りんごの花 小説

「りんごの花」第2話 巡りあい

 佐竹の見合い当日となった。
 鏡の前で何度も確認する佐竹を見つめ、律は複雑な気分になる。
「夕食は食べてくるけどさ、なんならケーキとか買ってくるよ。何がいい?」
「いいの? じゃあ……どうしよう、チーズスフレが良いかな。秀君の好きなお店でいいから」
「了解。ま、ぱっぱと終わらせて帰ってくるよ」
「うん」
 佐竹は髪をきっちりとまとめ、人好きのする笑みを浮かべると律の腰に手を回した。
 耳の後ろの生え際に軽く音をたててキスをされる。
 律はくすぐったい、と笑った。
「行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
 佐竹を見送って手をふる。
 空はどこまでも青く、風もないような穏やかな日。
 土曜日だからか家族連れが目に入る。
 楽しそうだ、どこか遊びに行くのかもしれなかった。

***

 仕事のために展示品の資料を見ていた律だが、気が気でない。
 時計を見れば夜の10時を過ぎている。
 接待とはいえ、少し遅いのではないか。
 何かあったのだろうか、と思うも、連絡を入れるのが嫌味なようでなかなか出来ない。
「どうしたのかな……」
 そう呟き、帰ってこない不安感から着替えすら出来ないでいる。
 それから30分経った時、ようやくドア鍵を取り出す音が聞こえた。
 慌てて玄関まで行き、ドアを開ける。
 鞄に手を突っ込んでいた佐竹と目が合った。
 その目元は赤い。
「お帰りなさい……どうしたの? こんな時間まで……」
「いやその……なんていうか……」
 佐竹は律の目から逃れるように髪をかきあげ、首を横にふると部屋に入った。
「遅かったから、心配したの。大丈夫だった?」
「あ? うん。大丈夫だよ……」
 佐竹の手には鞄のみ。約束していたケーキらしくものはなかった。
 それを心待ちにしていたわけではないが、律は眉をよせてしまう。
 佐竹が約束を破ったことはないのだ。
「秀君。また酔ってる?」
「え? あ、そうかも。ちょっと接待で飲まされたっていうか」
「お白湯入れるね。座って待ってて」
 キッチンでヤカンに火をかけると、佐竹が椅子をひく音が聞こえる。
 振り返るとネクタイを緩め、どこか困ったような表情を浮かべる佐竹が見えた。
 どうしたというのか。
 湯飲みに白湯を注ぎ、佐竹の前に出す。
 佐竹は礼を言いながらそれを受け取り、律を見たかと思えば目をそらす。
 明らかにおかしい。
「秀君……どうしたの?」
「どうって……何も」
「嘘。困ったことでもあったの?」
「いや! 何も……あ、風呂沸いてる?」
「酔ったまま入ると危ないでしょ」
「そうだけど……」
 佐竹は息苦しいのか咳払いし、ネクタイを抜き取るとシャツのボタンを外してゆく。
 結局佐竹は風呂に入った。
 律はパジャマに着替え、歯磨きし、寝る準備を整える。
 やがて風呂からあがった佐竹が、体温をあげたまま律を抱きしめた。
「……どうしたの?」
 突然のことで律は戸惑ったが、佐竹があまりに強く抱きしめるので何も言えなくなった。
 このごろスキンシップは減っており、律は体を緊張させた。どきどきと心臓がうるさいくらいに鳴ったが、しかし佐竹はその先にはすすめず、二人でベッドに入ってもただ抱きしめられるだけだった。

***

 翌日も佐竹の様子が違っていた。
 何か失態を演じたのだろうか。相手に気に入られないようにすればいい、と言っていたが。
律を見つめようとせず、かと思えばふとした瞬間にじっと見つめてくる。
 愛情のこもったそれと感じない。
 律は居心地の悪さを感じたが嫌だとも良いとも言えず、買い物に行くと言うとマンションを出た。
 そんな日々が四日続いた。

 佐竹が話がある、とリビングに律を呼び、テーブルを挟んで向き合って座った。
 佐竹は真剣そのものの表情で、律は思わず姿勢を伸ばして息を潜めた。
 喉が苦しい。
 どうも良い雰囲気ではなく、不安が強まる。
「あのさ……」
 佐竹が言いづらそうに口を開いた。
 律は視線をあげ、佐竹の顔をしっかりと見る。
 佐竹は息を整えるようにすると、律をまっすぐに見た。
「こないだの見合いでさ……俺、相手に気に入られないようにするって言った、よな」
「うん。だから大丈夫って……」
「俺もそう思ってた。上もちゃんと言いつくろうからって……でも大丈夫、じゃなかった……」
「……どういうこと?」
 律は眉をひそめる。
 やはり仕事に支障が出たのだろうか。
 だが佐竹の次の言葉は律の予想を裏切る。
「俺が、ダメだった。相手の人……を、忘れられない。写真じゃなくて、本人に逢った瞬間にさ、なんていうか……軽いショック受けたっていうか……」
「……」
「つまり、その、いいなって思って。でも俺、律がいるし。そりゃ、断るつもりだったんだよ。でも話すとすげえ良い感じっていうか……ああ、可愛いなーって……」
 佐竹の言葉がどこかへ通り抜けていくようだった。
 律は息をするのすら忘れたようになり、ただ佐竹を無表情に見つめる。
「ごめん。律がいるのに、律のことが好きなのに、忘れよう忘れよう、ただの仕事相手だって思おうとしたんだけど、ダメだった……俺こんな調子で律とまともに向き合えそうにない。混乱してて……」
 佐竹は眉をきつく寄せ、ため息のように強く息を吐き出した。
 ごめん、という佐竹の言葉がやけに重く鼓膜に響く。

「一度、俺と別れて欲しい」

***

 飯塚は城島に呼ばれ、この間の合コンの礼だと夕食をおごってもらっていた。
 いつもの安いファミレスではなく、個人経営のスペイン・バルだ。照明がやや暗く、しゃれた花かざり。どうも男二人で来るには不向きだが。
 アヒージョのオリーブオイルがぐつぐつと音をたててマッシュルームを踊らせている。
「やべぇ。すっげぇ美味そう」
「ほんとマジ感謝。彼女と次のデートも決まってさ」
「何回目のデートすか?」
「3回目。向こう、平日の昼間に逢いたいって言ってくるから、割と頻繁に逢えるんだよな」
「へー。珍しいですね、平日? ああ、在宅系の仕事なのかな」
「そうだって言ってた。だからまあ、ちょっと誘いにくいっちゃ誘いにくいけど」
「ああ、ベッドっすか? そりゃこっちの都合なら平日はきついっすね」
「だろ?」
 ガーリックトーストをアヒージョにつけ、口に頬張る。
 ニンニクの風味とバターの甘み、熱いジューシーなオリーブオイルが最高に合う。
「いい店。先輩、よく知ってましたね」
「知るわけねえだろ」
 という城島の一言に、飯塚は眉を開いて笑った。
「ああ、デートの下見……」
「言うな、言うな。可愛い後輩におごるために、選んでやったんだよ」
 どうやら本気らしい城島の態度に、飯塚は頬をにやにやさせた。
「またまた~。だからこんな薄暗い店に……」
「言うなって」
 城島と言い合っていると、店の外が騒がしくなった。
 視線をやれば、40代ほどの男性が顔を赤くして何か言っている。その表情は眉も目もつり上がり、ただの酔っ払いではなく怒っているようなのが見て取れた。
「なんだ?」
 店員が止めようとしたが彼は店のドアを無造作に開け、店内を見渡したかと思うと飯塚と城島のテーブルにつかつかと近寄ってきた。
「お客様?」
「客じゃない。おい、君らのどっちだ?」
「は?」
「聞いてるんだ!」
 耳をつんざくような声で叫ばれ、飯塚は思わず身を引いた。
 彼が一瞬後ろを振り向き、そちらに視線をやれば清楚な美人。
 城島のデート相手ではないか。
「えっ、なんで……」
 城島が気づいてそう言い、ぎらっと睨みつけられる。
「君か? おい、こいつが相手か?」
「ちが……ねえ、違うの」
 彼女が店に入り、何か言おうとするが、手をふってごまかすばかりだ。
 その左手には光る指輪。
 きちんと薬指にはめられている。
 飯塚は納得したように「ああ」と声をもらした。
(マジかよ、浮気? 不倫? 先輩遊ばれたってわけか)
「ね、違うの。何かの誤解だってば」
「誤解なわけないだろ、君が合コンに行ったって話を聞いたぞ。整備工が相手だって。こいつらなんだろ? おい、しらばっくれるな」
「いや、俺は……」
 城島も突然のことで言葉をなくしているが、彼と彼女がおそろいの指輪をつけているのに気づき、青ざめた。
「ちが、違うんです。その、決してその」
 浮気のつもりじゃない、城島はそう言おうとしたのだろう。だがそれを聞いた彼は飯塚をぎっと睨んだ。
「じゃあ君か? 若いクセに人のものに手を出そうなんて、いい度胸してるな」
「は……いや、その……」
 城島は混乱の中必死に言葉を探し、彼女は彼女で手を組んではらはらとするばかりだ。
 飯塚はやけに冷静になった頭で彼らを見、すとんと腹が決まった。
「はい。そうですね。合コンで会って、美人だし、ちょっとデートしてみたかったんです。でもセックスはしてないですよ。こっちも疲れが残るとまずいんで」
「おい、飯塚……」
「まあ、お互い暇つぶしっていうか? 話し相手が欲しかっただけなんで。大体年上のお手つきなんて嫌っすよ。どうせなら若い子の方がいい……」
 最後まで言わないうちに、頬に強烈な痛みが走った。

***

「くっそ、本気で殴ってきた……」
 街灯の明るい公園で、城島が買ってきた氷を頬に当てる。
 殴られた痕は見事に腫れあがり、頭まで響いている。
 視点が合わないのがしばらく続いたが、あれから1時間、なんとかまともに見えるようになっていた。
「お前、なんであんなこと……」
 城島がため息半分にそう言って、自身の頭をがしがしと掻くようにして抱える。
「全く、バカかよ。俺の代わりに殴られることないって」
「いいじゃないっすか。寝床と風呂代だと思っといて下さい。しかし余計なこと言ったかな」
 彼女に対してまで言及したのだ、浮気の非があるとはいえ飯塚自身は彼女となんの関係もない。
「知らねえ、あんなクソ女。会うときは指輪なんてしてなかった。結婚してるならハナから誘ったりしない」
「最悪っすね。計算尽くか……見た目じゃ判断出来ないもんなんすね」
「だな。よーく分かった」
 城島はもう一度大きくため息をつき、飯塚の肩を叩いた。
「サンキューな。詫びになるかわかんねえけど、なんか飲むもんでも買ってくる」
 城島が立ち上がった。飯塚は遠慮するのも失礼だろう、と素直に言う。
「じゃあウィスキーで」
「わかった、わかった」
 城島が歩いて行った。
 飯塚は痛て、と言いながら氷を当て直す。
 歯が折れたわけではないのが幸いだが、口の中は血の味がする。
 何度目か分からないが、水道の蛇口を捻って口に含み、ぶっと吹き出す。
 痴情のもつれに巻き込まれるほど厄介なことはない。どっと疲れた気分だった。
 公園をぐるりと見渡すと、ぽつんぽつんと光の強い街灯があるばかり。
 人の姿は見えないが、靴音がして城島かと振り返る。
 そこにいたのは一人の女性だ。
 長い髪を後ろに流し、青白い肌にどこか焦点の定まらない目。
 秋も深まりつつある夜だ、それなりに冷え込むが、アウターを着ていない。靴も踵を踏んだ状態で、手荷物はなし。
 急用で飛び出した、という感じだ。
「危ねえなー、女性一人じゃ」
 と、他人事のように思い呟く。
 なんとなく彼女を見ていると、ふらふらと足下がおぼつかない。
 こけてしまうんじゃないか、と思った瞬間、やはりこけた。
「ああ、全く」
 飯塚は放っておけない気分になった自分に呆れ、駆け寄った。
 彼女はそのまま動かない。
 近くにしゃがみこみ、手を出す。
「大丈夫ですか?」
 女性は弾かれたように顔をあげた。
 凜々しい猫のような目尻、黒い目。
 青白い肌をしているが、顔立ちは整っている。
(お。美人)
 と、思ったが人間顔で判断は出来ない、と学んだところだ。
「だ、大丈夫です」
 彼女はそう答え、飯塚の手を借りずに自分で立ち上がる。
 スカートを手ではたいて、その場を立ち去る。
 飯塚はそれを見送り、思いついたようにその頼りない背中に声をかけた。
「そっち暗いから、やめた方がいいですよ。右の方からだったら交番もあるしまだ安全でーす」
 彼女は一度振り返り、飯塚の言った方を指さす。
「こっち?」
「そっち」
「……ありがとうございます」
「いいえ。なんなら送る……いやナンパじゃないですよ。ナンパしてもいいならするけど」
 飯塚が冗談めかして言うと、彼女はぽかんとした表情を浮かべ、ごまかすように髪を耳にかけると首を横にふった。
「じゃあ」
「はーい。気をつけて」
 そう言って彼女を見送った時、城島が戻ってきた。
 コンビニの袋は何本買ったのか瓶のぶつかる音がしていた。

***

 公園で休憩しようと思った律だが、そこにいた青年に声をかけられやめた。
 見た目はワイルドだが、親切なのか彼は律に安全だと道を教えて冗談を言った。
 頬が赤く腫れていたのが気になったが、悪い人には見えなかった。
 人と言葉を交わしたためか、意識が現実に戻っている。
 公園で休憩して、一体どうするというのか。
 律はようやく自分の状況を把握し、仕事場へ向かう事にした。

***

 それから数日後。
 律は佐竹が仕事に出ている間に部屋から最低限の荷物だけ持って出た。
 佐竹からは何度もメッセージ、電話がかかってきたが一切出ていない。
 とても話せる気分じゃない。
 仕事場で手帳を開いてため息をつく。
 新しい部屋を借りて、なんとか生活しなければ、とホテルを利用しながら不動産をまわったが、手帳にはその分×印でいっぱいだ。
 条件の良い部屋は見つからず、この日も結局ホテルだ。
 カプセルホテルが空いていれば良かったが、ちょうど満室であったためまだ予約が取れない。
(どうしよう)
「先輩、最近同じヘアアクセですね」
 美穂がそう言って、律ははっとする。
「気づいてた?」
「はい。化粧も最近濃くなってます」
「ばれてるの?」
「一応、美術館勤務ですから。見るものは見てます」
 美穂の無邪気な笑顔に律は項垂れた。
「実はね……」
 律が説明すると、美穂が眉をつりあげた。
「何それ! サイテー! 信じられない!」
 控え室に美穂の怒号が響く。
 律は慌てて彼女の口を押さえた。
 従業員は自粛のため少ないとはいえ、何人かいるのだ。当然視線が集まる。
「静かに……!」
「ごめんなさい。でも、それ信じられないです。話を聞く限りなんの問題もなさそうだったのに」
「そうよね。私もそうだと思ってた……けど……どうだったのかな。向こうは一目惚れってやつみたい……」
 話すといよいよ真実みが出てくる。律は自分の言葉に改めて落ち込み、口を噤んだ。
「何がいけなかったのかな……」
「先輩のせいじゃないじゃないですか。つまり浮気みたいなものでしょー? 報告してくるあたりどうなのかって感じですけど……」
「浮気……」
 それはそれで落ち込む。確かに報告してきたのだ。
 これは佐竹の精一杯の誠実なのか、あるいは律を恋人ではなく、家族か秘書か何かだと感じているという証なのか。
「どうしたらいいか、わからなくなっちゃった……」
 項垂れる律に美穂が心配そうに声をかける。
「先輩……。え、でも同棲中ですよね。一緒にいるんですか?」
「まさか……顔を見るのも怖いもの」
「よ、夜どうしてるんですか? 先輩実家地方でしょ?」
「今はカプセルホテルとかね」
「あたしのとこ来て下さいよ」
「ダメダメ、迷惑になる。それにホテルってけっこう面白いのね、色々見るのもいい社会見学かも。家賃は向こうが払ってたし、その分だと思えば大したことないのよ」
「先輩~。でもほんとに困ったら頼って下さいよ?」
 美穂が律をのぞき込む。
 彼女の方が泣きそうな顔をして、律を心配してくれているのがよく分かった。
 律はそれに勇気づけられる思いだった。
 なんとか笑みを浮かべ、頷く。
「ありがとう」

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