りんごの花 小説

「りんごの花」第5話 再会

 感染対策の一環で車の需要が増え、飯塚は整備士としての役目を充実させていた。
 ライトグレーの作業着は汚れが目立ち、手袋の指先が薄くなっている。
 新しいものを支給してもらわなければ、と考えていると城島が声をかけてきた。
「引っ越し先はどんな感じ?」
「いい感じっす。元々織物工場……古いやつです、だったから、なんか古民家みたいな」
「リフォームは?」
「住居スペースはやってましたよ。工場の方は自分でおいおいやっていこうかなって。一回、来ます? もてなしは……出来ないすけど」
「もてなしは良いって。俺も家買いてぇなあ。良いよな、嫁さんがいてさ、子供が二人くらいいてさ、犬がいてさ……」
 城島の描く家の様子はなかなかアットホームだ。
 飯塚はふーん、と生返事する。
「お前興味ないの?」
「結婚とかですか? ……どうなんすかね」
 ピンと来ない言葉だ。
 嫌ではないが、自分は結婚に向かないのではないか、と思える。
 仕事が好きだし、趣味兼副業も好きである。
 充実した日々を送って、女性関係も人肌恋しい時に寄り添える人がいればそれで良いと思う程度だ。
 もちろんそんな幸運が続くわけもないので、女性や恋愛にこだわる理由が見つからない。
「飯塚ー、ちょっとこっち見てくれー!」
 と、別のグループから呼びかけられ飯塚は走っていった。

***

 副業に出る前にコンビニで買い物をしようと入れば、見つけたのは変わった三つ編みのお団子ヘア。
 律だ。
「お姉たま、今時間ある?」
 そうからかうように言えば、律は耳を赤くして飯塚を見た。
「もう、やめてってば」
「お疲れ。もう仕事終わり? 何買ってんの?」
「お菓子だけど」
 律はカゴを飯塚に見せる。
 チョコレートのお菓子類が3つほど。
 飯塚は意外だ、と思った。
 デパートなどのちゃんとしたものばかり食べているのかと思っていたのだ。
「こういうの好きなんだ」
「うん。譲くんは?」
「時々なら食べるけどな。あ、これ美味いよ」
 飯塚は激辛スナックを手にした。
「魔神級の辛さ……どれくらい辛いの?」
 律は笑みを見せて食いついた。飯塚は彼女に手渡すと「鼻に汗かくくらい」と説明する。
 二人でコンビニを周り、出ると律の持っていたショッピングバッグがなかなかに膨らむほどになっていた。
「俺これから副業だから」
「そうなの。頑張ってね」
「聞きに来ない?」
「お財布が薄くなるのよ」
「そうか……俺もおごるって言えないしな……」
 リサイクルショップとはいえ、家具家電を揃えたのだ。
 流石に厳しい。
 律は顔をあげると笑みを作ってみせた。
「なら、これからの楽しみに取っておくね。先に帰ってるから。じゃあ」
 律が手をふって背中を向ける。
 華奢だが背筋の伸びた、綺麗な背中だ。
 飯塚は秋風に揺れるストールの端を見ていたが、やがて背を向けて歩き出した。

***

 家に着くとリビングには明かりがついている。
 見慣れない光景にまばたきし、鍵を開けてドアを開く。
 綺麗に保たれた玄関。
 薄いグリーンの玄関マットは律が買ったものだ。
「……」
 城島との会話を思い出した飯塚は今更緊張し、そろそろと廊下を歩いてリビングに入った。
 フード付きの白い部屋着、柔らかそうなスカートをはいた、外で見るのとは違う姿の律がテレビを見ながら何かをしている。
「ただいま……」
「あ、お帰り。ご飯どうしたの?」
「まかない」
 テレビで流れているのは手芸のユーチューブのようだ。
 テレビ内でも律自身もフェイクレザーのポーチを作っている。
「細かい作業だな……」
「譲くんて整備士なんでしょ? 器用そうだし、得意だったりして」
「どうかな。針は細すぎて無理かも」
「そうなの? あ、見たいのあったら好きに換えてね。大体仕組みはわかったから、もう大丈夫」
 律はリモコンを飯塚に差し出す。が、飯塚は断った。
「部屋行くから良いよ」
 そう言いつつ冷蔵庫からビールを取り出すと、それを持って腰をおろした。
 そろそろこたつ布団がいるな、と考えながら目をやると律の手が器用にポーチを完成させてゆく。
 色のついていない指先に目が行き、違和感を覚えてその手を取った。
「なに、なに?」
 律が戸惑った声をあげる。
 指先を確認すると手を離した。
「いや……何でも」
 律の顔を見れば、真っ赤にして飯塚を見ていた。
「あー、ごめん。つい」
「ついって……誰にでもこんなことしちゃダメだと思うけど……」
「だよなあ、セクハラって訴えられるかも。なんか整備士のクセなのか、気になる部分があったらとことん見たくなるんだよ」
 飯塚はもう一度謝ると、ビールを飲み干し缶を潰した。
「訴えたくなったら言って」
「もう……」
 律は首を横に振ると口を尖らせて再び針を構えた。
 その色のない爪、指先が荒れているのが気になったのだ。

***

 ――好きなんだけど、付き合わない?
 日に焼けた肌、短い髪、幼さを残す頬。
 2歳年上の彼は、どこか恥ずかしそうに頬をかきながらも律をまっすぐ見つめてそう言った。
 良いな、と思っていたし、交際が始まると佐竹は律を大事にしてくれたし、律も彼をどんどん好きになった。
 穴の空いた靴下、寝癖のついたままの髪、デートで張り切りすぎて空回りしたこと。
 音のない世界にいると、それがどんどん思い出されて目頭が熱くなる。
 学生服に身を包み、青春を謳歌した素晴らしい日々。
 今思い出せば虚しいばかり。
 佐竹とはじめて手を繋いだ時の、その確かな温もりを荒れた指先が思い出す。
 ――俺と別れて欲しい。
 突然の別れ。
 何も問題なかったはずなのに。
 がんがん頭痛がして、体を起こして頭を押さえるとまた柔らかな音色が聞こえてきた。
 もう深夜2時のはずだが、飯塚は起きているようだ。
 誰かが同じ空間にいる、その安心感に目を閉じると、やがて眠りが律を包んでくれた。

***

 飯塚と律は仕事帰りの時間が大体同じなのか、週に何度かスーパーで顔を合わせている。
 互いに別々のカゴ、カートを押してそれぞれのものを買い、それぞれに同じ家に帰る。
 干渉もしないが適度に話をし、2週間が過ぎた、ある日のこと。
 冷え込むため鍋でも、と律は一人カートを押していた。
 佐竹からの連絡は減り、ほっとしたような、虚しいような、よく分からない感覚を持て余し、どこか上の空で生鮮売り場を歩く。
(秀くんは鱈が好きだった)
 そろそろ冬となる。鱈の切り身が置かれていて、律はそんなことを考えた。
「なあ、ぼーっとしてると危なくない?」
 と、耳に馴染んだ声で言われ、律は意識を今に戻す。
 そういえば、あの時もこうやって助けられたか。
「譲くん。今帰り?」
「そっ。今日何作るの?」
「お鍋にしようかと」
「ああ、なるほど。魚入れるんだ?」
「見てただけ。そういえば譲くんて何鍋が好き?」
 律がそう訊くと、飯塚は斜め上を見て唸る。
「……何でも好きかもな」
「それって良いね。好き嫌いあると大変なの」
「律ってあるの?」
「しいて言えばヒラタケくらいかな……」
「じゃあそんなに問題ないじゃん。あ、こないださ、律、冷蔵庫のアレどうした?」
「アレ?」
 飯塚の質問に律は眉を寄せた。
 飯塚はどこか不機嫌そうな表情をして、腕を組んで続ける。
「アレだよ、チーズケーキ! 取っといたのに無くなってたんだよ。楽しみにしてたんだぜ?」
 律はああ、と頷いた。
「あれなら捨てたけど」
「はあ?」
 消費期限が一週間過ぎていたのだ。
 それを話すと飯塚は眉をつり上げる。
「なんで勝手に!」
「だってケーキよ? 生ものなんだから危ないし、大体譲くんは冷蔵庫の半分以上占領してるのよ。取っとくのも良いけど、消費していかなきゃ結局冷蔵庫がゴミ箱になっちゃう」
「うっ……俺の腹は丈夫だから、多少腐ってても大丈夫なの。腐りかけが一番美味いっていうし」
「腐りかけと腐ったものは違います。冷蔵庫が臭くなってるの気づかなかったの?」
 律の反撃に飯塚は喉を詰まらせた。
 ぱっと身を翻し、お菓子コーナーから箱を持ってくるとそれを律のカゴに入れる。
「あー!」
 律はお返しだ、と別のお菓子の箱を飯塚のカゴに押し込んだ。
「何すんだよ」
「こっちの台詞! 子供みたいに」
「律こそもう寝るもう寝るって言いながらずっと映画見てんじゃねえか」
「あれはあの時たまたまでっ」
「たまたまだぁ? こたつだって脚伸ばしてよ」
「それはそっちもでしょ。それにちょっとどいてって言ったのに、ふざけて私の脚に乗せたじゃない」
 などと言い争い、互いのカゴに適当にものを入れていく。
 二人で足を止めて、入れられたものを直しては相手のカゴに入れ……を繰り返していると、痛いほどの視線にその手が止まる。
 律にとっては時間が止まったのでは、と感じるほどの長い一瞬だった。

「律……やっと見つけた」

 どこか疲れた表情を浮かべる、別れを切り出したあの佐竹が、目の前に立っていた。

***

 急遽近くのファミレスに移動し、注文したコーヒーを意味も無くぐるぐるとスプーンでかき回す。
 飯塚も一緒だ。
 彼は隣のテーブルに一人座って、呆れたようななんとも言えない表情を浮かべている。
「ずっと探してたんだよ。どこにいたんだ?」
 佐竹は目の下にクマを浮かべ、律を見つめていたが、律はそれをまともに見る勇気も出ずにじっとぐるぐるまわるコーヒーのふちの泡を見ている。
 口がかわいて仕方ないのに、コーヒーを飲む気になれなかった。
「律。連絡もなかった。無事だったのか?」
「……なん、なんとか」
 やっと小声で言うと、佐竹は息を吐き出して額を抱え込んだ。
「お前の実家にも連絡したんだよ、帰ったのかと思って……ずっとこっちにいたのか?」
 律は頷いた。
 さっきから動悸が治まらない。
 なぜコーヒーを頼んだのだろうか、香りが濃く、普段なら好ましくても今は胸にひりつく。
「どうしてたんだ?」
「その……ホテルとか……」
「食事は? ちょっと痩せたんじゃないか?」
 佐竹は今まで通り、無遠慮に律の手を取った。
 律は反射的に手を引っ込め、テーブルの下に隠す。
「ちゃんと食べてるから……」
「そうか? ……その、なんだ……彼は何者? 新しい……彼氏?」
「違う……」
 律は首を横にふった。
 飯塚は一度だけ振り向き、佐竹の顔を見ると立ち上がって律の隣に移動する。
「ルームシェアしてます。名前は飯塚 譲」
「ああ、ルームシェア……何人かで住んでる?」
「二人ですけど、何か問題でも?」
 飯塚はどことなく強い声を出していた。
 佐竹は飯塚の態度と言葉に頬をひきつらせた。
 律は背中を丸め、飯塚の服を引っ張る。
「ねえ、先に帰ってて。こんな話に巻き込みたくない……」
「良いって。大体、俺も同席するよう言ったの、こいつじゃん」
「こいつって……」
「夜中に同棲中の彼女ふって、追いかけていかなかった奴だろ。こいつで充分」
「譲くん」
 やめて、と律は言外に言ったが、飯塚の怒気が手に伝わってどうにも説得できそうにない。
「君に何がわかるんだ?」
「さあ。何もわかりません。あんただって律が今までどうしてたか分からないんでしょ。教えてあげましょうか? 彼女着の身着のまま夜の街うろついて」
「譲くん!」
 律が声を強めて言うと、飯塚は一瞬彼女を振り向き、佐竹に視線を戻した。
「……」
 そのまま黙り込むと無言のまま佐竹を睨んだ。
 佐竹は律に視線を戻す。
「こんな……知り合いだったのか?」
「ううん」
「知り合いでもないのに、どこの誰とも知らない奴と、なんで一緒に住んでるんだ」
「それは……」
「あんた律をフったんだろ? もう無関係の他人なんだ、なんでそれを説明しなきゃならないんだ?」
「君は黙ってろ」
「はあ? あんたが俺も一緒にって言ったんだろ。なのに黙ってろ? ご都合主義だな」
「何を……律、どうなってるんだ」
「ちょっと待てよ。話してるのは俺だろ? 何かあったら律に説明させるのかよ、男同士で喧嘩も出来ねえなんて、情けねえな」
「律、律って馴れ馴れしいな……何のつもりなんだよ」
 佐竹は顔を赤くすると飯塚をにらみ返した。
 律は目の前の修羅場に、文字通り頭を抱える。
「もうやめようよ……」
 そう掠れたような声で言えば、佐竹が律を向いた。
「大体、お前が電話に出てくれれば……」
「おい人のせいにすんじゃねえよ。誰がフった奴からの連絡なんか見るか。あんたから別れを切り出したんだからもう無関係なんだよ、心配してやってるつもりか知らねえけど、夜の街に放り出した時点で手遅れだって」
「俺だって必死に探したさ! これまでの間、ずっと!」
「探してどうするつもりだったんだよ。他の女といちゃついてるとこ見せながら、家で面倒見てやるとでも? どこのハーレムだよ、ふざけんな」
 二人の言い争いを聞いて、律は頭痛がひどくなった。
 肩を震わせながら耐えていたがいたがもう限界だった。
 吐き気がして慌てて席を立つ。
 トイレに駆け込むと空腹のせいか黄色いものを吐き出し、背中に流れる汗で寒気を感じて座り込んだ。
「お客様? 大丈夫ですか?」
 と、女性店員が様子を見に来て、律はようやく重い頭を持ち上げた。
 差し出されたコップのぬるま湯を口に含む。
 それすらも気持ち悪くなり、背中をさすってもらいながら吐き出すと何度も彼女に謝る。
 涙が出るのは吐いたせいか、自分が情けないせいか、わからなかった。

***

 飯塚はファミレスで体調を崩した律を連れ、バイクを押して歩いて帰る。
 タクシーを拾おうかと言ったが、今は車の匂いを受け付けられない、と言ったからだ。
「先に帰って良いよ」
 と律は言ったが、青白い顔をして店員に連れられて戻ってきた彼女を置いて帰る、というのは気が引けた。
 荷物をバイクに詰め込むと寒々しい夜空を見上げた。
 後ろを見ると律がとぼとぼとついてくる。どこか足取りも頼りない。
 普段はしっかり者の年上の女性にしか見えないが、その姿につい世話を焼きたくなり、マフラーを取ると彼女に手渡した。
「譲くん」
「いいから、頭かぶっとけよ」
 そういってマフラーを彼女の頭にかぶせ、口元までぐるぐる巻きにする。
「……ありがとう」
 そうくぐもった声が聞こえたが、飯塚は背中を向けて再び歩き出した。
 何やら背中がむずむずする。
 嫌な感じではないが、情けなさに似ていた。
 佐竹は律が心配なのだろう、ついてくる、と言ったが律が断った。
 とにかく話し合いは中断となり、なんとも言えないやるせなさだけが残る。
 彼に対して言ったことを撤回する気はないが、律の体調を崩させたというのが堪えた。
「さっきはごめん」
 そう言うと、律はやや間を置いてから「ううん」と返した。
「ううんって……俺が色々言ったせいだろ、吐いたの。文句あったら言えよ」
「……ん」
 と、YesなのかNoなのか分からない返事だった。
 家に着くと電気をつける。
 冷え込んだ部屋の空気が足下をすり抜けていく。
 飯塚はため息をつくと暖房をつけた。
「譲くん……」
 か細い声に振り向くと、律が顔を下に向けたまま続けた。
「さっき……巻き込んでごめんね」
「いや……帰ろうと思えば帰れたんだから、俺が勝手に巻き込まれたの。謝らなくていいから」
 そう言うと、律は顔を持ち上げ、飯塚をじっと見つめた。
 目が潤んで見えるのは体調不良のせいか、と飯塚は心配になり見つめ返す。
 律は首を横にふると口を開いた。
「私、自分で何も言えなくて……情けないよね。あげく吐いちゃうし」
「緊張したんじゃないの? 修羅場って何回遭遇しても嫌なもんだし」
「慣れてるんだ?」
「いや、まあ、バーにいるし、合コンも行くし、確率は、あるってだけで」
 そうつっかえつつ話せば、律は表情を緩めて口元に笑みを浮かべた。
「そうね……その分、強いんだね」
「強い? 俺が?」
「誰のせいにもしないもの」
 律は疲れた様子でマフラーと自身のストールを脱いだ。
 強い。
 そう言われても違和感がある。
 律がマフラーを畳んで返した。
 それを受け取りながら彼女の荒れた指先を見ていた。
 律はもう寝るね、と言って部屋に向かっていく。
 その背中を見送りながら、誰に対してでもなくぽつりと呟く。
「俺は……別に強くない」

 

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