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りんごの花 小説

「りんごの花」第14話 いたずらめいたチャンス

2021-02-20

 桜がちらほらと蕾を緩ませている。
 もう少し時期がずれていれば満開の花の中のイベントになっていただろう。
 飯塚は惜しかったな、と思いながら降り立った地を見渡す。
 年季の入ったギターケースに、ボストンバッグ。
 後ろに続いたのはバンドの仲間である。
「独特だよな」
 棚田がふとそう言った。
 ドラムセットはトラックに乗ってやってくる。彼は旅行用のリュックを背負っているのみだ。
「独特?」
「地方の空気はどこも独特だなって」
「ああ……日本は山・川で分断されてるしなぁ。隣でも違う感じするよな」
「それそれ」
 二人でそんな感想を言い合っていると、吉野と伊藤もやってきた。席が離れていたのだ。
「あー、すげえ眠い」
「腹減った」
 とバラバラな第一声に棚田と顔を見合わせる。
 何となく笑ってしまうと伊藤が「なんだよ」とむくれた。
 やがてイベントスタッフの名札を提げた青年が現れ、飯塚達に気づくと駆け寄ってきた。
「どうも! お越し下さりありがとうございます!」
「こちらこそ。無名のセミプロに声をかけて下さって、ありがとうございます」
 飯塚達が一礼すれば、青年は顔を赤くして更に腰を低くする。
「とんでもないです! めちゃくちゃ有名じゃないですか。あっ、車はこっちです!」
 有名、と言ってもテレビなどには出ていないし、プロではないのだからラジオや有線放送にも流れない。
 飯塚は頬をかくと彼の案内にしたがった。
「まずホテルにお送りします」
「いや、先にステージを見たいんですが」
 棚田が言った。
 彼はセミプロを自称するが、プロフェッショナル魂の塊のような男である。
 皆からは「職人」と揶揄され、実質リーダーであった。
「ステージですか? まだ整っていませんが」
「広さと響きを確認出来ればありがたいんです。ご迷惑でなければ」
「迷惑なんてとんでもない! ではご案内します。いや、最初はね、そんな大きいものになる予定じゃなかったんですね。でも青年会と婦人会で色々やってくうちに、賛同者が集まりましてですね……手前味噌で申し訳ないんですが、けっこう良いステージになりましたね」
「あっ、美味そうな店」
 伊藤が声をあげた。
「ああ、あの店は良いですよ。お昼にいかがですか? 予約しますよ」
 青年は顔を赤くしながらも熱心だ。
 飯塚は肩をすくめて笑った。
 イベント会場のメインステージは想像よりも立派だった。
 機材などは借り物も含むらしく、ライトもまだ汚れが目立つが問題ない。
 マイクの響きも問題なしだ。
 眼前に広がる青空、山、広場の屋台。
 バーとは違う客層が入るのだろう、そのイメージが膨らみ、曲目を考える。
「棚、後で打ち合わせ」
「了解」
 ライブは朝、昼、夕方から夜、と各地から集まる子供会や地元有志会の出し物から、地元芸人を呼んでのお笑いライブに飯塚達の音楽ライブを予定している。
 飯塚達は夕方からの出番で、同世代ほどの青年達を盛り上げて欲しいとリクエストがあった。
「ユーチューブってすごいですね。ライバルも多そうですけど、クロヒョウはぶれなくて良いって」
「ライバル……どうなんですかね。同業で、あまり会わないけど皆で盛り上げないとユーチューブすら開いてもらえないですから……」
「同志みたいな?」
「それが近いかもしれないです」
「でも本格的じゃないですか? プロになったりしないんですか?」
 飯塚が口を噤む。
 実はスカウトは来ているのだ。
 だが飯塚は断っている。
「僕は自分のために歌ってるんで」
 それが答えだった。
 同じくスカウトの来ている棚田は打診中である。伊藤と吉野はそれぞれ知り合いから別のバンドのライブに呼ばれているようだが。
 太陽がまぶしい。
 そろそろ昼だな、と思っているとステージのチェックを終えた棚田達が集まってきた。
 先ほどの店に案内され、ホテルに着くまでにまた観光。
 戦国時代の城に登り、ハムを食べ、夕食をたらふく食べるとそれぞれに用意された一人部屋に入る。
 さすがに高級ホテルとはいかないが、一人でくつろぐには充分なものだ。
 大浴場で疲れを取り、部屋に戻ってカーテンを開ける。
 星が綺麗に見えた。
 イベントは4日後。
 飯塚はまさかと思いながら岐阜の夜を過ごした。

 ――律の実家は岐阜県の……
 佐竹の説明を聞いたのは、たまたま彼が式を挙げる結婚式場に、飯塚が副業でいた時である。
 なんでも式で生歌ライブをやりたい、というカップルがおり、その打ち合わせに訪れていた時だった。
 カップルはバーの常連で、飯塚としては断れない。
 打ち合わせを終え、玄関ホールでコーヒーを飲んでいる時、いつか聞いた黄色い声に振り返ってしまったのである。
 見れば間違いなく佐竹と、セミロングのぽっちゃり女性。
 目が合うと佐竹は友人にでも見せるかのような笑みを浮かべた。
「飯塚くん」
 などと呼ばれてしまえば、無視するのも具合が悪く会釈する。
「元気そうで何より」
 隣の彼女がきょとんとした。
「どなた?」
「あー、その。恩人っていうか? 飯塚譲くんだよ」
「そうなの? あの、秀彦さんがお世話になったみたいで、ありがとうございます」
「彼女は俺の婚約者の由希子さん。その……どうしてここへ?」
 佐竹はきょろきょろと辺りを見た。
 飯塚が一人で結婚式場にいるのが謎なのか、あるいは誰かいるのでは、ということだろう。
「仕事です。バーの延長」
「へえ……? まあ、うん。いいか。そっか。そのー……彼と二人で話したいから、あっちで待っててくれるかな」
 佐竹が由希子にそう話し、由希子は素直に頷いた。
 まるで子犬のような態度に飯塚は毒を抜かれる思いをする。
 なるほど、佐竹に似合いだ。
「話って?」
「いや、その……律のことだよ。由希子と結婚するって親に話したんだ。そしたら、実家帰ってた律と会ったって」
 飯塚は無表情を貫いた。
「元気って言い方があってるかはともかく、とにかく無事だって。それから、一人で暮らすことにしたらしい。前よりも綺麗になっててびっくりしたってさ」
「ふうん」
「あのさ……お節介かもしれないけど、あいつまだ故郷にいるんだって。そこの住所は知らないけど、実家の住所なら覚えてるから」
 佐竹はその場で、メモを一枚もらうとペンを走らせる。
「律の実家は岐阜県の××、△、○……っと。これ、君に渡しとく」
 そう言って佐竹は由希子のもとへ戻っていった。 飯塚はメモを一瞥するも、息を吐くと天井を見上げてコーヒーカップを適当に置く。
 カップを持ち上げると、メモが水滴に文字を滲ませていた――

 期待しても辛いだけ、と飯塚は自身に言い聞かせる。
 まさか偶然にも逢えないだろうか、と心のどこかで願っている。
 せめて一目、せめて後ろ姿だけでも。
(ああ男って奴は面倒くせぇ)
 などと思いながらセンチメンタルに意識を引っ張られる。
 律が最後に何て言ったか知りたいだけだ、と誰に対してか分からない言い訳をする。
 シングルベッドに寝転べば、味気ない照明が部屋に見えるだけだった。

 翌日、青年会の一人で、飯塚達に声をかけた人物と会うため公民館を目指した。
 朝のことである。
 ホテルから使った車を降りて細い坂道を歩く。
 人家が並び、公園がある。公園に目をやると小さな女の子を連れた女性が一人、藤棚に座っていた。
 ベビーカーもある。
「なんか家帰ってきた感じ」
 伊藤が呟いた。
 公民館は立派な住居、といった感じだ。
 中には年かさの女性の姿もあり、調理場でお茶の準備をしていた。
 入るよう促された奥の間で座って待っていたが、思ったより車の流れがスムーズだったため、早く着いてしまったのだ。時間を持て余す。
 飯塚はトイレ、と立ち上がり、公民館を一人歩く。
 廊下を曲がって、昔懐かし黒電話を横目に殿方と書かれたのれんをくぐる。
 赤子の泣く声がし、のどかだな、とぼんやり考えた。
 用を足し、手を洗ってのれんをくぐる。
 廊下を歩いて、元来た道を――すっきりとした黒のニットのタートルネック、オフホワイトのプリーツスカート、流れる黒髪。
 顔も見ないうちに心臓が強く跳ね、そうだ、と直感が告げる。
 瞬きも出来ずにその姿が別室に入ってゆくのを見、誰かの声が飯塚の意識をそこに釘付けにした。
「りっちゃーん? ごめーん」
 ガラガラと玄関が開かれ、足音が近づく。
 振り返った律の目が、飯塚をとらえる。
 彼女の目がはっと瞳を大きくし、飯塚を見た。
 彼女の腕の中には赤ん坊。
 呼吸が止まる。
「り……」
「ごめん、りっちゃん!」
 足音と共に男性が二人の間に割り込んだ。
 彼は律から慣れた様子でひょいと赤ん坊を抱き上げる。
「純迎えに来れたってさ。俺お客が待ってるから、もう良いよ……って、あ!」
 その男性が飯塚の存在に気づいて満面喜色を浮かべる。
「こりゃ、どうもどうも! こんな田舎までよく来て下さいました! 自分、今回のイベントで企画担当の小山内 圭と申します」
 小山内、と名乗る男――圭は赤ん坊を律に返し、飯塚に両手を差し出すとやや強引に飯塚の手を握る。
「いや、本当にありがとうございました。何か不便はありませんでしたか? ほんと、何にもない街でしょ?」
 飯塚は突然の展開に間の抜けた顔をしたが、圭が背を押して奥の間に連れて行ってしまうので、同じく目を大きく見開いたままの律を置き去りにしてしまう。
 赤ん坊の鳴き声が背中に響いた。
 圭が「おばちゃん、いいお茶出して」と言う間に一度だけ振り向くと、律がぐずる赤ん坊をあやす姿が見えた。

 奥の間に戻ると、圭がステージの概要を持ち説明を始めた。
 夕方6時からの音楽ライブ。
 アップテンポに始まり、盛り上げて欲しいとのこと。
「ステージを昨日拝見しまして、それで客層との兼ね合いからこういう曲順にしたらどうかとメンバーと打ち合わせしました」
 棚田が仕上げたリストを圭に見せる。
 圭は喜んだ顔をして、リストを見た。
「考えて下さったので? すごい嬉しいですよ、いやすごいな。ありがたいです!」
 どうにも明るく、好人物だ。飯塚は圭の顔をじろじろと見てしまう。
 それに気づいた棚田が裏拳で飯塚の胸を叩く。
「何やってんだよ、失礼だろが」
「悪い。つい……」
 意識は徐々にはっきりとし、すると偶然の再会に心臓がおかしな動きを始めた。
(なんで赤ん坊? この人が父親? てかここにいた? いたよな? 律だよな? んなまさか。こんな偶然あるかよ。でも向こうも俺を見て驚いてた。つうか見間違うわけないだろ)
 様々な考えが浮かんでは消える。
 圭がふすまを開けた。
「おーい、お茶とお茶菓子ー」
「今持っていきまーす」
 返事が聞こえ、ふすまが中途半端に閉じられる。
 近くに座る飯塚は向こうの会話が聞こえてしまった。
「りっちゃん、持ってって」
「あの、でも綾ちゃんが……」
「あら大丈夫よ、おばちゃんが抱っこしててあげる」
 ふええ、と赤ん坊が寂しげな声を出した。
「あーやちゃん。大丈夫よ、パパもママもそこにいるからね。ちょっと待ってようねぇ」
 飯塚は横っ面を張り飛ばされた気がした。

***

 律はお茶とお茶菓子を乗せたお盆を手に、廊下に投げ出された。
 先ほど目が合ったのは飯塚に違いない。
 なぜ彼が?
 律は圭が飯塚達「クロヒョウ」にライブのオファーをかけたことを知らなかった。
 確かにゲストを呼ぶ、とは聞いていたが、まさか彼らだとは。
 見ればお盆に置かれた湯飲み、山吹色のお茶が波紋を描いている。
 律は息を整えると、正座して声をかけた。
「どうぞー」
 圭が明るい声で迎える。
 律は丁寧にふすまを開け、礼をしてお茶を出す。
 手が震えるのをこらえ、美術品を扱う時のように、と集中してお茶菓子を置いた。
 飯塚の視線を感じる。
 なぜかふすまの真ん前に座っていた彼の隣に膝をつく格好になり、ダイレクトに、視線で焼き尽くすかのように律の顔を見つめ続ける飯塚の、痛いほどの視線を受ける。
 律は彼の方を見ないまま、その場を去ろうと床に手をついた時。
 すっと飯塚の指先が、手の甲に触れた。
 熱い。
「……失礼します。ごゆっくりどうぞ」
 震える声でそう言うと、奥の間を出て廊下を静かに走る。
 飯塚が触れた手の甲を押さえ、息をするが、そこは火傷でもしたかのように熱を持っていた。

***

「おい」
 と、棚田が二度目の裏拳を食らわせてきた。
 飯塚があまりにも律を見つめ続けたせいだ。
 さすがに圭も飯塚の態度に気づいたらしく、「一応、若いのもいるんですよ。ここじゃ珍しいでしょ?」と頬をひくつかせたが話を濁す。
 飯塚の代わりに吉野が返事していた。
「岐阜って色白の美男美女が多いっすねぇ」
「あっ、嬉しいな。それ。あんま言われないんですけど、そうなんですよ。隠れスポットでして」
「料理は美味いし……もうちょい前倒しで来たかったくらいです」
「ありがとうございます! いやー、良いでしょ? あっ、ホテルはいかがですか? そのほか何かありましたら……」
 圭の目尻に笑いじわ、にこにことして嫌味がなく、気さくな態度には好感を覚える。
 飯塚は急に世界が遠くなったような気がした。
「……ですね、リハーサルっていうんですか、これを明日と明後日に控えてます。そこで今晩は焼き肉でも食べて英気を養おうかってことで、ご案内したいのですが、どうでしょう?」
「焼き肉! すげえ嬉しいです!」
 吉野と伊藤が機嫌を良くする隣で、棚田が飯塚の足を叩いた。
「しっかりしろよ」
「……ああ」

***

「あいたたたた……」
「ちょっと大丈夫? やだね、こんな時に」
「本当よ、ちょっと冷えたもんだから……」
 調理場で婦人会の一人が腰を押さえてうずくまる。
 どうも腰痛が今日の冷えと立ち仕事で悪化したらしい。
「困ったわ、焼き肉の案内なのに」
「誰か代わりに圭ちゃんと行ってくれない?」
「無理よ、ダンナのご飯作らないと……」
 律は綾を迎えに来た純に渡し、公民館に戻ってきた。
 調理場に顔を出すと、それに遭遇する。
「りっちゃん、良いところに」
「腰痛がひどくなっちゃって……」
「救急車を呼びますか?」
「良いの、良いの。家で寝てればマシになるから、迎えに来てもらうわ」
 婦人の一人が律の背に手を回す。
「あのね、今日あの歌い手さん達を接待しないといけないの。といっても焼き肉だけど……りっちゃん、行ってくれない?」
「え!」
「お願い! 家の用事もあるし、皆急には行けなくて……」
 すがるような目を全員から向けられ、律は目線だけ明後日の方向を向かせたが、この圧力に誰が克てるというのだろう。
「……わかりました」
 早速圭に報告され、「むしろ若いの同士の方が良かったかも」と太鼓判を押されてしまう。
 夕方に迎えに行く、と圭が言い、律は頷く。
 アパートから焼き肉店は近い。
 律は化粧台に向かうとふーっと息を吐き出した。
 飯塚が触れた手の甲が、また体温を思い出す。
 飯塚が。
 鏡の中の自分に視線を戻せば、頬がピンク色に染まり、目が輝いている。
 頬を両手で押さえた。
「どうしよう……」
 その手が震える。

***

 焼き肉の店は地元の名産牛肉が目玉だが、残念ながら高級店ではなくファミリー向けのチェーン店である。
 それでも不満はない。圭の案内で足を踏み入れ、お座敷にどんどん運ばれる皿を見つめて棚田達もガッツポーズだ。
「好きなものもどんどん注文して下さいね。あ、お酒もありますので」
 圭がメニューを手渡す。
「すいません、俺たちみたいな半端もんに」
 棚田が受け取りつつそう言った。
「何言うんですか、ユーチューブってのも今や第二のエンタメとして盛り上がってますからね、立派なゲストですよ」
「誰でも投稿出来る分、ピンキリですよ」
「そこらのバンドより上手いじゃないですか。あ、比べたらダメなのか」
 圭は自分の口元に指で×を作って「申し訳ない」と謝っている。
 圭の隣に座る律は先ほどから大人しく、店員に注文をして皿をテーブルに並べている。
 先ほどとは違う、淡い水色のブラウス、覗く鎖骨に細いネックレス。化粧もシンプルだが綺麗だ。
 飯塚は彼女の一挙手一投足に釘付けになり、棚田の裏拳で我にかえる。
「すいません。こいつ最近フラれたばっかで、調子悪いんですよ」
 棚田が律に向かってそう言った。
 それを聞いた律の手元が狂い、皿同士ぶつけてしまう。
「ごめんなさい」
「いえ、割れてない……し。こんだけ頼んだら仕方ないです」
「フラれたって何だよ、第一最近じゃねえし」
 飯塚が棚田に言い返せば、棚田はちっ、と舌打ちして睨んできた。
「フォローしてんだろ」
「……悪い、悪い」
 棚田の言うとおり、場の空気を乱すのはまずい。飯塚は自身の頬を叩くと水を飲んだ。
「すいません。しかし美味そうだなー、飛騨牛ってやつですか?」
 そう口調を緩めて言えば、圭が「そうです、そうです。これだけは是非召し上がって欲しくて」と、和やかな雰囲気に戻り、どんどん肉が焼かれていく。
「圭ちゃん、サーロイン今品切れですって」
 律がそう言って別の品を頼む。
 圭は圭で焼き上がったものを、片付け受け渡しと働きづめの律の皿に入れていた。
「りっちゃん、食え食え。また痩せちまうぞ」
 と軽口を叩いている。
 どうも親密で、気の置けない様子だ。
(『圭ちゃん』『りっちゃん』……やっぱ結婚した? 出来ちゃった婚とか? まさか。律はそんな尻軽じゃない……)
 そう思う一方、圭の人柄の良さに、かつて夜学で知り合い、遊んでもらった整備士を重ねてしまう。
 面倒見が良く、笑った顔も似ていたのだ。
 律が惹かれるのも無理ないかもしれない、と飯塚は思い、ちくりと痛むものがあったが堪える。
(元々知り合いかもしれない。どっちにしろ、律が幸せなら、良いんじゃねえか)
 ふと心臓が重くなる感じがしたが、それでも諦める覚悟が出来てくる。
 律は時々圭と話し、笑みも見せていた。
 伊藤達はアルコールが進んでいるようだ。棚田は元々強いため顔色からは判断出来ない。
 圭が飯塚にビールを差し出す。
「ああ、どうも」
 コップを出して注いでもらい、一息に飲み干すと返杯だ。圭がさらに注ごうとしたのを飯塚は止める。
「あまり飲まないんですか?」
「いや、好きですけどね。女性の前では飲まないようにしてるんです」
 律は舐めるように飲んでいる様子で、あまり進んでいなかった。肉の皿が積み重なるのを店員に渡している。飯塚の方を見ようとせず、まるで他人のようだ。
 飯塚は覚悟が出来るといたずら心に似た、嗜虐心がわいてくる。
「そうなんですか?」
「はい。ま、同居してた女に酔わされて逃げられたんです」
 律の手が止まった。
 飯塚は律のこちらを見ようとしない目を見つめて言う。
「同居ですか? 同棲じゃなくて?」
「はっきり関係があったわけじゃないので。なんつーか……同志みたいな? そんな感じだと思ってたんですが、俺の勝手な思い込みだったようで、相手を追い詰めたんです」
 律の目が揺れる。一瞬のことだったが、飯塚は見逃さなかった。
 圭が感心したように「ほおぉ」と頷く。
「色々あるんですねぇ。やっぱモテそうですし、そういう話も出てくるんだ。歌にも反映されたりするんですか?」
「そういうのもあります。そんな数ないですけどね」
「そうなんですか? どの曲だろう」
「俺の話なんか面白くないですよ。一応エンタメとして昇華するために盛ったりするけど……」
「いやいや。だって相手の女性もすごいなー、酔いつぶすんでしょ? すごい強い人だったりしたんですか?」
「いや、これが笑える話で。足下にタンク用意してて、それに流して飲んだふり。俺酔うと記憶飛ぶから、全然気づかなかったんですよ。間抜けでしょ」
「あはは! もう笑っていいのか分かりませんけど、すごい。策士だな、その人。どんな人だったんですか?」
 圭の質問に、律が「失礼します」と言って立ち上がる。が、飯塚が視線で止めた。
 そのまま律は去ることも出来ず、座り直す。
 項垂れた様子に思い出すのは公園で泣いたあの時。
「不器用で、頑固で、弱いくせに強がりで、さみしがりで、でも大事なことが分かってる……そんな感じ」
「いい人だったんですね。可愛かったんだ」
 飯塚は律を見た。目を合わせないようにしているが、彼女の目元が赤くなっているのが分かる。
「まあ、そうですね……心底惚れたのは、彼女だけです」
 律がいよいよ立ち上がり、洗面所に姿を消す。
 圭がふうぅ~、と冷やかす。
 棚田が何か勘づいたのか、グラスを持ち上げると飯塚のグラスにカン、と当てる。
 店を出ると、圭が駐車場に走って行った。タクシーを待たせているのだ。
 吉野と伊藤はコンビニに寄っていった。
 棚田が飯塚の背に声をかける。
「馬鹿じゃねえのか」
「あんだよ、何が」
「さっきの態度。俺だって気づくよ。彼女が王女さまかよ」
 棚田が言ったことに、飯塚は眉を持ち上げる。
「偶然……って言い切れるか? なんでお前が岐阜に呼ばれてすぐ了承したのか分かった。クソが、ちゃんと言えよ」
「俺だって逢えるとは思ってなかった。偶然なんだよ、本当に。ただあいつが育って、帰った場所なら見てみたいって思った。逢えたら、とも思ったけど、願ったわけじゃない」
「全く……」
 棚田は律を振り返る。
 律は会計をしている所だった。
「ちゃんと話せよ。回りくどいことして、余計追い詰めただけじゃねえか」
「……かもな」
 飯塚が視線を落とすと、律が店から出てきた。薄手のジャケットを羽織り、飯塚達のもとへやってくる。
「あの、今日はこれで解散です。ホテルへお送りしますが、それで良いでしょうか」
「もちろん。お構いなく」
「どこかお出かけでしたら、これ周辺地図と、タクシー会社の連絡先です」
 棚田はそれを受け取り、ポケットにしまった。吉野達もコンビニから出てくる。
 タクシーが道路に出て、ドアを開けた。
「今日はどうも。明日もよろしくお願いしますね!」
 圭が最後まで笑顔で見送る。飯塚は大人しくタクシーに乗り、窓を開けた。
 圭が窓に顔を寄せ、律を一度示すと話す。
「ここだけの話ね、あの子サポートに徹してましたけど、あなた方のファンなんですよ。動画を紹介してくれたんです。それで、今回のイベントの目玉を思いついたんです。盛り上げて下さいよ~、なんならコメントにもあったみたいに、ちょっとエロくても良いっす」
 飯塚ははっとして律を見た。彼女は吉野達が乗るタクシーに、行き先のホテルを伝えている。
 棚田が圭に返した。
「まさか。深夜ならまだしも」
「そっか。そうっすね」
 圭が目尻にしわを寄せて笑う。
 見送られてタクシーが走り出せば、律の姿を窓にうつした。
 一度、しっかりと目が合う。
 速度をあげたタクシーはあっという間に彼女を置いていく。
 なぜ最後に希望を残すようなことを言うのか、と飯塚は頬を押さえた。

 

次の話へ→「りんごの花」第15話 手の届く距離

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  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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