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心理 生活

「ごめんね」よりも「ありがとう」をあなたに。

お礼を言うシーンで、なぜか「ごめんね」と言ってしまうことはありませんか?

 

 

お土産をもらった時などに「えー、わざわざごめんねー」
とか、荷物持ってもらった時に「ごめんね」と言ってしまったり。
これはとっさに、意識せず言っている人が多いかもしれません。
かくいう私自身もかなり言ってしまいます。
申し訳ない。もちろんその言葉には「ありがとう」の意味を込めている……と思いきや? なお話。

 

日本人の道を譲ってもらった時などの「すみません」には「相手に不利益をこうむらせてしまったから、その礼として」の意味ですみません、と言うことがあります。
これに関しては何も言うことはないのですが。
前者のように何か好意でしてもらった時についつい「ごめんね」と言ってしまうのは、ちょっとずつ、歪みが出ることだったりします。

 

どういうことかというと、ちょっとずつ「貸借」の意識が出てくるということ。
「ああ、あの時あれしてもらったし」
「ああ、あの時これしてもらったから」
「だからその分をお返ししなくちゃ……」
と、マイナスを埋めていく作業を選んでしまうことに繋がっていく。
「ああ、また払わせてしまった。申し訳ない。今度はその分、彼が好きなご飯を作るなりしてお返ししないと」
「家賃出してもらってるし、たばこの匂いかぐと頭痛くなるけど言っちゃ悪いよね……」
と追い詰められていく。
この例は極端に言い過ぎかもしれませんが、そういう「罪悪感」がなぜか積もっていく感じです。

 

ごめんね、はどちらかといえば「マイナス」を想起させる言葉です。
相手にやらせてしまった。
あるいは、自分がやらなかった。
もしくは見栄っ張りな人ほどごめんね、申し訳ない、と言ってしまいがちかもしれません(私がそういうタイプ。こじらせまくってるので……)

 

他人はともあれ親しい仲でごめんね、ごめんね、と言い続けると、ちょっとずつ心の借金が増えていく。
友人や恋人、夫婦というのは、関係性は本来対等です。
(中には「いや、対等じゃない、養ってやってる」という考えの人もいるかもしれないのですが。専業主婦・主夫だって別に下の立場になるわけじゃない。家のことを任せられるって、すごいことですよ。この間すごく感じたのは、実家では家事は女がやるもの、なのですが、母は専業主婦なのですが、彼女が倒れると家が全てストップしていたんですよ。あれはちょっと怖い感じだった。いや、主婦・主夫というのは、思っている以上に偉大な存在なんだと思います)
その対等な関係性が、ごめんねと言う度にちょっとずつ貸借関係になっていく。

 

何かしてもらう度に申し訳ないと思い、心の借金は増えていき、そうなると相手とまともに向き合えません。
「ああ、疲れた……」
こうなることもありえる。
彼もいちいち謝られたら
「僕何かした?君のこといじめてる?」
と違和感を覚えていくかもしれません。
そうなると彼のほうも「面倒くさくなった」となるかもしれません。

 

言葉というのは不思議なもので、使い方次第で自分の気持ちが持ち上がったり、楽になったり、あるいは辛くなったりします。
意識が言葉によってその方向を向くのでしょう。
謝るとそのたび自分が悪いような気分になっていくものです。本来は謝罪の言葉ですから。
だからこそ、好意をもって何かしてもらった時、もう素直に「ありがとう」と言えるようにした方が、皆ハッピーなのではないでしょうか。

 

ありがとうは日本語で「有るのが難しい」と書く。
相手の好意が当たり前のものではなく、尊いものだということでしょう。
そして「プラス」のイメージがあるでしょう。
「ごめんね(マイナス)」のお返しはゼロに戻す感じですが、「ありがとう(プラス)」のお返しはプラスです。
良いものが積み上がっていく。
「彼が就職活動で悩んでいる私のために、と好きなドーナツを買ってきてくれた。そのお返しに彼の好きなハンバーグカレーを作る」というのは、まさしくプラスの積み上がりの話だと言えます。

 

向こうの立場になった時、お礼、言われた方が嬉しくないですか?
ごめんね、と言われると私の場合「もしかして余計なことした?」と考えすぎてしまう時があります。
そのつもりでごめんね、と言われたわけではないはずなんですけどもね。わかっていてもちょっともやってしまう。

 

何かあって、自分に非があるならその時はごめんなさい、と言った方がそれは良いと思います。
ようは言葉を使う場所を間違えていないか?という事ですね。
それで問題解決して、それを解決してくれた人がいるならそこも最後にはありがとう、と感謝の方をすれば、気持ちはすっとするでしょう。
謝ると、なんかあちこちにもやもやが残ってしまうんですよ。

 

そりゃ中には人の不幸が好き、謝られるのが好き、幸せそうな顔をされると腹が立つ、という人は少なからずいます。
そういう人達も意外なところで「だって感謝もされない、誉めてももらえない」という欲求からそうなっていることがあります。
感謝はされるけど一番欲しいのは
「誉められる、あがめられる」
だったり、
「自分の欲しい感謝の形じゃない」
とムッとする、みたいな幼稚な人もいるので、そういう人にはなんとも難しいですけどね。
人の不幸が好き、なんて人にはあまり近寄らない方が良いでしょう。

 

大切な人同士ならば、出来る限りいっぱい、笑顔と感謝を積み上げていこうぜぃ。

 

好意や厚意に対するお礼として、口癖のように「ああ、ごめん」「そんな、悪いよ」と言ってしまうのであれば、意識的に「ありがとう」と言い換えるようにしてみませんか?
特に大切な人に対しては、もっと意識的にありがとう、と。

 

というわけで、お読みくださりありがとうございました。

 

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