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心理 生活

男性化する女性たち。女性を女性として尊敬するのはダメなのか?

2023-10-13

 

最近見た海外の映画を例にしてみる。
喧嘩が強く、とんちが利いて、賢く教養があり、度胸があり肝が座っていて、男と平気でやり合って負かす。
必要があればドレスを脱いで下着で行動。乙女らしい恥じらいなんか一切見せない、「男前」な態度。
剣も銃も扱える。
戦うのに躊躇もみせない。相手を傷つけたって平気。そんな美女がヒロイン。
確かにかっこいいのかもしれないけど、ただ言えるのは、
「彼女は男だ」
ということ。
男性をそのまま女性キャラにして、ヒロインにして、それを美しいと褒め称えている。確かに見た目は美しいよ。
でも結局は男性賛歌でしかない。
彼らは「いや女性だよ。美しくて魅力的。時には男も圧倒する」と言いたいのでしょうが、しかし彼女のキャラクターは完全に男の能力、気質でしかない。
恥じらいはなく、貞操観念はなく、優しさもなく、お宝を手に入れるため何でもする。
彼女は細身の女性が演じていたけど、それだけの行動力があるならば彼女の肉体は本来筋肉で覆われ、おそらく髭も生え、女性らしい外見的な魅力はないだろう。
ただの映画だから、と言えるけど。
しかしただの映画だから自分の好きな人物像を描ける。
結局作っている男性陣は女性のことなんて何も分かっていないのだろう。もったいないことだ。

 

社会的な活躍を求められ、男性と同等に出来ると照明するよう求められ、専業主婦や妊婦さんは白い目で見られる。
こんな言葉を聞くことがある。
「専業主婦なので肩身が狭い。申し訳ない」
「(子供を産むというのに)仕事してなくて申し訳ない」
これを聞いて寂しく思うのは私だけだろうか?
悲しく思うのは私だけでしょうか。

 

さらに最近では「女性の社会参加への理解を」と言いながら女性を社会の駒にすることを考えている人が非常に多い。
男性と同等にやれるという証明を急かされていることに対しては、疑問しかありません。
男性女性では人生の目的や価値観からして違う。
女性に男性を求めれば、彼女たちは心身を損なう危険がある。

 

私のように未婚であるとか、家庭の事情があるとか、色んな理由があって社会に出て働く必要がある女性はたくさんいます。
そういった女性達のために、働く場があるということ、セクハラがあれば訴えても良いこと、能力があれば出世も可能というのは、それは確かにありがたいことです。
もしそれらがなかったら?
売春を考えざるを得ない、というのが出てくるでしょう。
そのため今の社会というのは、もちろんありがたく誉められるべき点は多いはず……です。

 

欧米は日本より進んでいると考えられがちですが、そうでもありません。
圧倒的男性社会のため、女性にも男性的な働きを求めただけです。女性をもてはやしたわけではありません。
しかし社会的に活躍をした女性が多いため、彼女たちの意見は参考になるでしょう。
彼女たちの多くは精神的に追い詰められ、このようなことを言っていたそうです。
「裁縫をする時間が欲しい」
「自分で料理を作って、じっくり食べる時間が欲しい」
「ガーデニングがしたいわ」
社会的地位があがればあがるほど、それらをする時間は奪われます。
精神医学が発達している理由も、精神病が多いからです。
日本でも、それを感じ取った男性もいました。
何年も前に「今の女性達は疲れている」と。
オーバーサイズの服や、MA-1が流行りました、大きなテディベアも流行りました。
その服やテディベアは「頼れる男性」を表している。
数年前、若い女の子達ですら、もう矢面に立たされることに疲れていたのです。
男性なら出世が人生の主軸なので、社会的な評価は嬉しいことでしょう。
しかし女性はそうではないのです。
女性は心の生き物です。
ハートが満たされないと虚しさは募るばかり。地位があがるほどに彼女たちは追い詰められていった。
感情は良くない?
そんなわけありません。
感情がなければただのマシンで、何が優しさで、何が愛情で、何をやってはいけないかが分かりません。
だからこそ男性も、社会で心を押し殺しながら戦って、家に帰ったら女性のハートに癒してもらうことを求めてきたのです。

 

社会的な評価は表面だけのものです。
女性達はお金はあってもそれで満たされないから、彼女たちの一部は地位を捨て、お給料が減っても自分の心を満たせるような生活を選んだ。
周囲からは「認められてるのに、もったいない」と呆れられても。
お金のある安定した生活は確かに魅力的です。
だけど、今、DIYが大流行しています。
お金を払って豪華な家具を買うのではなく、自分の力で何かを作り出すことを楽しんでいる人が、男女問わず増えています。
DIYという言葉が流行って何年経つでしょうか?けっこう長年続いており、廃れるどころかどんどん広まっています。
中には家ごとDIYをするカップルも出てきました。

 

男女差別するな、というのは頷けます。
男女はそもそも同等の価値があり、双方敬意を持って接していくべきです。
優劣なんかはありません。
しかし性質や気質、価値観や世界観がそもそも違うのです。
男女ともに「不可侵領域」あるいは「聖域」のようなものがあります。
だからこそ敬意が必要なのに、「これだから男は」「これだから女は」と、自分の価値観だけが正しいと信じ自分とは違うものがあると受け入れようとしないその態度が問題なのです。
女性の方がよくいうでしょう、「男女差別するな」「女性だって社会でやっていける」「男と同等にやれる」と言う意見そのものが女性差別なのです。
女性本来の力を一切認めていません。
専業主婦はだめ、出産なんかするな、と。
男と同等にやって「社会的」に認められろ……これらは男性的な価値観であり、女性のものではありません。

 

さらに子供が産みたいなら卵子凍結も援助する、だから今は働いて、妊娠は将来にして、と促す女性もいます。
なぜ女性の人生・時間を考えないのでしょうか。
卵子凍結など命を外部からコントロールするようなことは、お金の話よりよっぽど残酷です。
命をもののように扱っているように見えます。(不妊治療などに関してはまた別です。子供を欲しいと思うのに出来ないことと、社会を優先にして欲しいから若いうちに作らないで、というのは全く別物ですから)
未だに妊婦さんや出産したばかりの女性への風当たりはきつい。
仕事に邪魔、と言わんばかりの人は普通にいてる。
自分たちも赤ん坊だったことを忘れているのでしょうか。
責任の重い仕事を自ら選んだのなら、妊娠について慎重に考える必要はある、とは、私も思いますが……。
(だから難しいのよ。男女差別という言葉で片づけていい問題じゃないよね。逆立ちしたって男性に赤ちゃんは産めない。こればかりは女性にしかできない。だから女性に対して仕事とプライベートとどっちを取るか、となってしまうのは、仕方ない部分もある。簡単じゃないから、専業主婦になって、子供を見てて欲しいという男性の意見があってもそれは差別ではないと思う。子供だって親がそばにいないと辛いもんね)
「出産したらすぐに働かせますから。怠けさせませんから」
という言葉も聞いたことがある。
これはあまりにひどい言葉だ。

 

人体の神秘はいまだ医学でも解明されないことばかり。
無精子症、卵子がない、と言われたのもかかわらず自然妊娠するカップルはいます。
そうなると、今はまだ神秘と言わざるを得ないその謎は、都合よく制御しようとする人に対しても不都合な謎をもたらすのではないかと思える。
妊娠、出産を軽視すれば、なんらかのしっぺ返しが来そう。

 

女性が社会のトップに立てば女性は救われるか?
そんなことはありません。
某国では女性が大統領になったこともありますが、彼女が行ったものの中には「売春街を立てて外国人を相手にさせる」ものすらありました。
女性が女性をものと扱っていることは平気で起こりえる。
男性の方が、意外と女性に優しかったりしますよ。
まあここも、結局は「人による」のですが。

 

本来女性同士ならば横社会ですし、女性に対して共感するので、売春なんて恐ろしい、と思うでしょうが、中途半端に男性化した状態では「同性はライバル」となってしまうのでしょう。
あるいはエロを売る女性に憧れるのかもしれません。男性からそういう目で見られることに、「性的な魅力がある私」に酔っているのかもしれません。
どちらも女性的な部分が満たされていないからそう考えるのでしょう。

 

主婦に入るなんて日陰の存在、と言われるかもしれませんが、例えば結婚して夫氏に大切にされている女性はいつまでたっても輝くように美しいものです。
最近従姉妹に会いましたが、もう40歳こえているのですが、相変わらず綺麗で可愛い。
専業主婦ですが、正直結婚前、仕事をしていた時より今の方が美しいくらいです。
シミや皺は増えましたが、内側からきらきらしているのであまり気にならない。
だから結婚して引っ込んでなさい、と言いたいわけではないのですが、内に入るからこそむしろ輝くこともあるよ、という例です。
一方社会でちやほやされたくて働きまくり、夫や息子に呆れられても外に出続けた親戚は、以前の美しさは見る影もなく、体はぼろぼろで女性らしさは一切なくしました。
男性化すると非常に心身に影響がでるものだ、と今ならよくわかります。
最後には家庭という一番大切なプライベートすら崩壊していく。
女性が男性化することのデメリットは、思っている以上に大きい。

 

こんな動画を見た。日本の着物に対するとある外国人男性の話です。
「体は覆われ、露出なんてしていない。体型も見えないし、何一つ色気もないようなドレスだ。
なのになんでだろう?
それを着ている女性に可愛さがある。
日本人だからかな? なんて思っていたけど、欧米の女性が着物を着せてもらったのを見たときに気がついた。
自然と動きは制限されるため、所作が可愛くなるんだ」
確かに日本の着物は動きにくそうです。袖もあって、片手で抑えないと湯飲みも取りにくい。
だからこそ所作はきれいになる。
ただこんな説があり、男性はゆっくり動くものに惹かれる、というもの。
動きにくそうな着物で、所作は自然と抑えられるからこそ「守ってあげたくなる、凛として上品な女性」と見えるのでしょう。

 

絵画で描かれる女性や女神の姿を見れば分かるように、本当の美しさ、女性性というものを備えた人はその姿、その佇まい、その存在感だけで見る人を圧倒出来ます。
その人々を和ませることが出来る。
流し目だけで男を魅了することも出来る。
ヴィーナス誕生では布を持った神が描かれている。裸体のヴィーナスを包むためのマントです。
そしてヴィーナス自身も自らのセクシャルな部分を隠そうとしている。
そこに恥じらいという美学が潜む。

 

日本にも「衣通姫命(そとおりひめのみこと)」という美人な女神がいます。
その美しさが衣を通して見えるよう、という意味の名前です。
隠しても隠しきれない、オーラ?なのかな、そういう気配が出ているものなのでしょう。
女性は賢くなるほど隠していく。
でも隠していくほど美しさが溢れていく。
(だからといってわざと隠せば不格好になる。そこに知性が試されているといえる)

 

 

本当に美しい女性(外見というより、女性としての美しさ)は、それだけで充分に強い。
そこにいる、それだけで
「傷つけてはならない」
「守らなくてはいけない」
「愛とは何か」
を言葉でも理屈でもなく、本能的に感じさせる力を持っています。
だからこそ
「女性は男にとって目的地であり、帰る家でもある」
となるのでしょう。
実際、当時25歳の青年が精神的に参った時、では自分が何を求めているかと考えたとき
「どれだけ仕事がきつくても、家におる女がにっこり笑って「お帰り」って言ってくれたら、それでいいのに。それだけで報われるのに」
と気づいた。顔や年齢もどうでもよく、疲れた時抱き留めてくれる女性がいたら、その人のためにどんだけでもやれる、と。
男性もまた疲れ果てている。
女性の本当の力を求めているのに、それを理解出来ない人がなぜか多い。

 

外見ではなく、女性が女性として美しければ、男性はもっと良い男になろうと立ち上がる。
そして男性が良い男ならば、女性は安心してもっと女性としてくつろげる。
くつろぎは男性にも癒しを与えます。
お互いにとって良い影響を与え合えるはず。
何事にもメリットとデメリットが存在するけど、デメリットを補い合えるということもある。
バランスが取れているのが理想なので、個人的には女性と男性の性のバランスがもっと早く取れれば、と願ってやまない。
今までは、特に戦後、女性への負担が多すぎた。
その分女性は気がキツくなり、ヒステリックになり、そして男は弱くなってしまった。
仕方がない部分でもあるが、それによりどっちも苦しんでいる。
だけどそのバランスを取り戻そうという流れもある。
コロナ渦でのステイホームで夫婦仲が深まった、と語るカップルは非常に多いらしい。
離婚したカップルより多い。
そして幻想ではなく、現実世界で生きてきた男性は女性が戦うには不向きであるとよく分かっている。

 

男女性の違いやそれに対する敬意というのは、何度でも見直してみる価値がある。
例えばジェンダー・マイノリティの人にとっても、そこに自分らしく輝くためのある種のヒントがあると思う。
私自身は一応そうなので思うが、つまりどっちの性も嫌だ、ではなく、自分の持っている「性」は素晴らしいと思えるかもしれない。
肉体であれ精神であれ、です。
(私はXジェンダー。精神的な性自認というのが、男女無性、とあっちこっち行ったり来たりする。
だけどどれかに傾ききることがないので、中立と言えば聞こえは良いが、中途半端な感じだった。
そして自分の中で男女が喧嘩していた時期があった。それこそ「社会」に出てからひどくなったと思う。
男性性が優位でないと、厳しいのだ。
これは仕方ないことで、男性社会を批難しているわけではない。
男性じゃないと成し遂げられない事、守れないことは非常に多い。
一方女性だからこそ、と求められる部分も確かにある。
看護師さんは私は女性が良い、男性は嫌だと思っていたし、トイレの清掃員はやはり女性が良いと思う。
トイレ掃除は歌でもあったように、女神の仕事である。決して侮ってはいけないことだ。事実トイレがきれいだ、と日本はよく誉められる。
だけど私は女性性を否定し、男性性が常に前に出て戦おうとしていた。
結果どうなったか?
男性性も女性性も疲れ果てて傷つき、癒される部分がない。
互いへの理解(理解出来ないと言うことも含めて)はなく、尊敬はなく、足を引っ張り合う。
体はぼろぼろになり、女性の象徴ともいえる胸が病気して、手術も必要になった)
自分をいじめるのと一緒なのだ、自分の性を否定するというのは。
これは女性にも男性にもやって欲しくないことである。
無理に男性化しなくて良いし、女性化もしなくて良い。
自分を認めたならば、他者のことも認められるようになる。
そうなって初めて見えるものがあるはずである。

 

以下は安全で守られた場所で育ってきた人ではなく、現実の世界で生きてきた人の意見だと思います。
とあるハラスメントで男女の社会問題が明らかになった事件を追う中での、主人公の警察官である男性と、彼の上司の妻の会話のシーン。

「女性の意識を男性が理解するのは難しいわよね。特に、この女性は流産という女性にとって厳しい現実を受け入れざるを得なかったわけでしょう。被害者心情という一言で片づけるのは如何なものかと思いますよ」
「僕は女性の気持ちを理解できると言っているわけではありません。ここに男女の性の違いを挟もうとは思っていません。ただ、男女雇用機会均等ということが、現実的な場面とそうでない場面もあることは明らかです」
「明らかなの?」
「男女に違いがあって、女性の能力を必要としている部分が多くあることは認めます。しかし、そうでない場面では、男性が一歩引いた寛容さの上に成り立っている部分が多いのです」
「若いのになかなか傲慢なことをおっしゃるのね」
「ある程度成熟した民主主義社会は力学だけで男女を分け隔てしないからです。一部の国家や非成熟の人間社会において、女性は男に隷属せざるを得ないことを見れば明らかです」
「力学ね。それが警察社会にはまだ残っているというのね」
「警察社会だけではないでしょう。消防、自衛隊でも現場には決して女性を出しません。ですから、この三業種には労働三法の適用がないのです」
「そういう理論も面白いわね」
「理想と現実は違います。警察職務において女性にできて男性にできない部分はありませんが、男性にできて女性にできない部門はたくさんあるのです」
「確かに力仕事には限界がありますものね」
「力だけでなく、男性が女性を守るという当たり前のことを理解しない輩はこの日本国内にもゴマンといるのです。女性警察官が一人で性犯罪歴がある男の部屋に巡回連絡をする事態を考えただけでもゾッとするでしょう。そんなことをさせられますか? 何かあっては手遅れでしょう?すると、地域警察官の基本中の基本が執行できない。女性警察官を一人で覚醒剤被疑者や、ヤクザもんに会わせることができますか? 凶器を所持して暴れている被疑者の面前に立たせることができますか? これは力仕事とは関係ない法の執行でしょう」
(「ヒトイチ 画像解析 警視庁人事一課監察係」 濱嘉之 2015年11月13日 講談社 p284~286より一部抜粋)

 

この会話のシーンを見て、救われた気持ちになったのは私だけなのでしょうか?
我が家では女性が力仕事をやり、繊細な仕事をやり、事務的な仕事をやり、家事をやり、です。
重い荷物は男性陣は持ちません。
重い、と言おうものなら「甘えるな」と言い、そして彼らは財布すら女性に持たせます。
親戚も似たり寄ったりで、特に年配の男性に多かった。
意外と年齢の近い男性は助けてくれるのですが、(だから不信までは行かずに済んだ)しかし男性には頼れない、そう考えていた私はこの会話を読んだお陰で肩の力が抜けました。
「ああ、女に戻りたい」
男性のふりをしなくて良い。
男性に勝たなくて良い。
女性でいて良いのだ、と。
男性が女性を守るという当たり前のことを理解しない輩がいる、という一文にもすら救われたものです。
彼らは女性に世話をしてもらって、そのお返しに守るという発想がない。
だから女性は追い詰められて、男性化して、その結果何かが損なわれていった。
それを理解している人がいる。男性で、しかも父より年上で権威がある。
これは私にとって、大きな希望になりました。
そして周囲を見てみれば、男性は意外とその機会を窺っているし、求めてもいることに気がつきました。
男性として頼られたい、甘えられたい、女性を可愛がってあげたい、守ってあげたいと考えている人が思うより多くいるということに。

この作者さんが女性を下に見ているか、といえばそうではありません。
こんな場面もある。

「ではジュン、君は何に救いを求めている」
「救いは自分自身だ。神など信じていない。死後の世界もわからない。今信じるものは自分でしかない」
「その自分が傷ついたとき、何かに縋るはずだ」
「それは、そのとき傍らにいる女かもしれない。自分にないものを持った、優しい女がいれば、それで心は癒されるだろう」
「その女は可哀相ではないのか、ただの慰みだ」
「いや、無理に押しつけているわけではない。相手の承諾があってのことだ。向こうが受け入れてくれるかどうかの問題で、もしかしたら、そういう都合のいい状況にもなるかもしれないが、僕はそういうシチュエイションを必ずしも望んでいない」
(「警視庁情報官 シークレット・オフィサー」濱嘉之 2010年11月12日 講談社 p235~236)

別巻では「ジュン」に結婚を勧めるシーンもありました。
女性の本当の力を知っている人の言葉だなあ、と感じます。
こうやって本気で戦っている本物の男なら、本物の女性を求めるものだと感じたものです。

作者さんは元公安警察官で、私より30歳以上も年上。長い間日本を裏側から守ってきた方ですね。
かなり厳しい現実の世界で生きてこられた方なので、言葉の重みがまるで違います。

 

最近の映画の男勝りなヒロインに対して、女性であるあなたが勇気を得たならそれはそれで結局良いものだったということにはなります。
見る人の視点によって結果は変わりますので。

間違った男女平等説・男女混合説は間違いなくたくさんの人の心が壊れる。私はそう考える。
当記事も含め、その価値観は本当に優れているのだろうか?と慎重に見極めていきましょう。

何が言いたいか、私は話が長くなるのでちょっといかんな、と反省しつつ。
男性化した女性を社会は求めているかもしれないが、それはしなくて良い、ということです。
社会的な雰囲気というのは、誰か一人が作っているのではありません。
政治家が作っているわけでもありません。
私たち一人ひとりの「意識」が集まって反映されているだけなのです。
ほんとうの部分で男性化した女性を求めている人なんていません。
それは雰囲気という、ぼやっとしたものにごまかされているだけなのです。
特に男性は女性に女性性を求めています。
外でも家でもライバルである男がいたら疲れ果ててしまうでしょう。
女性にも社会で戦わなくてはならない時は確かにあります。
でも心まで男性になる必要などありません。
あなたの中にある女性、それをとことん大切にしてあげて下さい。
あなたがあなたという存在を大切にして、女性であることを大切にすれば、その分世界はもっと優しくなれます。

これらはあくまでも個人的な、たった一つの意見でしかありません。
しかし夢物語ではなく現実のこととして、ちょっと立ち止まって、性というものを尊重しなおすことをしてみて欲しいのです。
思いついた時で構いません、自分の性を大事にしてあげて下さい。

それでは、ありがとうございました。
(不思議な話ですが、さっきまで吐きそうなほどの排卵痛を抱えていたのに、これを書き終えたら痛みが楽になりました。体が性を大切にするべきだ、と教えてくれたのかもしれません。体は思っているよりもずっと賢いのかもしれません)

  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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