言語切り替え

当サイト「椿の庭」は、広告収入、「OFUSE」からの投げ銭を収入源として運営されています。

心理 生活

【重要】感情の解放、それは危険すぎる。あなたとあなたの大切な人を守れるのは「〇〇」。

感情というのはとても大切なものだし、それがないと人間性が失われます。

 

少し前の時代なら、感情を抑えて自分を厳しく律し、社会のため、と働いてきた結果、感情を失ったりすることがありました。
仕事ばかりで冷たい……そう思われることもあったでしょう。

 

ところがその反対はどうなのでしょうか。
感情が優先。
笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣き、怒りたい時に怒る。
それが良い時、場所はありますが、だからといってどこでもいつでも、とは言い切れませんよね。

 

最近ではこういう「感情を解放して」「泣きたい時に泣いていいんですよ」と言う人が増えてきていますが、これは危険でしょうからうのみにしてはいけません。
欲望(下心の方)、本能、本心、その区別がついていないのに表面にでている感情を解放すれば、おそらく間違った方へ進むからです。

 

なぜ感情を優先させてはいけないか?

 

感情は本心ではないことがあります。これは、かなり多い。
怒りは二次感情、と言われています。

 

例えば娘の帰りが遅い時の親心で考えてみましょう。
その出発地点は「心配」のはずです。
何かあったのだろうか?
なぜ連絡しないのだろうか?
遊んでいるのだろうか?
なぜこんなに心配させるのか?
こっちの気持ちを考えないのか?
色んな思考がぐるぐる回った結果、イライラが募り怒りになります。
ようやく帰ってきた娘に対して
「こんな時間まで何をしてたんだ!これからは門限5時だからな!」
と怒りをそのままぶつけようものなら、親子関係はどうなるでしょう。
娘は事情も説明できないまま、信頼されていないと傷つき、親は親で一度放たれた言葉は飲み込めないまま、態度を改めるにもきっかけがないと。
あまり良い方へはつながらないでしょう。

 

一度冷静になって、
「何があったの?」
と聞けば、もしかしたら
「授業が長引いた」
「バイトでハプニングがあった」
「体調が悪くて休んでた」
と、理由があったかもしれません。
もしスマホなどで連絡を取っていれば、「じゃあ迎えに行くから」という解決策も出てきたかもしれません。

 

怒りの元にあったのは「心配」です。もう少し深堀すると、「娘が大切だから」です。
これが本心であって、怒りは本心でも目的でもなかった。

 

感情を優先させすぎると、このように間違えた手段を取ってしまうことがあるということです。
本心は心配なわけですから、「これからは遅くなりそうな時連絡して」と言えば、親子の信頼関係は維持できたかもしれません。

 

本能といえば、Sex中はかなり本能的な行為と言えるでしょう。
子供を残したい、産みたい、気持ちよくなりたい、スッキリしたい……色んな動機があるものですが、そういった欲望に近い本能なら、それはかなり自己中心的なので相手や、そして自分を傷つける行為にもなり下がります。
AVなどはファンタジー作品として見るのが大前提ですが、ああいうのを見て「現実もこうなんだ」と勘違いする人は一定数いるようで。
レイプされて悦ぶ女性の姿や輪姦もの、拷問のようなプレイがたくさん。
あれはファンタジーなので、という前提でならまだ良いですが、実際やったら大犯罪です。

 

ところが本命だったらどうでしょう?
基本的に男性は理性的な生き物だし、女性は感情的な生き物。
男性は本命の女性相手には簡単に手を出さないし、女性も感情的に好意がない相手には基本、快感は得られません。
行為中であっても、女性が痛がる様子を見せれば男性はやめるものだし、女性も痛いけど平気だ、と伝えるものです。
それはお互い、好きだからに他なりません。
だから丁寧な愛撫だってする。
性器は見るとけっこうグロテスクだけど、進んで愛撫したくなるのも好意があるからでしょう。

 

欲望に左右されて、本当に大切な人を間違えることもある。
その時どうしても「えっちしたい」気分で、好きだったわけじゃないけど肌を重ねる。
結果子供が出来たりすることもある。
その人間関係が壊れたとしたら、子供はどうなる?

 

子供を可愛いと思うのは本能的な愛情だと思いますが、子供を四六時中可愛いばかりと思える人もかなり稀では。
かなり極端ですが、こういう嫌なニュースはなるべく書きたくないのですが、昔にありました。
「Sexしてて、もうすぐ良いところだったのに子供(赤ん坊)が泣いたので、イラっとして首を絞めた」
と親が逮捕された事件が。他にも、ペットに噛みつかれてはずみで投げ飛ばしてしまうとか。

 

確かに「怒り」に任せるのはダメだろう、と誰でもわかる話かもしれません。
では「喜び」だったらどうでしょう?
まず、喜びが極まると失神します。
電車のホームや道路上で、例えば宝くじが当たった、好きなアイドルのライブに行けることになった……となった時、嬉しさのあまり失神するのは危険です。

 

悲しみはどうでしょう。
悲しみに夢中になっていると先に進めなくなることがあります。
例えばお葬式などで、今目の前に大切な人がいるのに、亡くなった人のことばかり考えているのは。
そういう人はいなくなった人のことを考えているのではなく、自分の悲劇性に酔っているパターンもあります。

ドラマや映画、ゲーム、漫画などで感動のあまり泣いてしまう人がいます。
傍目には優しい人だな、と思われるかもしれませんが、泣いてしまう人達は「無責任であることが多い」と言われています(諸説あり)
感動自体は良い事です。
共感もあるでしょうし、それを否定することは誰もすべきではありません。
問題はそこではなく、「我慢できない」のが問題なんです。
映画などはある意味、「他人事」です。
そしてその他人事の主役はその他人なんです。
自分ではない。
泣きたくなったら隠すくらいが、おそらく礼儀でしょう。

 

ではどうすれば良いのか?
感情はあくまでも表面的なものである可能性があり、本能も欲望も、「その根っこにある本心」を見つけられていないなら無意味なものになってしまうかもしれない。
純粋かつ愛情に基づいた本心を自覚するにはどうすれば良いのか。
それは「理性」を養うことではないでしょうか。


り‐せい 【 理性 】 〔哲〕 (reason イギリス・Vernunft ドイツ) ①概念的思考の能力。 実践的には感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力。 古来、人間と動物とを区別するものとされた。 「―を保つ」「―を失う」 ②真偽・善悪を識別する能力。
(参考元:広辞苑 第七版 ©岩波書店 2018より一部抜粋)

 

気分が悪いから、むかつく、腹が立つから、と誰かを殴っていい?
そんなわけないよね。
ペットや赤ちゃんは、もう戻ってこないかもしれない。
でも理性を利かせれば、そんな風に傷つけて良い存在じゃないと気づけます。
怒ると叱るは意味が違うと気づけたはず。
(まあ、叱る、も難しいんだけど)

 

これらは確かに極端なたとえ話だけど、実際に「イライラしていた」という理由での事件はある。
そしてなぜイライラしていたのか。
その理由はその人にしかわからないが、その人自身も理性をもって考えられないならわからないだろう。

 

そしてその短絡的な思考はクセになります。
理性というブレーキがどんどん減っていくんです。
そしてぶっ壊れる。
何が欲しいかすらわからず、不満ばかりが溜まっていく。
ちょっとのことすら我慢できなくなり、「キレる」人になっていく。
事実、ゲームや漫画で泣きじゃくっていた人達が知り合いにいましたが、彼らは好きなように飲み食いたばこ、運動はしないし気楽な人とばかり付き合い、人生の問題は政治のせい……彼らはまず、健康ではない。
肉体的にも自己管理すら出来ない人でもあったんです。
今でもメタボだったり、姿勢が悪く、緊急手術が必要な状態になる人もいました。

 

感情を表に出せば一時的にはスッキリするでしょう。
でも根本の解決には決してなりません。
どころか、「ああ、怒りたい時怒ればすっきりする」と覚えてしまえば、子供のように癇癪を起す問題児となっていきます。
そういう人と付き合いたい人はいるでしょうか。
いませんよね。
愛のない人生がスタートです。
自分の貴重な人生すら破壊する可能性があります。

 

なぜ日本は世界で比較的良い国、とほめてもらえるのか。
「上品であり、親切であり、礼儀正しい。そして冷静である」
と言われています。
戦後、戦中ですらその振る舞いはあくまでも自己を律したものでした。そのうえでユーモア・ジョークも好きだったようです。
外国からの評価目的でそんなふるまいをした方がいい、という媚びを売るものではありませんが、しかし「冷静である」ことの意義は考え直した方が良いように思えます。
日本人の冷静のもとは、自己中心的ではないということ。
自分さえ良ければいいという考えではないこと。
今日の災害時でも日本人は冷静に救助を待ちながら助け合う姿を見せています。
こういった姿勢はなぜ必要なのか?
皆が生き残るためでしょう。

 

将棋で一対一の勝負をしている小学生の子供の映像があったけど、勝った側は一瞬喜んですぐに落ち着いた。
なぜかと問われると、その子は
「相手が泣いてしまったので、こっちがもっと喜んだらもっと傷つくかもと思った」
という。

 

誠実さ。
これが何より大事。
自分に対する誠実さもそうだし、目の前の人への誠実さもそうだし、本命以外の人に対しても大切。
じゃないとたくさんの人が傷つく。
それって確実に返ってくる。
悪評が立つかもしれないし、浮気がバレたら本命の人に逃げられるし、友人だって失う。

 

理性というブレーキや軌道修正力は、育てていける。
育てれば今度は余裕が出てくる。
余裕が出来るとあんまりイライラしないで済むようになる。
自分の本心や、いい意味の方の欲望に気づくし、本能もコントロール出来るようになる。
本当に欲しいものが得られやすくなるから、精神的な満足感も得やすくなる。

 

感情を否定しているというわけではありません。
感情がないならただのAIだから。
感情があるから、やっていい事とやってはいけない事も出てくるし、わかる。
殴られたら痛いし悲しい。
嬉しいことがあったら笑顔が出る。
それは尊いものなので、大切にしないといけないものです。

理性がそれらやあなたを守ってくれるし、良い方へ導いてくれる。
それこそ、純粋な感情、純粋な本心、たとえば愛情に基づいた行動、それらを引き出してくれるのも、理性があるから。
理性があるから自分のことも理解できる。

 

全ては結局バランス。
感情一辺倒は危険だし、かといって冷酷も危険。
感情、心、欲望、そして理性。
厳しく自分を押し殺すのではなく、むしろ「心」のために、欲望と感情を正しくコントロールすることです。
そのために理性を養う事。
すぐに身に付くものではないし、一生かかるような課題ではありますが、理性について今一度考える価値はあると思います。

 

感情の解放、その適切な場所、時間は、けっこうあると思います。
それらは限られてはいるけど無限に作ることも出来る。
好きな人の前でずっと我慢もおかしいですからね。本心が出た方があっさり進むことも多いですから。

なんだかものすごく長文になってしまったけど、読んで下さりありがとうございました。

 

 

ありがとう!当サイトはあなたの応援で成り立っています。

クリックしていきなり課金というわけではないので、そこはご安心くださいませ。

OFUSEで応援する! 無料コメントもお待ちしております!お気軽にどうぞ。

OFUSE is a tool for fans to support their favorite creators with tips.

運営者:深月 カメリア

-心理, 生活
-,

© 2024 椿の庭 -The Camellia Garden- Powered by AFFINGER5