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小説 続・うそとまことと

第17話 取り戻して

「友達としてでも良いから、あたしとの関係を断ち切らないで欲しい」
 教会でラファエルに会ったミクは、そう告げた。
 ラファエルは面食らった様子だったが、やがて眉を寄せて話し始める。
「だけど、君は日本へ帰ってしまう。距離が離れると関係は自然と冷えてゆくものだよ」
「かもしれないし、そうでもないかもしれない。もしそうならそれで構わない。ラファエルにとってもっと大切な人が出来たら、ちゃんと言って欲しい。潔く諦めるから。だけど何もしてないうちから簡単に思い出にしないで」
「簡単にっていうけど……僕だって君のことは好きだよ。だけど、だからこそこれ以上踏み込んで、お互いに無益な時間を過ごすことになるなら、今のうちに引いたほうが良いはずだ」
「じゃあなんで絵をくれたの?」
 ミクはフォトブックを差し出す。
 ひまわりの絵に描かれたミクの横顔。
 ラファエルは目を見開いた後、懐かしいものを見つめるように目元を和らげ、指先で触れた。
「持ってくれてた?」
「当たり前よ。気に入ってる。からかったつもりだった?」
「まさか」
 ラファエルは即座に否定し、ミクからフォトブックを取ると、一枚一枚を開いてゆく。
 長椅子に座り、ミクに横に座るよう言うと、百合の花や、睡蓮、水仙、すみれ、と日本人にも馴染みのある花の絵を指さしてゆく。
「僕はね、絵描きになりたかった。だけどある時気づいたんだよ、才能がないって」
「上手なのに」
「多分、そうだね。上手く描けてるとは思うんだ。だけど、描いた絵を好きになってしまう。手放せなくなるんだ。誰かのために絵を描けない。いつも自分を満足させるために描いていた、それに気づいたんだよ」
 ラファエルの話にミクは真剣なまなざしで耳を傾ける。
 ラファエルはそんなミクの頬を撫で、「大した話じゃないよ」と慰めるように言った。
「僕は画家として食べていく人生を持っていない、そう気づいて、だったら自己満足のためにだけ絵を描いて、仕事は元々祖父がやっていたカフェショップを引き継ごうって決めたんだ。これが意外と性に合ってたみたいで、幸運だったと思う。ラテアートとかでもお客さんは喜んでくれるし、好きな絵を飾れば誰かが見てくれる。……そうするうちに描くことが自然と離れていったんだよ」
「離れた? なんで?」
 ミクの問いにラファエルは腕を組み、うーんと唸ると天井を見つめた。
「多分、本当の意味で満足したのかも。だから自分で絵を描くことを求めなくなった。だけどさ、君が見てた僕の絵。それを見つめる君の目、瞳、口元、その全部に僕は恋をしたんだ。そうしたら、また描きたくなった。今度は自己満足じゃなく、誰かを……君を喜ばせるために、描きたくなった」
 ラファエルはフォトブックを開き、それらを見つめる。まるで宝箱を開けたような目をしていた。
 その目はきらきらとして、美しい。
「君が僕の絵に意味を与えてくれた」
 ラファエルと目が合い、ミクはじんと目頭が熱くなるのを感じる。
 ラファエルはミクの心まで見つめようとしていた。
「君はひまわりだよ。太陽の花。……僕にとっては太陽そのもの。だから、手を触れてはいけないんだ」
「それじゃあ寂しすぎる。あたしは宇宙でひとりぼっち? 地球と近づいたら燃やしちゃうの?」
 ミクの反論にラファエルは目を丸くした。
 ミクはふうっと息を吐くと立ち上がり、ラファエルに手を差し出した。
「触ったって火傷しない。同じ人間同士。それにそんなこと言うなら、ラファエルだって天使さまじゃない、あたしからすればお目にかかるのも叶わない」
 ミクはほら、とラファエルに手を取るよう促し、ラファエルがミクの目と、手を交互に見るのに焦れてラファエルの手を取った。
「ほら、同じくらいの体温」
 ラファエルは口元を緩め、ミクの指先まで撫でるようにして頷く。
「君の手の方が暖かいな」
「かもね」
 ラファエルは立ち上がる。
 ステンドグラスから光が差し込んでいた。
 見上げるとラファエルの目がきらきらとその光をうつしていて、綺麗だ、とミクは思った。
「ねえ、あたしが好きでしょ? 恋とかじゃなくていいの。友達とか、ソウルメイトとか、色んな呼び名があるけど、なんでもいいの。あたしはラファエルが男性として好きだし、キスしたいけどまあそれは置いといて」
 ラファエルは頬を持ち上げて笑う。
「お互い好きならそれでオールOK。繋がる手段はいっぱいあるんだからさ、形にとらわれずにあたしたちの関係を作っていこうよ」
「……そうだね。君が太陽なら、日本を照らした後、フランスに来てくれるんだろ?」
「そういうこと。太陽を見たらあたしがいると思ってて。あたしは、花を見たらラファエルだと思うから。太陽が沈んでは昇っていくように、季節が変われば花がまた咲くようにさ、あたし達は必ずまた逢えるよ」
 ラファエルは眉を下げて微笑むと、ミクを抱きしめた。
「ありがとう、ミク。僕が恋した太陽。そうだね、何もしていないのに失うなんて、当たり前だ。そうじゃなくて、失わないように頑張って、後は運命にまかせよう」
「うん」
 ミクはラファエルの背に手を回し、撫でるようにして抱きしめる。
 ふと鐘の音が聞こえた気がして一人うっとりしていると、それが聞き馴染みのある音だと感じて首を傾げた。
 それも、どうにも自分の体から聞こえてこないか?
「ミク、震えてるの?」
 ラファエルが心配そうに顔をのぞき込み、ミクは「は?」と言った後、コートの内ポケットに入れていたスマホから、ベルの音と同時に振動しているのに気づく。
 相手は塚田だ。
 ミクはわかりやすく青ざめた。

 ラファエルのバイクにのせてもらい、何とかスタジオに着いた頃には撮影開始時間の2分後。
(遅刻だ!)
 と、ミクはブラのホックを外し、いつでも着替えられるようにストッキングも半ば破くようにして脱いで走り、マティスの許しをもらって撮影に挑んだのであった。

***

 メイクを落としながら塚田の説教を聞く。
 彼女の勢いにマティスはじめ他のスタッフが「まぁまぁ」と塚田をなだめようとしていたが、ミクはわかっている。
 塚田が嫌な役を買って出てくれたことに。
 おかげで現地スタッフからは苦笑で済んだことにミクは感謝し、もう一度彼らに謝りに行った後、ラファエルのもとへ向かう。
「帰国は一週間後。それまでなるべく一緒にいたい」
 ラファエルは頷いてミクの手を取った。

***

 夕方に琴と塚田が別荘に戻った。
 都筑と城田は夕食を作っていたため、すぐにテーブルを囲む。
「中原はどうしたの?」
「デート、デート」
 城田は頬をにやにやさせ、うんうんと深く頷く。
「いいねえ、若いって」
「あの、普さん。日本へ帰るのは一週間後になりました」
「一週間? 思ったより早いな」
「はい。なんか過ぎるとあっという間だったなぁ。後一週間か……」
 琴は振り返るようにして息を吐き出す。
 何か離れてしまうのがもったいないような、一仕事終えた充実感でいっぱいなような、なんとも言えない気分だ。
 だが日本へ帰れば都筑との再出発でもある。それを考えると、楽しみが勝つ。ユーチューブも再開だ。
「都筑君は明日の飛行機に乗るんだろ?」
「はい」
「車で送っていくよ」
「え……いやでもお忙しいんじゃないですか?」
「ううん。けっこう余裕のある現場なんでね。上原さんも見送ったあとそのまま現場に直行出来るよ、一石二鳥だろ?」
 琴は目を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「ありがとうございます。あー、もう一つうかがいたいことがあるんですが」
「何?」
「フランスの土産って、何が良いでしょうか」

***

 都筑は土産のリストアップをメモし、琴と共に別荘を出た。
 城田は酒を飲んだため、頃合いを見てタクシーで帰るようだ。
 琴と二人で大通りまで出て、タクシーがつかまるまでの間、少しだけ寒さの緩んだ外気を味わう。
 隣を歩く琴は軽くスキップし、上機嫌だった。
「フランスが気に入ったのか?」
「え? えへへ。すごく気に入りました。なんか日本に居づらかったっていうのもあるけど」
「帰る事になったけど……」
「大丈夫です。普さんが守ってくれるし」
 琴の言い様に都筑は笑う。
「……ああ」
 都筑が力強く頷くと、琴は安心したように笑った。
 都筑は手を伸ばし、琴の小さな手をしっかりと握る。
「家を綺麗にしておくよ」
「私を迎えるため?」
「ああ」
 琴はそういえば、と言った。
「ねえ、急に仕事を休んだんじゃないですか? 大丈夫だったの?」
「大丈夫だよ、有給がたまってたし……ある程度なら先まで整えてきたから、井上にバトンタッチした」
「それでお土産……」
「ちょっと奮発しないとな。あいつに後を任せた形だし」
 琴がわけを知っていたずらっぽく笑う。
「先輩ったら」
「良いんだよ」
 都筑もつられて笑うと、一台のタクシーがすぐ側を走ってゆく。
 都筑は気づいて手をあげ、タクシーが止まるとそれに乗り込んだ。慌ててマスクをつけ、口を開く。
「メルシーボク」
「どこまで?」
 宿泊先を伝えると、タクシーはゆっくりと走り出す。
 都筑は琴の手を握ったまま、わずかに身を寄せる。
 オレンジのような金色のような色を放つ街灯が、等間隔に並んでとても美しかった。
 二人でそれを見て、慌ただしいフランス旅行にこれ以上ない思い出が出来る。
「日本人?」
 運転手がそう訊いてきて、頷くと彼は目尻を下げて頷いた。
「ようこそフランスへ」
「メルシー。フランスはとても美しい」
 運転手は機嫌よろしく頷いた。

 運転手に言って、少しだけ遠回りをしてもらった。
 フランスの夜景を目に焼き付け、ホテルに着くと最後にその夜の空気を味わう。
 都筑がフランスで過ごす、最後の夜だ。
「来れて良かった」
「普さんも気に入った?」
「ああ」
 頷いて見上げれば、車の量が減っているためか星が綺麗に見える。
「これからも、君と色んな所へ行こうか。楽しそうだ」
 都筑の言葉に琴は振り向き、満面の笑みを浮かべた。

***

 部屋に着くと荷物を置いてベッドに座る。
 琴は都筑の腕に抱きつき、見上げた。
「日本でどうしてたんですか?」
「俺? 仕事して、そうだな……料理のレパートリーを増やしたり……自粛だしな。家で出来ることをそれなりに」
 都筑の話を聞き、琴も話をする。
 穏やかな時間になっていた。
 ふと都筑が顔をあげ、言いづらそうに口を開き、頭をかいた。
 その態度を取られると気になってしまう。琴は都筑を急かした。
「言って下さいよぉ」
「……ワイドショーで君のことが話題になってた」
 琴は「あっ」と思い出す。今更どうでも良いことではあるが、日本で活動しづらくなっている状態なら考えねばならない。
 が、都筑は楽に呼吸すると「まあ大丈夫だったんだけど」と前置きした。
「君が働きづめだったあの現場で……問題のスタッフがいたんだってな」
「はあ、まあ」
 琴は他人事のように頷く。
「そのスタッフは事務所から数か月の減給としばらくの活動自粛を言い渡されたらしい」
「へ?」
「まあ、職場での振る舞いがバレたんだそうだ。それに君からの反応がないから、テレビ局が勝手に調べたんだそうだ。そしたら君の動画の一部とか、コラボ動画を公開してて……」
 都筑は自身のスマホを取り出し、その動画を探す。
 出てきたのは額にアザを持つ女性との動画。
 リハビリメイクを習っているとはいえ、その方面での琴の技術は高くない。
 だが彼女は琴に興味を持ち、信頼してアザを晒してくれたのだ。
 その動画を久しぶりに見て、琴は喉がつまるような感動を覚える。
 アザを薄くし、肌の色と馴染ませ、ファンデーションで全体を整える。目が額に行かないようアイメイクにこだわり、頬の血色をよく見せることで健康的かつ幸せなお姫さまに……琴は知らないうちに都筑の腕をぎゅっと胸に抱く。
 ――ゆうちゃん、傷痕ならごまかせるよ。ほらやってみよ。――
 学生のころ、お小遣いを貯めて買ったメイク道具。
 友人と集まり、琴はメイクの教本片手に彼女たちに施した。
 顔に事故の傷痕があり、前髪を伸ばすことでごまかしていた彼女。
 髪の毛をあげ、傷痕に触れ、少しずつ消して……琴の原点だと言える、その思い出が色鮮やかに蘇る。
 寒くないが背中が震え、琴は目尻を拭った。
「どうした?」
「……思い出した……」
「やっぱり嫌だったか、ごめん」
「ううん。違います……」
 琴の中で、歯車が完璧に噛み合ったような感じがした。
 何もかも完璧だ。
 すっきりと整って、自分自身の全部がしっかりと輪郭を得たようだった。
「大切なこと、思い出した」
 琴が笑顔を見せると、都筑はほっと息を吐いて、彼女の頬を指先で撫でる。
「ありがとう、普さん」
「俺は何も……そうだ、それから君のことを好意的にとらえてるコメンテーターが多かったよ。暴言というより喧嘩上等だとか」
「あはは。喧嘩か。でも上等です。普さん、これから何かあったらちゃんと喧嘩しましょうね」
「喧嘩って……」
「ノエルが教えてくれました。ちゃんと言わなきゃ伝わらないって。大人なら自分の言葉に責任を持ちなさいって。だから私も普さんにちゃんと言うことにします」
 琴がそう宣誓すると、都筑は面食らったようにした後、頬をにっと持ち上げ、「上等だ」と返した。
「なら俺もそうする」
「はーい」
「必ず俺のもとに帰ってこい」
 都筑の一言に琴はなぜか顔を熱くし、彼のまっすぐな視線から逃れるように下を向く。
「嫌か?」
「……嫌」
「素直じゃないな。それなら捕まえに行く」
 琴はスカートを握って指先の力を逃がす。
 嫌なわけがない。
 都筑はとっくに見抜いているくせに、琴の返事を求めて頬を包んできた。
「自分の言葉に責任を持つんだろ? 今のままなら俺はフラれた形になるか」
 無理矢理に視線を合わせられ、琴は逃げ場を失っていよいよ頭のてっぺんまで熱くする。
「……フってません」
「なら帰ってくるか?」
「……うーん。たまには捕まえに来て欲しい」
「わがままだな」
 都筑は微笑んでそう言うと、琴を文字通り捕まえた。琴は都筑の胸元に顔を埋め、背中に手を回すと顔をあげた。
「わがままは嫌?」
「まさか……可愛いわがままなら大歓迎だよ」
 都筑は身を離すと琴に口づけた。
 しばらくそうしていると、体からふっと力が抜ける。
 今更のように昨晩の情事を体が思い出し、急速に体が重くなってきた。
 都筑は琴の体を支えるようにして抱きしめ、「今日は寝るか」と声をかけた。
「でも……」
 明日には都筑と離れてしまう。眠ってしまうのがもったいなかった。
「帰ってくるんだろ? なら焦らなくて良い」
 都筑の芯のある声に琴はいよいよ頷いた。
 狭いシングルベッドに二人で入り、互いを抱きしめる。
 疲れのせいなのか安心感からなのか、まぶたを下ろすとすぐに眠気が襲ってきた。
 琴はそれを振り払うようにしたが、都筑はそんな彼女の肩を撫でて眠るように言う。
 琴はまぶたの重さと、都筑の手に撫でられる心地よさに耐えかねて、気づけば深い眠りに落ちていった。

***

 体温を高くして眠る琴を見つめ、都筑はほっと息を吐き出し、彼女の頬を愛おしげに撫でると自身も目を閉じる。
 こんなに体の奥まで刻み込まれるような温もりは、かつて感じたことがない。
 目を閉じて深く息を吸い込めば、琴自身の匂いが感じられる。
 彼女の肩に回した手に少しだけ力を込めた。

***

 都筑を載せた飛行機が飛んで行く。
 一週間で逢えるのだ、彼が待ってくれている。
 琴は抜けるような青空に飛行機が吸い込まれていくのを見ると、どこか吹っ切れたような不思議に気分になった。

 

次の話へ→第18話 帰る場所

  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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