りんごの花 小説

「りんごの花」第10話 壁

 体温を分け合うようにしていたが、ひんやりとした空気を感じて律は目を開ける。
 乱れた格好のまま、律は立ち上がろうとした。
 飯塚に手を取られ、振り返ると彼は真剣な顔をしていた。
「……もう少しゆっくりしようぜ」
 律は目をそらすと下を向く。
 飯塚の手の温もりが、手から全身に伝わってくるようだった。
 それが怖い。
 やはり、と律は首を横にふる。
「嫌なのかよ」
「……そうじゃないよ」
 カーディガンに腕を通し、飯塚に背を向けた。
 飯塚の手が離れ、律の腰をそっと撫でる。
「あんまり、優しくしないで」
「普通のことしてるだけだろ?」
「そうなら譲くん、罪深いな。女の子を勘違いさせたらダメ」
「勘違い?」
「カレー、煮込むだけだから明日でいいわよね。先にシャワー浴びるから……おやすみなさい」
 律は早口に言ってリビングを出た。
 浴室でシャワーを流し、曇る鏡を手で拭き取れば、うっすら肌を赤くする自身の姿が映り込む。
 何もしていないのにつやつやした頬はいつぶりだろうか、律は単純な体にため息をもらす。
 飯塚とのセックスが嫌なわけではなく、会話が嫌なわけではない。
 飯塚は一方的なことはせず、律をちゃんと見て受け止めている。
 かといって積極的になれないのは、ボーダーラインを引いておきたいからだ。
 彼とは同居人であって、恋人ではない、と。
 飯塚は名前のある関係は苦手なようだし、何かを期待するのは辛いだろう。
 今更ながらバーのマスターが言ったことが思い出される。
 友達なら良い、と。
 飯塚と男女の仲になったことを後悔はしていないが、傷つかないでいられるとは思えなくなってしまった。

***

 律と美穂が家についたのは昼前だった。
 美穂はいつものお団子ヘアではなく、おろしたまま。セミロングの明るい髪が太陽光に照らされて綺麗に輝いた。
「広いおうちですね」
「うん、工場跡だからね。荷物適当に置いてね。コーヒーと紅茶とどっちにする?」
「じゃあコーヒーで。あ、手伝います!」
 美穂はリビングの隅に鞄とコートを置き、キッチンへ入る。
 お菓子類、ティーポット、とテーブルまで運んでゆく。
「今日って同居人の先輩も来るんでしたっけ?」
「そうよ」
「どんな人ですか?」
「んー……私も会ったことないの。でも社交的な人だそうよ」
「なんか緊張しますね」
 と言いつつ、美穂は髪を整え始めた。鏡を取り出しチェックしている。
 出逢いのチャンスと思っているのかもしれない。
「ルームシェアって聞いたときはどうなのかなって思ってましたけど、これだけ部屋もあると確かに大丈夫そう。3人で住んでるんでしたっけ?」
 律は頷いた。
 流石に2人だとは言いづらく、飯塚と相談して決めたのだ。
 3人目は年かさの女性で、今日は仕事ということにした。
 律のスマホが振動し、見れば飯塚からだ。
 車で帰ってくるらしい。
「もうすぐ着くみたい」
「じゃあもう二人分のカップも出しておきますか」
「そうね。お願い」
 飯塚達が帰ってくるまでの間、二人でコーヒー、お菓子をつまんで待つこと15分。
 車の音が聞こえて外に出れば、飯塚ともう一人、眉のくっきりした顔立ちの男性が親しげな笑みを見せてやってきた。
「初めまして」
 と、挨拶もそこそこにバーベキューの準備を始めた。
 城島がセットを持ってきたのである。
 駐車場のスペースにそれを置き、炭に火をつける。
「火がつくまで時間かかるし、先にカレーを食っとこう」
 飯塚が律に言い、二人で台所に向かう。
 美穂はバーベキューに興味があるようで、城島を手伝い始めた。
「これ、軍手つけといて下さい」
「はーい、あっ、ぶかぶか」
「細かい作業は俺らでやるんで。適当に風送って火を回して下さい」
「はーい」
 楽しげな会話が聞こえ、様子を見に行けば美穂は城島の話に無邪気な笑みを見せていた。
「楽しそうだわ」
「先輩、なんのかんの女子に弱いんだよな」
「あら」
「まぁいいや、カレー温めたら入れていこう」

***

「それで仕方ないからその辺の枝を折ってさ、けずってけずって箸にしたんだけど、その間に料理さめたんだよな。燃料にって箸燃やして、の繰り返し」
「うそ~! それってちょっと盛ってません?」
「盛ってない、盛ってない! 人間焦るとああなるもんだって!」
 カレーも食べ終え、肉や野菜を焼きながら城島と美穂の会話は盛り上がる一方だ。
 飯塚と律は二人を横目に、焼き上がったものを食べていく。
 ジュース類もどんどん減り、片付けをする。
「あの二人相性良さそうだな」
「うん……なんか私たち、お邪魔みたいね」
 律の言葉に飯塚が頷く。
 二人でそっとその場を離れ、溜まった皿を洗って買い物の準備をする。
 このペースだとジュースが足りそうになかった。
「一人で行ってくる」
 飯塚がそう言って自転車を出した。
 律は頷いて見送る。
 バーベキューに戻ると、美穂が側にやってきてこそこそと話し始めた。
「城島さんって面白い人! 笑いすぎてお腹が痛くなってきました」
「良かったわね、気が合う人みたいで」
「はい! 先輩も飯塚さんと気が合うみたいじゃないですか?」
「……そうかな……」
 美穂は機嫌良く笑って城島の側に戻った。
「そうだ、高山さんいかがですか? 飯塚の奴、迷惑かけてません?」
 城島が律に話をふった。律は顔をあげて答える。
「それは大丈夫です。迷惑ならかけあってるのでお互い様ですね」
「そうですか? いや、あいつ最近落ち着いてきてるなって思ってたんですよ。前は野ざるみたいだったのに」
「の、野ざるですか?」
「そうそう。野生動物っぽいでしょ? 飯塚って。最初会ったとき日焼けかなんかで真っ黒だったんすよ。聞けばこっちの日差しがきついって」
「日差しがきつい?」
「東北の生まれらしくて、ちょっと南下したらすぐ日焼けするんだそうです」
 律は目を丸くした。
 すぐに日焼けするなら夏の間にホームレスは大変だったろう。
「家がない時どうしてたのかしら」
「あれっ、ご存じでしたか?」
 城島と律の会話に美穂が興味を惹かれて聞き返す。
「家がない?」
「ああ、うん。飯塚は一時ホームレスでさ」
「ええ? ど、どうしてまた」
 二人はため口で話している。よほど気が合ったのか。
 飯塚の説明をしていると、自転車の音が耳に入ってきた。
 噂をすれば影、飯塚が帰ってきたのだ。
「おかえりなさい」
「ただいま。冷蔵庫入るかね、これ。買いすぎた」
「クーラーボックスあったじゃない? それに入れたら大丈夫かも」
「どこにあったっけ」
「納戸にあったと思うけど……」
 律は飯塚と一緒に家に入った。

「……なんか夫婦みたい」
 美穂が二人の様子を見てそう呟く。
 城島がトウモロコシを美穂の皿に入れた。
「あの二人? 確かに」
「なんか意外。先輩ってああいうタイプと接点ないって思ってた」
「飯塚みたいなやつ? 高山さんてお嬢様っぽいもんな。確かにそもそも出会わなさそう。飯塚もああいうタイプは苦手って言ってたんだよ」
「へえ~。分からないもんですね。ケミストリーとか言うやつですかね」
「かもねえ。まあ、でも安心してよ。飯塚って誤解されやすいけど良いやつだから。仲間は何があっても守るタイプ。高山さんを傷つけたりしないと思う」
 城島が言い、美穂は頬を緩め頷き、あっと声をあげて家に入る。
「先輩、お土産あったんですよ! 忘れてました!」

 美穂の持ってきたクッキーをデザートにバーベキューは終了。城島と二人でバーベキューセットを片付ける。
 寒い。
 その一言に尽きる、と飯塚はぼんやり考えた。
「じゃあ、これ置いていくけど」
「あい」
「使いたい時使って」
「あい」
「でさあ、なんかお前良い感じになってきたよな。家持って落ち着いてきたのか」
「ですかね。まあ、焦りはなくなりましたね」
「頑張れよ」
「はあ。頑張ります。先輩こそ、美穂ちゃんと話せるの今日だけかもしれないっすよ」
 こ・の・ま・ま・じゃ、と飯塚は茶化して見せた。城島が半眼で睨んできた。

***

 城島と美穂を送り、家に帰るともう夜の8時だ。昼食券夕食のバーベキューのおかげで腹は減らない。
 飯塚と二人でスーパーに寄り、朝食分を買うとゆったり歩き出した。
「楽しかった。たまにはああいうのも良いね」
「バーベキュー? 手間はかかるけどな。やっぱ美味しくなるし」
「そうだね、全然違う。ねえ、譲くんって北国の出身なの?」
「ああ、うん。そうだけど。先輩に聞いた?」
「うん。日焼けして野ざるみたいだったって」
「野ざるかよ。見たことある? ちっさい奴でも見た目おっさんだよ」
「そ、そうなの?」
「そうそう。俺んちもやられたよな~りんご狙って降りてくんだよ」
「りんご?」
「そう。実家で育ててたりんごがさ、収穫間近ってなったら狙われる。美味いのを知ってんだよ、あいつら」
 座って食ってる姿がおっさんなんだよな、と飯塚は屈託のない笑みを見せて話す。
 飯塚の、どこか人を寄せ付けない気配が消えた笑みに、律もつられて笑ってしまった。
「りんご農家だったの?」
「ああ、うん。そう。青森でりんご。ベタだよな。野良猫が半分家猫みたいに寄りついてさ、何世代って続いて出産したり。こっちじゃ考えにくいことだよな。野良が野良らしく生きられるって」
 飯塚は機嫌が良さそうだ。
 ふと手が触れたかと思うと、飯塚の手はそのまま律の荷物を取ってしまった。
 突然軽くなった律が飯塚を見上げれば、彼は何も言わずにそのまま歩いている。
「譲くん。持つから」
「良いって」
 律は視線を下に向け、時々飯塚を見た。
(このままじゃダメになる)
 自分の中で何かがどろどろに溶けて、なくなってしまいそうだ、と律は感じる。
 このまま飯塚の優しさに甘えてしまえば。
 家に着くと冷蔵庫に買ってきた食料を入れてゆく。
 ふと飯塚の視線を感じて振り返れば、そっと髪を撫でられた。
 じんわりと芯が溶けそうな心地よさに息を震わせるも、先ほど感じたことを思い出して首を横にふった。
「今日は嫌?」
 飯塚が意図を察した。
「うん。今日は……」
「分かった。……俺、調子乗りすぎた。ごめん」
 おやすみ、と飯塚が背を向ける。
 律はおやすみ、と返すがその声は小さい。
 彼に聞こえただろうか。

***

 布団の中で律は震える体を抱きしめる。
 寒さのせいではない。
(譲くんは優しい。それが怖い)
 だが彼の温もりを拒むのも虚しく思う。
(でも付き合うとか無理だと言わなかった? 好きになっても恋人にはなれない。それを求めるのは虚しいだけ? でも、体だけ、同居人だけの関係って、それで良いのかな……)
 ぐるぐると答えの出ない問いかけが続く。
 彼もいつか、誰かと本気で恋をするかもしれない。
 自分自身もまた新しい恋をするのかもしれない。 そうなった時、この関係は一体どうなるのだろう。
 不誠実になるのだろうか。
 飯塚への好意は複雑だ。
 単純な恋とは違う気がした。
 傷の舐め合い。
 それがしっくり来るような気がする。
 ため息をつけば、冷たい風が窓を叩く音がやけに大きく聞こえる。
 すっかり防音が出来上がったためか、飯塚の歌声は聞こえてこなくなった。

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