小説 続・うそとまことと

第8話 忙しい彼女

 

 琴の現在の仕事場はドラマの撮影。
 若手女優が溢れる学園を舞台にした恋愛ドラマだ。
「今流行のメイクにして」
「顔なんて気にしなくていいわよ、みんなまだ売れてないんだから」
「あのアイドル参考にして。似せてくれたらいいわ」
「指定通りにしてよ。本物の学生によせる? いいってば。目立つキャラだから」
 琴はそういった注文の嵐の中、指定されたメイクを施すが仕上がりが気に入らない。
 似合わないのだ。
 流行の色はあるが、似合う似合わないは別である。制服に合わせる必要もあると考えたが、ドラマなのだからリアルを気にしなくていいとのこと。
(これなら私じゃなくていいのに)
 そう思うが、これは仕事なのだ。
 一方で、ならばなぜ動画を見て気に入ったから、と言うのだろうと琴は不満を持つ。
 だが仕事なのだ。
「メイクさーん」
 と呼ばれ、琴は走って女優のもとへ。
「はい!」
「手直し。ここピンクにして」
「ですが、彼女はオレンジの方が」
「いいから。早く」
 女性スタッフがカッと睨む。
 琴がメイクについて色々言うので、彼女も不満が溜まっているようだ。
「何が人気メイクアップアーティストよ。ちょっと売れてるからってこっちの指示に従わないで、時間の無駄じゃないの」
 そんな嫌味を言いながら下がっていく。
 琴はカッと顔を赤くした。
「正面向いて言って下さい。言って逃げるならただの陰口ですよ」
 そう考えた。
 はずだった。
「なんですって?」
 と、耳をつんざくような女性スタッフの声。
 琴が目を見開いて彼女に視線を戻せば、顔を真っ赤にした怒り顔がそこにあった。

***

「琴さん大胆すぎ」
 と、声をかけてきたのはカリナと辻だった。
 あの後現場では女性スタッフのヒステリーが炸裂し、いったん休憩の声がかかるまで琴は集中砲火を浴びたのだ。
 カリナは主人公の姉役として出演しており、琴の話を聞くと笑みを浮かべて控え室に顔をのぞかせた。
「言うつもりじゃなかったんだけど」
 気づいたら、と琴は呟く。
 うっかりにも程がある。
 本当に言うつもりではなく、内心で悪態をつくのみに留めたつもりなのだ。
「いいじゃん。あの人昔から横暴で有名なの。いい薬になったんじゃない?」
「そういう問題じゃないでしょ。琴さん、あなた世渡りが下手ですね」
 辻がそう言い、琴はがっくりと肩を落とした。
「自覚してます」
「でしょうね……でも実際、あなたを2週間休みなしで拘束してたんでしょう? 疲れが溜まるのは無理ありません。大人しくしていたら向こうが負けを認めますのでご安心を」
「えっ……」
「超過労働。この3週間で100時間オーバーしてます。バレたらやばいのは向こうですから。よく体が持ちましたね」
 辻が計算機を見せた。
「ちょっとメイクさん」
 先ほどの女性だ。声は尖っているものの、幾分か落ち着いているようだ。
「ほら来た」
「先ほどのご発言ですが」
「なんでしょう」
「疲れているんでしょう、普通あんなこと言わないわよね。休みが減っていたのは認めます。後はご自宅で、どうぞゆっくりなさって」
 彼女はそう言うと立ち去ろうとした。
「クビということですか?」
 琴がそう背中に問いかける。
「普通そうですがね、こちらからお誘いしたのに中途半端でクビにするのもマナーがありませんから。普通に最後まで契約は続けます。でも最後まで現場には来られなくて結構です」
 つまり金は払うがもう来るなという意味だ。
「ならもうおきゅ……」
 琴はだったら金はいらない、そう言い返そうとしたが、辻がやんわりと口を開く。
「じゃあ私どもの方で新しく契約しませんか? カリナの写真集すごく評判が良かったの。カラコン無しだと綺麗って」
 琴は辻の助け船に顔を歪めた。
「こんな騒動起こして現場に来ます? 普通」
 そんな嫌味が聞こえ、振り向くと彼女は立ち去っていった。
「琴さん。お給料はもらっとこう」
 カリナが言った。
「あの人とだけ仕事してるわけじゃないし」
「お金をもらった方がフラットな関係でいられます。後日あらためて連絡するわね」

***

「上原琴落ちたな」
 別の現場で帰り支度を整えていると、そんな意見が耳に飛び込んできた。
 人間不思議な物で、自分に関係することや感心のあるものはまるで輪郭を持ったかのようにはっきりと感じるものらしい。
 心臓が嫌な感じで跳ね、手が震える。
「あのドラマ、クソじゃない? メイクなんか誰も似合ってないぞ」
「ユーチューブの配信も遅れてるな。結局本気じゃなかったんだな」
「ただの小遣い稼ぎだった?」
「天狗になってんだよ。ちょっと可愛いからってちやほやされて」
 男性スタッフ達の会話が聞こえてくる。
(それは違う、指示に従うよう言われて)
 そう言い返したいところだったが、分かっているのだ。
 結局自分で招いた結果なのだと。
 収入が減り、生活はなんとか出来ても新しい化粧品を買うだけのお金はなかった。
 仕事をしないと。
 その一心で走り続け、結果どれもこれも中途半端だ。
 ブランドもののジャケットが、重い。
 鞄も靴も、まるで借り物のように感じてしまう。
 肩を落として廊下をすり抜ける。
「なめんなよ」
「みんな必死なんだよ」
 と、琴に気づいたスタッフが、背中にそんな言葉を投げかけてきた。
 琴はくるりと振り向く。
 好奇心に満ちた目で、見下すような笑みを浮かべる彼ら。
 まるで別世界のことのようだった。
「前……カメラにあなたたちの姿が入り込んで、消すのに苦労したって話がありましたね」
 そう言うと、彼らは顔を引きつらせた。
「お互い様かな……でも私、ここではなんの問題も起こしていません」
 あの気だるげな女優のために訪れているスタジオだ。
 彼女は特にメイクを指定せず、琴の提案を嫌がらない。
 ただいんすたで「この顔好き」「メイク真似たい」「なんかいい人そうじゃん」と彼女の人気があがっているのが事実だった。
 女優自身が「これでいいみたい」と琴にそれを見せてくれたのだ。
 男性スタッフはこそこそと言い合いながら、琴に何も言い返さなかった。

***

 外の空気を吸おうと、駐車場までの道をゆったり歩く。
 すっかり夜だった。何時か確認しようとするが、スマホを取り出すのが億劫になる。
 自分で招いた結果なのだと言い聞かせる。
 仕事場で自分のしたいようにすることは、わがままなのだと言い聞かせる。
 だが「似合うようにして」と言われ、「これは流行じゃない」とやり直し。
 どの指示が正確で、どの選択が正しいのか。
 ぼーっとしていると夜風が冷たいのに気づいて、ストールを取り出すと頭からかぶった。
 目を閉じると、疲れの充血のせいでか目が潤んできた。
 都筑が迎えにくるまでそうしていた。

***

「ご注文ありがとうございました」
 光香が機嫌の良さそうな笑顔で、玄関で紙袋を手渡す。
 都筑はそれを受け取ると後部座席に乗せた。
 車内は一気に美味しそうな匂いでいっぱいになる。
「良かったよ、開いてて」
「一時はどうなるかと思いましたよ。店つぶれるかもって。まあ相談行ったらなんとかお金もらえましたけどね」
「持ち帰りと、人数制限か……」
「なんとかなりましたよ」
「まともな仕事をしていたからだろ。良かったよ」
 都筑は運転席に戻る。
 挨拶をして車を走らせ、家に戻る途中で琴を迎えに行く。
 コンビニなど屋内で待つよう言ったのに、彼女は駐車場でストールを頭からかぶってじっと座っていた。
「琴」
 都筑が慌てて車を止め、走って行くと琴が振り向く。
「あ……お疲れ様」
 琴の肩に触れると、コートがひんやりとしていた。長い時間外にいたのだろう。
「こんなに冷えて……もう11月だぞ。なんで外にいたんだ?」
「外にいたくて」
「外に? いいから、早く車に」
 琴の手を牽いて車に戻り、素早く出る。
 暖房がかかり、琴はストールを脱いだ。
「ふう」
「寒くないか?」
「だいぶ暖かくなってきました」
「ならいいけど……」
「いい匂い。美味しそう」
「Jin's kitchenの持ち帰りだよ」
「えっ。やった~! でもなんで?」
「『なんで?』」
 都筑は目を丸くした。
 琴もその反応に目を丸くしている。
 どうやら忘れていたらしい。
「君の誕生日だろ、今日」
 そう言うと、琴は口もぽかんと開けた。

***

 温野菜のサラダ、バーニャカウダソース、人参とタマネギのスープ、鶏肉のローストチョコソーズがけ。
最後のシンプルなショートケーキには、装飾にこだわった綺麗な蝋燭が立てられている。
 照明を落として、二人だけのささやかなパーティだ。
 そういえば、確かに今朝母親から連絡があった。
 すっかり忘れていた。
 まさか誕生日を迎えていたとは。
 お腹が満たされ、蝋燭の放つ温かい火を見つめていると、固まっていた心が溶けるようだった。
 琴はこの日ばかりは、といつも気づかう衣服も脱ぎっぱなし。
 高価だったヒールは玄関で横に倒れ、コートもばさっと落ちて下地が見え隠れしている。
 ストッキングも床に散乱しているが都筑は何も言わなかった。
 彼自身もときおり服を脱ぎっぱなしにするからかもしれない。
 窮屈から解放され、猫背でテーブルにほおづえをつく。
「うふふ」
 と、にんまり笑うと都筑が髪をぐしゃぐしゃになで回した。
「酔ってる?」
「酔ってません~。でも明日は休みだし」
「そうなのか? 急だな」
「だってクビになったもん」
 都筑の表情が固まった。
「なんか、私が言うこと聞かないから嫌なんですって。私が疲れてるみたいだから、どうぞゆっくりして下さいって言われちゃった」
 琴が笑って言うと、都筑は目をそらさずに見つめてくる。
 琴はその穏やかな目に泣きそうになり、隠すようにして髪を引っ張った。
「色々言われたから、正面向いて言ったらって言っちゃった。言って逃げるなら陰口だって言っちゃった。そしたらもうこんな騒動起こすなら現場に来ないでしょ、普通って言われちゃった。なんか、ドラマのメイク最低みたい。私天狗になって、落ちたんだって。ユーチューブも更新しないし、なめるなよって……」
 琴はそう言うと両手で顔を隠す。
 喉が重くて苦しい。
 ケーキが食べたかったが、これでは飲み下せそうにない。
「お風呂入る……先に食べてて」
 琴は立ち上がり、都筑に背を向ける。
「琴」
 落ち着いた声で名前を呼ばれたかと思うと、痛む右手を緩く包まれた。
「おいで」
 そう囁かれると、琴は顔をぐしゃぐしゃにして泣いた。

***

 ソファで都筑に抱えられるようにして座る。
 彼が見せたのはいんすたやついったーだ。
「ドラマのことは書いてないけど、女優達がメイクさんに似合う色を教えてもらって、楽屋で試してみた画像らしい」
 都筑のタブレットの画面には、自慢げにポーズを決める出演陣の楽しげな画像。
 コメントも多かった。
【オレンジ似合う】
【役と違うね】
【可愛いじゃん。なんでこっちで出ないの?】
といった好意的なものが多い。
「メイクさんって君のことだろ?」
「多分……」
 琴以外にあの女性スタッフに口出しした者はいないはず。
【上原さんにしてもらったメイク】
 と非常にシンプルに載せているのは気だるげな女優。
【気に入ってる。女性ファン増えて嬉しい。アドバイスもっとください】
 と書かれていた。
「伝わる人にはちゃんと伝わってる。クビになったのは驚いたけど……ああ、これ結城さんか」
【今日メイクアプの琴さんと一緒の現場~。今度また一緒にお仕事出来そう!】
 と、ハートマークと音符マークが踊るように鏤められている。
 カリナらしい投稿だ。
 琴は褒められて嬉しそうな彼女らの笑顔に、胸にぽっと明かりが灯った心地がした。
「普さん……私って、生きるの不器用?」
「そうだな」
「だめかな……」
 都筑はうーん、と唸った。
「分からない。俺もそういうタイプらしいから。でもどんなやつにもそれぞれの痛さはあるんだろう」
 琴は都筑を見上げた。
「普さんはどうやって乗り越えたの?」
「俺? 俺は……俺の仕事はマニュアルがあるから。君みたいな答えのないものとは違うし……参考になるかわからないけど、そうだな……どんな人にどんな説明をすべきか、対応を変えるようにしたかな」
「対応……」
「根拠が必要なのか、説明が欲しいのか、面倒はいやなのか、とか。相手の様子をよく見るようにはした。でも、あまりに横柄なやつに下手に出たりはしなかったな」
「怒られない?」
「むしろこっちが説教するんだよ。地震が来て従業員が犠牲になったらどうするんだって。大事なものさえ見失わなければ、それなりに道順は見えてくる。……いや、先輩がフォローしてくれたんだけどな、その時は」
 と、都筑はこめかみを掻いてみせた。
 琴は落ち着いた気分になってきて、息を緩く吐き出すと都筑の胸元に顔を埋める。
「誹謗中傷はよくあることだよ。よく知らない奴ほどよくしゃべるって言うだろ。俺みたいに」
「普さんは……」
「いいから。万人に好かれるわけないし、万人に好かれても意味がない。君だってそれを望んでるわけじゃないんだろ?」
 琴は頷く。
「ならいいんだ。壁にぶつかるのは、ちゃんと歩いてる者だけだ。君が逃げずに歩いてる証拠だろう」
 都筑が何かを取り出し、琴の首に腕をまわした。
 都筑が手を離すと、するんと流れるようにシルバーのチェーンが琴の鎖骨に落ちた。
 ひんやりした感触が気持ちよく、目をやると繊細な虹色を放つ小粒のダイヤモンド。
 誕生日のプレゼントだと理解し、指先で撫でると琴は笑みを見せた。
「良かった。やっぱり似合う」
「買っててくれたの?」
「ああ。鏡は……わからなかったから」
「えへへ。あれは……誕生日プレゼントって分かってなくて。すごく嬉しい」
 目を細めて笑うと、自然に涙がこぼれた。
 都筑の乾いた手が目尻と頬を撫でて涙を拭う。
 都筑の顔が近づいて、目を閉じると予想通り唇が触れあう感触に満たされた。

 

次の話へ→第9話 溝

 

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