小説 続・うそとまことと

第7話 すれ違い

 

 11月の初め。
 琴の誕生日が近い。
 都筑はプレゼントを何にするかを考えていた。
 時計を見るともうすぐ7時だ。
 琴からの帰るコールはない。
 心配になりテーブルをコツコツ叩く。
 部屋中を歩き回り、ソファに腰をおろすがリラックスにはならない。
(琴もこんな気持ちだったのか)
 と、テーブルの上の冷えた料理を見てなんとも言えない気持ちになった。
 スマホが振動し、慌てて取ると琴からのメッセージだった。
【今から帰ります。スタッフさんが駅まで送ってくれるので、心配しないで下さい。ご飯は先に食べていて下さい】
 琴が今通っているスタジオは確かここから1時間。
 待てない時間ではない。都筑はとにかく無事に帰るよう返信し、駅まで迎えに行く準備をする。

***

 帰宅し食事を終えても琴は資料を手放さず、ずっとタブレットに書き込みをしていた。
 色とりどりの画面。
 文字が書かれては消され、モデルの顔から色を抜くと再び色つけをして。
 目の下のクマがより色を深めている。
「少し休憩したら?」
 都筑がそんなことを言ったが、琴は生返事を返すばかりで頭の中は次の仕事でいっぱいいっぱいだった。
「琴」
「あとで」
 目の前に差し出されたのはノンカフェインの紅茶だ。
 ふわっと柑橘の香りがして、都筑が気づかって淹れてくれたのだとようやく気がつく。
「あ……ごめんなさい。必死になってて」
「肩が緊張してる。気持ちは分かるけど、少し休まないと」
「でも、仕事詰まってる。現場でゆっくりしてられないから、こっちで準備しないと」
「なんでそんなに急ぐんだ?」
「自粛は解除されたけど、スタジオを使う際の人数制限があるんです。モデルさんを一気に並べてって出来ないから、鏡を独占する時間なくて。手早くやるためには練習しないと……」
 そう言う琴の手は、カップの持ち手を取った瞬間に震えだす。
 疲れのせいだ。
 まだ腱鞘炎は出来ていないが、時間の問題かもしれない。
「飲めない……」
 そうごまかそうと笑ってみせたが、都筑は眉を寄せて顔を覗き込んだ。
「ちょっと」
 そういうと手を伸ばし、下まぶたをめくった。
「貧血になってるんじゃないか」
「サプリメント飲むから大丈夫」
「食事は? 昼飯は食べてないのか?」
「……」
 琴は黙ってしまう。これでは食べていないとすぐにバレるだろうが、上手い言い訳も思いつかない。
 頭がぼーっとしてきた。
 ここ2週間休みがない。
 帰り時間もバラバラで、メイクの注文は毎回変わり、現場での追加撮影も多かった。
「おやつだけでもいいから、食べるんだ」
「はい」
「しばらく紅茶は禁止」
「えっ……あ、そうか。鉄分が摂りにくくなる」
 都筑の手が離れ、琴は肩の脱力とともに顔を下向かせる。
 このまま前に倒れたら、きっと起き上がれない。
 琴は頭をふって頬を叩く。
「続きする……」
「琴。そんな調子じゃ集中出来ないだろ?」
「だって仕事ですよ」
「仕事だからだ。ちゃんと自己管理をしないと、本番でしっぱ……実力を発揮出来なくなるだろ」
 琴は俯いて、目を閉じた。
(なんで叱られなきゃいけないの?)
 仕事をして何が悪いというのか。
「本番をちゃんとするためです」
「いいから、まず落ち着くんだ」
 琴は都筑のもっともな言葉にイライラを募らせた。
「ほっといて下さい!」
 そういうとタブレットを取り、立ち上がって震える腕がタブレットを落とす。
 ガンッ、と鈍い音がした。
 慌てて持ち上げ、電源を入れる。
 確認を急ぐと、過去のデータは無事だったが、さっきまで手直しをしていたものは消えてしまっていた。

***

 寝室でタブレットを動かすと、復元データが出てきてなんとかやり直しが出来た。
 だが腕の震えが収まらず、琴はやりきれない気持ちで両膝を抱えると、そこに顔を埋めた。
 明日のスタジオ入りは昼前。
 弁当を作る時間はあるだろう。
 だがそんな気分になれなかった。

***

 翌朝は都筑が朝食を準備してくれていた。
 琴は重いまぶたをなんとか持ち上げ、フルーツたっぷりのパンケーキに視界を潤ませる。
 都筑が手招きし、琴を目の前に座らせると包帯を巻き始める。
「サポーター代わりに。仕事以外では休ませるように。迎えに行くから、連絡してくれ。今はマイカー通勤だしな」
「……」
 琴は手首に包帯が巻かれていくのを見つめ、目元が熱くなるのを感じる。
 涙を流さないように唇を噛み、息を吸い込むと口を開いた。
「怒ってないの?」
「何を?」
 都筑が顔をあげる。
 いつものように、理知的な目だがその奥には柔らかいものがある。
 琴は途端にほっとし、唇を解放すると礼を言った。
「ありがとう」
「今が踏んばり時なんだろ? 出来るだけサポートするから」
「でも……」
「こっちの仕事は落ち着いてきてる。君と入れ替わりだったな。ちょうど良かったんじゃないか?」
 琴は頷いた。
 都筑が包帯を巻き終え、とにかく食べようとテーブルに座った。
 琴もそれにならって隣に座ると、利き手ではない左手でフォークを使い、パンケーキを食べ始めた。
 柔らかい甘さに涙が出てきて、ごまかすように時計を見つめる。
 都筑がそれに気づかないはずはないが、何も言わずにいた。
 何か言って欲しかったのか、言われなくてよかったのか、どっちなのかはわからなかった。

***

「でさあ、あずまっちが若作りするなとか言うわけ。そんなこと言われてもこっちだってスポンサーついてるわけだから簡単に変えらんないよね。今も新作つけてーって言われてさ」
 30代の女性タレントの愚痴なのか世間話なのかを聞きながら、琴は彼女にメイクを施す。
 動画を見てやって欲しいと指名があったのだ。
 彼女は琴の腕をみて、包帯に気づいた。
「どしたの、それ」
「ああ、これちょっと火傷しちゃって。動かすには問題ないんですが、けっこうしみちゃうので。見苦しかったですか?」
「ううん。いいのいいの。でね、あずまっちが言うには年相応のメイクにしろって。上原さんにお願いしたいのはそういうことなんだけど、でもそれだと個性が死んじゃうから~」
 機関銃のような話し方だ。
 バラエティ番組そのままである。
 琴は彼女のスポンサーだという化粧品の中から肌の色に合うものをあらかじめ見つけてある。
 それを使い始め――
「ちょっとちょっと、人の話聞いてた? 個性死んじゃうからって」
「ええ。でも一度お肌の色に合わせると、いつもお使いのものでも落ち着くようになるんです」
「『でも』はいいの、『でも』は。とにかくあたしのキャラクターに合わせて欲しいの。わかる?」
「はい。キャラクターの邪魔にはなりません。上からちゃんと」
「口答えしなくていいの。指定通りにやって」
 琴は口を一瞬ぽかんと開けたが、なんとか頷く。
(仕事だから)
 合い言葉のように言い聞かせ、琴はぐっとこらえる。
「……はい」
「それでいいの。女優じゃないんだからね。綺麗にならなくいいんだわ」
「でも……いえ、すいません」
 結局仕上がったのはいつもと同じ。
 しかし女性タレントは満足なようだ。
「若い子にしてもらうといいわね。若返った気分よ。でもこれじゃああなた、オリジナリティがないわね」
 と、嫌味なのかアドバイスなのかわからない言葉を明るく言われ、琴は「ありがとうございます。精進します」と返すので精一杯だった。

 次の現場では20代後半の女優が相手だった。
 雑誌の企画で期間限定のコラムで登場するらしい。
「動画を見て気になったの。ドラマでは嫌な役が多いでしょ、私。だから雑誌ではなるべくナチュラルにしたいの。女の子相手に人気が出るような」
 普段は男性受けを意識したメイクの、主人公の恋のライバル役などきつい系の役を演じる女優だ。
「では色味を少し落ち着かせましょうか。ピンク系がお似合いですが、少しグレーがかったクールなもの。こちらは少しブルーがかっています。どちらがお好みですか?」
 琴がタブレットを見せて説明すると、彼女は気だるげに首をかしげた。両腕を組んだまま脚を組み替え、どこか寄せ付けない雰囲気が出ている。
 琴はこの雰囲気こそ「嫌な役が多い理由では」と思ってしまう。
「わからないわ……女の子ってどんなのが好きなの?」
「ええと、個人個人に合う物がやはり綺麗ですから、大衆受けを考えるのではなく、あなた自身に合わせるのが良いかと。それと、もう少し雰囲気を和らげた方が女の子も好きかと」
「和らげる? うーん……」
 彼女はゆったりと髪をかきあげた。
「わからないわ……」
 どこまでも気だるげだった。
 琴が仕上げたのはグレーを基調としたピンク系のメイク。
 彼女は優柔不断と言うか、そもそも自分で考えないタイプのようだ。
 おかげで琴の好きなようには出来たものの、「こういうのがいいのかしら。わからないわ……」
 と首を傾げられてしまった。

「よろしくお願いします!」
 と、元気な声で挨拶をしたのは雑誌で新作ワンピースのモデルを務めることになった今売り出し中の若手女優だ。
「よろしくお願いします」
 会話の成り立つ相手で、メイクを施す間も相談を受けながらなのでかなりスムーズに進める事が出来た。
「私、ちょっと子供っぽい雰囲気が抜けなくて。赤いリップとか塗りたいんですけど子供のまねごとね、なんて言われちゃうっていうか……」
 壁にかかったワンピースもどこか大人っぽい雰囲気のものだ。不安げな表情を浮かべている。
 確かに少し幼い顔立ちだった。彼女は22歳だが、女子高生の役も無理がない。
「赤にも色々あるんですよ。深い赤、甘い赤、みずみずしい赤、青っぽいのとか茶色っぽいのとか。似合う色があったら問題なくつけられます」
 琴は彼女に似合う赤を取り出して並べる。
「マットなものより、少し艶の出るものの方がお似合いです。青やピンク、茶が混じったものじゃなくて、純粋で、明るい赤色が似合うかな……これですね」
 琴が差し出したそれを見ると、彼女は花が咲いたように笑った。
「こんな大人っぽいの……似合いますかね?」
「大丈夫です。目元と頬の色を控えめにして、指で馴染ませるように唇に置いていきます。こんな感じ……」
 メイクを終え、鏡に映る姿を見ると、彼女は手を叩いて喜んだ。
「嬉しい! ありがとうございます!」

***

 仕事を終えると、琴は昼ご飯の代わりにとシリアルバーを食べた。
 ココアを飲みながら、時計を確認する。
 都筑は「迎えに行く」と言ってくれた。
 琴は素直に帰るコールをし……「あっ、上原さん。良かったら一緒に帰りませんか? スタッフさんが送っていきますよって」
 さっきの彼女だ。
 大人びたワンピースに赤い唇。
 よく似合っている。
「でも、寄る所があるので」
「マネージャーさんもすごく褒めてくれてて、次のお仕事でも一緒に出来ないかって。少人数でロケバスだから密じゃないですよ。ほら」
 仕事。
 琴はその一言に反応してしまう。
 まだメッセージは送信しておらず、都筑は琴の帰りが不規則なのを知っている。
 駅まで送ってもらって、都筑に連絡すればいいのだ。
「あの、じゃあ、ご一緒させて……」
「良かった! 行きましょ、行きましょ」
 なかなか強引な子であるらしい。
 車に乗るとマネージャーの男性がにこにこと笑顔を見せた。
「お世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。お声がけ下さってありがとうございました」
「ユーチューブを見ていて、真摯に仕事に向き合ってらっしゃるんだなと感じまして。いかがでしたか? 今回は」
「あ、ええ。とても楽しく……なんて言っては失礼ですね。でも本当にいい現場になって」
「琴さんにメイクしてもらうと自信が出てきます。次のドラマも一緒に……」
 話はさくさく進み、琴は新たな仕事を得ることが出来た。
(お金が入ってきたら新しいメイク道具、雑誌、本を買って……レシピも充実させたいな……)
 そんなことを考える内、駅が近づく。
「あっ、あの私、ここで。ここからなら乗り換え無しだから」
「とんでもない、お疲れじゃないですか? 住所の最寄りの駅までお送りしますよ」
 マネージャーがそう言う。
「でも、ほんとに、ここで」
「だめですよ、女性が一人で歩いたら」
 都筑に連絡をしたいのだ。
 だが親切からか彼らは送ると言って譲らない。
 琴がようやく車から降りたのは、「最寄りです」と嘘をついて降ろしてもらった、かつてのビルの駅前。
 都筑と出逢ったビルが見える。それに安心感を得てゆっくりと目を閉じた。
「はあ……」
 と大きなためいきをつき、琴はようやく都筑に連絡をした。
 1時間後に見慣れた車が到着すると、琴は全身の力が抜けたようにその場でしゃがみ込む。
「大丈夫か?」
 都筑が駆け寄った。
「……ほっとして」
 差し出された手にすがりながら立ち上がる。
 脚まで震えてきたのは疲れのせいだろうか。
「全く……」
「ごめんなさい」
「怒ってない。……帰ろう」
 そういう都筑は視線をそらし、運転席に座ると車道に目を向けたまま、琴に声をかけることはしなかった。

***

 ベッドに入ると都筑の背中に目をやる。
 広い背中だ。
 連絡するよう言われたのに、しなかったことに後悔する。
 はあ、と息を吐き出すと、胸がぎゅう、と苦しくなった。
 素直に頼っていれば、今頃何か話せただろうか。 なんとなく後ろめたくなってしまい、口を開けば息を吐き出すばかりだった。

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