りんごの花 小説

「りんごの花」第4話 新しい日々

 休日を利用して不動産を回る。
 律は駅から遠くても良いから、なんとか仕事場へ通うにも良さそうな部屋を見つけた。
 家賃は多少かかるが、これ以上条件の良いものを探しても仕方ないだろう、ここで決めたい、と担当と話を進める。
 平日になると格安ホテルから仕事場への日々。そろそろ体が辛くなってきた。
 毎日違う環境での寝泊まりだ、知らず知らずのうちに緊張が溜まっていたのだろう。
 従業員控え室で髪を整えていると、美穂が声をかけてくる。
「おはようございます、先輩。昨日はどうしてたんですか?」
「ああ、美穂。おはよう。昨日は漫画喫茶にしたの。泊まりは女性専用なお店だった」
「へえー。どんなでしたか?」
「うん、綺麗だった。雑誌もいっぱいあって、ハーブティーも飲めるの。今度行ってみる?」
「あ、行ってみようかな。コンビニで気になるやつあって……」
 律が髪を結ぶのに苦戦していると、美穂がやりましょうか、と櫛を手に取った。
「ちょっと変わった髪型試しません?」
「変わった?」
「くるりんぱでお団子」
「くるりんぱ……」
 律は眉を寄せる。はじめて聞く単語だ。
「分からないから、お任せする」
「はーい」
 美穂が器用に髪を結びはじめた。編み込みをしたりするなら時間がかかるだろうと思っていたが、あっという間に三つ、四つ、と編んだような髪になっていく。
 鏡を見ながら律は目を丸くした。
「すぐに出来るのね」
「そうですよ。髪の毛ひっくり返すみたいにするだけです。すぐ出来ますよ」
 美穂にくるりんぱのやり方を教わり、律は顔を綻ばせる。
「これなら時短になりそう」
「朝って色々準備かかりますもんね。ていうか、先輩ほんと無頓着。髪が綺麗だからいいけど」
「うーん……やっぱりそう?」
 律は新しい髪型に満足し、振り返って美穂からベルベット生地のヘアアクセを受け取る。お団子部分に差し込み完成させた。
「そうですよ。もったいないですよ、もっと楽しまなきゃ。女の子でいられるのは限りがあるじゃないですか?」
「……そうよね」
 かさかさの指先、伸びたままの髪。
 脳裏によぎる「彼女」のお見合い写真。
 ちくりと針が胸に刺さったように痛んだ。

***

 律はその日もその漫画喫茶に行った。
 女性誌を何冊かテーブルに置き、一冊一冊を読み込む。
 スキンケア方法、最新のメイクアップ術、ヘアスタイル。ファッションも季節ごとの新作が色鮮やかに一面を飾り、モデル達が美しく着こなしている。
 夕方も6時半を回った頃、スマホが振動する。
 相手は飯塚だった。
【今日の生存確認】
 というタイトルに頬が緩む。開くとシンプルなメッセージが目に入ってきた。
【こっち仕事が終わった。今日はどうする?】
 律はメッセージを見つめながら考え、返事を打つ。
【今日は漫画喫茶に泊まることにしました】
【俺今日は副業なし。寝床は良いとこがあるから大丈夫。晩ご飯一緒しよう】
 と、あっさりと誘われている。
 律は腕を組んで、背中を椅子に預けるとうーん、と唸った。
(飯塚さんと名前のある仲じゃないけど……このままずるずる続けていいもの?)
 友人ではない。
 名前と顔、仕事を知っているだけ。
 知り合ったキッカケも複雑だ。
 飯塚は律を無理に誘ったりはしない。
 ナンパとも違う。
 同類相哀れむというやつなのか、一緒にいて気楽でいられる部分もある。
 律は色々考え、ふう、と息を吐くと断りのメッセージを入れた。

***

【今日は大丈夫。連絡ありがとう】
 律から届いたメッセージを見つめ、飯塚は息を吐くと夜空を見た。
 故郷では見える星座も、ここでは見えない。
 さあ、と風が吹いて髪をくすぐる。
「あー今日はフラれた、寒っ」
 そう言ってスマホを直すと、向かうのは太田の店だった。
 勝手口から入り、料理を運んで片付けをする。
 最後の皿洗いを終えると太田が話しがある、と飯塚をいつものカウンター席に座らせた。
「何」
「これ」
 太田が差し出したのは封筒だ。
 開いて見ると建物の写真が出てきて、飯塚はそれを見ながら首を傾げた。
 昔の酒蔵のような、織物工場のような雰囲気だ。
 小さな飲食店でも開けそうな広さで、写真を何枚か見ると人が住めるよう台所もリビングもある。
「何これ?」
 と飯塚は目を見開いた。
 太田は移転するつもりなのか、と思い「どこなの、ここ」と訊く。
「××駅から徒歩20分。大きめのショッピング……モールがあるだろ、あの近く」
「へえ、良いじゃん。ここで店すんの? あ、2号店?」
「何言ってんだ、お前の家にどうかって話だ」
「は? 俺の家?」
 飯塚はこれ以上なく目を丸くさせるともう一度写真を見る。
 フローリングの床、木目の美しい壁。リフォームしたのはここ数十年以内という感じだ。
 広々とした工場跡らしき部分も、手を加えれば住めそうである。
 だが広すぎやしないか。
「いや、ありがたいけどさ……」
 条件も悪くない。徒歩で20分なら自転車なりを使えば良い。
「何とかなるって。最悪マンスリーのやつとか借りれば良いし、色々見て回ってるから」
「気に入らなかったか?」
「いや、良いと思うよ。色々工夫出来そうだし……でも、何、これどこで見つけたんだよ」
「知り合いの知り合いが田舎に引っ込むんだと。それで住居代わりに使ってたこの織物工場を手放すことにしたそうだ。引き取り手を探してたみたいで、タイミングが良かったし一度話を持ち帰らせてもらうことにしたんだ」
 飯塚はへえ、と頷きながら写真を再び見つめる。
 防音対策をし、工場跡で音楽の作業。
 住居スペースはすでにあるのだからそのままで問題ないだろう。
 あれこれとイメージが広がるものの、先立つものがないのだ、家を買うなどとんでもない。
 やはり、と飯塚は断ろうとした。が――
「月々6万でどうだって話だ」
「乗った」

***

 家を即決した飯塚は、週末に早速城島に車を借りてその物件を見に行った。
 工場部分の天井は高く、古いはた織機の一部が残ったままのため、かなり広いのが分かる。体育館の半分ほどだろうか。
 住居スペースはやや時代遅れを感じるものの、4人家族で暮らしていたらしくそれに見合う部屋数とリビングの広さだ。
 台所はかろうじてアイランドキッチン。
 水回りもトイレとお風呂場はリフォーム済みで、冷気を感じない作りだった。
 家具は持っていく予定だということで、自分で新調する必要があるものの、飯塚の財布にはそれなりのお金がある。
「なんでこんなに安いんですか?」
「なんでって……まあ、色々ね」
 家を手放す予定の家主が言葉を濁らせた。
「えーと、訳あり物件?」
「いや、そうじゃないよ。僕んちの誰も幻聴とか事故とかないし。ま、そのうち太田さんに訊いて」
「……?」
「で、どうなの? 本決まり?」
「俺としては今日からでもいいですね。いやー、ありがたいです。冬前には家見つけたかったし、ここ広いし雰囲気も良い」
 インフラは最低限整っているし、マンションやアパートではなく一軒家。
 中古の更に中古だが、家持ちになれるのは魅力的だ。
「本決まりです」
「良かった。家って住む人いないとダメになるしね、嬉しいよ、若い人が使ってくれるの」
「工場、リフォームしても良いですか?」
「良いよ、もちろん」

***

 飯塚は契約を終えると太田の店に向かう。
 人数制限のかかった店内はいつもに増して静かだ。
「おう。どうだった?」
「すげえ気に入った。話持ってきてくれてサンキュー。今日はタダで働くから」
「寝る場所は?」
「ホテル。今日は副業の日だから」
 太田は頷いた。盛り付けの済んだ料理をテーブルに運び、一時間経つと外でメッセージを送る。
【今日の生存確認。今日は泊まるとこあるの? 俺は副業。前のバーにいる】

***

 カプセルホテルの受付で、律は本日何度目かのため息をついた。
(人生思うようには行かないって言うけど……)
 フラれて、家をなくして、家を見つけたと思ったら別の家族がそこを借りたのだ。
 ウィルスの影響で共働きの奥さんの方が仕事を失い、収入が減ったためマンションより安い物件を探していたのだという。
 幼い子供が二人。
 冬が近づく中で家がないのは辛い。
 律は不動産屋から連絡をもらった時、額を抱えると「そちらに譲ります」と言った。
 それが正しいと思いながら、自分自身の意気地のない態度にも呆れた。
(その代わり別の部屋を早く紹介してって言えれば良かったのかな……)
 その勇気が出ないのだ。
 あと一歩踏み出す勇気が。
 スマホが鞄の中で震え、メッセージが来たと知ると律は体を緊張させる。
 見れば佐竹からのものだ。タイトルの文字がぶれて見える。
(老眼ってこんな感じ?)
 などと思いながらスクロールさせる。
 家を飛び出し1ヶ月以上経つ。メッセージの量は増える一方だ。
 佐竹に悪いと思いつつも、見ようと思えるほどの気力が出ないのだ。
 ぼやけて見えるスマホの画面が一瞬明るくなりメッセージの新着を知らせる。
【今日の生存確認。】
 飯塚だ。
 すっかり見慣れたその文字に、じんわりと胸が温かくなる感じがした。
「今日は泊まるとこあるの。でも……でも?」
 なんとなく会いたい。
「……」

***

 リクエストをくれた男性客が酒をおごりたい、と言うので飯塚はカウンターに座った。
 ソーシャルディスタンスのため、彼は奥のテーブルを離れないままカクテルグラスを持ち上げた。
 手元に運ばれる同じものを飯塚も持ち上げ、頭を下げると口に含む。
 爽やかな風味とまったりした甘い風味が舌に広がった。
 飯塚にマスターがグラスを磨きながら声をかける。
「お疲れ様」
「お疲れです。やっぱお客さん少ないですね」
「日本人のまじめさが出てるんじゃない?」
 マスターはかなりのんびりとしている。飯塚はそんなもんかな、と首を捻った。
「ところで譲のお客が来てるんだけど」
「俺の客?」
 マスターがちらりと目線をやった。
 テーブル席で一人、ブランケットを膝に置いたブラウンのワンピースの女性の姿。
 髪をおろしているせいかすぐには分からなかったが、目が合った瞬間に「あっ」と気づいた。
 律だ。
 飯塚は頬を持ち上げて笑うと彼女の席へ移動する。
「こんばんは」
 律が肩をすくめて挨拶した。長い髪がさらさらと胸元に流れる。
 膝丈のスカートから見える脚が照明に照らされて、白く光るようだった。
「こんばんは。今日も会えないかと思ってたけど」
「お酒が飲みたくなったの」
「俺に会いたい、じゃなくて?」
 律は頬をわずかに赤く染めると首を横にふる。
 どうやら嘘がつけないようだ。
「まあいいや。お姉さんをからかうと後が怖いもんな」
「からかってたんだ」
「そのつもりだったけど、高山さんは天然ぽいからからかっても効かないかもな」
「私って天然? 初めて言われた」
「初めて? やば、俺初めての男になっちゃった」
 律は目を丸くする。
 意味が伝わらなかったのだろうか。
 飯塚はあまり調子に乗ると律を混乱させるだけだと気づき、咳払いをすると彼女とやや距離を取って座る。
「もう副業は終わったの?」
「一応ね。後片付けしたらそれで終了」
「寝るところは?」
「その心配? 今日はビジネスホテル。そっちは?」
「カプセルホテル。最近空きが多いの。お客さんが減ったんだって」
「状況が状況だからか。良いのか悪いのか複雑だな」
「私は仕事があるから、結局良かったのね。仕事をなくした人もいて……」
 そこまで言うと律は表情を曇らせた。
「ねえ、部屋を見つけたの」
 と、律は言う。
 良い報告ではないか、と飯塚は眉を持ち上げたが、律の表情は暗いままだ。
「でも仕事をなくした奥さんのいる家庭がそこに決めたいって。お金もすぐに払えるから、不動産屋さんもやっぱり魅力的なお客だったのかな。私に譲って良いかって……」
「家庭? 子供がいるとか?」
「そう。二人姉弟ですって。まだ小学生にもなってないって……」
「で、譲ったんだ」
 律は頷く。両手を組むとそこに目をやった。
「ごめんね、こんな話がしたかったわけじゃないけど……」
「良いよ。お互い似た状況だったし。こんな話誰にでも出来ないもんだよな。俺の方は何とかなりそう……」
 飯塚はそこまで言うと、思いついたように目線をあげた。
「そうか、一緒に住めばいいじゃん」
「え?」
「俺と、あんたと、二人で。同じ穴の狢ってやつなんだし、この際ほんとに同じ穴に住みゃあいい」
 飯塚は良い考えだ、と一人納得する。
 しかし律はぽかんとした表情のまま、飯塚を見つめていた。
 単なる顔見知りなのだ。確かに特殊な状況にあるという共通点はあるが、友人でも仕事仲間でも先輩後輩でもない。
 飯塚もそれは分かっているが、彼女を招くことに何の違和感もなかった。
 まるで昔からの知り合いのように感じるのだ。
 飯塚にとってはそれで充分だった。
「でも……」
 律は戸惑いを隠さず、口元に手をやると眉をひそめた。
「どうして」
「なんかほっとけないし、高山さんのこと」
「同類相哀れむってやつでしょ? 良いのよ、不動産はまだあるし……それに、もう少し疑った方が……私が泥棒か何かだったらどうするの?」
「それならラブホでとっくにやってる。あのさ、まず話すよ。知り合いの知り合いの知り合いが家手放すんだって。それで、知り合いが知り合い通じてそれ知って……」
「知り合いの知り合いの……」
「知り合いの家。で、俺にどうかって話が来たわけだ。月々6万で分譲。すっげえ好条件。で、元織物工場らしくて、広いんだよこれが。だから二人だろうが三人だろうが余裕しかない。高山さんさえ良けりゃ鍵付きの部屋に住めば良い。広いからプライベートは確保出来るし」
 律は顎に手をやり、考えるようにしている。
 先ほどの戸惑いとは違う表情だ。飯塚は写真を彼女に見せ、続けた。
「そこにいったん住んでさ、嫌なら新しい部屋なり家なり探せば良いよ。6万だから半々にすれば3万。すっげえ格安。リフォームと家具の新調は必須だけど、このままホテル泊まり歩くより安くつくはずだし、冬になるときちいよ? 冬のホームレスは未経験だけど、多分」
「……」
 律は写真を見つめ、見つめ、見つめ――
「乗った」
 と言った。

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