金曜日の朝、棚田は飯塚の家にいた。
ドラムセットを運び入れ、空気清浄機を置いて作業は終了。
伊藤も駆けつけたことで、思ったよりもはかどったため昼食は余裕が持てた。
リビングに入ってテーブルを囲んだ。
伊藤からライブの予定表が手渡される。
「なんかいいねぇ」
飯塚がぽつりと言った。
棚田と伊藤は同時に彼を見た。
ちなみに昼食は飯塚手作りのカレーである。スパイスの調合から作ったらしく、苦みが強いカレーとなっていた。どうにも凝り性な彼らしい、料理に目覚め、やりこんでいるのだろう。
「飯塚も参加すれば?」
「どうやって?」
「前座とか」
「あぁ~ん、なるほど。歌いたいのは山々だけどなあ。プロの人らの迷惑にはなりたくねぇな」
「難しいラインだな。お前、プロになりたくないんだろ」
棚田の言葉に飯塚は頷く。
「そうそう。それからさ、いいタイミングだと思うから言っとく。お前らの足手まといにもなりたくないし、なんていうか……」
飯塚は神妙な面持ちになり、言いづらそうに顔を歪めると頭をかいた。
「いつでも俺のこと、切って良いから」
「はぁ?」
伊藤が眉を寄せる。
棚田は咄嗟には言葉が出なかったが、身を乗り出した伊藤を手で押さえる。
「どういう意味だよ」
棚田が飯塚に説明を促せば、飯塚は腕を組んで首を傾ける。
「そのまんま。バーとかユーチューブで活動すんのも楽しいけど、お前らがそれぞれ仕事忙しくなってさ、背負いきれないってなったら、自分らを優先させろよって話」
棚田は伊藤と顔を見合わせる。プロになれば、当然だが本業を優先させなければいけない。
飯塚の言うことは可能性としては大いにありえることで、考えておかなければいけない話でもある。
だがクロヒョウとしての活動も、皆真剣だ。
歌い手であり、作詞・作曲の担当でもある飯塚の才能を好んでいる。
それを切れ、となれば……。
「お前さ、それ言うけど……」
伊藤はそう言いながら座り直すと、あぐらに頬杖をつく。思わず、といった風に大きなため息をついてから口を開いた。
「どれも本気なんだよ」
「知ってるって。だからこそ言うんだよ」
「棚田はどう思うの」
「どう? どうもこうもない。まだ起きてないことなんだから」
棚田がはっきりそう言うと、飯塚と伊藤がそれぞれ棚田を見た。
伊藤はどこか機嫌が悪そうに、飯塚は眉を開いて。
両極端な反応だ、と棚田はどこか冷静な目でそれを見ていた。
「皆そうだろ、どうなるか分からない。俺にしてみればユーチューブでの活動でチャンスを得てる。でも明日には事故に遭う可能性だってあるんだ、絶対はない」
「そういうんじゃなくてよ」
うんざり、といった態度の伊藤に棚田は目を向けた。
「どれも真剣だよ。でも誰のことも強制出来ないんだから。伊藤が全国ツアーに出てる間、当然バーに来れなかった。それが現実だろ? でも戻ってきて、また一緒にやってる。それが自然だったし、不満はなかった」
「そうそう。それで良かった」
飯塚が棚田に賛同する。伊藤は額を抱えるようにした。
棚田は彼らから目を離さず言った。
「これからもはっきりこうって言えない話だと俺は思う。今は答えを出せない」
「棚ちゃんってなんでそんな諦め早いんだよ。他人はすぐ解放。それってどうなわけ」
「諦め? そういんじゃねえよ」
「待てって。だから、可能性としてさ……」
飯塚が食い下がる。伊藤は鼻から息を吐き出すと、「頭冷やしてくる」と言ってリビングを出てしまった。
飯塚が棚田を見た。
「そんなゆるっとして良いもん?」
「それでしか無理だろ、今は。今の話だ。先のことはわからん」
「そうだけどさ……」
「伊藤も本気だから怒ったんだよ。飯塚、お前もうちょっと言葉を選んで話せよ。あれじゃクロヒョウの活動は忘れろって言ってるように聞こえる。伊藤も吉野も本気でやってるんだから」
「それでも言っとこうと思ったんだよ。待つのも進むのも無理なら、切るしかないことってあるだろ」
「考えを柔軟にしろってことだよ。待つだけ、進むだけじゃない。戻るってこともあるんだ」
「かもしれねぇけど……たんにさ、重荷になりたくないだけなんだって。お前らには才能があって、努力もしてる。行動する勇気もある。成功して欲しい。それだけなんだよ」
「……ったく」
棚田は目を閉じて首を撫でた。
この頃、そんな話が多い気がする。
変わってゆく、流れてゆく、終わってゆく。
マスターが言ったのだったか。
棚田はそれに対して、一抹の寂しさを感じたのだ。伊藤の気持ちも分かる。
諦め、と彼は言ったが、自身ではむしろ諦めは悪い方だと思える。
だとすれば、これは縋りついてるだけなのだろうか?
ちりっ、と脳に焼けるような痛みが走った。記憶の底から蘇ってくるのは紫色の果実。
――諦めなければ誰かが悲しむ。
そんな一言が鼓膜に重く張り付いた。
目を開け、重い息を吐き出すと飯塚を見た。
「……分かったよ。覚悟はいつでもしとく」
「ああ。そうしといて」
そう頷き合っていると、伊藤が戻ってきた。
「おかえりー」
「はいはい。ただいま」
伊藤もどこか吹っ切った顔をしていた。
再びカレーを食べ出す。
沈黙が流れ、耐えきれなくなったのか飯塚が口を開いた。
「棚って彼女いんの?」
唐突すぎる話題の切り替えに、危うく吹き出しそうになった。
「……あぁ?」
「良いじゃん、聞きたい。棚ちゃんてどんなのタイプなん?」
伊藤も話題の変換に乗っかってきた。
棚田は額をかいた。
「芯の強い方がいい」
「へーぇ」
「顔は? かわいい系?」
「うるせぇな。次伊藤に聞けよ」
「いやいや、俺は良いの。棚ちゃんにほら、幸せになって欲しいの」
伊藤はわざとらしくしなを作った。上目遣いに見つめてくるが、何一つ可愛くない。
「お前、俺の話が嫌いだろ」
「坊さんとしゃべってんのかと思うからさ。それとこれとは別。煩悩の一つくらい見せろって」
「ふん」
そっぽを向いた棚田に飯塚が横やりを入れる。
「照れんなよ~。今モテ期だろ? 前も魔女っぽい美人に口説かれてなかった?」
飯塚がめざとく見たのはみやこのことだろう。伊藤が目を輝かせた。
「マジで?」
「マジ、マジ! その前は女子大生」
「うわ、羨ましい。俺30代の女性興味あるわ」
「マジで? 30代?」
「ほらもう、丸みがエロい。完熟です、みたいな。ころころされたい」
「ころころぉ?」
飯塚と伊藤は棚田そっちのけで盛り上がっている。
棚田は誤解だと言う気も失せ、カレー皿をシンクに運んだ。そのまま洗う。
「棚~。それでどうなの~」
「どうもこうもない」
そう答えながら、そういえば紗矢は彼らとも顔見知りになったのだ。
早い内に言って、牽制しておこうか。
特に伊藤はスイーツ目的なのかどうなのか、キッチンをしょっちゅう覗き込んでいる。
その時思い出したのが、二度目のデートで思わずしてしまったことだ。
彼女がストローを咥えたあと、口紅がはげていたのだ。
街灯に照らされ浮かび上がる生の唇に吸い寄せられ、目が離せなくなった。
彼女が普段の堂々とした気取らない態度と違う、棚田自身を怖がるそぶりを見せた時、ぞくぞくするものを感じてその通りにしたのだった。
弾力のあるしっとりした唇の感触を味わって離れ、よろよろと車を降りる彼女の背を見送る。
紗矢の体温があがったように感じたのは都合のいい勘違い?
(嫌われたかな)
そう思ったがもはや言い訳もない。
彼女に謝るつもりは一切なかった。
「阿川紗矢に関心がある」
そうはっきりと言えば、飯塚と伊藤が謎の歓声をあげた。
夕方、開店前に棚田がアンダンテに入ると吉野が出迎えた。
珍しく早くに来たらしい。控え室で会うと「おっ」と声をあげて笑みを見せる。
「飯塚ん家に入り浸るって?」
「そうなる」
「いいね~、ライブ。その場限りだもんな。気合い入るだろ」
「まだそこまでの余裕はねぇな。まあいい機会をもらったよ」
「ドラム壊すなよ?」
「気をつける」
棚田の演奏は激しく感情的、と評されている。
曲によっては力が入りすぎることがあり、腕を痛めることもしばしば。自制を効かせることが目下の課題だった。
「好きだけどね、棚田の音は。腕が使い物にならなくなったらヤバい」
「そうだよな……最悪口でやるか」
「足にしとけよ」
軽口を叩きながらロッカーを開けた。荷物を放り込んで、閉じる。
吉野がにやにやしている。
「なんだよ」
「いやさあ、見ちゃった」
「何を」
吉野の不敵な笑みに棚田は眉を寄せた。この笑みを向けられ、あまり良い気分ではない。
「ロングヘアの美女。誰?」
「ロングヘア? 客?」
「違う、違う。野外音楽堂で一緒にいたじゃん?青いティーシャツ、白っぽいサンダル。頭なんか撫でちゃって」
「撫で……」
吉野が言うのは間違いなく紗矢だ。だが、撫でるとは?
――棚田さんの目って綺麗
突然にそんなことを言う彼女は天然なのか。そんな風に思ったことはないが、何かとゆるい不意打ちを食らわされている。
「撫でたっていうより……」
「ああ、認めるんだ? 彼女?」
「……まだ違う。今は……探ってる感じだ」
「へえ。こないだの魔女っぽい人は?」
「その彼女の友人。マスターに会いに来たらしい。よく考えたら変わった出逢いばっかりだな」
「良いじゃん、良いじゃん? 俺も彼女欲しい」
「言ってばっかだな」
ステージに向かい、備品のチェックをする。
玄関に至る階段を降りる軽い靴音がして、男ばかりの店にはわかりやすいそれに顔をあげた。
「おはようございまーす」
そう言いながら入ってきたのはやはり紗矢だ。
彼女はきょろきょろと店中を見渡す。ポニーテールが揺れた。
ステージにいる棚田を見た瞬間、彼女は気まずげに表情を固め、ぎこちなく会釈する。
「お、おはようございます……」
紗矢はそのまま視線を外し、手で額を押さえて顔を見せない。
「おはよう」
声をかけると、わかりやすく肩をびくつかせて控え室に逃げ込まれる。
「阿川さん」
「荷物置いてくるから!」
紗矢は早歩きだった。
そのままキッチンに逃げ込まれ、棚田は話す機会がない。
焦りすぎたか? そう思うも、何となく嫌がられてはいない、と妙な直感があった。
紗矢の作業の下ごしらえは喫茶カレントの方がやっている。
それほど忙しくない時間帯のはずだが、紗矢は理由をつけて閉じこもった。
やってきたマスターがエプロンをつけながら首を傾げて棚田に訊いた。
「あの子どうしたの?」
「俺がやらかしたんです」
「あーあ。詳しくは訊かないけど、和解するのは早いほうがいいんじゃない?」
「……そうですね」
その時玄関が開かれ、浜野が入ってきた。元気の良い声で挨拶しながら、柄ティーシャツを脱いでいる。
「ここは控え室じゃないよ」
マスターが軽く窘め、浜野は舌を出した。
「すいません。汗かいちゃって、つい」
「早く着替えてきなさい」
「はい」
派遣である紗矢を除いて男性従業員しかいないのだ。浜野が油断するのはそういうことだろう。
色の白い肌に意外にもしっかりと筋肉がついていた。
「鍛えてるんだったか」
棚田がそう声をかければ、浜野は上腕二頭筋を見せて笑う。
「はい! 筋肉ついてくると楽しいっすね」
「そうだな。バランス的に、もう少し背筋を鍛えるといいんじゃないか?」
「背筋? 背中って自分じゃ見えないからな~。棚田さんってどんなメニューでやってます?」
「浜野。柊一。私語厳禁」
マスターが首を横にふった。
***
棚田と顔を合わせるのが気まずく、籠城作戦を取った紗矢だが、浜野の勢いの良いドアの開閉でばっちり棚田と目が合ってしまった。
浜野はそのまま開けっ放しにしている。紗矢はぎこちなく笑みを作って浜野を迎えた。
「ボス! 今日もよろしくお願いします!」
「よ……よろしく。今日はフルーツ切るのがメインになりそうだよ」
「そうなんですか? 生地とか焼かなくていいんですか?」
「喫茶の方でやってくれるってさ。金曜土曜死にそうって相談したらそこはサポートするって」
「へー。楽といえば楽ですけど……なんか物足りないなぁ」
「盛り付けに凝ってみようか。ところでドアさ、開けたら閉めよう」
「あ、すいません」
浜野が後ろ手にドアを閉める。
紗矢と浜野は薄い手袋を身につけ、マンゴー始め南国フルーツを丁寧に切り始める。
「紗矢さんって化粧薄いですよね」
突然の話題に紗矢は目を丸くした。
「何? 急に」
「いや、けっこう濃いめの人多いじゃないですか。でも紗矢さんってそうじゃないなーって」
「まあ、汗とかで落ちてクリームとかに入ると嫌だから。ラメとかマスカラとかも。嫌いじゃないけど。でも人前出る時あるから、最低限ね」
「プロっすね」
「んー。まあ、そうかも。髪の毛も落としたくなくて、ひっぱりすぎて目つき悪くなってるけど」
「綺麗ですよ。凜々しくて」
浜野のストレートな言い方に紗矢は思わず笑ってしまった。
「浜野さん、そんなの言う人だった?」
「はあ。言いますよ」
「油断ならないな」
「そうそう、油断しちゃダメなんです」
その一言に紗矢はどきりとする。
――下心があると知ってる男の車に乗ったんなら、覚悟しとけよ。
確かにその通りだ、デートなのだから。
それもお誘い自体は二度目である。応じたのなら気があると思われて当然だろう。
棚田に対して関心があるのは確かで、話していると心地よいのも確かだ。不思議と構えなくて良い気になる。
だからデートというより、友人と遊びに行く風にとらえていたのだろうか。
「……」
紗矢はバナナを薄くスライスし終えると、休憩、と行ってキッチンを出た。
勝手口から外に出れば、飯塚がちょうどやってくるのが目に入った。
「飯塚さん、おはようございます」
「おはようございまーす、阿川さん。なんかすっかり制服が板についた感じ」
アンダンテの制服だ。白のドレスシャツに黒のベスト。黒のスラックス。ネクタイ等は自由で、紗矢は特につけていない。
キッチンにいる間は黒のベストは着ずにエプロン着用だが、それでもかっちり感があった。
「そう? そういえばバンドの皆は私服でしょ?」
「そうだけど、一応バーに合わせて選んでる。てか阿川さんて男兄弟いる?」
飯塚の質問に紗矢は肩をすくめた。
どういう意味だろうか。
「いないけど」
「そう? じゃあ幼なじみに男がいるとか、親戚で仲良いとか」
「んー? 親戚あんまりいないし……幼なじみってあんまり年近くなかったからな……なんで?」
「いや、この店男しかいないけど、あんま気取らないよなって思って。溶け込んでる」
「それって私が男っぽいってやつ?」
紗矢がずばり聞き返せば、飯塚が肩をすくめた。
「どうかな。褒めてるつもりだけど、気に触ったなら謝るよ」
「気に触ったとかじゃない。気になっただけ。褒めてるんだ?」
「褒めてる。変にしな作ってお姫さまになろうって人じゃなくて良かった」
飯塚の言い様に紗矢は首を傾けた。
「飯塚さんって時々鋭いよね」
「そう? 棚には負けるよ、あいつマジで犬並。それも野良犬の方」
飼い犬よりも油断ならない、ということか。
飯塚の言葉に紗矢は思わず笑みを浮かべた。
「やっぱり犬って言っちゃうんだ」
「そうだよなぁ。せっかくだからバンド名使えよって俺も思ったんだった」
「自覚はあったのね。ねぇ、飯塚さんて彼女いる? 結局男の人ってどんな女性が好きなの?」
紗矢の質問に飯塚がにやにや笑って顔を近づけてきた。
人懐こそうな笑みに、目の輝き。いたずらを思いついたかのようなそれに、紗矢は「幼なじみ」にでも再会した気分になった。
「彼女はいる。でもさ、遠距離なんだよ。たま~に寂しいって思う。その時慰めてくれる?」
「何を……」
「そのまま」
飯塚の台詞に不穏なものを感じ取ったが、不思議と下心を感じない。何事か、と聞き返そうとした時、飯塚が紗矢の耳元に顔を寄せた。
「なあ、あいつの焦った顔って初めて見た」
「え?」
誰のことか、と紗矢が辺りを見ようとした時、飯塚が注意をひくよう小声で話し始めた。
「好みって人それぞれだよな。阿川さんはどういう男が好きなの? それ教えてくれたら良いこと教えてやるよ」
紗矢は飯塚の「提案」につい乗っかってしまう。腕を組んで、身を乗り出した。
「うーん、魅惑的なお誘いだな……好みのタイプ? まっとうな向上心のある人かな……」
「なるほど。良いじゃん。見た目は?」
「見た目……贅肉のない背中が好きかな」
「わかった。じゃあ、一個教える。棚って余裕ぶっこいた顔してるけど、すっげえ独占欲強いから気をつけた方がいいかも。興味がないなら、今のうちに逃げるように」
飯塚が言い終わった直後、視線を感じて振り返ると話題の人物がこちらを見ていた。
タバコが煙をあげている。
「よぉ」
飯塚はそう軽く言って、何事もなかったかのように涼しい顔を向けた。
棚田も返す。
「……ああ」
そのまま飯塚は勝手口から店に入る。
紗矢は棚田の威圧感を背中にもろに受け、動くに動けない。
蛇に睨まれた蛙の気分だ。
何とか首だけを回そうとする。首筋がさびた蝶番よろしくギイギイ鳴っているような感じがした。
腕の緊張をほどいて背筋を伸ばす。
なぜこれほど緊張しなければならない?
紗矢は棚田を睨みたい気分になった。
「……あれは彼女がいるから」
棚田はかなり低い声で言った。
「聞きました」
「ふぅん? ずいぶん仲が良さげで」
「飯塚さんって人懐こいよね」
「そう見えて、上手く本心は隠す奴だよ。あんたみたいに」
「私?」
紗矢は意表をつかれて目を見開いた。
体ごと棚田を振り向き、彼の目をまっすぐに見つめる。
「どういうこと?」
「そのままの意味だよ」
答えになっていない、と紗矢は思わず目つきを鋭くする。しかし棚田は平然と受け流した。
妙にむかむかする。
紗矢はつかつかと歩いて勝手口に向かった。
「私が誰と仲良くしようが棚田さんには関係ないでしょう」
「そうだな。俺が勝手に嫉妬してるだけだ」
正直に好意を伝える棚田の言葉に頬がカッと熱くなった。
目をそらし、勝手口のドアノブを掴む。
その手に棚田の手が重ねられた。
じわり、と彼の体温が伝わってくる。言い合う口調とは裏腹に触れてくる手は穏やかだ。
「今日、送る」
落ちてくる声は先ほどと違い、なだめる様な落ち着きがあった。
「……今日はいい。一人で帰るから」
「俺が本気で嫌なら……そんな顔するなよ」
紗矢ははっとして顔をあげる。
情けなく眉が落ちて、頬は真っ赤だろう。自分でもそうと分かるほど熱い。
棚田の目を見ようとしたのに、なぜか歪んで見えた。唇がはれぼったく、震えはじめる。
「……それだから噛みつきたくなるんだよ」
両耳を大きな手で覆われ、タバコの苦い唇で震える唇をとらわれていた。
***
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