小説 黒豹とかたつむり

「黒豹とかたつむり」最終話 もうひとりじゃない

 棚田の部屋に越してから、早くも1ヶ月が過ぎた。
 棚田の時間の不規則さは相変わらずだが、副業がなくなった分かなり身軽に動いているふしがあった。
 紗矢はカレントで働く一方、新しく開いた店”K”に足を運ぶ。
 半地下の階段をおり、古びたドアを開けるとみやこが出迎える。
 そして店に設置されているレコードの埃を落とすマスター――北川の姿。
 アンダンテは規模を縮小し、その一部を占いのスペースに変えていた。
 ステージはあるが、しばらくの間は閉鎖。準備ができ次第開かれるそうだ。
 そして出される飲食物は客人の体調に合わせた完全オーダーメイドである。
 北川も出す酒類をそれに合わせて選ぶことになったらしい。
 浜野はいよいよ資格を取得、料理人として”K”に雇われ直した。やはりいつか店を持つつもりらしく、経営について北川に学んでいる。
 紗矢はKに掲げられていたあるポスターに目を奪われた。
 古い古い洋食屋の写真だった。
 石垣の囲い、つるバラのつたう石壁、木製のドア。周囲は樹木が植えられ、都会だろうが一つ世界観を隔てた独特な雰囲気。
「良い感じのお店」
「ああ、そこ? 僕が修行してた店なんだよ」
 北川が眼鏡を持ち上げた。
「修行ですか?」
「そう。お酒も出す店でね、かなり古い店だよ。まあご主人が亡くなって時間が経つから、店自体は閉まってるけど、初心を忘れたくなくて写真を飾ってる」
「へぇ~……いいな。こんな所で働きたい」
「行ってみれば? 今確か自動販売機とガチャガチャのお店になってるから」
「住所は?」
「今書くよ」
 北川がメモに住所を書く間、みやこがお茶を淹れた。ハニーブッシュティーと言うらしい。
 黄金色のお茶は柔らかい香りがする。口に含むとどこか懐かしい植物の味がした。
「これ美味しいね」
「でしょう。気持ちが落ち着くわ」
「ここ家に帰ってきた感じがする。そういうコンセプト?」
「どう感じるかは人それぞれよ」
 みやこの相変わらずな発言に紗矢は眉を持ち上げた。
 北川がくすくす笑う。
「二人が一緒にいると面白いよね。言葉遊びというかさ」
「そうなんですか? みやこちゃん、マスターの前では猫かぶってるの?」
「あら、何その言いぐさ」
 紗矢の前に旧洋食屋の住所を書いたメモが置かれた。紗矢は礼を言いながらそれを受け取る。
「あ、自転車で通えそう」
「意外と近いのね」
「前のマンションだったら厳しかった」
 現在二人で住んでいるマンションなら問題ない距離である。
 紗矢は店を出て、家に帰ると棚田にその話をする。
 今度行ってみようか、という話になり、次の水曜に出かけることとなった。
「そういえば、店は順調なのか?」
 棚田は”K”が気にかかるらしい。当然か。
「順調……かは分からない。でもけっこうお客さんもついてきてるって。でもみやこちゃんって、そういうの気にするタイプじゃないしなぁ。必要な人に届けばいいっていうか?」
「適当って奴だな」
「多分、そうだろうね。やるからにはやる人だし。そういえば、柊一、Kにまだ行ってないでしょ? 前より柔らかい雰囲気にはなったけど、でも前の空気感は残ってる。行こうよ」
 店長のみやこの醸し出す、女性的かつ母性的な気配が濃いのだ。その一方で北川の硬質的な気配もある。
 紗矢にとっては居心地の良い空間だった。
「そうだな……今度CDが出るから、それを手土産に」
「うん」
 紗矢は、部屋に置いてある真ん中のひしゃげたライターを見た。
 あれ以来、棚田の喫煙の回数は減っている。
「タバコって、煙幕代わりに使う説があるんだって」
「煙幕?」
「自分の気配を消したり、あるいは周囲に馴染ませるために使う……みたいな。料理する人だと、お肉とか魚とかの匂いをさせたままだと、他の獣を寄せるからって。そういう説があるんだって」
「初耳だな。吸う理由は人ぞれぞれだろうけど」
「柊一はなんで吸ってたの?」
「……言いたいことが上手く言えなくて、不満だったからかな。今はそうでもなくなった」
 紗矢の首元には細いレースのネックレス。棚田はそれを確認すると彼女の腰を抱いて引き寄せた。
「今日は女モード?」
「うん」
「ならベッド行こう」
「運んでくれるなら、行く」
 紗矢のおねだりに棚田は応える。彼女を横抱きに、ベッドへ向かった。

***

 水曜日、二人で例の洋食屋に向かった。
 下町風情の残る道を抜け、神社の鎮守の森を背中に立つその店は、写真より更につるバラが茂っている。
 ガチャガチャには汚れがたまり、明らかに放りっぱなしにされているようだった。
「閉まってるみたいだな」
「人いないのか……」
 錆び付いた看板を見上げ、かろうじて動いていた自動販売機にお金を入れた。
 出てくるカフェオレの缶を開け、その場で味わう。
 カサッ、と音がしてその方向に目をやれば、黒猫が枯れ葉の隙間から二人を観察していた。
「あら、こんにちは」
 紗矢が声をかけると、黒猫は座り直す。その目は油断なく、野良猫然としていた。
「猫か」
「うん。住んでるのかな」
「だとしたら無人? いい場所だけどな」
 棚田は店から3歩離れて眺める。サングラスを外し、木陰に目を休ませていた。
 黒猫がさっと身を翻す。走って行くわけではない。紗矢はつい追いかけた。
 店のまわりをぐるりと一周。
 厨房は広く、テーブルは無くなっているが4卓ほどは置けそうだ。
 窓際にカウンター、床は木材で、壁紙は剥がれている。
 染みついた親近感と時間、世界観に紗矢は惹かれた。
「いいな~。本当に誰かいませんか?」
 つま先立ちになって中を覗き込むと、黒猫がぱっと走って行った。
 その先にはピンク色のワンピースにエプロンをつけた老婆が一人。
 紗矢は目が合うときまずげに会釈する。
「こんにちは」
「珍しいね、お客さん?」
「えーと……あの、北川亮太さんをご存じでしょうか」
「知ってるよ。主人の弟子だったから。北川くんの紹介?」
「はい。こちらのお店の写真を拝見して、一度伺いたくなったんです」
「そう。店は閉まってるから、料理は出せないけど」
 老婆はドアをガタガタ動かした。鍵は壊れているらしく、開けるのにコツがいるらしい。
 棚田が戻ってきて、紗矢の隣に立った。
 ドアが開き、埃とともに閉じ込められていた空気が一気に流れてくる。
 老婆に招かれ、紗矢は棚田と共に店内に入った、床板がギシギシ鳴って、なかなか怖い。
 天井が高く、広さの割に開放感を感じる。
 窓は大きく等間隔に並んで、日光と影を同時に取り入れていた。
「ちょっと臭うけど」
 老婆はそう言って、蜘蛛の巣を箒で払った。
「不思議なお店ですね」
「そうねえ。主人がこういうのが好きだったみたい。なんていうの、おとぎ話みたいな? 神隠しに遭った気分になって欲しいんですって」
「後ろに神社もありますもんね」
「そうそう、借景だとか言ってたわ」
 老婆に案内されるままに紗矢は店の奥まで歩いて行く。
 キッチンは油汚れがひどく、しかし並ぶ鉄製の金物は手入れすれば使えそうだ。
「店は閉めちゃったし、もうここに住んでないしね。ボロ家になるのは時間の問題。ご夫婦?」
 老婆が振り返った。
 シルバーグレイの髪はつやめいて、白い肌は皺に覆われているが、よく見ると澄んだ目をしていた。さぞ美しかったのだろう、紗矢は彼女の涼やかな佇まいにどきりとした。
(こんな人になりたい)
 女性に対してそう思ったのは初めてだ。紗矢は手を振って答える。
「いえ。まだ」
「そうなの? でもすごい偶然ねえ。私もこっちに来るのは久しぶりよ。今次男の家の近くに住んでるの。店に来たのは忘れ物を取りに来て……ああ、あった」
 老婆は棚に置いてあった写真立てを手にし、それをエプロンのポケットにしまう。
「北川くん、元気?」
「はい。お店に立ってます」
「それは良かった。熱心な子でね、すごくハンサムだったの。お酒の飲み方は下手だったけど」
「意外です。今は飲み方も紳士ですよ」
「それは良いわね、ところでお名前は?」
「阿川です」
「阿川さんね。古い店でしょ、気に入った?」
「はい。ところで黒猫を……飼っていらっしゃるんですか?」
「そうよ。でもしょっちゅう脱走して、こっちに来ちゃうみたい。猫は家につき……なんてよく言うわよね、その通りだわ」
 その時、タイミングよくその猫が鳴いた。
 二人して鳴き声に振り返ると、先ほどの黒猫が、棚田の足下にじゃれついているのが目に入った。
 棚田は困ったように首を傾げながら、しゃがみこんで黒猫の腹を撫でている。
「親子みたい」
「珍しいわ、人が苦手なのに。もともと野良だったの。私の家族にも馴染まないのに」
 棚田が参った、と言わんばかりに二人に視線を送った。
 黒猫はもっと撫でてと催促している。
「どうすりゃいい?」
 棚田が誰にともなく言った。老婆が助け船を出す。
「ノワール、こっちいらっしゃい」
 猫の名前だろう、ノワールと呼ばれ、黒猫は体勢を戻すとカウンターに飛び乗った。
 紗矢の前で頭を下げる格好を取る。
「挨拶してくれてるの?」
 紗矢が手を出すと、ノワールは甘えたように顎を乗せる。すりすりと頬ずりし、満足したのか老婆の腕に収まった。
「あなたたち、面白いわ。またいらっしゃい」
 老婆は目を細めて笑うと、ノワールを抱いたまま立ち去った。
 紗矢は彼女を見送り、店の外に出ると風に髪を揺らす。
 ここから立ち去るのが惜しい。
 そう後ろ髪をひかれながら、自転車に乗って走り去る。

 数日後、北川から老婆が亡くなったと聞いた。
 ノワールが気になり、紗矢は店に赴く。
 店は売りに出され、ノワールは寂しげにしていたが紗矢に気づくと店の中に入った。
 ノワールの後について店に入り、カウンターに置いてあったメモを手にする。
【ノワールをひとりにしないで】
 紗矢は視界が滲み、メモをそのまま置くとノワールを抱き上げる。
 金色の目が紗矢を見上げていた。
「一緒にいよっか。柊一にも頼んでみるから」
 ノワールは暴れたりせず、大人しく紗矢に抱かれてマンションに入った。部屋につくなり我が物顔でくつろぎ、棚田が帰宅すると当然のように甘え出す。
 棚田はとっくに分かっていたような顔で「だと思った」と一言。それと、と付け足す。
「あの店で働きたいんじゃないのか」
「なんで分かるの?」
「なんとなく」
「色々考えたけどね。お金のこととか、将来のこととか……」
「リフォームして、家半分店半分でも良いんじゃないのか。そうすれば皆万々歳だ」
「皆?」
 棚田は一枚の紙を紗矢の目の前に突き出した。
 マンションの賃貸契約書だ。
「正直俺は引っ越してもいいと思ってたし、更新時期と重なってる。家賃を折半して出し合うなら、お互いにとってより良い家の方が良いだろ?」
「私は嬉しいよ。ノワールも一緒にいられるし、でも柊一は本当に良いの?」
「ああ。俺は……」
 棚田が不自然に言葉を切ったため、紗矢は訝しんで彼の顔を覗き込んだ。
「……何かあるの? 今のうちに言って?」
 紗矢がそう言うと、棚田はふうっと息を吐いてそっぽを向いた。
「……君といられるならどこでも良い」
 ぽつりと投下された一言に、紗矢は背中から頭まで沸騰したように熱くなった。
「……」
「……」
 沈黙が続き、ノワールが水を飲む音がやけにはっきりと聞こえてくる。
「……ノワールをひとりにしないで、か。よっぽど大事だったんだな」
「うん。でも私たちがいるから、もうひとりじゃないよね」
「……ああ。もうひとりじゃない……」
 棚田が呟くように言ったのを聞き、紗矢は目元を和らげて微笑む。

 1年後。
 紗矢はカレントを退職、小さな店を開いていた。
 店名はそのまま「ノワール」、街猫が集まる店となり、彼らの世話をしながらのスタートとなった。
 猫カフェとは違うものの、猫や紗矢の作るスイーツ目当ての客が徐々に増えている。
 棚田は相変わらず編曲の仕事が多いようだが、その分ライブに呼ばれると本領発揮、なかなかに充実した日々を送っている。
「そういえば、なんで私が好き?」
 紗矢がそう訊けば、棚田は顔をあげて答えた。
「わからない」
「えー」
「理由を探してみたけど、まだ分からないままだ」
「そうなの……」
「知りたかったのか?」
「うーん。……どうかな」
「紗矢は? なんで俺を好きになった?」
「……うーん? なんでかな」
 お互い分からないままなのを知り、どちらからともなく笑い出す。
「分からなくて良い気もするけどな。ただ……なんとなくほっとする。二人でいると」
 棚田の言うことに、紗矢は頷く。確かに、棚田を見ているだけでほっとする感覚があった。
 幸せそうなら嬉しい。
 ひどく単純だ。
 ぼんやりとはしているが、その感覚はなかなか厚みがあり、確かなものだった。
「幸せだから」
 紗矢がそう呟くと、棚田は紗矢の手を取り、そっと握った。
「そうだな」

 

 終わり。

 

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