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小説 続・うそとまことと

第12話 かけらを集めて

2020-10-15

 フランスで2ヶ月が過ぎた。
 都筑とは相変わらず色気のないメッセージのやり取りが多いが、都筑の人柄は知っている。
 業務メッセージのような文面に、琴を気づかう言葉は確かにあるのだ。
【休める時は休むように】と。
 琴はタブレットに向き合い、3日前に発見したミクの「色」を再現するため試行錯誤中。
 そのため都筑のへ連絡をすることは減ってしまったが、都筑が返事を急かしたこともない。
 つかず離れずの距離とでもいうのだろうか。
 ノエルは信じられない、と言ったが、琴は気持ちを整理するにはちょうどいい、と感じていた。
 タブレットをのぞき込み、色を調整する。
 やがて――
「出来た……」

 スタジオに呼ばれ、琴はノエルと向き合っていた。
 ノエルは電話越しに恋の相手と話すシーンで、最低限のメイクをしたいということだ。
 日常でありつつ、彼女自身が輝けるように、というテーマ。
 琴は化粧筆を手に取り、柔らかい桃色のチーク、クリームファンデーションで肌を仕上げていく。
 マスカラやつけまつげは使用せず、目元を印象的にするため肌に近い色を重ねていった。
 透明感の強いピンクのリップをちょんちょん、と指でなじませ、仕上がる。
 皆もシーンに合ってる、と言ってくれたが――
「足りない……」
 と、琴は呟く。
 マティスが琴の肩をぽんと叩く。
「シーンでは室内の照明を落とすよ。薄暗い場所になる。それも加味して、君の思うようにやってくれ」
「失敗するかも……」
「時間はある。やり直すならこれと同じにすればいい」
 マティスにそう促され、琴は頷くと化粧道具を見つめた。
 改めて自身の思うように、と言われると、指先が微かに震え始めた。
(我を出して良いのかしら)
 ――仕事のため
 ――わがままだ
 ――時間の無駄
 ――口答えしないの
 ――指定通りに
 いつからか誰かの顔色を窺い出し、腹立たしさが積もる一方、自信をなくした日々を思い出す。
 都筑とすれ違い始めたのもこの頃だったろうか。 古びた聖堂、ガブリエルの見守る中、光を浴びるノエルの姿。
 朝の白い光がよく似合う人だ、と感じた出逢いのシーン。
 白に近いシャンパンゴールドのアイシャドウに、ハイライトを混ぜたものを頬に少し、まぶたに少し、それと唇にも少しづつのせてゆく。
 彼女の顔に色がのる度、琴の中から腹立たしさや、顔色を窺う弱気が消えてゆく。
 琴がまばたきをすると、ぽろっと一粒の涙が落ちた。
 集中している琴はそれに気づかなかった。
 まつげにわずかなラメをのせ、琴は化粧筆をおいた――

「マルセル? 私の声が聞こえる? 私の言葉が聞こえるでしょう? 会えなくても伝わるはずよ、愛してるわ」
 受話器をぎゅっと握りしめ、ノエル演じるヒロインが顔の見えない彼に愛を伝える。
 ノエルの左目から涙が流れ落ち、目元がきらきらと光り出す。
 メイクはその涙を引き立たせていた。

「良かったよ」
 と、城田が琴の背を叩いた。
「ありがとう」
「実力があるのに、隠してたんだな?」
「違いますよ。ちょっと……壁にぶつかってて」
「スランプ?」
「それです」
 琴は手足を伸ばし、肩を緩める。
 すっかり手の震えはなくなった。
「バカですよね、私。自分の中に閉じこもっちゃって、メイクする人を見れなくなってた。答えは彼女たちにあったのに」
「君の中にもね。大抵の答えは近くにあって、でも近すぎて見えにくいんだよな」
「近くに……」
「自分に素直になれよってことだな」
 城田はスタッフに呼ばれて行った。
 琴はその背中を見送っていたが、やがて久々の充実感に胸がじわじわと暖かくなってくる。

 夕方に別荘に戻ると、珍しくスマホに電話がかかってきた。
 琴は二人から離れ、2階の寝室に入った。
 都筑からの電話だからだ。
 メッセージではない、声のやり取りに驚くほど胸が弾む。
「普さん」
「ああ。今……夕方くらいか? 迷惑になってないか?」
「はい。仕事も終わったところ。そっちは夜?」
「夜だよ。9時だ」
「そうなんだ……お疲れ様でした」
「君こそ」
「あまり連絡しなくてごめんなさい」
「仕方ないよ。忙しかったんだろ?」
「多分」
「多分?」
 都筑が電波の向こうで笑った。琴はそれにほっとし、肩の力を緩めるとクッションを胸元に寄せた。何かくすぐったい。
「普さんの声……久しぶりに聞く」
「そうだな……メッセージでしかやり取りしてないから」
「うん」
「君の声も。少し……話すのゆっくりになったな」
「ほんと?」
「ああ。前はもっと……慌ててた」
「忙しかったからかな……どっちが良い?」
「今かな。落ち着いてる」
「良かった。私も今の方が好き」
 琴はカーテンを開けた。空が見える。そろそろ日が落ちていくころだ。
 あの太陽は日本を照らしてきたのだと思うと、距離は離れていてもちゃんと繋がっていると感じられる。
「ねえ、普さん……」
「ん?」
「私……いやな感じだったでしょ? ごめんね」
「……」
都筑の沈黙に、琴は不安になった。
 スマホを両手で抱え、返事を待つ。
 やがて都筑が話し始めた。
「君が……いっぱいいっぱいになってるって気づいていたのに、何も出来なくてごめん」
 それを聞くと、琴は喉が熱くなるのを感じた。
 視界が歪んで、唇を噛んで耐えると顔をあげる。
 都筑の声が聞こえてきた。
「会いに行くから、待っててくれ」
「っふふ。ありがとう」
 琴は都筑なりの冗談だと思い、思わず笑ってしまったが――
「待ってろよ」
 と、念を押され、どきりと心臓が跳ねた。
(ほんとに?)
 と、じわりと期待してしまい、顔が熱を持った。
 塚田とミクもベッドに入り、電気も消すと2月のしんと冷えた気配が別荘中に満ちる。
 琴は久しぶりに耳に感じた都筑の声と言葉にどきどきし、なかなか眠れなかった。
 スマホのメッセージを開き、都筑とのやりとりを見つめる。
【ちゃんと食べてる?】
【日本では梅が咲き始めてる】
【今日は雪が降った】
 送られてくる画像、そこにうつる都筑の影を指先でなぞり、彼の体温を全身で思い出す。
 寒くないのに体が震え、琴は自分自身を抱きしめた。
 ふっと口から吐き出した息は、驚くほど熱かった。

 ミクのポスター撮影が近づく。
ミク演じる日本人モデルに恋する男性が、ポスターの彼女に口づける印象的なシーンなのだ。
 マティスもこのポスターがどれだけ重要な意味を持つか、琴に入念に伝えている。
 柔和なマティスだが、物作りに妥協を許さない厳しい一面を見せ、琴は緊張とともに気合いが入るのを感じた。
 マティスの描くイメージ、ミクのイメージ、物語のイメージを実際に作り出す。
 久々にやる気に満ちた琴は、タブレットで書きためたアイディアを全て出すため、道具一式を机に置いて、一つ一つを見つめる。
 実際にミクにメイクを施し、マティスやスタッフ達が納得するまで、全てを出し尽くすつもりだ。 ミクの小麦色に近い肌をそのまま活かすつもりの琴は、入念に手入れを施す。
 食事と運動が功を奏したのか、彼女の肌は滑らかで、下地の伸びが良くなっている。
 しっとりとした肌には彼女のコンプレックスであるそばかす。
 しかし肌のつやが良くなったためか、いやな感じは一切ない。
 オレンジに寄せたピンクのチークで頬を染め、ローズピンクの口紅をそこにかすかに滲ませる。
 つけまつげを一本ずつ解体したものを、眉の代わりに貼り付けていく。
 陰影を出し、唇には余計な色を乗せずに透明感を出すリップをちょんちょんとつける。
 スタッフ達はそれを見守り、無言のままに頷いたり、あるいは首を傾げたり。
 琴はその視線を浴びながら、しかしそれを心地よく感じていた。
 ――ちゃんと見てくれている。
 それでだめだと言われるなら、それで良いと思えた。
 ただの実力不足だからだ。
 嫌味やひがみ、やっかみはない。
 やがてまぶたにベージュのアイシャドウがのり、ハイライトがミクの頬や鼻筋を照らす。
 仕上がったのは、ラファエルと向き合う時の恋する一人の女性の姿だった。

「良いね。だけど、まだ何か足りない」
 マティスがそう言うと、城田はじめスタッフ達も同感だと頷いた。
 琴はそれを受け止め、頷くとそのメイクをコットンで取り始めた。
「ちょっと?」
 城田が目を見開いて、琴を止めようとしてか手を伸ばす。
「油で軽く取ります。こうすると色が馴染むから」
 ミクは琴の行動を止めない。
 信頼してくれているのだ、と琴は気づく。
 なめらかにメイクの表面だけ取ると、じんわりと素肌が透けて見えるようになった。
 ミクのすっぴんにかなり近い。
 そばかすがどこか可愛らしく、いつもの中性的にかっこいい、と言われる彼女の新たな一面が見えるようになった。
 目尻はすっきりとして、血色の良いまぶたが赤子のように清らかである。
「どうでしょうか」
 琴が下がると、スタッフ達が何か言い合うようにした。
 マティスは眼鏡をずらし、顎に手をやってじっくりと見つめた後、ノエルに意見を求めている。
 やがて意見が出そろったのか、マティスが口を開いた。
「琴。君のアイディアはよく分かった。だけど……」
 マティスの言葉に琴は耳を傾ける。一言一句もらさず聞き入れ、すぐさまメモを取って、この日は解散だ。
 ――気に入ったよ。メイクを足すのではなく、減らすという発想は良かった。肌が見えると確かに美しい。だけど彼女に恋出来るかといえば、何かが足りないんだ――
 マティスの指摘に琴は腕を組んで熟慮した。
 帰り支度を整えるとノエルが声をかけてきた。
「琴」
「ノエル、どうしたの?」
「余計だと思うけど、一言だけ」
 ノエルはそう前置きし、琴をしっかり見つめると口を開いた。
「愛する人を思い浮かべて、メイクしてみて」
 琴はどきりとし、目を丸くする。
 ノエルはそんな琴にふふっと笑うと、肩を撫でて去って行った。

 別荘に戻り、都筑にメッセージを送る。
 久しぶりにこちらからのメッセージだ、何と書けばいいか、と思ったが、意外にも筆は乗る。
【この間は電話をくれて、ありがとう。久々に声が聞けて嬉しかったです。監督の別荘では椿が満開になりました。そっちはどうですか?】
 返事が来るか来ないか分からないまま、琴はキッチンに向かう。
 塚田が野菜を取り出し、琴のメモを見ながら選んでいた。琴に気づいて振り返る。
「今日は何つくる?」
「時間も時間ですから、簡単に焼いちゃいますか」
「そうだね。あー、バーベキューとかしたいな」
 野菜を切り、肉を焼いて、ハーブも使って体に気づかった料理を作る。
 ミクが運動から戻ってきて、3人で食卓を囲む。
 穏やかな日々だ。
 琴の望みに近い。
(ああ、こうやって誰か一人にじっくり向き合うのも良いな)
 誰かのためにメイクを考え、施し、料理や食材を選んで、生き生きと人生を楽しんでもらう。
 そのちょっとした提案をする。
 かちかち……と、歯車が上手くかみ合い始めた感覚が、琴の中に確かにあった。

【しばらく返事出来そうにない。】
 都筑からの返信にはそう書いてあった。
 日本は今深夜だろう。琴はその返信を見つめ、ふーっと息を吐き出すと、目を閉じた。

 思い出すのは花火の爆ぜる音、火薬の匂い、火花の黄金色。
 二人だけで行った小さな夏のイベントだ。
 思い出すと目がじんわりと暖かくなる。
都筑が好きで、都筑に愛されている。
 こんなに幸せなことはないはずなのに、どうして幸せは痛みを伴うのだろう。

 翌日もミクのポスター用メイクのお披露目だ。
 琴はアイディアをまとめたタブレットを開き、念入りに化粧を施していく。
 現場では別のシーンの撮影中。
 毎日花を届ける老人同士の愛を描いている。
 白髪を三つ編みにした、ピンクのカーディガンを羽織る女性はずっと恋い焦がれていた幼なじみの男性からの花を、毎朝ドア越しに待ち続ける。
 だがその男性はすでに亡くなっており、それを届けているのは彼の孫である少年だったのだ。
 彼女はそうと知ってか知らずか、毎日届く花に口づけし、彼に宛てて手紙を書いてはドアに挟んでその日を終える。
 ずっと近くにいた幼なじみ同士。
 だが結ばれることはなかった。
 老いらくの恋と言われても二人は気にしなかった。
 孫の彼だけが二人の物語を知っている。
 切ないながら幸福に包まれたシーンに、琴は思わず見入る。
 ミクが鼻をティッシュで拭いながら「いい話だよね」と呟く。
「あんなに純粋に人を愛せたらいいよね」
 ミクの言葉に琴は振り向く。
 ふと思い浮かぶ都筑のまなざし。
 だが手を伸ばせばそのまなざしが消えてしまいそうだった。
「今を大切にしないと」
 孫の少年はそう呟くと、初恋の相手である幼なじみの少女に両手いっぱいの花束を贈る。
「君が好きだ」
 シンプルな手書きのメッセージカードを添え、少女の家の玄関に置く。
 やがて2階の窓から少女が顔を出し、花束を抱きしめると少年にするかのように口づけた。
 その時、二人を祝福するかのように太陽が雲の隙間から顔を出した。
 カットがかかり、少年達に惜しみない拍手が送られる。
 琴はそれを見ていたが、やがてミクに向き合うとその頬にチークをのせてゆく。
 赤をベースにした、強さのあるメイク。
 まぶたが濡れたように見えるシャンパンベージュのアイシャドウで、ブラウンのアイラインがどこか儚げなもの。
 唇にはオイル。
 ミクらしいものだったが、やはりOKは出なかった。
 琴は納得したが、ミクは「これもだめなの~?」と項垂れる。
「何がだめなんだろう」
 塚田がミクの顔をじっと覗き込む。
「いつも通り綺麗よ」
「いつも通りだから……」
 琴がそう言うと、城田が頷いた。
「そう。いつも通りだからダメなんだ」
「城田さ~ん。監督の好みってどんなの?」
 塚田が甘えたように言うと、城田は目を見開いて肩をすくめる。
「それを気にしたらダメだよ、媚びちゃダメなんだ。答えは自分で見つけること。というか、答えは自分たちにある。だろ?」
 城田が琴に視線を寄越した。
 琴は冷静に頷く。
「上原はよく分かってる。だけど、まだ掴めていないんだよな」
「そうなの?」
「はあ。多分……なんというか、男性が恋したくなるっていうのがまだ分からなくて。特別感も出したいけど、やりすぎるのは違うと思ってて」
 琴は不思議と落ち着いていた。
 出来ないとか、間違っているとか、そういったマイナスの感情ではなく、正解探しの途中という感覚があったのだ。
 ゴールは見えていて、後はそこに行き着く道がどれか? を入念に探っているという手応えがあったのだ。
「まあ大丈夫だと思うよ」
「はい。もし私がダメでも、メイクさんはいますよ。大丈夫です」
「琴さん、ねえ」
「違うんです、作品のことを考えたら固執しなくていいって思えるんです。作品そのものが大切で、厳しいとかじゃなくて、プロとして信頼出来るスタッフさんが多いから。ベストは尽くしますけど」
「まあそういうところはあるよな」
 城田はそう言うと琴の肩をぽんと叩いた。
「楽しみにしてるよ」
「はい」
 琴がしっかりと返事すると、城田は頷いて琴にカメラを向けた。
「なんかアーティスト同士通じ合ってるの?」
 塚田が腕組みをして呟いた。

 

次の話へ→第13話 再会

  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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