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女性性の愛とは受容

受容のためには、その器をつくる土台には、尊厳、品位が大切になってくる。

 

 

(自分にとって)都合が良い、安全なだけの関係性というのはどこにもない。
相手には相手の都合事情人間性というものがあり、自分には自分の都合事情人間性というのがある。
凸と凹なら上手くはまらない時もあるだろうし、そもそも形が違うように、価値観などが違うのは当たり前。
「私は会いたい、こうしたいのに、彼はその通りにしてくれない。愛されてないんだ」
と苛立ってしまうのは自分基準でものを考えすぎといえる。
(ちょっと前の私がこうなっていたけど、落ち着いてみればそんなことはないとわかる。もう少し話し合って意思を確認すれば良かっただけ)
そういう「違い」を受け入れれば、かなり楽になれるし、器も大きくなる。
意見が違ってもそれは当たり前なんだと思えば、否定しあうのではなく、敬意を持った上で違いを楽しめるのではないか。
彼は固定を望むが、私は固定を望まない、というように。
もし互いに否定していればすれ違うだろうけど、違うから補い合えると思えたなら視野は広がる。
互いにそう思えるなら幸いだろう。

 

さて、完璧な人はいない。
だから自分の欠点や弱点をあっさり受け入れてしまうのも大切になってくる。
その上で誰かに素直に助けを求めることは悪いことではない。
例えでいうなら私は運転免許を持っていない。
空間認識能力が悪く、事故を起こす確立が非常に高いからだ。
わざわざ誰かを巻き込む可能性のある危険にチャレンジするのは、勇気ではなく無謀。
危険な目に遭うのが自分ならまだ良いが、誰かを危険な目に遭わせるのはダメだろう。
「今の時代、女性だって車くらい運転できないとやばいよw」
なんて言う人もいる。
しかし事務仕事をやり、肉体労働をやり、受付をやり、アイディアを出し、営業をし、会計をし、と全てパーフェクトにできるなら人を雇う理由はない。

チームワークという言葉もとっくに死語だろう。
社長や上司になったなら、部下を育てることが仕事になるもの。
自分で全てやっていたら何もならないのだ。
車がだめならバスや電車などの公共機関を使えば良いだけで、タクシーに乗るならタクシーの運転手さんにとっては「お金」になるのでウィンウィンだろう。

 

欲望を否定していないか?
評判を気にして本来持っている欲望を封じ込めていないか?
実は色っぽい恰好がしたいんだけど、周囲の目が気になっていつも地味にしてしまう……というのは、年齢なのか性格なのかはそれぞれだろうけど、多少なりともあるのではないだろうか。
セックスに関しても、実はそういうの好きだけど、おおっぴらには言えない……これは女性にはかなり多いと思う。
いやらしい女だと思われたくない、というような。
しかし性欲というのは、そもそも下品なものではない。
男性は反応の良い女性が好きだし、日本人男性で意外と多いのは「相手が気持ちよさそうだからクンニもしたい」という意見。
最中に「もっと」と言われると俄然やる気が出るらしい。
とかいいつつ最初は恥じらって欲しいらしい。
こう、男性として意識されたい、ということだろう。だからちょっと怖がられるくらいがぐっとくる、と。うーん、わがままだなあ。なんとなくわかるけど。
話を本筋に戻すと、性欲がないと子供は産まれない。
好き同士なら自然と触れたくなるものだろうし、赤ちゃんが欲しいと思う人は多くいるのではないだろうか。
過剰な性欲や、過激なプレイを好むのはそれはちょっとこじらせている何かがあるのかもしれない。
それの発生元は意外と「欲望を否定」しているからかもしれないよ。
とりあえず過剰な欲望は性であれ食であれ良いと言えない。
食事やセックスで身を滅ぼす危険は確かにある。
だから欲望は自分で飼い慣らすことが大事だ。
そのためには一度「あるものはある」と受け入れた方が慣らしやすい。
飼い慣らせれば、食も性も活力になるので良いものにしていける。

 

汚いものを受け入れるのか、あるいは良いものを受け入れるのか。
受け入れたことで汚くなってしまったのか、あるいはきれいにすることができるのか。
「汚いはきれいを生み、きれいは汚いを生む」
泥パックをすると肌がきれいになるみたいなもので、汚いがすなわち全く「悪い」とも言い切れない。
人間の肌の古い角質をエサとするドクターフィッシュもいる、生ゴミを肥料にする術もある、みんなうんちという本すらある。
うんちが大地の肥料になるのはガーデニングの趣味があるならご存じかもしれない。
毒と思うものが薬になることは非常に多い。その逆も。

 

女性はどうしても受け身で、染まりやすいところがある。
受容的な分、色んなものが入ってきやすい。思想など。
だから当サイトも含めて情報に対しても慎重になって欲しい。
洗脳されやすいという面もあるので、自分でしっかり自分を守る、対象を受け入れるかどうかしっかり見極める、というのも大切だと思う。
時には「NO」と言う自己防衛も大事だ。
コロナ渦だというのに、外出先から家に入って手すら洗わない男性もいた。
そんな人と安全なセックスって出来るか?
愛液は潤いをもたらすけど、一方で膣内の酸性を中和してしまう。
つまり病原菌などに感染しやすい状態になっているのだ。
気をつけよう。

 

受け入れるには「開く」必要がある。
花が咲いてやっと虫がやってくる。
自分という存在を多少でも受け入れれば、他人のことをその人そのものとして受け入れられる。
女性の秘部も、丁寧な愛撫によって開かれて、ようやく相手を受け入れることができる。

 

愛液が分泌されれば膣内は潤い、柔らかくなって痛みは減っていく。
柔らかいのは傷つけないためだ。
自分もそう、相手のこともそう。
女性は自分以外の存在を受け入れられる体になっている。
セックスしかり妊娠しかり。
胎児の場合、その子のために自分の免疫力を落としてでも守り育てようと本能が働く。

だからこそインナービューティーと言われるものが非常に大切になってくる。
肉体的にもそうだし、精神的にもそう。
心が開かれないと体も開かない。
体が準備できていないと心も閉じる。

 

あなたの体の中には間違いなく素晴らしいものが息づいている。
とある映画では主人公の男性が女性の体になってしまい、そこから男に戻るか女になるかで葛藤する流れになる。
主人公は友人だった男性と好い仲になり、最後こう言う。
「女性になると、受信出来る周波数が増えた感じがする。あの人はこう考えている、この人はこう感じている……それがわかるんだ」
「じゃあ、僕の考えてることはわかる?」
「俺に夢中だろ」
主人公は結局男性には戻らず、女として生きることを決めた。
男だった時にはわからなかった人の感情、その機微に触れ、仕事仲間のことも大切に出来るようになった。
これは女性の良い特技だと思う。

 

女性には生理があり、そのサイクルに合わせた生活をすることが大切になってくる。
生理を受け入れること、女であることを受け入れること。
生理、血が出る、体は痛む、というのはかなりきついことだけど、その痛みは「体を大切にすること」を教えてくれている。
ちゃんと食べること、体を冷やさないこと、運動を適度にすること、心を休ませること。
不要なものは捨て去って、新しいものを受け入れる。
心身の健康がいかに大切か、痛みが教えてくれているから、たとえば主婦になった、子供ができた女性は食べ物の安全を考えるようになる人が多い。
精神的な豊かさ、に目を向けるよう生理が教えてくれている側面はある。
生理痛からある程度解放され、健康というものを受け入れて、感謝できれば尚良いと思う。
(ピルを飲む、というのも一つの決断ではあるけど、個人的にはおすすめはしていない。ただ生理の死にそうなほどの苦しみも知っているので、絶対反対でもない)

生理痛に関してはまだ研究段階ですが、こちらもどうぞ。生理痛から解放されたいあなたに。

 

そしてホルモンバランスが取れている時、女性の精神は凪いだ海のように、なんでも許せそう、なんでも受け入れられそうなほどに穏やかに広がる。
排卵日辺りで不思議なほど心が穏やかに広がったような心地良さを、感じたことはないだろうか。
排卵日あたりはつまり妊娠しやすい時期なので、「受け入れる」には絶好のタイミング。
でも性欲一辺倒ではなく、生活の全てに対してそんな心地でいられる。
体がそうなので、心もそうなる。
心がそうなので、体もそうなる。
あれが女性の受容的な愛情の一つの形なのではないだろうか。
ただただ、あるものをあるがままに好意的に受け入れられる。
本人も心地よく、周囲の人も心地よい。
ぜひホルモンバランスを大切にして欲しい。

良かったら参考にしてみて下さいませ→女性ホルモンの増やし方、整え方。

 

男性が女性に求めるのは「受容性」とは、今の時代でも言われている。
社会的には男女ごちゃまぜにしての平等論をふりかざしている一部の人達がいるけど、理想と現実は違うし、皆の理想でもないだろう。
結婚して意見が変わった人は多いのだ。
事実、恋愛結婚願望あるけど彼氏がいなかった女性は
「お金も出すし、働くし、男性を養うくらいでいるのに。楽させるよ」
と言っていたが、良い相手に巡り会えたのだろう、結婚したら仕事はかなり控え、
「いつか大きな家買ってね」
と冗談言いながら旦那さんを送り出せるようになり、子宝にも恵まれた。
家に帰れば彼女がいる。自分を受け入れてくれる。
旦那さんの方も、妊娠中の彼女のために料理を覚えてハマったくらいらしい。
多分、男女の本当の価値観は永久に変わらない。
男女というものに真剣に向き合ったことがない人にはちょっとわからないことかもしれないが。

 

男性の与える愛情と、女性の受け入れる愛情というのは、どっちも同じように素晴らしいもの。
与えるから偉いとか、受け入れるから偉い、と上下を競うものでは決してない。
時計のような丸いステージを、6時のところから背中合わせでそれぞれ左右に走り出せば、頂点で巡り会うときは向き合っているものだ。
その時に凸と凹が綺麗にハマるのかもしれない。

 

受容の愛情は色々奥深く、答えが定まっているものでもありません。
※男性にも女性性はあり、受容的な人もいます。その反対に女性にも男性性があります。

 

何かの参考になりましたら幸いです。
それでは、ありがとうございました。

 

 

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