小説 黒豹とかたつむり

「黒豹とかたつむり」第5話 会話

 11時にアンダンテの前に集合、浜野はオーバーサイズのデザインティーシャツにダメージジーンズ、羽のアクセサリーをつけて待っていた。
 棚田は車で来たため、その姿を窓越しに見つけている。
 視線を前にやれば、赤いチェック模様の台形スカートをはいた美羽が軽やかな急ぎ足でアンダンテに向かっていた。
 前もって用意していた水族館のチケットが車に置いてあるが、どうしたものか。
 棚田は駐車場に入る。
 黒の七分丈のVネックに白のパンツ、黒革の腕時計。必需品のサングラスをVネックにかけて車から降りた。
 ちょうどその時、紗矢が駐車場前を通りかかるのが目に入る。おろした髪は見慣れないが、さらさらと風に流れるのが綺麗だった。
 彼女も棚田に気づいたようで、目が合うと会釈。
 いつものようにパンツスタイルで、ノースリーブから見える腕は細いが華奢ではない。
 胸元のペンダントが薄い紫色を放っていた。
「棚田さん、最初に謝って良い?」
 浜野達と合流する前にそう切り出され、なんのことか気づいた棚田は前髪をかきあげた。
「つい、気後れしちゃった」
「彼女に? 俺とのデートに?」
「どっちかな……。ただ、きれい事は言えないですね。私に根性がなかっただけ」
「俺とのデートは嫌だった?」
「そういうんじゃないけど、……」
 紗矢は不自然に言葉を切ると、店の入り口の方を見た。
「……嫌じゃないのは本当。ごめんなさい、自分でもまだ何も分かってないんだ」
「仕方ない。俺が勝手にのぼせてただけだ」
 棚田は歩き出し、気づいた浜野と目が合った。
 手を挙げれば、彼は隣にいた美羽に知らせる。
 きらきらした彼らの目がやけにまぶしい。
「……なんで?」
 背中に紗矢の声がぶつかる。
 振り返ると、彼女は珍しく頼りなさそうに眉をハの字にしていた。
「何が?」
「なんで、私?」
「……いわゆる一目惚れ。カレントで逢った時。それが理由」
 紗矢は視線をあげたが、表情に変化はない。
 試すような探るような、そんな目をしている。
 棚田がそれに困惑していると、美羽が走ってやって来た。
「こんにちは! 今日はありがとうございます!」
 きらきらと目元に気合いの入ったメイクの美羽は、こぼれんばかりの笑顔で二人を迎えた。
「すっごく嬉しい! お姉さん……紗矢さんとも一緒だと心強いです」
 紗矢は美羽に腕を取られ、二人がカップルかのようである。
「おはようございます」
 浜野も駆け寄ってきた。仕事でのクセか挨拶が堅苦しい。
「今日って棚田さんの運転ですよね? 俺免許持ってきたんで、飽きたら交替しましょう」
「気が利くな、浜野は……駐車場こっち」
 疲れたら、と言わないあたりこいつは末恐ろしい。棚田は独りごち、背を向けると駐車場に。
 その前にコンビニに寄ると、それぞれ水分とおやつを購入した。
 紗矢は表情を変えない。はっきりとではないが告白したような形になったが、それを喜んだ風ではなかった。
(フラれた? 彼女は読みにくいな)

 地元で長く続く遊園地に入り、ジェットコースターにゴーカート、とひとしきり遊ぶと昼ご飯を取る。
 パラソルの下、セルフサービスのハンバーガーをテーブルに運ぶ。
 棚田は美羽と、浜野と紗矢とで離れた。
 美羽はスマホに撮り溜めた画像を確認し、インスタか何かをやっている。
 棚田は目頭を押さえるとサングラスをかけた。
 視界は薄暗いブラウンになり、ふっと肩の力が抜けるのを感じる。
 浜野と紗矢が何か話しているのが見えた。
「でもこのマスタードってちょっと甘いよね」
「蜂蜜か、メープルみたいな味します」
「バンズが甘いからちょっとしつこい?」
「かもしれないですね、でも肉は美味いっすよ」
 料理という共通点があるからか、かなり弾んでいるようだ。
「そういや、紗矢さんてなんでお菓子作りに入ったんですか?」
「ああ……なんていうか、苦手だったから。市販のもお菓子屋さんのも、なんか粉糖の味しかしないっていうか? それで、美味しいの自分で作りたいなーみたいな」
「それでですか?」
「そうだよ。浜野さんは?」
「俺? いやもう、欲望です。美味いのが食べたいって」
「モテたいとかじゃなく?」
「いやそれもあるかな、嘘嘘! 冗談っす」
 まるで気取らない空気、二人とも屈託なく笑って、ポテトのソースの感想を言い合っている。
 美羽がスマホを置いて、彼らを見た。
「楽しそう……」
 そうぽつりと呟き、ジュースのストローを口に入れる。
「ねえ、棚田さんってどんな女性が好きなんですか?」
 直球の質問だ。
 棚田は肘をつくと顎を手に乗せる。
「芯がある、自分の言葉を持ってる、流されない」
「流されない人? どんな?」
「難しいな、具体的に話すのは。君は?」
「それは……わかってるんじゃ……」
 美羽の目は棚田を見ている。だが棚田は首を横にふった。
「ユーチューブの映像は編集されてる。実際に会って、イメージと違うって幻滅することもあるだろ? そういうことじゃなくて、こういう人がいいって君の中にある明確な理想の話だ」
「そんなの難しいです」
「外見でもいい。入り口になる」
 棚田がそう言えば、美羽は口を尖らせて下を向いた。
「棚田さん、哲学的ですよね」
「そうかな」
「分からないです。でも色んな人とつきあいたい。あの、恋愛だけじゃなくてですよ?」
「それは良いんじゃないか。でも自分を見失うなよ」
「それも難しいです。どういう意味ですか?」
「恋は盲目ってやつだ」
 美羽は肩を落とした。
「もういいです。勉強は大学でだけやりたい」
「楽しむのも勉強だよ。今日は楽しかった?」
「楽しかったです。4人ではしゃげて」
「それでいい」
 美羽は体を外に向け、横目で棚田を見てきた。
 可愛いとは思うものの、女性とは思えない。
 とても幼い。
「サングラスって流行ってないでしょ?」
「流行はどうでもいい。俺には必要なだけ」
「どうして?」
「ちょっとした障害でね」
 美羽が目をパチパチさせた。
 浜野が紗矢の分までトレイを片付けている。
「良いのに」
「このくらいやりますよ。あっ、次どれ乗ります? 二人は食べ終わりましたかー?」

 観覧車に並んでいる間、美羽は紗矢とスマホを見ながら何やら話していた。
 ファッション雑誌の電子書籍だ。
「これ可愛い。どう思いますか?」
「うーん。ちょっとパジャマっぽいかな……家で着るには良さそう」
「パジャマ?」
「ベルトが細すぎない? ああ、でもそこだけ違うの巻いたらいいのか。オールインワン……だっけ? こういうの」
「そういう呼び名もありますねぇ」
「流行って色んな呼び方するよね。チョッキでしょ、ベストでしょ、ジレでしょ」
「チョッキって何ですか?」
「ベストのこと。ベストってまだ通じる?」
 そんな会話を聞きながら、棚田は一服いれたい気分になった。
 代わりに自身の太ももを指先で叩いてリズムを取る。
 華やかな遊園地は夏の花であふれ、昼間のにぎわいに満ちている。
 自分は異質なのでは、という感覚になり、遠くの空を見れば太陽が傾き始めている。
「棚田さん、服ってどこで買ってます?」
 浜野が訊いてきた。棚田は指を抑えて彼に振り向く。
「中古」
「え、本当ですか?」
「流行は好きな形がない」
「へー」
「お前は?」
「笑わないで下さいよ」
「内容による」
「くっそ……緊張感あるな。スーパーとかですよ。エイユーです」
「なんだ、俺もだ」
「えっ、そうなんですか?」
 順番がまわってきて、棚田は美羽と、浜野は紗矢と丸いゴンドラに乗った。
 向き合って座り、ドアが閉められる。
 ゆっくりと、しかし確実に地面が遠ざかってゆく密室空間。
 白い雲が近くなってゆく。
「棚田さん」
「ん?」
「今日はありがとうございました。色んな方に迷惑かけた感じになっちゃったけど、楽しかったです」
「……皆進んで巻き込まれた形だよ」
「そうですか? あの……これ、渡したくて」
 美羽は鞄から手紙を取り出し、棚田に手渡す。
「ファンレターです。私、大学になじみきれなくて、辛かった時にユーチューブ見たんです。それですごく励まされて……良かったら読んで下さい」
 棚田は美羽と手紙を交互に見て、それを受け取る。
「ありがとう」
 そう言って手紙を開けようとし、美羽が慌てて止めた。
「恥ずかしいから! ここでは読まないで!」
 その必死な様子が微笑ましく、声に出して笑うと美羽は頬を真っ赤にして俯いた。
「わかった、家で読むよ。それに、ファンになってくれてありがとう」
「いえ! はい!」
 顔をあげた彼女は顔を赤くしたまま笑顔になり、目尻に浮かんだ涙を袖でぬぐう。
 観覧車は頂上に来て、ゆっくりと降りる。
 浜野と紗矢の姿が見えた。
 美羽が彼らに手を振り、二人もそれに応えた。

***

 夕陽がまだ見える時間だが、美羽は明日に備えて休むと言う。彼女を駅前まで送り、せっかくだから遊びに行くという浜野もそこで降りた。
 後部座席に座る紗矢と二人きりになり、急に重みを増す喉を撫でた。サングラスを取り、ふっと息を吐き出す。
「もう夕方か……」
 紗矢のつぶやきが聞こえ、棚田は視線を寄越すと声をかける。
「どこまで送ればいい?」
「え? ああ、そうですね……いつもの……」
 紗矢は顔をあげ、ん? と目を見開く。
「チケット……?」
「ん?」
 紗矢の視線を辿れば、水族館のチケットが収まりきらずにいた。
「……」
 棚田は無言のまま手で押し込む。
「買っててくれたんですか?」
「誘っておいて手ぶらはない……でしょう」
 棚田が口調を戻し、紗矢はふふっと笑った。
 爽やかな笑みだ。
 肩の力が抜けているのがわかった。
 ふたりきりになって緊張されないのもどうかと思うが、くつろいだ気配に棚田も頬が緩む。
「今ならまだ、水族館ってあいてますよね」
 紗矢がそう言ったが、棚田はいい顔をしない。
「すぐに閉まるでしょう」
「でも、今日だけでしょ? そのチケットの有効期限って。ちょっとだけでも行きませんか……棚田さんさえ良ければ」
 そう言われて断る術はない。
 棚田は進行方向を水族館に向け、走り出す。
 紗矢は後部座席から助手席に手を伸ばし、その肩にもたれるようにしていた。
「疲れてるんじゃ?」
「遊園地なんて久しぶりですから。でも良い疲れですよ、よく寝れそう」
「着くまで休んでればいい」
「ありがとう」
 紗矢は腰に巻いていたジャケットを取り、体にかけるようにして、シートに体重を預ける。
「棚田さん、疲れは?」
「ここでそれを言わせますか?」
「どういう意味?」
「今疲れたって言ったら頼りない男だと」
「そういうもの?」
「少なくとも女性の前じゃあ、そうなる。どっちにしろ疲れてない」
「女性か……」
「嫌なんですか? そういう話が」
「嫌……かな。かもしれない。嫌じゃないかもしれない」
「メイビーばかりだ」
「本音なので。今は嫌じゃない」
「複雑ですね。男装が好きとか?」
 そう言うと、紗矢は額に手を当てて斜め上を見つめる。
「男装……興味はありますね」
「似合いそうだ。いや、実際アンダンテの制服は似合ってた」
「それって褒めてます?」
「褒めてる」
「棚田さんは? 自分に違和感ってある?」
 紗矢の抽象的な質問に棚田は首を捻る。
「どんな意味の質問かわからないけど……昼間に歩いているとそう感じる時はある」
「夜型ですか」
「そうでしょうね」
「……どうしてユーチューブやってるの?」
 思いがけず次から次と質問が降ってくる。棚田は首を撫で、考えた。
 メンバーの意向、誘い、流れだった。
 だが自分自身としても純粋な評価を得たいと思ったのもある。
「自分達の実力がどれだけ通用するのか、知りたかったから、かもしれない」
「メイビー?」
「メイビー」
「そうなんだ。実力主義……みたいな」
「だと思う。生の感想が聞きたい、知りたい。良い音楽だと思ってくれるなら良い、そういうことだろう。実際ユーチューブを、と言ったのは別の奴だけど、やって良かったと思ってる」
「そっか……ねえ、なら……」
 紗矢の次の質問が来る前に、水族館に着いてしまった。
 帰る人々が多く、ガラガラの駐車場に停まり、降りると紗矢が隣に立った。
「私、疲れると意味なくしゃべるの。聞き流してくれていいから」
「気に入らない部分はそうしようか? さっきのは良かった。面白かった」
「そう? ああ、もう夜に近い」
 紗矢は頬にはりついた髪を指先ではらう。ノースリーブのせいで脇が見え、棚田ははっと視線を空に向けた。
「行こうか」
 そう言って先を歩く。紗矢は文句を言わずに後ろをついてくる。
 歩調を合わせるべきか、とゆっくりにすると、紗矢は不思議そうに見てきた。
「男に前を歩かれるのは嫌じゃない?」
「うん。その方が安心」
「安心?」
「失礼だろうけど、壁にしたくて」
「それが正しい。前に何があるか、何が来るか、わかったもんじゃない……今は安全だから、そういう感覚が抜けてる奴が多いんじゃないか? 男も女も」
「平和ボケしてるって? それとも野生を忘れてる?」
「どっちだろうな。良いことかもしれないけど、俺はどうかと思う」
 ひと気のない水族館への道を歩く。白いレンガ調の歩道。
 二人分の影がどこまでも長く伸びて、近づく夜に吸い込まれていった。

 青い世界の中、紗矢が筒状の水槽の中のクラゲを見つめている。
 棚田はその横顔を見ていた。
「クラゲって脳がないんですって」
「脳がない? じゃあ生き物って言えるのか?」
「生きてるし、死ぬし、生き物って言えるんじゃないですか? ご飯も食べるし。……余計なこと考えないって、どうなんだろう。辛いとかはないのかな」
 紗矢は近くに漂ってきたクラゲを指で追う。
 普段はつけていないはずのマニキュア。ベージュピンクの柔らかい色が、照明によって浮かび上がる。
「その分楽しいってのもないのか」
 紗矢は一人納得したように話し、姿勢を戻して口を開いた。
「ねえ、カタツムリって両性具有なんでしょ? どう思いますか?」
 突拍子もない質問だ。
 聞き流してくれてもいい、と紗矢は言ったが、棚田はそうしなかった。
 彼女とのやりとりは何か興味をそそられる。
 紗矢はクラゲの水槽をまわっていく。棚田は水槽越しにぼやける彼女の横顔を見つめた。
「効率が良い」
「効率? なるほど。じゃあ人間は?」
「人間は人間で、分かれた方が効率が良い」
「体が両方持って生まれてくる人がいるそうですね」
「聞いたことはある。……俺は男で良かったと思ってる」
 棚田の答えに紗矢は目を細めて微笑んだ。
「私もいつかそう思えるようになるかな」
 とらえどころのない紗矢の言葉に、棚田はつい手を伸ばしてしまった。
 存在を確かめるように彼女の手に触れる。
 紗矢は目を見開いたが、振り払うことはしない。
「どうしたんですか?」
 水槽越しだからか、彼女が儚く自分の前から消えてしまいそうに感じての行動だった。
 棚田はまさかそう正直には言えず、「いや」とごまかして手を離す。
「そろそろ出よう。冷えてきた」
 つま先を出口に向け、彼女を促す。
 紗矢は口を噤んで、下を見ている。
 朝見たような頼りなさげな態度ではない。
 どこか堅苦しい。
「どう……した?」
「棚田さんは私を女性として見てる。そうですよね?」
「……そうだけど」
 何か紗矢の雰囲気が違う。棚田は姿勢を改め、紗矢にむき直した。
「何か違う?」
 棚田が訊けば、紗矢が視線をあげた。
 ぶつかってくるのは戸惑いを含んだ鋭い目。
「……棚田さんは、私を知らないし、私も棚田さんを知らない」
「……ああ」
「でも、何よりも私が私を知らない。棚田さんといるとそれを思い知らされる気がする。……良い意味で」
 紗矢が何を言おうとしているのか、棚田はすぐには理解出来ないのに無視する気にもなれなかった。
「良い意味なら、もう少し付き合ってみれば良い。嫌ならそこで終わり。それでやってみるというのは?」
「……それで良いんですか? そっちの時間がもったいないでしょう。私に構って、他のチャンスは?」
「必要ない。誰でもいいわけじゃない」
「……」
 紗矢は視線を落とした。その目元が赤いのは見間違いではないだろう。
 飯塚の真似をするのも時には悪くない。腰をかがめて覗き込むと、紗矢はやはり目元が赤く、むぅっと唇を尖らせて視線を逸らした。
つんとした猫のようだ、彼女はそのまま出口に向かって歩き出す。
 棚田が姿勢を戻してゆったり表情をくつろげると、後ろから見れば小さな背中を追った。

***

 帰るための夜道を走る。
 紗矢は疲れのせいか饒舌になってしまい、意味の分からない事ばかり口走ってしまった、と額を押さえて小さなため息をつく。
 棚田が付き合ってくれたのが不思議だ。
 ちらりと彼の横顔を盗み見れば、朝と表情は変わらず淡々と前を見ていた。
「棚田さんって疲れたりする?」
 思わずそう言ってしまった。
 棚田は紗矢を一瞥し、疲れを感じさせない声で返す。
「そうならないようにしてる」
「どうやって?」
「休憩を入れつつ、体力つけつつ……」
「やりつつやりつつ?」
「そう。アンダンテでは生演奏だし、体力はどうしてもいる。優先順位をつけて、適当に……いや、手を抜くんじゃないけど」
「適度、適切、適当……みたいな?」
「そう、それそれ。阿川さんは?」
「休むのが下手です。適当って……良いですね。私もそれ念頭においとこうかな」
 そんな色気のない話をしていると、紗矢のマンションの最寄り駅が近づく。
 バス停、神社、コンビニ、街路樹。
 見慣れた光景に気が抜け、それと同時に今日が終わることに一抹の寂しさを感じた。
「ありがとうございました」
 そう言ってシートベルトを外す。鞄を取って出ると、腰をかがめて棚田をのぞいた。窓が降りる。
「棚田さんの家って近い?」
「それって心配で言ってる? それとも誘って欲しくて?」
「え。いや、あの……」
「冗談」
 棚田が余裕めいた笑みを見せる。前髪の隙間から見える瞳は黒々として、吸い込まれそうだ。
 紗矢は頬に熱がのぼるのを感じ、手を顔の前でふった。
「そういうの慣れてないんで……」
「ふぅん。からかい甲斐があるな」
「やめて下さいよ」
「どうするかな」
「もう。……今日は見送りますから、遅くならないうちにどうぞ」
「そうだな……分かった。おやすみ」
「おやすみなさい」
 棚田は表情が変わらないため、冗談が分かりにくい。
 紗矢は走り出す彼の車を見えなくなるまで見送った。

***

 ミラーの中の彼女が遠ざかってゆく。
 彼女は言葉通り見送って、手を振っていた。
 その姿に頬が緩み、久々に充実感を味わう。
 だが、二人であの会話。
 彼女は何を考えていたのだろう?
 それが分かりにくい。
 次に会うときにはもう少し覗けるものだろうか?
 それが一つの楽しみになっていた。

 

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