人は鏡というけれど、全く似たものだけが寄ってくるわけではない。
鏡を見たら分かるように、右手を挙げると右側が挙がる。鏡の中の人が挙げているのは左手である。
ということは、正反対の人が寄ってくることもあるということだ。
自分の嫌な面を見つけるために相手という鏡を通して自分を見ている、という説もあるけど、それだけじゃなく、
「自分はどのような価値観を持っているだろうか」
などの自己探求のために「相手という鏡」を通すパターンもあるということ。
上なら下が、右なら左が、と磁石が反発するような人も、中にはいるということ。
自分と似た人だけが寄ってくるわけではない。
自分が誠意を見せたら、向こうも見せるか、といえばそうでもない。
誠意を利用するだけの人もいる。
鏡は目の前のものを映し出すけど、真実とは限らない。
写真で見る自分と鏡で見る自分は結構顔が違う、ということもある。
どっちも正しいとも言われているけど、どっちも正しいならどっちも間違ってるかもしれない。
全く違う価値観を持っている人と出会ったことはないだろうか。
その人が新しい視点をくれたり、あるいはこちら側からは「理解出来ない」と反発心が出たり。
人間レベルが違う人と出会うのも、それは自分を再確認するために出会っただけかもしれない。
そこにあるのは真実ではないかもしれないし、類は友を呼ぶと言われているけど、それに当てはまらない人が来るのも来る。
最終的に関係が深くなるのは自分と同じくらいの人間レベルの人だと思うけど、だからといってその人が自分と全く似た人かといえば、それも違うと思う。
たとえば恋愛なら、男と女ではまるっきり性質が違うのだ。同性愛であっても性格が違うことは多いだろうし。
自分がいい人なら周囲にはいい人が寄ってくる?
そうとも限らない。
世間を学ぶためにずる賢い人が寄ってくることはよくある。
責任感の強い人の周囲に責任を放棄したい人が来ることもある。
補完関係だ。
だから「すぎる」のはバランスが悪くなる。
よく聞く、「看護師さんがダメンズとばかり付き合ってしまう」のも補完関係かもしれない。
ある意味では丁度良い相手が来る、とは言える。マザコン男のところに母性強強系女性が来るのも。
どっちも最終的に女性側の負担が大きくなって、ダメンスは自立できない。
看護師さんうんぬんというより、ダメンズと付き合う、それで幸せになれるかどうかは疑問だ。
バランスが悪いのはどっちにも負担しかない。
その時は共依存状態で甘い時間かもしれないけど、彼女が先に倒れたら、彼はどうなるのだろう?
結局彼女も甘やかしてる自分が好きなのか、依存させることでこの男は自分を裏切らないという安心感が好きなのかもしれないが、彼のことは何も考えてないのではないか。
自分がいなくなったら彼はどうなるのか?
お互いに相手のことを考えられないなら、それは愛とは言いにくい。自己満足してるだけと思える。
2:8の法則というのもある。
組織のほとんどに言えることらしいけど、よく働く有能な人は全体の2割。
あとの8割はだらっとしている。(ということは出世のチャンスも多いと言えそう)
有能な人を有能の集まりにいれると、その人の能力は80%しか出せない説もある。2:8も奥深すぎる。
そう考えると、「類は友を呼ぶ」みたいな意味もすら当てはまらない。
ビジネスなら余計に補完関係の方がしっくりくるかも。
鏡なので、自分が右なら相手は左だ。
隣に立って歩くとき、こちらが右手を差し出して手を繋ぐ時、相手は左手を差し出す。
反対の手である。
その方がちょうど良かったりもするだろう。
「嫌な人ばかり近くに来るのは私の性根が悪いからだろうか。だったらなぜ私はこんなに傷ついてるのだろうか。彼らと同じなら、傷つかないはずなのに」
心がきれいな人ほど利用されることがある。
善意を利用されることがある。
「類は友を呼ぶ」けど、そうじゃないパターンもかなり多い。
人が鏡なら、その鏡は何か学ぶために置かれている鏡かもしれない。
「この人とは価値観が違う。私はこう考える、思う、感じる」
そう思えるのは、その人という鏡があってこそだ。
「他山の石以て玉を攻むべし」
というのがある。
自分より劣っている人の言行も自分の知徳を磨く助けとすることができる。
という意味らしい。
人のふり見て我がふり直せと似てるかなあと思う。
人間レベルとは、言い換えると「精神的なレベル」みたいなものであって、社会的な地位・ステータスがどうたら、みたいな話ではない。
そして残念ながら、人は本来は平等だけどレベルの差はあるとしか思えない。
ゴミを平気で道ばたに捨てる人もいるし、それを拾ってゴミ箱に捨てなおす人がいる。
人の不幸を笑う人もいるし、人の幸福を喜べる人もいる。
結局のところ何なのか?
まあ、自分を大切にしてあげないといかんね、ということかもしれない。
誰だって全知全能じゃないのだ。
相対している人にも何らか能力はあるだろうし、不足もある。
こちらにも出来ることもあるけど、弱点も不足もある。
人は鏡はちょっと奥が深すぎるし、他人ばかり見てても仕方ないのでほどほどが良いのかもしれない。
周囲に自分を合わせる必要もない。
鏡の人に遠慮せず、あなたはあなたでもっと輝いたら良いのだ。
そして鏡に頼らず、生身のあなたでいれば良いのだ。
鏡(他人)を見ないと自己確認が出来ない……というのも考え物だろうし。
ところで「ダメンズ」って、今や古い言い方かもしれない……。
それでは、ここまで目を通して下さりありがとうございました!