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Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第2話 お茶会

 夜もとっぷりと更けた。
 宮殿の上ではいつも変わらない位置で白い星がきらめいている。
 言い伝えでは、千年前の建国時、トネリコの樹の下で休む初代皇帝のもとに美しい女がやってきて、皇后になった。
 彼女はあの白い星の精霊であるらしく、宮殿を建てる時はあれを目印に、と命じたらしい。
 シルバーは来る時に見たその星のきらめきを思い出して一つ息を吐き出した。
 彼女にとっては先祖の物語である。
 皇帝の戯れに応じて一曲踊り、休憩を求めて広間を出た。侍女であり護衛であるマゼンタがすぐに近くに侍る。
「舞踏会は如何でしたか?」
「楽しかったわ」
「左様ですか。安心しました」
 マゼンタは舞踏会にも参列した武人であるシアンの妹だが、彼と違って彼女の身分は低い。舞踏会の会場には入れなかった。
 時折ドア越しに悩ましい男女の声が聞こえてくる。シルバーは気にしていなかったが、マゼンタは耳を赤くしていた。
 誰もいないのを確認して、先ほどのベランダを目指す。
 廊下は甘い香りが漂っていて、酔いそうになるのだ。腐った果実が最後に残す何かのような、甘い香り。
「夜風は冷えます」
 マゼンタはそう窘めたが、シルバーはお構いなしに手すりに寄る。仮面を取ると視界が一気に広くなる。衛兵達の交替の時間らしい、何人かが配置につき、何人かが肩を回しながら離れていく。
「流石にこのドレスは目立ったわ。年のいった人達はこう言うけどね。『母を思い出します』と」
「流行というやつですか……」
「でもまあ、面白い感想を抱く者もいたわ。妖精の女王のよう、ですって」
「え」
 マゼンタは目を丸くした。
「しょ、正体がばれたのですか」
「どうかしら。でも媚びない人物だったわね。陛下は『オニキス』と呼んでいたけど、あなた知ってる?」
「オニキス……ええ、多分。父親が宮廷掃除人から出世し、爵位も得たはずです。その一人息子の名がそうだったと」
「なるほど。父親は陛下の政策の一環で名を挙げたということね」
「その……彼は……いえ、こちらについてから噂を聞いただけですが、なかなか食えない男のようでして……」
「ああ、その通りよ。矛盾とも違うけど、話しかたが難解ね。でも芯はある人のよう」
「はい。その、能力はあるようでして。でもそうではなく……」
 マゼンタは歯切れ悪い。いつもはきはきとしている彼女らしくない。
 シルバーは首を傾げた。
「その……女性の噂が耐えぬのです。あまり傾倒されない方が良いかと……」
「そうなの」
 シルバーは納得して頷いた。
 無駄のない立ち居振る舞い、落ち着いているのにどこか波打つような話し声。
 仮面のせいで顔は見えなかったが、品のある男性だと好意は持った。
「確かに熱をあげる女性は多そう。さて、そろそろ疲れたわ。部屋に戻りましょう」
 シルバーはゆったりと歩き、廊下の端にある階段を登る。
 3階の西の部屋だ、皇統に名を連ねるシルバーは宮殿に泊まることを許されている。
 部屋に着くと、天蓋つきのふかふかのベッドに腰をおろした。足首のベルトを取ってヒールを脱ぐ。
 マゼンタは部屋の隅で姿勢を正して立った。
「今夜は宮殿の衛兵がいるわよ。あなたも休んだら?」
「お気遣いはとても嬉しく思いますが、これが私のつとめです。女王殿下をお守りさせて下さい」
 兄妹そろってきまじめだ。
 シルバーはそうね、と言うとドレスの裾をめくってストッキングの留め具を外す。ガーターの紐が腰あたりに跳ねた。
「お手伝いを」
 マゼンタが背に周り、リボンを解く。ドレスが緩み、ふっと息が楽になる。
「後は大丈夫」
 シルバーはマゼンタに下がるよう言い、ドレスを脱いだ。
 白いコルセットは前にリボンがあるため、自分で脱ぐことが出来る。緩めていくと、カップに押しつぶされていた乳房がゆったりと波打った。
 青色の寝間着を取って頭からかぶる。
 部屋の明かりを一つづつ落とすと、カーテンを閉じないままの窓から満天の星空が見えた。
 あと10日間、ここで過ごす。
 その間に何か打開策が見つかれば良いが、とシルバーは母祖に願わずにいられなかった。

 翌朝、シルバーは皇后の午後のお茶会の誘いを受けた。
 着ていくドレス――昨晩のものより軽いもの――を見繕った後、マゼンタとシアンを連れて図書室を目指す。
 宮殿に納められている書物はほとんどが真作。
 一般人が手に触れることは出来ず、今上皇帝の姪であるシルバーでさえも、司書の許可なしに閲覧・持ち出しは出来ない。
 司書に声をかけると、神経質そうな目がシルバーの全身を見て、頷いた。
「どういった書物をお探しで?」
「国の運営について、出来れば専門家の意見をまとめたものなんかが良いわ」
 扇で口元を隠しながらつとめて冷静に話す。
 司書は奥までシルバー達を案内し、何冊か本を取って地図を掘った机に乗せた。
 白い手袋をシルバーに手渡し、そこにあった椅子に座ると3人を見張るようにしている。
「触れて良いのは女王殿下のみです」
「わかりました。これが歴史、これは地質調査、これは植生、工芸……」
 シルバーは気になった項目を一つ一つ読んでいく。
 シアンとマゼンタはそれぞれメモを取り、別の本から注釈を得てまた書き足していた。
(バーチにある”巨大な裂け目”は昔から怖れられていたのね)
 書物にはドラゴンの姿が描かれている。太陽を思わせる光の強い瞳、岩をも砕く鋭い爪、一枚一枚が硬い盾のような鱗に全身が覆われ、その胸元に輝く逆さまの鱗はダイヤモンド。
 このドラゴンが永い眠りから目覚める時、決まってエメラルド川は氾濫するという。
 幾度となく討伐に向かったが、生きて帰った者はわずか。もちろんドラゴンは仕留められることはなかった。
 おとぎ話であろう。
 アッシュ帝国の北の王国・バーチにシルバーが女王として赴任したのは2年前のことだ。
 バーチ王であった皇帝の叔父が突然亡くなり、その跡継ぎとしてシルバーに白羽の矢が立てられた。
 彼女自身は首都の郊外で生まれ育ち、暮らしていた。
 突然皇室の一人としての役目が回ってきたことに驚くのもつかの間。
 そうこうしている間に出立の準備が整えられ、目が回る思いを味わいながら最初の1年間を過ごした。
 2年目になるとある程度のことが分かるようになった。
 バーチには崖を思わせる、大地の巨大な裂け目があるのだ。
 そこから植生や虫たちの行動が変化し、農作物の育ち方も違っていく。当然農民も狩人も漁師も、住む地域によって収穫量が変わるため貧富の差が出てしまった。
 不満が募る一方、縦横無尽にうねるエメラルド川もまた、辺りに湿地を出現させ、なおかつ雨期を過ぎたころに氾濫しては人々を困らせている。
 親を失い、子を失い、行き場を無くした者達をバーチ城に保護するが、それだけでは何の解決にもならないのだ。
 そしてバーチとしてもアッシュ帝国に年貢を納めねばならない。
 だが先代以前からずっと、バーチはこの状態である。
 他の王国と比べて年貢の量は少なく、侮られている節がある。実際、仮面舞踏会の招待が届いたのは2週間前だ。
 バーチから首都までは、悪路を超えて行かねばならないため1週間はかかる。
 ドレスを新調する余裕は時間的にも金銭的にもありはしない。祖母のものを借りたのはそのためだ。使者はしかし、堂々と胸を張っていたものだ。
 ――道の舗装さえして下されば、もっと早く到着出来ました――
 マゼンタが今にも斬りかからん気配を放ち、使者は口を噤んだが。
 そう、舗装。
 せめて悪路を舗装し、人の往来が出来やすくする。それも一つの目標である。
 シルバーは書物を食い入るように見つめていた。
 まだ太陽は高く、白い雲がゆったりと浮いている。
 春が近い、という季節だが、今日は日差しがきつかった。
 お茶会は宮殿の馬場で開かれていた。騎手達が馬を走らせているのを見ながらである。
 40歳を超えた皇后は、今なお豊かな金髪を自慢げに結わえあげていた。
 シルバーはいかにも寒々しい白に近い髪色をしている。
 バーチの雪に似た色だった。
「2年経つわね。いかがお過ごし?」
「なんとか慣れてまいりました」
「陛下はあなたには苦労をかけた、とおっしゃっているわ」
「ご心配、痛み入ります」
 皇后は長いまつげをすだれのようにしながら、シルバーを見ている。いたずらめいた瞳の奥は油断ない光で満ちていた。
「ねえ。昨晩の舞踏会では何人かの殿方と踊ったでしょう。気になる方はいた?」
「気になる……ですか?」
 皇后の質問の意図が分からない。シルバーは宮殿から遠ざかったため「もう一つの舌」をどこかに無くしてしまったのだ。
 素直に考えるとこうだろう。まさか結婚を急がされている?
「仮面越しだからこそ人間性がものを言うってわけよ。ふふ」
「皇后陛下、昨晩の舞踏会は何か……」
 おかしかったのでは?
 そんなことを言いかけ、シルバーはすぐに言葉を飲み込む。
「皆独身よ」
 皇后はそう言った。
「気に入った相手がいたら贈り物をするよう言っておいたの。どの家同士の子達が結ばれたのかしらね。楽しみだわ」
「確かに、そう言われましたが」
 渡していない。
 渡されてもいない。
 シルバーが気になったのはオニキスだが、あまり深く話すこともなかった。
 それに、子達が結ばれた、とはなかなか意味深な響きだ。
「集団見合い……」
 シアンが呟いた一言を思い出す。
「なぜです?」
「だって、大臣達は自分の保身ばかり考えて面白くないのよ。陛下が産まれに関わらず、実力のある者を登用すると決めたものね。焦るのも分かるわ。でも、以前のままだとアッシュ帝国は惰眠を貪る肥え老いた獅子になりかねないのよ」
「それと今回の舞踏会にどう結びつくのです?」
「一種の賭け、占いみたいなものよ」
 シルバーはため息をつきたいのを堪えた。
「ご存じ? どこかの古い家臣の息子、長男と次男で顔が全く違うの。奥方ってお若くてね、没落貴族の娘だったから縁談を断れなかったのよ」
「不満のはけ口があったとお考えですか?」
「噂よ、噂。でも何かで押さえつけると誰だって解放を求めるでしょう。だけど自分で決めたことなら、どう?」
 皇后はシルバーに近づくよう言って、耳元でささやいた。
「今朝廷を牛耳っているのは誰か、分かる? 彼は陛下に取り入り、自分の家族を嫁がせた。姉妹全員ね。そして影の支配者を気取っている。昨晩、確かに異常な舞踏会を開いたけどね、そこに彼の子息達が入ることはなかった」
「それは……」
「子息達にはそれぞれ名誉職を与えたの。西方将軍でしょ、文部卿でしょ……」
「皇后陛下、そのくらいになさいませ。ご自身に関わることですよ」
 皇后の言う「影の支配者」は彼女の実家だ。
 シルバーは複雑な事情に首を突っ込んではいけない、と扇を広げて彼女と距離を取った。
「皇后陛下の、皇帝陛下や国家と皇家に対する忠義と愛情に皆感謝しております」
「行動がともなわなければ、意味のない感情です」
 はっきりと言い放つ皇后の目に、一瞬だけ陰りがあった。
 シルバーはふと思い当たり、扇をわずかに下げるとそれを聞く。
「昨晩、舞踏会に出席した皇室の者は私だけ?」
 皇后は眉を持ち上げた。
「そうよ」

「お姉様、お懐かしゅう存じます」
 そうスカートを持ち上げて挨拶したのは一番上の皇女だ。皇后の娘である。母親譲りの豊かな髪を、青いリボンが飾っている。
 17歳になったのだったか。いつお嫁に行ってもおかしくないだろう。
「今は女王殿下ですよ」
「失礼しました。女王殿下。お誕生日のお祝いを下さりありがとうございました」
「お気に召せば幸いです。皇女殿下、2年会わない間にすっかりレディですね」
 そう言うと皇女は頬を赤くして俯いた。
 椅子が用意され、3人でテーブルを囲む。
 緑の芝生、遠くに見える森も青々として、鳥がやってくる。
 こんなのどかな風景を、バーチで見ていない。
 シルバーは今あそこがどうなっているだろうか、と考えた。
 粗末で、汚れの落ちない服を着た彼ら。
 皇女もそうだが、首都で見かける者達の衣服の、そのきらびやかなこと。
 にぎやかな声が聞こえてふりかえれば、大道芸人が通りでお金を稼いでいる。
 バーチでは安全が保証出来ない。お金を入れるものを用意すれば、それごと盗まれるだろう。
「あの騎手は馬の扱いがお上手だわ」
 皇女が示す先に、黒髪の見事な男性がいる。
 首都で黒髪は珍しい。シルバーは見たことがなかった。
 乗っているのは脚の細く引き締まった、黒駒である。
 皇后は手すりに肘をつき、ゆったりと腰を深くして彼を見た。
「ああ、彼ね……」
「お母様、ご存じ?」
「ええ。厚生大臣、元宮殿掃除人の伯爵グレイ・ヒソップ殿のご子息よ。この頃ご病気のお父上に変わって、名代として働いている……名前はオニキス」
 シルバーは眉を持ち上げた。
 昨晩言葉を交わした「食えない奴」か。
「呼びましょうか」
「え、お母様……」
 皇女は緊張した面持ちで皇后を止めようとしたが、すぐに側仕えの男がオニキスに近づいていく。
 すぐに彼が寄ってきて、3人の前に立つと恭しく臣下の礼をしてその場に跪いた。
「楽にせよ」
「はっ」
 皇后に促されてオニキスが立ち上がる。
 午後の日差しにも負けない、黒々と輝く瞳。シルバーは扇で口元を隠しながら、初めて見る彼のその目をまじまじと見た。
「お、お母様っ」
 皇女は恥ずかしげに彼女の背に隠れようとしている。年頃の彼女は頬を赤くして彼を見ていた。
 確かに女性の気を惹きそうな、あやしい美貌であった。
「良い乗り手ですこと」
「もったいないお言葉」
 ああ、昨晩聞いた声だ。
 シルバーは扇で顔を隠しながら、そっと耳をそばたてる。
「よく訓練しているの?」
「乗馬は趣味なのです」
「趣味は馬だけ?」
「後は弓、読書も良いですが、音楽鑑賞も」
「そういえば、弓術も優れていたわね」
「まさか。御前試合ではいつもお目汚ししております」
「ほほほ。面白いこと。お父上のご様子は?」
「日常生活は問題なく……ただ長時間座っているのもまだ辛いようです」
「そう。はやく復帰して欲しいものだけど、無理はいけないわね」
「ありがとうございます。そのお言葉を父が聞けば、喜んで回復が早まるかもしれません」
「ならお伝えしましょうか」
 皇后の冗談めいた声音に、オニキスはにっこりと笑って見せた。
「そうそう、こちらは私の姪」
 皇后はシルバーを紹介した。シルバーは突然話題の中心となり、目を軽く見開いたが扇をゆったりとしまう。
「バーチ女王のシルバー・マインと申します」
「……女王殿下。お初にお目にかかります」
「美しい馬だわ。あなたの?」
「ええ。あの子は大人しい牝馬です。我が家では躾けのなっていない牡馬が多いので、彼女を連れて参った次第です。こちらの馬場は汚せませんから」
「なら、荒馬でも乗りこなせるということ?」
「私自身が荒馬ですから」
 周囲がぷっと噴き出した。皇后は肩を揺すって笑っている。
「なるほど。そうなのね」
 シルバーも笑ってそう返す。
「バーチというと馬の名産地でしょう?」
 オニキスは突然にそう言った。シルバーはつい先ほど仕入れた知識である。馬の名産地。だがバーチの馬は皆小柄だ。シルバーも初めて見たときは驚いた。
「ええ、そう。でもとても小さいの」
「だが頑丈で、荒野でも生きていける。バーチから首都となれば、悪路を抜けての旅路だ。それに耐えるだけの立派な馬でしょう」
「あら、嬉しい。小柄だ、太い脚だ、とからかわれていたの。旅のためひづめは武骨にならざるを得なくて、厩舎に集まる他の子達と比べると……」
 地味よね。
 シルバーはその一言を謙遜でも言いたくなかった。
 オニキスの言うとおり、バーチから皆を無事に送り届けてくれたのは彼らである。
「とても可愛い。性格も従順というより穏やかだ」
 オニキスがそう言ったので、シルバーは何か褒められた心地がした。
「あの子達に会った?」
「厩舎で見かけましてね。物怖じせずに私を見返してきました」
「そう? ああ見えて好奇心旺盛なの。穏やかだけど、気の合わない相手はけり飛ばしますからお気をつけ下さいね」
 思いがけず話が合う。二人で話をしていると、皇后が立ち上がった。
「日陰にうつるわ」
 今日は暑い、と皇后は皇女を連れて行く。
 シルバーは彼女を振り返ったが、皇后にぽんと肩を叩かれて座り直した。
 すっかり遠くなった彼女らを見て、そういえば昨晩、まるで結婚相手を探すための催しに招待されたのだと思い出す。
 そこにはオニキスもいたのだ。
「皇后陛下も大胆なお方だわ」
「良い夜でした」
 オニキスは声を落とし、シルバーにのみ聞こえるように言った。
 さざ波が立つような声だ。シルバーは思わず扇を広げ、彼から逃げるようにする。
「昨晩のこと……」
 集団見合い。彼はどうしたのだろう。
「すぐに帰りました」
「本当に?」
「美しい方がおられなかったので」
 オニキスの言い様にシルバーは大きく目を開いた。彼の目を見れば、まっすぐに見つめ返してくる。
「仮面越しでしょ」
「だからこそですよ。ああ、言い間違えた。美しい方は別の男に奪われました」
「あら」
 残念。
 でもいい気味だわ。
 シルバーは扇をゆったり仰いで、ミルクティーに口をつけた。
「獅子のような男にね」
 喉に流すのに失敗した。

***

 バーチからの献上品はしっかりと額縁に入れ、図書室に運ばれた。
 いずれ国民にも披露され、誰の目にも触れられる。
 シルバーからの献上品はかつての星読みが描いた季節毎の星図である。これにより農作物の種まき、収穫の良い時期が分かった。
 そして天災が起きる時期も。
 だが相変わらずバーチではエメラルド川の水害に苦しんでいるようだ。
 そして巨大な裂け目。あれは土地を狂わせている。
 皇帝は獅子のような髪を流したまま、シャツのボタンを3つも4つも開けて顎には無精髭を生やしている。
 元々がこういった性格だ。着飾ったり身だしなみを整えたり、窮屈なことが苦手なのである。
 図書室はあまり利用者がいないから、ついそうしてしまった。
 この時もまさか来客があるとは。
「陛下」
 シルバーとそのお供の兄妹だ。シルバーは気にした様子はなかったが、兄妹は皇帝の姿を見まいと顔を伏せた。
「おお。見てみるが良い。星図はあの通りだ」
 皇帝が指さすと、シルバーは星図に目をやる。彼女の横顔の、耳から顎に流れる線は優美だ。髪の色のせいかもしれないが、星の精霊だという初代皇后はこんな姿だったろうか、と皇帝は思う。
 シルバーの母親は彼の姉だ。彼女は古参の朝臣のもとに嫁に行った。
「収まるべき所に収まった……と」
「そうだな、ぴったりだ。良い品だが、バーチの歴史的遺物であろう。手放して良かったのか?」
「献上するにはあれしか良い物が無かったのです。バーチで名産といえば、馬、ロバ……でも彼らは首都ではおもちゃのよう、と揶揄の対象ですから」
「小さかろう。こちらの馬と並べると子供のようだ」
「でも素晴らしいスタミナですのよ」
「そう言うなら証明してみせよ」
「無理ですわ」
 シルバーはきっぱりと言う。腕を組んで顎をつんと持ち上げる。
「バーチで良い乗り手が育つとお思いですか? 馬場は施療院、孤児院に姿を変えました。道もぬかるんで、思い切り走らせられません」
「今日を生きるのに精一杯か」
「使者にもずいぶん、侮られました。道が悪くなければもっと早く報告にあがれました、ですって」
「それは悪かったな。いるのだよ、宮仕えする者の中には勘違いを起こすのが。我らには良い面をするが……その使者には厳罰を下すゆえもう気にするな。ところで、この十年……いやもっとかな、ずいぶんバーチは荒廃しておる。なぜだ?」
「2年目の私に訊くのですか? 一つには人口がずいぶん増えたようです」
「増えた?」
 皇帝は意外に思った。天災続きで、むしろ減ると思ったのに。
「ええ。流民ですよ。本来バーチで安全に農業が出来、家を建てられる場所は限られていたのです。その限界を越えてしまった。そのために危険な場所に住むようになり、安全な場所を巡って小競り合いが頻発するようになったのです」
「それは分かった。その上に水害が起き、病気も蔓延しやすくなったのだろう? そして施療院、孤児院……出会いが増えたわけだな。命の危険があるところは多産傾向にある」
「流民のきっかけは知りません。私が産まれる前の話ですから。資料も残っていませんしね」
「バーチはあれで、元は豊かな土地だったのだ。果樹に馬に牛に……肥沃な大地、川。裂け目の存在は気になるが、それを挟んだ”東西”での違いをよく認識していた。うまく住み分けていたのに」
「それをもっとお教え下さいませ。今回私が参ったのはその勉強のためです」
 シルバーは本棚を見つつそう言う。
 女王としての素質に、自覚。皇帝は満足してうんうん頷いた。
「それは良い。良い心構えだ。良い教師を選んでやろう。他には?」
「お金です。どのような国造りをすれば良いか分かりませんが、バーチには金銭面での余裕はありません」
「それはこちらで何とかしよう。バーチ出身の学生組合もあるしな」
「彼らはいくつです?」
「40を越えておる」
 シルバーは気に入らないとでも言いたげにため息をついた。
「彼らをここへ送り、当面の生活を支えたのは一体、誰だと? 古里に帰らず、古里に還元もせず、ここで安全に暮らしながら組合とは」
「おや、彼らが還元しておらぬと」
「していないでしょう。帳簿を見ました。第一車は滅多に通わない。見れば分かります」
「厳しいのう。彼らにはここでの生活もある」
「彼らを支えた者達にも、バーチでの生活がありました」
 皇帝は明らかに不機嫌な口調で話すシルバーの背を軽く叩き、図書室から出るよう促す。
 自身も身なりを整え、兄妹にも来るよう言うと司書に声をかけて図書室を後にした。
「教師だが、良い男がおるわ。まだ若く、能力もある」
「バーチ組合の者ではないでしょうね?」
「違う。安心せよ。お前も気に入るだろう。それと、バーチ組合からある程度の金を出すよう言おう。古里への当然の寄付だ」
 シルバーは厳しい表情のまま、静かに頷いた。

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