自分の欠点を認められるか?
恋愛、結婚だけでなく、仕事や人生そのものに置いて、これはけっこう、重要な課題ではないかと思えます。
ギリシャ神話でのとある女性の物語、その最後はまさしくそれでしたから。
自分の欠点。
私はあげればキリがありません
短気ですし、運転免許を持っていないし(空間認識能力が低いため、事故を起こす確立が高い)、体はそれほど強くなく、仕事ができるかと聞かれると出来なくないけど能力は高くない。多分、そこそこレベル???
女子力は低めですし、家事も大雑把で面倒くさがり……まあ色々あるからここらでやめとこう。
何を言いたいかと言うと、最近気づいたのですが、正直言うと「中途半端な成功者」が一番、厄介だなと。
人をバカにするのが趣味、みたいな人がけっこう多いんですよ。
でもそれはその中途半端な人自身が最も怖れていることだからです。
馬鹿にされる、見下される。自分にはそれだけの欠点がある、と思い込んでいる。
欠点を認めることができない人が中途半端になっているなあと。
自分は完璧だ、欠点なんかない、というアピールを誰かにしてマウントを取り、頼んでもいないのにアドバイスをしたかと思えばバカにする。
他人からバカにされる、と思い込んでいるだけで、意外と人はそんなに人をバカにしないですけどね。
する人は要するに、自信のない人ですから、それほど気にする必要はないんですけどね。
(自信がないけどいい人はたくさんいる。自信がないのが悪いというわけではありません。強いて言うなら自信のない見栄っ張りは厄介かもしれません)
でも一流、と言われている人達って、皆さん気さくなんですよ。
(オンライン越しにお話を聞かせてもらってるだけなので、実際の知人ではないのですが……いつか自力でお知り合いになれたらすごく嬉しいなぁと思います)
そして一番大きいのは「自分の欠点を認めている」ということ。
あるいはコンプレックスまみれだった過去を、事実の一つとして受け入れているということ。
苦労自慢・欠点自慢はしないですね。
ただ受け入れてて、あるいはそれをバネにした、という風には語りますが。そしてそれを大きくはしていない感じです。
「欠点」というものに飲み込まれていないといいますか。
欠点であるとか、コンプレックスを持っていたこととか、でもそれがあったから魅力的な人になっていたり、その欠点がそもそも可愛かったりする。
人間味が出るというか。
欠点を認めているので欠点にもすら暖かみが出ているというか。
でもって、欠点はそれほど欠点ではないんですよね。あばたもえくぼ、みたいなものです。
自分ではあばたのような欠点と思っても、それが他者から見たらえくぼのような魅力に見えていたりするし、欠点があるから長所が引き立って見えることもある。
欠点を克服しようとすれば、その分成長もできる。
欠点があるからこそ、他者の欠点を受け入れることができるし、補い合えることもある。
欠点って、致命傷ではなくてむしろ妙薬になることがあるくらい。
自分をそのまま受け入れているのなら、他人をバカにしたり見下すことをしなくなります。
これはかなり大きいのでは。
無理に克服も、個人的にはしなくて良いと思うし。
それあるからこそ人間的に可愛い、というのは、あるんですよ。
天然パーマで悩んでる知り合いがいるのですが、しかし私からするとその天然パーマが可愛くて仕方ない。
(私が頑固なほどのストレートヘアなので……人間てないものねだりするものなんすよ)
でも彼女はストレートヘアにしたいから、ヘアアイロンを上手く使いこなします。
ヘアアイロンも使い方によっては髪のキューティクルを整える道具としても使えるので、これが上手いのは良い特技にもなるんですよね。
道具を一つ使いこなせれば、他の道具を使う時にもなれやすくなります。
最初は難しく感じても、やってる内に分かるものだ、と知っているので焦らないようにもなる。
そしてできることが増えていく。
これはかなり大きい経験だと言えますね。
欠点をまず認めること。
素直に認められなければ、克服するか、あるいはそのままに受け入れるか、そのどちらかはできにくいでしょう。
そして自分に嘘をついて、表面を飾ると、どんどん追い詰められていく。
そういう話は意外と多く、欠点よりも重大な傷を人生に負うことがあります。
とある青年は仕事場で非常に辛い思いをし、やめる決心をしました。
お給料は良い職場だったんですが、ノルマは厳しく、上司は厳しいのではなくモラハラでパワハラ。しかも家族の愚痴を職場で言うという人。
彼におべっか言ってやり過ごす人もいれば、「来月にはやめるの。だから今すごく楽」と言う人もいる。
新人に関わらずやめる率は脅威の8割超え。
青年とやめる予定の女性が抜ければ、残るのは例の上司とおべっかの人の二人だけになるほど。
(人事部なにやってるの~!とは外部の人間だから思えることかも……)
彼はしばらくは「いや、逃げたらあかん。奨学金返さないとあかんし、ちょっと耐えたら良いはず」と仮面をかぶって頑張りました。
朝5時に起きて準備してむかい、仕事らしい仕事は与えてもらえないまま夜22時にようやく帰りの電車に乗る、という環境に耐えかね、やめることに。
その翌日に言ったことは「もう自分を飾らなくて良い、強い自分を演じなくていいんだ」とほっとしたということです。
仕事内容ではない部分で安心感を得た、というのがなんとも印象的でしたが、しかしそれが真っ先に出た本心だったようです。
というのも昔、高校生の時、
「不良が怖かったので同化して、不良の仲間になることで攻撃されないように振る舞った」
というのがあったという。
彼は弱い人間だったか?
私からすれば彼は弟達の面倒をよく見る良いお兄ちゃんで、弱い人ではなかった。
けど家庭で色々あったため、弱いと思う自分の一部を必死に押し隠そうとしたのでしょう。
本当は寂しいのに寂しいと言ったら負けだ、という。
寂しいと思っている自分が何より弱くて嫌だという。
人をバカにする発言もしたことがある、とは言っていましたが。とはいえね、まあ、若かったので反抗期程度だなという感じでしたけど……。
その後は無理に自分を飾ることなく、何とか次の仕事場を見つけ出し、将来像もイメージしながらやっています。
欠点も気にならなくなったようで、怖いものは怖いと認めることも出来ましたし、笑顔も増えていました。
自分の理想を描き、目指すのは悪いことではありません。
精神とか人間性を成長させるのは人生の醍醐味ともいえるでしょう。
さらに社会においては、多少の仮面をかぶったり、武装するのは自己防衛のため必要な時もあります。
彼のように仮面をかぶることが必ずしも悪いというわけではありません。
だからといって欠点という自分の一部を嫌って、否定し、自分の「心に嘘をつく」ことだけはやめましょう。
それは成長には繋がりません。
自分に嘘をつけばつくほど歪みが出てくるものです。ピノキオのように。
完璧という「枠」は人々の、なんというか「こうだったらいいのにな」という理想でしかありません。
だからどれだけ頭が良かろうが、運動ができようが、完璧な人なんていません。
それはそれとして認めることができれば、その分あなたの世界というか、視野は広がり深まるでしょう。
欠点って、まあ、それほど欠点でもないのですが、それも含めたあるがままの姿は見る人を安心させるものもあります。
それこそカップルになって、夫婦になったとしたら、きれいな面だけを見せることは難しい。
いつか息苦しくなる。
であるからこそ、あるがままの姿をまず自分で認めて、さらけ出すというのは、信頼にも繋がります。
相手の欠点があったとしてもそれはそれで「可愛い」と思うかもしれないし、「まあ、欠点あるのが普通だよね」と納得できる上自分のことも許せますから、良い意味での「気楽さ」が出てくるのではないでしょうか。
完璧って、しんどいぞ。一瞬も気が抜けない……。
パートナーって自分のことは自分で出来るタイプの人ですが、毎回ヘアセットが出来ていない。
自分の外見に変に無頓着というか。
TPOはしっかりしてるので意外でしたが、その若干跳ね上がった前髪を見て私はものすごくほっとした覚えがあります。
プライベートまでガチガチだったらこれ息が続かんわ、こういうところがあって良かった、と。
正直自分のことをさらけ出すのは怖いことでもありますが、いつかは乗り越えるべき壁ともいえます。
出会う人全てに対しさらけだしなさい、とは言えませんが、少なくとも自分の欠点に自分で「OK」を出しておくのは、かなりアリだと思います。
(欠点・欠点言うのも違うのですが。持論では欠点も時には長所になる、と思っているので)
ギリシャ神話のある女性は、最後やつれ果てた自分の顔を見て愕然とし、化粧を施そうと考えるが呪いにかかってしまう。
彼女を見つけた彼女の夫は、化粧もしていないやつれた姿の彼女を見つけ出し救う。
彼女が最後に乗り越えなければならなかったのは
「彼の前で自分を飾らないこと、自分を偽らないこと、互いを信頼すること」
というもの。
彼は彼女を救うのにためらいは見せなかった。
でもまあ、女性本人としてはけっこう厳しいことですよね。
特に好きな相手にはきれいな面だけ見せたい、もし醜い面を出して嫌われたら?という考えに囚われたら。
彼を信じられなかったために一度は愛を失い、今度は自分を信じられなかったために呪いにかかってしまった、というのは、なんともすごい展開だなあ、と。
ハッピーエンドなので安心して読めますが、ハッピーエンドに至るにはそれなりに課題があるものだ、と勉強にもなりました。
(ギリシャ神話のとある女性とは、「エロスとプシュケ」、あるいは「アモルとプシュケ」のプシュケのことです。二人の物語の一部抜粋です。ヒロインであるプシュケの物語は女性の人生の試練そのもの、いつかまた参考にするかなと思います)
それでは、ありがとうございました。