愛される人になりなさい。だけど、愛されたいと求めてはいけない。求めると遠ざかり、求めるのをやめた時にそれは近づいてくる。
©VOICEVOX:四国めたん
この言葉は一見矛盾しているように感じられるかもしれませんが、異なる指針を持っています。
愛される人になりなさい。
「自分自身を成長させ、他者に対して良い影響を与えられるように努めましょう」という指針です。
他者と良い人間関係を築くためには、自分が成長することが必要です。
愛される人とはやはり、礼儀があり、思いやりがあり、とパッとイメージ出来る美徳のある人のことです。
愛される人とは、同時に愛を与える人でもあります。
愛されたいと求めてはいけない。
これは、他者からの評価や愛を追い求めることが目的になりすぎないようにとの警告です。
他者の期待や評価に左右されず、自分自身の価値を理解し、自分の目標に向かって進むことが重要だからです。
それともう一つあるのが、自分では何もしないのに求めてばかりになると、依存か自己中心的になってしまいます。
自分自身を犠牲にしてしまうか、他者を犠牲にしてしまうか。
その危険性があるため、「愛されたいと求めない」姿勢も一つ重要な要素になるということです。
もう一つ大切なのは精神的な自立です。
他者を必要以上に求めて、自分を見失うのも危険です。
こういう人はかなり多く、精神的な自立や自己確立(出来たとして、それに固執もしない方が良い)が出来ていない人ほど堕落しやすいものです。
ただ、愛されようと決意して自己を成長させること自体は素晴らしいことです。
モテたいという一心で社会的コミュニケーション術を身につけることも悪い事ではありません。
欲求のベクトルがずれてしまうとちょっと大変なことになってしまうということです。
重要なのは自分を大切にし、相手のことも大切にするということ。
女性はよく花に例えられますが、花が美しく咲くから虫がやってきて蜜を吸うわけですよね。
だから、美しい花になれば良い。
美しく咲いて、極上の蜜を与えることです。(女性の愛情は主に受容。受容の愛を与えるという感じ)
それにより花自身は受粉を手伝ってもらえます。
(Sexの話ではないです。蜜と受粉は愛の意味です)
これは顔立ちがどうの~というものではありません。人によって好みの顔は千差万別ですから。
どうすれば美しい花が咲く?
自分で自分を大切にしてあげることです。
どうせ私なんか、という言葉は自分自身を深い部分で傷つけます。
無理に自分を高めるようなことはしなくて良いのですが、少なくとも卑下するような言葉を自分で自分に投げかけないことです。
「毎日ちゃんとやれてる」「今日も私、やったぜ」ということで充分及第点なんですよね。
それを自分で認めてあげられれば、やる気や満足感が出てくるものです。
自分のことを大切に出来れば、自分で自分を堕落させることはなくなります。
相手を蹴落とそうということも考えなくなります。
自分のことを大切にするというのはナルシシズムと違う、健全なことです。
人事を尽くして天命を待つ。愛される人になるためにベストを尽くすことはかなり大事です。
初めから何も求めないのもちょっと違うんです。求めて、努力して、結果自分の中でも何かは変わる。
求めるばかりで何も自助努力をしない、他人に礼儀、思いやり、関心をもたないのが大きな問題です。
それでは、ありがとうございました。