小説 黒豹とかたつむり

「黒豹とかたつむり」第13話 影の中

 紗矢に別れを告げられた後、棚田はそれを誰に話すでもなく休暇を取った。
 母親が体調を崩したらしく検査入院となり、会いに行くためだ。
 久しぶりに浴びる北海道の日差し。
 広々とした牧場をタクシーで過ぎ、畑の中にある一軒家の庭に足を踏み入れると、柴犬がこちらに気づいてしっぽを振った。
 棚田は見たことがない。綺麗な毛並みに首輪。新しい家族だろうか。
 10歳年の離れた兄が出迎え、家に入る。
 染みついた家庭の匂いは否応なく昔のことを思い出させる。
「仕事順調なんだって? 良かった」
「ああ、まあ。なんとかって感じだけど」
「なんとかでもやってけるのが良いよ」
「母さんは?」
「いや、本当は大したことないんだって。ただ、体弱いだろ? だから検査ってことで入院させてもらっただけ。親父が心配してさ」
 兄の運転する車で、病院までの道を走る。
 思い出すのは、血管の病で倒れた母に会うため、父の車で向かう夜道。
 あれほど心細かったことはなく、父の悲しげな表情に何も言えなかった過去。
 そして母に連れられて通った眼科への道。
 サングラス越しに見る世界は味気なく、取れば取ったで目が痛い。
 棚田があまりに光や色を怖がるので、気づいた母が病院に連れて行き、サングラスをつけるようアドバイスをもらったのだ。
 以来、棚田は学校でもどこへ行くのでもサングラスが欠かせず、「ずいぶん生意気」と呆れたようにこちらを見る目を浴びた。
 説明するにも言葉が追いつかない。
 必死で言葉を探り、話せるようになればなるほど悔しさがどんどん押し込められる。
 得られたのは理解ではなく同情という名のレッテル。
 そして同情を向けられる度に不信感ばかりが募ってゆく。
(あんたらに同情されなきゃならないほど弱くない)
 吐き出すように公民館にあった太鼓を叩き、それが破れると母が謝りに出かけた。お金を持って。
 子供の力で破れるわけがない、元々痛んでいたのだ。
 だがそうと知っていても言えない事情がたくさんあると知る。幼いながらに自制を学んだ日々に喉が苦しくなった。
 そして今になっても彼らに心を開けない自分の頑固さにため息が出る。
「向こうでの暮らしってどうなの?」
 兄に話しかけられ、はっと意識を戻す。
「ああ、うん。かなり気楽……だな。誰にも咎められない」
「ああ、そう? 友達とかさあ」
「少ないけど」
「少ない方が良いよ。腹割って話せるのがいるのがいいんじゃない?」
「かもしれない。そういや、庭にいたのは?」
「俺の愛犬。女の子だよ」
「柴犬って皆凜々しく見えるな」
「だろ? 換毛期がすっげぇの。あれの等身大のぬいぐるみ作れそうなくらい出るよ」
「かん……?」
「冬の毛が抜けるんだよ」
 病院に着くと、3階の301号室に棚田の名前を見つける。入っていくと、穏やかな日差しの中、丸まった背中で座る父親と、彼と向き合ってベッドに座る母の姿が見えた。
 棚田の姿を認め、父が手をあげて呼ぶ。
「柊一」
「あら、帰ってきたの?」
 二人とも、ずいぶん小さくなった。
 棚田はそう感じ、唇を噛むと頷いてごまかす。
「体調悪いって聞いたけど」
 顔色は悪くなさそうだ。母もそうでしょ、と笑って返す。
「いやよねぇ、ちょっと疲れが取れなかっただけ。検査したけど異常ナシよ。もう帰って良いんだけど、先生は過労のようだからゆっくりしなさいって」
「ちゃんと休めよ。家で動きっぱなしなんだろ」
「そうでもないのよ? お父さんも定年だし、けっこう家のことやってくれるから」
「そうだぞ、これでも愛妻家なんだから」
「自分で言うかあ」
 兄がつっこんで笑いが起きる。
「柊一こそ、昼間に移動で辛いでしょ。家でゆっくりしていってね」
「こっちは良いんだ。問題ない」
「そう? ねえ、さくちゃん。ブルーベリーのジャムがあるから、柊一に出してあげてね」
 母は兄に向いてそう言った。棚田はブルーベリーの一言に首を横にふる。
 目に良い、と聞いた母が、毎日食べられるよう買い込んだのだ。
 その愛情がいつしか重く感じ、ブルーベリーを食べられなくなった時期がある。
 視界がぼやけるのは涙腺のせいだと棚田は知っている。だがサングラスの中で多少涙を浮かべても、誰にも気づかれない。
「いい人いたか?」
 父が聞いた。
「最近別れた」
 そう返すので精一杯だ。
 紗矢は自分を裏切ることになる、と言った。どういう意味かわからないまま秋が深まろうとしている。
 病室を出て、父が売店に寄っている間、兄が口を開いた。
「彼女、どんな人だったんだよ」
 棚田は鼻から息を出すと視線を上にあげた。
 紗矢の、野生動物のような自然な姿、勇ましい目つき、響きの良い声、背筋の伸びた立ち姿。色んな表情も見てきた。
 光と影を背負って立っていた、あの時のシルエットも覚えている。
 なのに、顔がはっきり出てこない。
 美しかった、だけど、どんな顔だった?
「顔を思い出せない」
 そう言うと、兄に呆れられるかと思った。が、彼は目を丸くすると肩を叩く。
「それ、本気で惚れたってやつだ。何してんの? お前。ちゃんと捕まえとかないと」
「そう言われても……向こうが嫌がる」
「向こうは向こうだろ、気持ちだって変わるさ。そうじゃなくて、お前、本気でぶつかれよっていってんだよ」
「……そんな方法、忘れたよ」
「おいおい、年寄りじみたこと言うなって。諦めていい部分と、諦めちゃダメな部分ってあるだろ? お前はずっとそうやって自分のことやってきたんだからよ、大丈夫だって」
 兄の言うことに棚田は眉を寄せて頭をふる。
 体の弱いのに共働きの母や、仕事を忙しくして治療費を稼ぐ父。時間が出来ると、今は亡き老いた祖父母の面倒。当時犬猫を飼う余裕はなかった。
 それを見てきたためか、彼らに反抗しきれなかった棚田は、世話を焼こうとする兄に対してのみ言葉を荒げる。
「偉そうなこと言うんじゃねぇ」
「ほらほら、兄ちゃんが話聞くから」
「うるせぇな」
 棚田が口調を荒げても、兄にはすっかり慣れたことだった。
 実家につくと、棚田はかつての自分の部屋に入った。
 ずいぶん狭い。
 それが正直な感想だった。
 壁に空いた穴は、ボール遊びの跡。それと太鼓に触れられなくなった後、自分で作った段ボールの楽器のようなものがそのままにしてあった。
 昼間に外にいるのが苦痛で、一人遊びが上手くなった。いや、どちらにせよ集団で遊ぶのは苦手だったかもしれない。
 荷物を置いて居間に戻る。調味料のしみついた柱がずいぶん美味しそうな色になっていた。
 白髪だらけの父が、何か冷蔵庫から出している。
「父さん」
 声をかけると、振り返って目を細めた。
「お前、立派になったなぁ」
「どこが……全然だよ」
「こっちきなさい。これと、これと、これ。冷凍だから日持ちする。ユーぱっくに頼んだから、一週間後に受け取れよ」
「良いって、飯は食えてるから……これ」
 棚田は封筒を手渡し、驚いた顔をする父の目を見た。
 白っぽくもやがかかっている。
 目は見えているはずだが、いつか辛くなるだろう。
 封筒に詰め込んだのはライブのギャラと給料の分。全て実力で得た物。
 それなりの金額だった。
「気を遣うな」
 やはり封筒は突き返された。棚田はふうっと息を吐いてそれを受け取らない。
「そういうんじゃない。こっちにいられないから、その代わり」
「バカ言うんじゃねぇよ、ガキに面倒見てもらうほど老いぼれてねぇぞ」
「言うと思った……置いとくだけ。俺の自己満足で良いから」
「お前な……」
「いいじゃん、親父。柊一の顔立ててやれよ」
 兄が口添えし、ようやく父が折れた。
 仏壇の引き出しにそれを大事そうに入れ、鍵をかける。
 位牌に手を合わせる父の背を見て、何とも言えない気持ちになると、部屋に戻った。
 一晩実家で過ごし、二日目に見舞いに行くと、退院の日取りが明後日に決まったと聞く。
 棚田は明日帰ると伝え、一緒に帰宅出来ないと知った母の寂しげな顔を直視出来なかった。
 悲しませてばかりいる。
 紗矢も、母も、かつて付き合いがあった女性をことごとく。
 飛行機の中で得たのは結局安堵感だ。
 あの家では家族の帰りを一人で待っていた。
 それに、明るい日差しの中では棚田は自分をさらけ出せない。家族に対する愛情はあるが、彼らに対して、何も言えなかった。

 ――どうして俺を一人にしたんだ。

 帰り着いた場所で、どこかくすんだ夜空を見上げる。かろうじて見える星はまたたき、それが空気中の塵のせいだと知る棚田には「瞬き」には見えない。
 それでも棚田にとっては、このあらゆるものが入り組んだ世界が心地よかった。
 自分と同じ。
 何かが足りなくて、何かを探して、何かに迷うような世界が。
 そして必死に明日をたぐり寄せている。
 どうしてかそれらを抱きしめてやりたくなる。

 ――なぁ何かを叫んでみろよ

 飯塚がオリジナルの楽曲で、腹を喉をキリキリ言わせながら歌った。あれが出会いだったか。
 彼の歌はまっすぐに突き刺さり、言葉もうまくないのにその不器用さが逆に気に入った。
 自分とは違う。
 正反対。
 彼が光なら自分は影だ。
 それがよくわかった。
 みやこが言うように、影が何かを隠すなら、それが優しさだというなら、そうなりたい。そうなりたくない。
 どっちつかずな感情がこの頃わいて仕方ない。紗矢にフラれてからだ。
 痛いはずなのに痛さが気持ちいい。
 俺はMだったのか。

 棚田はアンダンテのステージで演奏中、ある人物を見つけた。
 きらきらした目がこっちをとらえている。
 花が咲いたようなピンク色の頬、美羽だ。
 演奏が終わると、棚田は目が合っていたことから挨拶をしないわけにはいかない、と彼女の席に近づいた。
「こんばんは」
「こ、……こんばんは」
 美羽は顔を隠すように髪をいじり、もじもじと膝をすり寄せる。
 あからさまな反応にバーテンダーが眉を持ち上げた。彼に顎をしゃくって返す。
 ナンパじゃない。
「緒方さんのライブ、見ました。すごく感動しました」
「そうか、ありがとう。良い気晴らしになった?」
「はい。もちろんです! 明日から、また頑張ろうって思えました!」
 美羽は頬を紅潮させた。輝くような笑顔だが、ついぞ心が動かされることはなかった。
「ここらへんは、一人で歩くには危ないところだ」
「そうですね。私、最初……紗矢さんに送ってもらったんだった」
「今日は俺が送る。でも、それで最後だ」
 美羽は顔をあげた。目が合うと、彼女の目が照明できらめくのが見えた。
「送るのは……ということですか?」
「ああ。その後君がどこに行こうが、決められるのは君だけだ」
 棚田は突き放すように言った。美羽は唇を噛むと視線を落とす。
 幼さが残る横顔が陰る。それを見てちくりと胸が痛むのを感じたが、棚田は無視した。
「棚田さん、私……」
「これから演奏がある。終わったらまた声をかけるから、一人で出歩かないように」
 そう言い含めて棚田はカウンターから身を離した。

 美羽は大人しく待っていた。鞄をしっかり肩にかけ、帰り支度は充分。お酒もあまり飲まなかったのだろう、顔色も悪くなかった。
「行こうか」
「はい」
 美羽が緊張した面持ちで頷く。
 駅までには居酒屋も漫画喫茶もホテルもあり、ゲームセンターもちらほら。
 酔っ払いがそこかしこ歩き、若い男女がちらちらお相手を品定めしている。
 美羽は今更危機感を持ったらしく、棚田の影に隠れるようにして歩いた。
 無言のまま明るい繁華街を抜け、信号の前で美羽が足を止めた。
「ダメですか?」
 何が、と棚田が振り返ると、美羽は唇を強く噛んで、両手で鞄を強く握りしめていた。
 決意に満ちた目は涙を湛えている。
 彼女が立ち止まったのはホテルの前だ。
 ビジネスホテルだが、意味は伝わる。
 棚田は眉をよせ、首を横にふった。
「どうしてもダメですか? 私、棚田さんの好みじゃない?」
「好みかどうかだけで相手と寝るか?」
「質問に質問で返さないで下さい」
 学生らしい理屈に棚田はふっと息を吐いた。
「分かった。ダメだ」
 そういうと美羽は一歩近づいて棚田の手を取る。
 冷えた指先は震え、どれほど緊張しているかが伝わってきた。
「棚田さんが好きです。好きなんです」
「だったら先にホテルに誘うか?」
「フラれるって分かってるもの」
「だから行為だけでもって? そんな軽く考えていいことじゃない」
「だって……」
 美羽はぐしゃりと表情を崩した。棚田は妙に冷静な頭で、そのまま彼女の手を取る。
 彼女が泣き出す前にホテルに入った。

 部屋を取って彼女を引っ張って入る。
 そのままベッドに押し倒し、肩のあたりに手をつくとそのまま見おろした。
 案の定、美羽は驚きに目を大きくし、ついでどんどん青ざめていく。
 哀れなほどだ。
 棚田は彼女の耳元に顔を埋め、甘いシャンプーの香りをかぎながら言い放つ。
「君は恋に恋してるだけだ」
 息を止めた彼女から離れると、涙を流しまばたきする顔がはっきりと見える。
 それ以来美羽と顔を合わせることはなかった。

 

次の話へ→「黒豹とかたつむり」第14話 一週間の約束

 

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