小説 黒豹とかたつむり

「黒豹とかたつむり」第12話 織姫と秘密

 配信生ライブのその日がやってきた。
 夕方、6時半。紗矢は一人、部屋でパソコンを開いてその時を待った。
 いくつかに別れた画面。確か気になるカメラを選んで、大画面に出来るのだったか。
 編曲を手がけた棚田の活躍が見たい、と紗矢はこのままで待つ。
 緊張が高まり、なんとなく正座して待つ。
 BGMは緒方なつめの楽曲。同じ曲がリピートされていたが、ぷつっ、と音が途切れ、シーンとした音が流れた。
 始まる、と紗矢が画面に釘付けになった時、画面いっぱい暗くなり、それぞれ演奏者にぽっと紫色のライトが当たった。
 おかっぱに花を挿した、和風メイクの緒方なつめを中心に、いつも以上に派手な柄のシャツの伊藤の姿、紗矢の知らない奏者達、そして光沢のある黒の上衣を着た棚田。
 音楽が流れ始め、紗矢は無意識的に、いや意識的にドラムを追いかける。
 棚田の姿を画面の端に見つけ、紗矢は目を細めて見つめた。
 ピアノの演奏に合わせて緒方が歌い始める。
 アルトの心地よい伸びの良い声。
 耳に染み込んでくるような音の波に、紗矢は飲み込まれながら、どうしようもない寂しさを味わった。
 棚田の姿を見つめ、見とれ、追えば追うほどに。
 2時間の演奏の後、紗矢は体が急に冷えた感じがして自分の肩を抱いた。
(やっぱり釣り合わない。違う。そうじゃない。でも私が相手じゃ、彼に申し訳ない)
 そう思った瞬間、時が止まったかのように感じた。

***

 配信ライブは無事終了し、コメントを確認すれば良い評価が多く、棚田は笑みを見せた。
 楽曲に新風が吹いた、ライブ限定アレンジ良さげ……中にはもちろんオリジナルが良かった、という声もあり、棚田は頷いて受け入れる。
 ファンにはオリジナルに対する愛情があるからだろう。
「ねえー、すっごい楽しかった!」
 繋がったままの画面の中、緒方が飛び跳ねている。
「大成功! やったね」
「棚ちゃん、厳しいご意見届いちゃってるんじゃないの~?」
 伊藤がちゃかして来た。棚田は犬歯を見せて睨む。
「うるせぇな。今見てるとこだよ」
「冗談だって! ジャズっぽくて良いじゃんだってさ」
「賛否は両方あるもんだろ」
「でた、坊さん」
「うるさい」
「今度打ち上げしたいね。緒方スケジュール空いてるの?」
 スタッフ達が入ってきて、機材やらを撤収し始める。
 棚田は借りたスタジオから出て、スマホを見た。早速飯塚、マスター、かつての仕事仲間からのメッセージが届いている。
 紗矢の文字を探すが、まだ見当たらない。
 こういった仕事の後にメッセージを送らないタイプだろうか?
 棚田は気にしないようにしたが、流石に2時間も経つと気分が落ち着かない。
 何かをやりとげた。こんな夜ほど逢いたくなるのに、棚田は残念ながらスタッフとの話が長引いて、まだスタジオから出られそうになかった。
 緒方のCD収録、ライブの際には出られる? そんなありがたいお誘いを断るはずがない、棚田は表情には出ていないが、確かに機嫌が良かった。
 だからか深夜1時をまわるまで缶詰状態になっても、苦ではなかった。

***

 翌日、紗矢はカレントからの帰り道をぼーっと歩いていた。
 棚田からのメッセージが来たのは深夜3時前。
 まさか返信が欲しい、というものではなかった。紗矢も明け方に気づき、何とか送ったやりとりは味気ないものだった。
【ライブ、良かった】
【ありがとう。しばらく会えそうにない。また連絡する】
 紗矢からの連絡を求めないということだろうか? このところ、こと恋愛に関して後ろ向きな考えにとらわれている。
 アンダンテで過ごした日々が急速に冷えていくよう。カレントでの作業を淡々とこなし、いつも通りの時間にいつも通りの帰り道を歩く。
 棚田と出会ったのも夢だったのではないか? そう思うほどに平穏な日々。
 いつの間にかはき慣れた、ミモレ丈のスカートが風にふわりと広がった。
(スカート、どうしてはいてるんだろう)
 出勤前に猛烈にはきたくなり、そうしただけだ。今は違和感しかない。
 早く家に帰ろう、化粧を落として、服を着替えて、そうすれば気分はリセットされる。
 夕陽がやけにまぶしく、目を細めていると前から女性が歩いてくるのが見えた。タイトスカートの色っぽい、同年代と思われる綺麗な女性。
(ああ、女性とはこういう人を言う)
 紗矢はそう他人事のように考えた後、その彼女に声をかけられて息をのんだ。
「紗矢じゃない?」
 女性はそう言った後、ぱあっと明るく笑って見せる。まさしく花が咲くように。
 その笑顔、唇がくいっとあがるそのクセ、ああ、織り姫だ。
 あの時の織り姫――優香ではないか。
「優香……?」
「やっぱり! 紗矢~、すっごい久しぶり!」
「久しぶり……すごいね、偶然でしょ? うわ、すっごい綺麗になったね?」
「それ紗矢のお陰だから。えー、嬉しいな。紗矢~!」
 優香は腕を広げると紗矢を抱きしめた。
 華奢な腕に包まれると、ふんわりと香水が香る。
 喫茶店に入り、中学を卒業してからの話をした。彼女は今OLをしており、これから大きなプロジェクトに参加するのだという。
 きらきら輝いて見える。肩までの髪は明るく、華やかな香りが漂っていた。
 かつての面影がそこにあり、紗矢は懐かしさに頬を緩める。
「紗矢って何してるの?」
「パティシエ」
「へぇ~! 専門職だ。お店教えてよ、今度行くから」
「喫茶店なんだよね。カレントっていうの、良かったら知り合いも一緒に」
「そうだね。恋人と行く」
 さらっと言った彼女の顔を見た。バラ色の頬、目元のアイシャドウ、女性として輝かんばかりの彼女の恋人とは。
 きっと素敵な男性だろう。
「どんな人?」
「どんな? まあ、うん。優しいよ。しっかりしてるし、一緒にいると落ち着くんだ、何も飾らなくて良い感じ……嘘、手を抜くとかじゃないよ。もっと自分磨きたいって思う、でもそれも自然に思える相手」
 紗矢は鳩尾が疼くのを感じた。自分も同じ……そう思った。だが本当にそうか? と疑問がわいてくる。
 紗矢は笑顔を作り、頷いた。
「良いね。相思相愛って感じ?」
「恥ずかしいなぁ、それ! でもこれも紗矢のお陰」
「私? なんで?」
 紗矢は目を丸くした。中学を卒業してから、会っていないのに。
「私の恋愛対象、女性だけなの。レズビアンなんだ。初恋が紗矢。告白したでしょ? でも紗矢、それで私を遠ざけたりしなかった。私その時に分かったんだ、好きになった人のこと、好きになった自分のこと、どっちも誇りに思っていいんだって」
 紗矢は優香のまっすぐな目を見つめる。
 確かに告白された。だがあの頃の紗矢はまさしくボーイッシュで、男っぽいと評判だったのだ。それの延長のような恋だと思っていたが。
「ずっと悩んでたんだ、女の子が好きなの。そんな自分が嫌でさ、恥ずかしくてさ、申し訳ないなって。でも告白した後、フラれたけど自分と向き合わないとダメかもって思って、カウンセリングとか受けた。色々あったけど自分のこと受け入れられたよ。で、彼女と出会った」
 優香はスマホを取り出し、画像を見せる。
 ロングヘアの美しい女性とのツーショット。とても幸せそうで、見ているとふっと胸が柔らかくなるような笑顔だった。
「綺麗な人」
「でしょう? そういう飲み屋さんがあるの。そこで出会って……ごめん、こっちの話ばっかり。ねえ、紗矢はどう?」
「私……」
 紗矢は胸が締め付けられる感覚に、声を失った。
 息が下手になった気がする。視界が歪んで見えるのは何故だろうか。
 優香が何か勘づいたのか、紗矢の肩を撫で、しかし何も訊いてはこなかった。
 それがとても嬉しかった。

 一人きりの部屋で、紗矢はパソコンの前で両手を祈るように組み、映し出される文字に、ほっとしたような気持ちと胸にえぐられたような穴が空いた気持ちを同時に味わった。

――Xジェンダー。
 男女両方の性別の感覚を持ち、割合があり、それがTPOによって変わる。あるいは中性、無性、と感じることもあり、大きな特徴としてはプロフィール蘭の女性・男性しかないのを見ると、どちらに○をつけるべきか迷う。回答無し、どちらでない、があればそれに○をつけたがる。
 性同一性障害を疑うが、戸籍や体に大きな違和感を得るわけではないことがほとんど。
 病院などに行ってカウンセリングを受け、性転換手術を勧められた際にそれは違う、と感じる人もいるようである。
 恋愛や結婚に大きく興味を持たない人もいる。もちろんパートナーがいる人もいる。
 外見的な特徴はなく、女性らしい女性、女性っぽい男性、またその逆もいるので、そこからの判別は出来にくい。
 ある女性は女性的服装の際、コスプレと考えているようである――

 男女どちらにもなじめず、どちらにもなじむ。
 その理由が分かった気がして、肩の力がどっと抜ける。
 優香に性の話をすれば、一度試してみて、と教えてもらったのだ。ネットで診断が出来る、と。
 自分のことを知らなければ、前に進むことは出来ない、と。それを経て自らを受け入れ、恋人に受け入れられた彼女の言葉には説得力があった。
 棚田といてときめいて、かと思えば憧れに気持ちが傾く。
 キスすら拒んだのはその時彼に「同性」を感じていたからか。そのくせ彼にはそれが必要だとも理解して。
 アニマ・アニムスという言葉に支えられ生きてきたが、なるほど恋愛となるとそれだけで済ませられない。
 紗矢は「同性」である棚田と恋人ではいられないのだ。

 紗矢は深いため息とともに目尻に涙を浮かべる。窓の向こうでは、織り姫と彦星が再会の涙を流していた。

***

 棚田が飯塚の家から私物を回収し、マンションに戻ったのは9月はじめのことだった。
 仕事の話もようやく整い、余裕が出来てスマホを取る。
 それほどマメな連絡が出来る方ではないため、メッセージもあまり溜まることはない。
 が、空白が多い。
 棚田からのメッセージはあったが、返信はそれに対する反応のみ、という感じだ。
 紗矢から送信されたものは皆無だった。
(仕事仕事で呆れられた?)
 紗矢は「構って構って」というタイプではないが、かといって自己主張しないわけでもない。
 ずいぶんそっけない態度ではないか。
 時計を見れば2時。喫茶店は忙しいころだろう、棚田はやはりメッセージを、と思ったが、幸い彼女が働く喫茶店は知っている。
 車を走らせ、風に揺られて葉音をたてる林道を抜ける。
 風の通りが良い坂道、なめらかな車道。日の光が差し込む喫茶店……到着すると、久しぶりに見る店はずいぶん小さく見えた。
 ドアを開けるとベルが音を立てて来客を知らせる。
「いらっしゃいませ」
 女性店員に案内され、棚田はカウンター席に座ると彼女に声をかけた。
「阿川紗矢さんはいますか」
「あ、えっと。個人情報というか」
 ずいぶん困らせてしまったようだ。棚田はまずい、と思って「すいません」と謝る。だが静かな喫茶店でのやり取りだ、店長が出てきて「あっ」と声をあげた。
「ああ、棚田さんですか。お久しぶりです」
 2ヶ月前に一度会ったきりだが、覚えていたらしい。
「お久しぶりです。すいません、突然」
「いえ。アンダンテでのスイーツ販売がけっこう好評で、こちらにも足を運んで下さるお客さんも増えたんですよ」
 あっちのメニューは持ち帰り限定ですけどね、と店長はにこやかに笑った。棚田はそういう話をしたいわけではない、と思いつつ話を合わせる。
 いつからか得意になった社交辞令。
 いつだっただろうか? 表面を取り繕うのは上手くなって、自分の言葉で語らなくなったのは。
 静かな店だからか、棚田は話を合わせながら頭の片隅で自問自答を始めてしまう。
 体のどこかで錆び付いていた歯車が、何とか動こうとし始める。そんな感じだった。
「それでですね、喫茶店とバーでの味付けって違うでしょ? お客さんがちょっと違う、と言いまして。両方作ろうか~ってことになったんですよ。でもあんまり喫茶店からイメージ変えるのも考え物でしょ。だから今メニュー開発中で……」
 店長は一度奥に入り、また現れた。
 手には紫色の果実、クリームのタルトケーキ。
 ブルーベリーがつやつやとして、ジャムがとろりと皿に流れる。
 棚田は視界いっぱいにブルーベリーの色が広がり、立体感を持って迫ってくるのを感じた。
「阿川に聞いたんですけど、棚田さんの味覚嗅覚はすごいって。ハズレがないから味見してもらってたようで。あ、そうだ。阿川を呼んできましょうか」
「いえ……仕事中でしょうから……」
 出た声は自分でも驚くほど小さい。店長には聞こえなかったようで、彼は立ち上がってキッチンへ呼びかけている。
 棚田が止める間もなく、はーい、と返事する彼女の声が聞こえる。
 棚田が顔をあげると、髪をきっちりまとめた、制服姿の紗矢が現れた。
 目が合うと、棚田は何度もまばたきをして彼女を見つめる。
 言葉が出てこない。
 紗矢も同じように目を見開いて、何か言おうとしたのか唇を開き、すぐに閉じた。
 笑顔はなかった。

 ケーキの皿とコーヒーを持ち、外の空気を浴びながら何も話さずにいること20分。
 棚田は話そうと思うのに、頭が真っ白になってしまい、うまく話せない。
 紗矢のカップが空になったのに気づいて、お代わりを、と言ったのがやっとだ。
「いい。要らない」
「……そうか」
「……今日、どうしたの?」
「いや。顔が見たくなった……だけだ」
「そう……」
 再び沈黙がおりる。
 紗矢は視線を落とし、足をぶらぶらさせるとテーブルに頬杖をついた。
「ねえ、棚田さん……」
「ん?」
「ケーキ、食べないの?」
「……」
 紗矢が指さすブルーベリーのケーキを、棚田は改めて見つめた。
 思い出すのは子供用サングラス、毎日出るブルーベリーのジャム、そして病院のベッドに眠る母の姿だ。
 胸元がじくじく痛んで、棚田は目をそらした。
「もしかしてブルーベリー、嫌い?」
「いいや……嫌いじゃない」
「そう? なんか辛そうだから……」
「辛そう?」
「うん。いつもより、目がね。もしかして体調悪い?」
「いいや」
 棚田はそう答えながらもサングラスをかけた。
 紗矢のこちらを見つめる表情がよく見える。色越しに。
「……仕事の話が長引いて、なかなか連絡出来なかった。ごめん」
「謝ることじゃないでしょ? 私も……あんまり連絡しなかったし」
 紗矢はそういうと、背を丸めて下を見た。そして続ける。
「ねえ、色々思ったの。やっぱり住む世界が違うって……」
 いい話ではない、と棚田はすぐに悟った。

 ここで止めれば、そんなことはない、そう言えば、あるいは違う展開が待っていたのだろうか?

 しかしこの時の棚田にそんな余裕はなかった。
 崩れ落ちるブルーベリー。
 紗矢の顔がブラウンの眼鏡越しにやけにはっきりと見えている。
「……私、やっぱり変だったんだ。かたつむりなんですって。すごく中途半端。これじゃあ、いつか棚田さんのこと、裏切っちゃうかも……ううん、前にそうしたよね。……私ずっと無視してた。おかしくないって。自分はおかしくないって。でも、ダメだった。自分のこと無視するのはもう終わらせなきゃいけないって、分かっちゃった」
 紗矢の言うことが、棚田には何一つ理解出来ない。彼女の目はどこでもない場所を見ている。
 横を向いた彼女の、すっきりした顎のラインをじっと見つめ、どこでもない遠くを見つめるまなざしについ見とれる。
 彼女はそれどころじゃないのに、どうしてかキスしたくてたまらない。
 喉が苦しくなって水をのめば、きりきり冷えて痛むくらいだ。
「まだみんなに言ったわけじゃないから……深入りする前に、このまま別れましょう」
「別れる……? 待ってくれ、理由がわからない」
「私が私になるとね、棚田さんを裏切るから。でも嘘をついたままでもいられないの」
「なら試せばいい。裏切るなんて、思わないかもしれない」
「そうかな。でも、棚田さんだってずっと何か、隠してるんじゃない? それが嫌とかじゃないけど、私たちの間にはずっと溝がある。……それに、試すのは辛いよ」
「何が辛い? 俺は受け止めるから」
「そういうとこだよ」
 紗矢はそういうと棚田の目を見つめた。
 彼女の目が揺れて見えるのは涙のせいか。そっと手を伸ばし、下まぶたに触れると指先が濡れた。
「紗矢……」
「優しいから、受け入れるんでしょう? でも、それが怖い。棚田さんを裏切ることになったら、自分で自分を許せなくなる」
「裏切りたいならそうしろよ、それで傷つくほどヤワじゃない」
「違う……」
「何が違う?」
「本気で好きだから、裏切りたくない。でもいつかそうなる」
 紗矢は眉を寄せ、表情を引き締めると涙をふいた。
 その仕草を見た瞬間、彼女とのつながりが切れた、そう感じて棚田は手をおろす。
 溝すらなくなった。
 こんな形で終わるのか、一体何が理由で?

 

次の話へ→「黒豹とかたつむり」第13話 影の中

 

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