結婚とは何なのでしょうか。
愛し合う男女(男女に限らないこともあるので、パートナーにしておきましょうか)が同じ家庭に入り、新しい家族を作っていくこと?
最近、それについて色々興味深い話をしたので、それを書きました。
結婚とは何なのか。
言葉にするのはけっこう難しいのですが、なんとか言葉を絞り出して書いてみたので良かったら読んでみて下さい。
ちょっと昔なら「お見合い」が普通でした。
お見合いは仲人が二人の社会的な地位、性格、育った環境などから相性の良い二人を見つけ出し紹介するというものもありましたし、お互いの家の人が家同士にとって「都合が良い」人を合わせる、というものもありました。
今はかなり自由恋愛ですし、お見合いもありますがお見合いでも個人の意思がかなり優先されます。
国によっては親が子供にぴったりの人を見つけてくることもあります。
自由恋愛じゃないことに対して可哀想、という意見もありますが、この場合のカップルは意外と「幸せです」となることが多く、離婚率も低いというのもあるそうです。
価値観や性格が非常に合うから、とのこと。愛があるかはわかりませんが、情は芽生えるものです。
ちなみに自由恋愛結婚したにも関わらず、離婚率が非常に高い国もあります。愛があったけど、愛ではなく憎しみが残る場合もある。
どっちが良いとか悪いとかの話ではありません。
自由恋愛結婚で、後々もっと幸せになる夫婦もそれは当たり前にいますし。
戦国時代とかなら、権力者にとって都合が良いように家臣や姉妹・娘・息子を政略結婚させました。
そうでもない人達もいたのですが、基本、名前が知られている武将は政略結婚ですね。政略なら家柄と土地が手に入るわけですから。
結婚、現代の日本なら基本は自由恋愛、本人同士の意思、が主流でしょう。
しかし離婚も本人の意思を尊重して普通に行われるようになりました。
しかし現代は、何というのか、こう、「結婚の価値」が下がっているように感じられるんですよね。
それと同時に離婚の重みも軽くなったような。
結婚とはただの恋愛とは違います。
相手が好き、想い合っているのならただの恋愛です。嫌いになったら別れても良い。
それほど大きな責任は、まだありません。
まず、結婚が家同士の結びつきであるというのは一つの事実でしょう。
政略結婚だとか、家の事情で都合が良い相手だから、というよくあった意味ではなく、「遺伝子的な意味」として、です。
女性の方が相手と相性が良いかどうか、見極める能力が高いはずです。
男性はセックスの相性が良いか、というのは、あまり分かっていないそうです。
女性の方が相手の肌の感じがしっくりくる、相手の体臭が好き(もしくは匂わない。無臭に感じる)、相手がどういうつもりで自分を見つめているか分かる、というのに敏感なようです。
近親相姦では劣性遺伝子がくっつきやすいので奇形児と言われる子が生まれやすかったり、体の弱い子が生まれる、というもの。
体の弱い子が生まれるのはそれだけが原因ではありませんが、要因の一つとしては挙げられます。
だから女性の持つ直感力はかなり大切だ、と私は勝手に思っています。
相性が良い遺伝子というのはつまり自分が持っていない遺伝子なので、その持っていない遺伝子を持っている相手を見極められるというのはかなりすごいはず。
(だから女性は権力を持てなかった???つまり、貴族的立場の人からすると、女性が遺伝子的に優れた下々の者と結ばれたら自分の立場を脅かされる、みたいな。それより自分の子供を産ませることを優先的に考えるはず?……いや、関係ない話でしょうかね)
家というか、血筋的な家系ですね。ご先祖からの血縁のつながり、これに遺伝子が流れています。
その何千年続いた遺伝子の、今現在集約されているのが私たちの「体そのもの」です。
体と心はたまに分離しますが、基本は一致しています。
体が先に恋をすることもあるし、心に体が追いつくこともあります。相性の良い遺伝子を体が先に理解しているかもしれない。
そこに脳というか、知性も加わりますが、その知性が邪魔をすることもあるし、心が表面的には嘘をつくこともあるので厄介ですが。
(だから理性を使って色々冷静になって、本心を見つけることも大切だと思うんですが)
そしてなんとか遺伝子は進化してきた。
日本人も今やけっこう身長も伸び、ヨーロッパやアメリカ人と目線の高さが同じ人も増えたのではないでしょうか。
これには食べるものも影響していますので、全部が全部人だけの能力でもないですけど。
相性の良い人、大切な人と、心やもうちょっと奥深いパーソナルなものを表す肉体を持って、人生のパートナーになる。
遺伝子的な意味での「家同士の結びつき」というのは、かなり意味が大きいかもしれません。
子供が生まれたらその子は何千年続いた遺伝子同士の、また一つの「奇跡的な交流」の子なわけですからね。
(体がある時点でご先祖はいますから、天涯孤独の人にも通じる話です。そういう話が不快であれば血縁とかを無理に認めなくて良いのですが、少なくとも自分を否定することだけはしないように。親が毒親だとか、クズだとしてもそれが全てではない。トンビがタカを産むことはよくある。青は藍より出でて藍より青しというのもある。自分を大事にしていればけっこう、それだけで充分だったりする。きょうだいですらもう性格も性質も違うんだから)
以下は感覚的な話で、言葉にするのは非常に難解なのでちょっと混乱させてしまうかもしれません。
個人的な感覚の話ですが、パートナーほど「自分の鏡」である存在はいません。
私は何を考えてるのか
私は何を表現しているのか
私はなぜここにいるのか
本心がむき出しになる
自分の価値観を再確認するための鏡であると同時に、自分の心をそのままうつす鏡でもある。
恐ろしいほど「自分自身」と向き合わされた感があります。
自分を愛せないと、他者も愛せないのだな、と身を以て思い知らされた感じです。
自分への愛がないと何も果たせない。
「いやいや、しんど。きっつぅー」となったのはここだけの秘密……。
いや、自己愛はナルシシズムとは違うよ。
難しいけど、相手を愛したいなら自分を愛せよという感じ。
相手を信じることは、自分を信じるということだよ、という感じ。
しかしやらざるを得ない。やらない選択肢がない。
それくらい、愛ってやつは温かくて強くて幸福なのだ。
そして幸福のための道のりが痛いという、なんやこのいばらの道。そうでもないのかな?私がめんどくさい道行っちゃっただけか?
でも、素直じゃない性格してたのでそうかも。こじらせまくったなあ。
パートナーの結婚、その関係とは「愛を持って接し、また愛を受け入れること」がベース。
結婚というものを打算的に考える、商談のようなもの、という考え方もありますが、中にはそういった次元ではない夫婦愛を持っている夫婦もいます。
奥さんが半身不随になって家事一切できず、一人ではお風呂にすら入れなくなっても、それでも献身的に支える旦那さんもいます。
旦那さんには負担でしょうか?
そうとも限らない。
奥さんの存在そのものが彼に力を与えてくれている場合もあります。
男性は自分の愛情を受け入れてくれる女性を好みます。
何が出来るということではなく、ただそこにいてくれるだけで良いのだ、と感じさせる女性もいます。
お互いがお互いの居場所である、という感じでしょうか。
結婚は恋愛と違い、二人で新しい何かを造り上げていく関係でもあります。
家庭かもしれないし、ストレートに子供かもしれません。こればかりはカップルによるので、なんとも言えません。
だから依存では何も生まない。
依存とは自分自身が空っぽなので、誰かや何かで埋めようということから始まります。
自分自身を埋められるのは自分だけです。
寂しいから恋愛するのなら、それでは確実に愛を得られません。
正直言うと、自分で自分を埋めていられるなら恋愛すらそんなに必要ではなくなります。
それはかなり気楽だし、恋愛から遠ざかるように思えるのに、恋愛も上手く行くようになります。
自分が空っぽなら、新たに何かを生むのは出来ません。
マイナスを他で埋めても、ゼロにしかならないからです。
そして結局、他というのは異分子なので、実際はマイナスのままです。
夫が提供するのは「巣」です。
安全な場所を妻に与えます。
ひらたくセックスで例えるなら、女性は妊娠出産子育てをするので、安全な場所でないとセックスなど出来ないのです。(というか、性感がかなり減る)
男性の中にはそういった安全、甘い空間に留まることを男らしくない、と思う人もいるかもしれません。
なんなら男性は「命の危機を感じる時に性欲が増す」とも言われています。まあ、仕方ない本能でもありますよね。
狩りに行かなければならなかったので、死ぬかもしれないその前に子種を残さないと、というのは頷けます。
しかし、安全で甘い空間で女性と休む、その安全さを味わって存分に彼女をいたわり、また癒され、が出来る男性の方が、実は男性的な、あるいは父性的な強さと愛情を持てます。これも体が覚えることもあるので、今は出来ない、したくない、としても考えや性質が変わることはあります。
本来男性の賢者タイムは妻と、もしかしたら出来たかもしれない子供を守るために存在する冷静さですから。
そして妻が提供するのは「泉、あるいは井戸、あるいは水源」です。
守られた中で、泉として夫を休ませます。
その巣や泉は肉体的な意味もあるけど、精神的な方に寄った意味かなあ。
そしてお互いの領域というか、聖域です。
普段、誰でも立ち入って良い場所ではなく、特別な存在にだけ許されます。
つまり夫婦であるお互いに、です。
恋愛の時点で自分の世界がぶっ壊れるのに、結婚となったらまたぶっ壊れます。
いい意味だとしても、なかなか怖いことでもありますね。
いるべき場所にいるべき人といる。お互い自身がお互いのいるべき場所かもしれない。
「べき」っていう言葉が噛み合わないこともあるので、そこまで堅苦しく考えなくて良いとは思うのですが、まあ、とりあえずこのまま。
そしてお互いの聖域にお互いが入る「許可」を出す。それが結婚というものではないでしょうか。
政略的なものではなく、誰かの都合のものではなく、当人同士の奥深い人間の本質に関わること。
かなり、人として、奥深いものが試される。
信頼がないと互いの巣や泉には入れないでしょうし、だからこそ結婚とは軽々しく扱うものではないと思う。
そして人間は良い意味でいうなら「レベルアップ」していきます。
変化します。
そこでは相手に対する思いも変わっていきます。
それが良いか悪いかは分かりません。
自分は良くなっているはずなのに、向こうにとっては悪いのかもしれません。
愛しているけど好きじゃない状態にもなります。
再燃することもあります。
いつまでも「恋した時のようなときめき」を求めているなら、なかなか結婚生活の維持は難しいでしょう。
そのため、恋愛と結婚はかなり違うということになります。
正解ってそれぞれにあるものだと思います。
この記事も、ちょっと興味深い話になったのを今現在の価値観でまとめたものであって、これが全て正しいかもわかっていません。
巣や泉というのもあくまでもニュアンスのことなので、そのまま正確とは言えないかもしれません。
とはいえ「なるほど」と好意的に感じたからこそシェアしたくなったので……どう感じました???
遠距離長い私からすると、別居婚でも充分良いと思うし、寝室別なのも良いと思うし。専業主婦・主夫も良いと思うし。
ちょっと嫌だなあと思うのは依存症カップルですが、それもその人達自身がそれを学ぶために結ばれたなら、他人がとやかくは言えないっす。
それに、本末転倒かもですが、お互いがお互いを「夫婦的な意味のパートナー」と思っているなら、無理に籍を入れて周囲に認めさせることもしなくていいかなあと。
まあ、何というか非常にややこしい(?)からこそ、得るものも多いのかな、結婚は。
色んな意見がある話だと思いますので、これこそ「鏡」にして、自分だったら結婚や夫婦をどのように考えるだろう?
どのような価値観を持っているだろう?
どんな夫婦になっていきたいだろう?
と考えるきっかけにしてもらえたら良いなと思います。
あくまでも個人個人の意思が、やはり大切なので。
結婚について何か思いついたことがあったらまた書こうと思います。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。