「誰かの何かでありたい」
という言葉を聞いたことがある。
だれかの恋人、だれかの親、だれかの子供、という人生の肩書き。
自分の人生なのに、他人を主軸に考えているのだ。
とある彼は学生時代につきあった恋人が望むから、と同じ大学に入り、教員になって欲しいから、といわれ免許を取り、家を継いで欲しいから、と言われその準備をしていたが、大学卒業と同時に捨てられた。
それから10年以上経つが仕事はしておらず、やりたいことややれることすら考えない。
なぜか。
自分で決めることの重さに耐えられないからだそうだ。
恥ずかしい、バカにされる、自分の意見を言うのは自己中だ、と。
話ができるのは母親だけ、友人や恋人はいない。
情熱をもってできる仕事か趣味はない。
彼はこういった。
「誰かの何かになりたい。そしたら自分で考えなくて済むから楽なのに」
彼は常に文句ばかり。
責任転嫁と人の揚げ足取りが得意。
彼は他人に決定を任せると決めたが、しかしその任せるという決定をしたのは自分であるという自覚は一切ない。
他人が失敗したらその人の失敗であって、自分は何も関係ないと言う。
任せるというのも一つの決断だろうに。
ある女性は子供が小学生にあがった途端、鬱病を発症。
着替えもままならず、買い物には友人が付き添ってくれないと行くことができない。
子供が彼女の人生の主人公。
その主人公がいなくなると生きる力を失った。
あなたの人生の主人公はあなたであり、あなたを導くのはあなたである。
他人を主人公にしてはいけない。
それをしたら、自分の中の芯が失われる。
自分の生きる意味や、自分の存在価値を他人に求めてはいけない。
「私がいないとだめね」
私はこの言葉は好きではない。
一時的にだれかのお世話をする時期、というのはあると思う。
でもそういう時ですら、主人公はあなただ。
お世話を必要としている人達ではない。
だけど反対に、彼らの人生の主人公、それもまた彼ら自身なのだ。
誰かが取って代わる事は出来ない。
彼らなりの尊厳がある。
そこに尊敬や礼儀というものが発生するのなら、お世話をしていようがされていようが、お互いにある程度の自由はあるだろう。
自分の人生、それを生きられるのはあなただけ。
他の誰もそれを代わることはできないし、その権利を踏みにじられるいわれもない。
望まないような辛い時期もあるのは確かだけど、振り返れば良い試練だったと思うことは出来る。
あなたの人生を、どうか大事にして欲しい。