて、明日お渡ししましょう」
「それは助かります」
 玄関につくと西日に照らされた。オニキスは一度彼女に向き合うとしっかりと跪いた。
「それではご機嫌よう」
 冗談めかして言えば、シルバーは「ふふ」と笑って右手を差し出した。驚くほど白い手を取って、なめらかな手の甲に口づける。
 そのまま視線をあげれば、しっかりと視線が絡まる。
 翡翠のような淡い色の瞳が、はっきりとオニキスをとらえていた。

 こうしてシルバーと授業を開始した。
 彼女は良き生徒であり、オニキスは父の名代としてつとめを果たす中では得られなかった「やりがい」を感じる。
 だがもっと気になるのは、実感のない国造りである、ということだ。
 彼女に知識を与えるだけ。
 オニキス自身、知識はあってもウィローで得たような生の感覚がないのだ。
 机上の空論。
 それがしっくりくる。
 5日目の授業が終了したこの日、シルバーは貸していたオニキスの本を手元に欲しい、と言いだした。
「本屋で買えますよ」
「そうなの? では使いを出して……」
 シルバーはそこまで言って、シアンが返事をしようとしたその時手をあげて制した。
「いえ、いいわ。自分で買いに行く。他にも良さそうなものがあれば買っていくわ」
 シルバーはどことなく機嫌の良さそうな、はずんだ声でそう話す。
「殿下」
 マゼンタが眉を寄せたが、シルバーは気にした様子がない。
「首都での市井の様子も見てみたいわ。大通りなど楽しそうね」
 彼女はとっくに決めたらしい。兄妹は不安げな表情だが、オニキスは頷く。
 皇族の者が出歩くことはままある。それに彼女はあまり表に出る者ではなかった。それなりの格好で、危険の少ない場所を案内すれば正体がバレることはないだろう。
「ご案内いたしましょう」
「はっ?」
 シアンが口をあんぐりと開けたが、シルバーは笑みを見せた。
「良いの? お休みは?」
「私にとっても良い休日になりますよ。そちらのお二人も、宮殿にいるだけでは体がなまりますよ」
「明日はいかが? オニキス殿の都合の良い時に……」
「陛下から女王殿下を指導するよう言われておりますから、これが最優先です。本を買いに行き、ランチは市井でも評判の海鮮料理などいかがです?」
「まあ。美味しそう」
「こちらで馬車を用意しましょう。慣れない道を歩くと馬にもストレスですから」
「それはどうもありがとう。何から何までお世話になります」
 出かけることに決定し、シルバー達に見送られて宮殿を出る。と、肩をたくましい手に掴まれ、オニキスは振り返る。
 仏頂面のシアンの顔がそこにあった。
「何のつもりだ?」
「何が?」
「殿下に取り入って、出世の足がかりにするつもりか?」
 オニキスはシアンの手をどかせ、肩をすくめる。
「政治には興味がないと言っただろう。何が気に入らないんだ。貴殿の主はお喜びだったぞ」
「市井を歩くなど、危険だ」
「バーチではどうか知らぬが、ここでは危険は少ない。心配なのは分かったが、閉じ込めれば解決する問題でもなかろう」
「そんなつもりはない」
 シアンは腕を組んだ。
 オニキスはふふんと笑う。
「俺が気に入らないのだな」
 そう挑発するように言えば、シアンはぎろりと睨みつけてきた。わかりやすい男だ。
「授業では感心したさ。だが殿下を惑わし、利用するつもりなら許さん」
「殿下は俺のような男に簡単にだまされる能の無い女性である、と?」
 オニキスの言いぐさにシアンは呆れたように鼻から息を吸い込んだ。
「全く、どういう神経してるんだ」
「皇帝は国民を導く存在だ。王も、女王もな。全てに触れられない代わり、近づく者はなるべく自分で吟味する必要があるだろう」
「どこも世間知らずが多いんだ。分かるだろ?」
 シアンは珍しくオニキスに近い発言をした。彼の視線は一度だけこの宮殿を向いたため、オニキスは彼の言わんとするところが分かった。
「皇子達だな」
「ああ。バーチに次に赴任するのは誰か、それも罰ゲームか何かのように誰かに押しつけようと必死だ。いいか、女王殿下はとっくに……」
 ――皇帝に利用されてる。今バーチの国土を復活させれば、皇子か、あるいは皇女の誰が後継になっても不満は出ない。それに――
 それを言わないでおいた理由はオニキスにも分かる。
 オニキスはシアンの肩を友人のように叩いた。
「……皇后陛下は聡い方だ。悪いばかりでもないさ。それに皇帝陛下は俺たちが思う以上に思慮深い方だ。仮面舞踏会はいまだにどうかと思うがな」
「わかってるさ、問題はもっと別の所にある。だからこそ味方に誰をつけるかは慎重にならざるをえない。悪いが、俺はあんたを信用していない」
 そう言いつつも、シアンはなかなかにオニキスとよく目を合わせるようになったではないか。
「それで結構」
 オニキスの返事を聞くと、シアンは深く頷いて下がっていった。

 翌日に馬車を2台用意し、宮殿に迎えに行くと、見慣れない格好のシルバー達がそこにいた。
 シルバーは町娘のような淡い色のワンピースを着て、三つ編みを背中に流している。だが品性と知性は隠せていない。ちぐはぐだ。
 彼女のような、若いのに貴婦人然とした町娘がいるだろうか。
「まるで似合っていませんな」
 そう言うと、従者のコーが目を丸くしてオニキスを諫めた。
「若旦那さま」
 兄妹もそろって睨みつけてくる。
 しかしシルバー本人は至って平然と受け止めた。
「おかしいのですか? 街を歩くならこうした方が良いかと」
「あからさますぎます。もっとご自身に服を合わせなければ」
 オニキスは3人を連れて宮殿に入る。
 侍女に声をかけ、持ってこさせたのは濃い紫色の、鎖骨が綺麗に見えるワンピースだ。ふくらはぎが見える長さで、若々しいが同時に上品である。
「こちらの方が良い」
「まさか服まで指導されるとは思わなかったわ」
「私はどうにもうるさいのです。普段なら何も申しませんが、変装するなら徹底的に、違和感なくなさって下さい」
「あら、そういうことね。オニキス殿も遊びに行くときはやはり意識するの?」
「ええ。あまりに自分から遠すぎるとボロが出ますから、良い加減を見つけないと」
「なら、ちゃんと考えておきましょう。今回はあなたの選んだものにしておくわ」
 シルバーはシアンとオニキスを追い出した。
 コーがきょろきょろと辺りを窺い、オニキスに小声で話しかける。
「どういったお客様なのです?」
「バーチの女王殿下と、そのお供二人だよ」
「じょ、女王さま? そうなら馬車ももっと良い物をご用意した方が……」
「街を歩いて市井を見たいのだそうだ。目立つとそれも出来んだろう」
「しかし若旦那さま、女王殿下にあんな口のきき方を……」
 コーはぶつぶつとお説教を垂れたが、オニキスはどこ吹く風だ。意外なのはシアンが何も言わなかったことだ。
 ドアがようやく開き、マゼンタと共に着替えの済んだシルバーが出てくる。
 完熟のブドウを思わせる紫色のワンピースは、彼女の色白の肌を際立たせ、それでいてよく馴染んだ。
 髪はそのままアップにしたようで、細い首筋がより強調されている。どこかの夫人のようだ。だがいかにも女王ではない。
「貴殿の言うとおり、こちらの方が良い」
 マゼンタがオニキスを見ないまま言った。
「では参りましょう」
 シルバーはそっとオニキスの腕に自身の腕を絡める。
「エスコートをお願い」
「喜んで。マイ・レディ」

 馬車にはオニキスとシアン、シルバーとマゼンタに別れて乗った。
 オニキスはシアンの仏頂面を見て、つい口の端を持ち上げて笑ってしまった。
「何がおかしい」
「いや、失礼。先ほどは貴殿からお小言が飛ぶかと思っていたが」
「婦人の装いのことなど知らん。そっちの言うことには一理あると思っただけだ」
「案外冷静だ。それにしても殿下は柔軟なお方だな」
「いちいち嫌味な奴だな……その二枚舌は敵を作るものじゃないのか?」
「さあ。ついでに言っておくが、嘘はついていない」
「チッ」
 シアンはわかりやすく舌打ちし、しまったと口元を隠す。
 愚直な男だ。
 オニキスはゆっくりと首を横に振ってみせる。
「貴殿こそ、よく公の席で生き残ってきたな」
「生き残ってない。だからバーチに飛ばされたんだ」
「飛ばされた、ね……妹君も一緒にか?」
「ああ、家族でだ。5年前になるが、とある伯爵の言動に誤りがある、と宴会で言ってしまったんだ。次の日にバーチにすぐ向かうよう言われたよ。全く……」
 シアンは反省するように頭を抱え、ふうっと息を吐き出すとどこでもない場所を見つめる。
「だが、今となってはこれで良かったと思える。今アッシュ帝国を支配しているのは権力欲だ。そして怖れ。中途半端な身分じゃ、妹もいつ、どう、利用されるかわからない。バーチは確かに荒れた土地ではあるが、余計なことを考えないで済む。考えが毒されるよりはマシだ」
「それは貴殿らが貴族だからだろう。今日の命に危険があれば、考えが毒されるとすらも考えられない」
 オニキスの指摘にシアンは視線をあげた。武骨の指の向こうで、眉根を寄せた顔がきつく見つめてくる。
「贅沢な悩みだと?」
「少し違う」
 シアンはわけが分からない、と肩をすくめ、また息を吐き出す。
 オニキスは窓をわずかに開けた。
 見えるのは豊かな生活を楽しむ人々の姿。
「なぜこうも違うのか……」
 シアンも窓の向こうを見て、そう呟く。
「美しいものに惹かれるのは当然だが、美しいものを育むのは汚いものだと忘れてはならない」
 オニキスはウィローで学んだことをぽつりと言う。
「そして汚いものを育むのも美しいものである、と。泥に手を突っ込む覚悟がなければ、本物は手に入らない。一体誰が悪いのか? そんな単純な話じゃないだろう」
「殿下なら今の話がわかるだろうな。俺は……俺にはわからん」

 馬車は店の並ぶ大通りに停まった。
 オニキスは馬車から顔を出したシルバーに手を差し出し、降りるのを手伝う。
 彼女の白い肌を春の太陽が容赦なく照らすため、彼女は雪のように溶けるのでは? とおもわず不安にかられた。
「先に本を選びたいわ」
 芯のある声が耳に入り、はっと夢からさめた気分になって彼女を見つめる。
「こちらです」
 つま先を脇道に向け、歩き出す。薄暗い通りだが、風がよく吹き抜けて気持ちが良い。
 靴音が小気味よく響いた。
 オニキスがよく通う本屋は小さなもので、だが所狭しとならぶ専門書の品揃えは確かだ。
 背の小さな店主がタバコを慌てて消し、「いらっしゃい」と声をかける。
 シルバーはオニキスが用意した教科書をまず集め、それから自分でもこれは、と思うものを探している。
 低い場所を覗き込むようにしているため、スカートの裾が床についてもお構いなしだ。熱中しているようで、声をかけるのも憚られる。
 本屋を出る頃にはシアンとマゼンタの腕にはそれぞれ本が山のように積み上げられた。
「買いすぎたかしら」
 シルバーは実にゆったりとそう話す。さすがは生粋の高貴な女性だ。
「良いのでは? なかなかない買い物です」
 マゼンタは本を馬車に積む。重みで荷台が少しだけ傾いた。
「城の図書室を一般開放するつもり。向こうに帰ったらその準備をするわ」
「はい」
 シルバーの頭の中には設計図があるようで、違う本屋にも行きたい、と言うのでオニキスは次に古本屋を目指す。掘り出し物があるだろう。
 シルバーは機嫌が良さそうで、頬を緩ませながら歩いている。花を植えたプランターがいくつも並び、店先を飾る石畳の通りにさしかかると、彼女のヒールがわずかな隙間に食い込む。
 よろめいたシルバーをオニキスは咄嗟に支え、立つのを手伝っていると揺れるスカートの影に行く手を阻まれた。
 視線をあげると栗色の髪の妙齢の女性の冷たい視線とぶつかった。
「あらオニキス様。ずいぶんお楽しみのご様子」
「ジェン。久しぶりだな」
 革職人修行中の女性だ。オニキスの靴の修理を任せている店で働いている。会うのは3ヶ月ぶりか。
「元気そうでなにより」
「オニキス様こそ、とてもお元気そうね。また新しい女性を連れ歩いてるの?」
 ジェンの冷ややかな視線がシルバーに向いた。シルバーはそれを受け止め、それからオニキスを黙って見上げる。
 オニキスはシルバーを背に庇った。ジェンの眉がきつく寄せられた。
「彼女は俺のお客だよ。今は用事がある。失礼する」
「私は重要じゃないっていうの?」
「話があるなら後日。今は無理だ」
「オニキス!」
 きびすを返すと、ジェンのつんざくような声が背を追いかける。
「冗談じゃないわ! リリーに、メイに、何人目なの!」
「すべて君の勘違いだ」
 薄暗い通りを戻り、人の多い繁華街へ。シルバーは何事か、とオニキスに視線を寄越したが、何も訊こうとしない。
 花屋の前に立ち止まると、マゼンタが腕を組みながら睨んできた。
「先ほどの方とは、一体?」
「彼女の師匠に靴を預けた時、受け渡しを彼女がやった。そこで話をしただけだが」
「本当に? 恋人か何かでは?」
「まさか。靴の事で話がしたいから、と何度か顔を合わせただけで恋人と言うなら、そうだろうが」
 マゼンタは疑いの眼をオニキスに注いでいる。
 オニキスは視線を尖らせるとよそを向き、口を開いた。
「真実が知りたいならご自身で調べてみればいい。私が何を言ったところで信じられないのだろう? 第一、私は彼女のような女性は好まない」
「何を……」
「マゼンタ、よせ」
 食ってかかろうとする彼女を止めたのはシアンだ。直情的な性格はよく似ている。
 オニキスは舞踏会でのことを思い出し、何かおかしい気分がしたが、シルバーの前だ。笑いたくなるのをこらえる。
 そのシルバーが落ち着いた声で言った。
「……お腹が空いたわ。お店に行きましょう」
「不快な思いをされたのでは?」
「いいえ。私、楽しみにしていたの。海鮮料理でしょう? 貝が特に好きよ」
 シルバーは優雅に歩き出した。しっかりとした足取りにはやはり自然な威圧感。
 オニキスはふーっと息を吐き出し、彼女の忠実な僕のように後につく。

 二階建ての海鮮料理屋は珍しく空いていて、オニキスの姿を見ると景色のよく見える席に案内された。
「今日は人が少ないな」
「オニキス様と同じで、ご予約客が多いのです」
「今日は何かあったか?」
「いいえ。ただ、不思議と同じタイミングで同じことが起きるものです」
 すっかり顔なじみの紳士は柔和に微笑んで4人を受け入れた。
 シルバーは椅子に座ると、窓から見えるアッシュ帝国が誇る聖なる山・サンダーを見た。
 脈打つような稜線、残雪、色の違う岩肌。宮殿から見えるのはなめらかな表情で、名前とは違う印象を与えたものだが。
「ここから見ると表情が変わる……」
「皆様、そうおっしゃいます。ここは代々受け継いだ土地で、祖父がサンダーのこの顔を色んな方に見せたい、と開放したのです」
「サンダーの名の由来に初めて納得出来ました。良いものを見たわ、ありがとうございます」
「オニキス様と同じ事をおっしゃる。宮殿につとめておられるのですか?」
 シルバー達が目を丸くした。紳士は「おっと」と口元を押さえる。
「失礼しました。詮索するものではありませんね」
「気にしないでくれ」
 恐縮する紳士に、オニキスはそう声をかけた。
 運ばれてくる貝のスープ、新鮮な野菜サラダに魚を素揚げしたものを更にスープで煮込んだメインディッシュ。一通り食べ終わると、わずかに傾いた太陽光がサンダーの表情をまた変えている。
 シルバーの横顔にも、同じく。
「オニキス様がご友人を連れてこられたのは初めてですね」
 食後のお茶が並べられていく。シルバーとマゼンタはそれに浮いている花びらを見つめた。
「彼女らはお客だ」
「左様ですか。とても絵になる」
「彼はよく女性を連れてくる?」
 花びらを見つめていたシルバーが突然そんなことを言った。紳士は目を大きく、丸くし、ゆったり笑うと手を横にふった。
「いいえ。いつもお一人ですが、ときおり父君と」
「あら」
「もう良いでしょう、面白い話でもない」
 オニキスは遮る。紳士は下がったが、シルバーは好奇心を止められ唇を軽く尖らせた。
「私は真実を知りたいわ」
「それはもっと重要なことに向けられませ。私のことなど些末なことでしょう」
「その”些末なこと”が世界を広げるのよ。でも、オニキス殿が嫌がるならやめましょう。無理強いはよくないわよね?」
「おっしゃる通りです。で? お口に合いましたか?」
「ええ。とても、満足です。宮殿のお食事は味気ないの。比べものにならないわ」
「毒味を通しますからね。なんなら、ご自身で調理されると良い。毒の心配も要りませんし、出来たては格別のおいしさですよ」
「お料理が出来るなら、そうでしょうね……」
 シルバーは視線を落とした。何か思うところがあるらしい。が、顔をあげると兄妹にも話題をふった。
「美味しかった?」
「はい」
「とても」
 二人の返事を聞くと、店を出た。

 夕方になると通りに出ている人の印象が変わる。若い男女の姿がちらほら増え始め、主婦達は帰宅の様子を見せていた。
 オニキスが馬車に乗ると、先に乗っていたシアンがなんとも言えない表情を浮かべて顔をあげる。
「妹は俺より直情的なんだ。殿下を守りたい一心だよ、見逃してやってくれ」
「年齢で人を判断してはならぬ、とは言うが、流石に女王に仕える身なのだ。見合った節度は身につけてもらいたい」
 オニキスは事務的にそう言うと、脚を組む。
「私も言い過ぎたがな」
 そう付け足すと、シアンは顔をあげ、言った。
「あの場合、真実はどうでもいい。優先順位が違うんだ。君の私生活は関係がない」
「その通りだ。だから素人は嫌いだ」
 オニキスは鼻をならした。仕事のことで話があるから、と二人でいた時の、期待に満ちたジェンのまなざし。
 リリーもメイもそうだ。
 向こうから誘っておいて、袖にすれば勝手に恨んでくる。
 オニキスは以来、女性に不用意に優しく接するのはやめたが、それはそれで「遊び人」だから調子に乗っていると噂を立てられる。
 一体オニキスに何を見ているというのだろう。

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