小説 続・うそとまことと

第3話 忙しい彼

 琴はキッチンで本を片手に食材を見つめている。
 いや、睨んでいるといった視線だった。
「これとこれは合わせてはいけない? 冷え性には向いていない……唐辛子を使えばOK……うーん、どうしよう」
 食事に関する資格取得のため、薬味やスパイスなどを揃えてみたものの、なかなかに難しい。
 色や味、食材同士の相性と食べる者の体質などなど。
 都筑は鶏肉が好きなようだ。
 ササミを湯がいて、サラダにしようか。
 他の部分は甘辛く焼こう。
 ドレッシングはオリーブオイルで手作りをして、後は野菜を炒めるか、煮るか、蒸すか?
 壁掛け時計を確認すると、そろそろ夜の7時。
 都筑から連絡はなかった。
「うーん」
 いつ作り始めればいいだろうか。
 とにかく下ごしらえだけはやっておこう、と琴は決め、水をはったフライパンを火にかけた。

 8時になっても連絡がない。
 仕事場で何かあったのだろうか。
 琴は空腹を撫でながら、心配になって家の中をぐるぐる。
 外には出ていないのに脚が疲れてきた。

 8時45分。
 琴は無表情にユーチューブを流していた。
 裁縫や手作りアクセサリーの動画が延々と流れている。
 スマホが軽やかな音楽を流し、琴は弾かれたようにそれを手に取った。
「もしもし!?」
 第一声はあまりに不安げなものになってしまい、琴はあっと息を潜める。
 やがて待ち望んだ彼の声が、申し訳なさそうな響きを持って聞こえてきた。
「もしもし。……本当にすまない」
 琴は体の緊張が一気に解け、カーペットに座り込むと息を吐き出した。
「これから帰れるんですか?」
「ああ、なんとか。ごめん、本当に」
「謝らないでいいです、仕方ないから。気をつけて帰ってきて下さい」
「わかった」
 通話が切れ、琴はよくわからない疲れでソファに背中を沈めた。
 車で帰るはずだから、およそ30分といったところか。
 視線をテレビに戻せば、きらきらのデコレーションが施されたコンパクトミラーが完成していた。

***

「帰れる時間がまだ把握出来そうにない。連絡も、出来るタイミングがないかもしれない。これからは食事を待たなくていいから」
 都筑は食事を終えると琴を呼び、まじめな顔をしてそう言った。
 琴は唇を尖らせたが息を吸うと俯いて、目を閉じてから「はい」と言った。
 琴も勉強と仕事の準備と色々あるのだ。
 夜10時前になってやっと夕食。これがここ1週間は続いている。
 これでは体が持ちそうにない。
 同棲が始まっておよそ3週間。
 都筑が帰ってくるのを待ち、一緒に食事をとって、一緒に眠って……そんな余裕があったのは最初の3日間だけだった。
 やがて都筑の仕事は夜遅くまで続くようになり、琴はリビングでうたた寝をし、背中を痛めることもしばしば。
 その頃から都筑は「先に食べるように」と言っていたが、琴は言うとおりにせずに待っていた。
 都筑は嬉しそうな顔をしたか?
「作っておいておきます」
「ああ」
 状況が状況なだけに、うきうき気分だけではいられない。
 それでも琴が手料理にこだわったのは、食事関係の勉強をしていると、免疫や五臓に関わる食材の選び方などが分かってきたのだ。
 都筑は帰るとウェットティッシュで服や頭を拭った後、洗顔に着替えをしてからリビングに入る。シャワー直行の日もあった。
 消毒液の匂いが部屋に漂って、それでも文句を言わない都筑のサポートをしたかった。
 もちろん自分自身のためでもあるが。
「はちみつ紅茶を淹れたから、明日は仕事場に持っていって下さい」
「わかった」
「井上さんにも飲ませてみて下さい」
 琴がそう言うと都筑はふっと表情を緩めた。
「わかった」
「これマスク」
 琴は動画を見ながら作った布製のマスクを都筑に渡した。
「ポケットがあるから、フィルターとか入れられます」
 今のところマスクは売り切れ続出だ。
 せめて感染させないために布マスクも勧められていたはず。
 琴は5枚ほど作って、気になったら取り替えるよう言った。
「……わかった、ありがとう」
「もう抱きついて良い?」
「いいよ。というか、俺が抱きしめたい」
 都筑は腕を広げると琴をぎゅっと抱きしめた。
 アルコール消毒液の匂いが鼻腔をついて、琴は鼻をつまむと都筑の体温に意識を集中させる。
「匂う?」
「かなり」
「肌に悪いんじゃないか?」
「ストレスの方が悪いの」
 そういう琴の髪を都筑はなでた。
 シャワー後のシャンプーの香りがふわっと立ち上り、ようやく深呼吸をすると目を閉じた。

***

 翌朝、琴は事務所に連絡を入れていた。
 ユーチューブやブログなどでの活動をしても良いか、という相談である。
「ごめん、今は確認取れないの。そういうのは初めてだし、ちょっと待ってくれる?」
 と、スタッフが話すのを聞き、琴は挨拶をして通話を切る。
 ふう、と息を吐き出す。
 せめて何か決まれば、後はその方向に向かって準備をするだけだ。
「待つ」のは何もしていないようで、その実辛い。
 何かあったときにすぐ動けるよう、どこかで緊張しているためだ。
 せめて食事関係の勉強をし、こちらにも資格取得後の活動について相談のメールを送る。
 返事が来るのは大体1週間後になるようだ。
 とにかく今日の主な予定をクリアし、琴は冷蔵庫を確認する。
 冷凍庫には肉、魚類。
 野菜室には野菜類。
 冷蔵庫には冷蔵品、レトルト食品も多く、買い出しに行く必要はなさそうだ。
 外出自粛は少しずつ緩和されているが、それでも遊びに出歩くわけにはいかない。
 夕方の5時半。外の空気を恋しく思いながら、食事の準備をする。
 そういえば、貯金はどうなっただろうか。
 幸い家賃の心配は減っているが、流石に収入は減ったのだ。そろそろあれこれと申請する準備が必要かもしれない。
 それに新たな仕事道具を揃えるには、仕事がない。
 今のうちに新しい商品のチェックを、と考えたが自粛ムードのため発表を差し控えているようだった。
 軽やかな音楽がスマホから聞こえる。
 誰かと思えばミクだ。
【やっほー。今暇? 週末にカリナちゃんと辻さんと飲み会しない?】
 琴は久々の誘いに目を輝かせ、すぐに返事を送った。
【やりますやります!】
【よっしゃー、今度のテーマは夏祭りね。浴衣って持ってる?】
【持ってますよ。あ、良かったら和装夏メイクでもしますか?】
【するする! 動画でレッスンしてね。じゃあ5時ぐらいに連絡しまーす。って、都筑さんは大丈夫なの?】
【多分大丈夫です】
【じゃあ楽しもうね!】
 やり取りを終えると、都筑からメッセージが入った。
【今日は早く帰れる】
 相変わらずの文章だ。琴はほっと笑みを浮かべると返信する。
【良かったです! 気をつけて帰ってきて下さい! ちなみに今日はゴーヤチャンプルーです】
【ゴーヤたっぷりで頼むよ】
 都筑の返事に琴は口元をにやにやさせた。

***

 久しぶりに晩ご飯を一緒に食べる。
 都筑は車の時計を確認し、まだ6時半なのを見ると流石に気分も緩く上昇する。
 家のドアを開けると、エプロンを着た琴が廊下から顔を覗かせ、目が合うと眉を丸くして笑顔を浮かべた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
 鞄を靴箱の隣に置くと、その上に備えたウエットティッシュで服を拭いてからアルコール消毒スプレーを全身に浴びる。
 取っ手を拭き取り、そのまま洗面所へ。
 琴は廊下でこっそりと待っていた。
 感染予防のためだ。
「先にシャワー浴びる?」
「そうするよ。すぐ浴び終わるから」
「じゃあ食事の準備してます」
 琴の足音が遠くなる。
 都筑はシャワーを手早く浴び、頭にタオルを乗せたまま着替えるとリビングへ直行した。
「ゴーヤチャンプルーに、これは……」
「ニンニクとタマネギのスープです!」
 人参らしきものも浮いている。
 透明な油が浮いて、いかにも手が込んでいそうだった。
「すごいな」
「美味しいですよ、味見はちゃんとしたから」
「そうだな」
 琴は嬉しそうだ。
 にこにことして、眉がゆったりカーブを描いている。
 頬を赤くしているのは笑顔のためだろう。
 都筑はほっとして、ついその頬を撫でた。
「今までごめん」
「仕方ないです、必要な仕事だし」
 琴は箸を渡すと、早く食べようと都筑を急かした。
 手を合わせていただきますをし、スープに口をつけると、タマネギのまったりした甘みとニンニクの奥行きのある味わいを感じて目を開く。
「うまい」
「良かった」
「ニンニクか。やっぱり体に良いのか」
「みたいですよ。ネギもだし、あっ、椎茸とかも……そうだ、今日どうでした? 作業は……」
 その時、無粋にも都筑のスマホが鳴る。
 仕事用のものだ。
 都筑は何があったかと表情を引き締め、琴に目配せすると席をたった。
 相手は井上である。
「どうした?」
「今設計図見直してたんですけど、換気口の位置がちょっと違うんですよ。職人さんがここ穴開けられないって言ってたのはそのせいらしくて」
「設計ミスか、図案が古いものだったのか? 他に候補はあったよな」
 都筑は作業机に向かい、資料をさらう。
 △ビルの設計図と、今回の案を見比べるのだ。
 都筑は時間がかかりそうだと考え、スマホを胸元に当てると琴に声をかけた。
「ごめん、仕事だ。先に食べててくれ」
 返事は聞こえなかった。

***

 都筑は冷えた料理を食べ、ベッドに入った。
 先に寝ていた琴は横を向いて、すでに眠っているようだった。
 11時45分。
 夜の静かすぎる気配が部屋に忍び込んで、冷房の音がやけに響く。
 琴の体温が近くにあるのに、起こすのがはばかられ触れられない。
 体は疲れているのに仕事のためか頭が冴え、なかなか寝付けそうになかった。
 彼女の髪に顔をよせ、わずかに感じる甘い香りに意識を寄せた。

***

 翌日。
 都筑は休憩時間になると近くの公園で弁当を広げた。
 琴が持たせた物だ。
 中は白米、ネギのごま油炒めに魚の塩焼き。
 水筒には緑茶。
 しっかりと量が詰められ、保冷剤のために冷えてはいたが味も良かった。
 弁当を食べ終え、箱を持ち上げるとメモが入っていた。
【今が踏んばり時。がんばって下さい】
 都筑は一人頷いて、メモを作業着の胸ポケットにしまうと立ち上がった。

***

 9時ごろに帰宅すると、琴の楽しげな声が聞こえてきた。
 いつものように消毒を終えてリビングに向かえば、琴がパソコンを開いていた。
 リモート女子会というやつだろう。
 ミクに、カリナ、辻の顔が見える。
「あ、おかえりなさい」
 琴が振り返り、画面の向こうから「お疲れ様でーす」と明るい声が都筑に向けられる。
「ただいま。女子会?」
「みたいなものです。ごはん食べますか?」
「続けてて良いよ、自分でするから」
 琴が目を丸くする向こうで、「新婚」「邪魔しちゃだめだね」とひそひそ声が聞こえる。
「じゃあ、今日は私、これで」
「明後日ね」
 と聞こえたかと思うと琴がそばにやってきた。
「おかえりなさい」
 再びの言葉に振り返る。
「ああ」
 弁当箱を流しに置けば、琴が腰に手を回してぎゅっと抱きついてきた。
 細い腕を包むようにして、そのままコンロを確認する。
 鍋の中身は豚の煮物のようだ。にんじんがごろごろ入り、彩りも豊かである。
「弁当ありがとう」
「はーい。美味しかった?」
「美味しかったよ」
 鍋を火にかけ、彼女に振り向くと腰を抱いた。
「酒でも飲むか」
「もう?」
「ああ、キスしたいから」
 都筑がそう言うと琴は照れたように下を向いた。
 都筑は出ていたコップに手を伸ばすと、ウィスキーを開けて口に含む。
 ぐっと飲み干すと喉が焼けそうになったが、それに構わずに琴の顔を上向かせると口づけた。
 逃げるような彼女の舌をとらえ、ウィスキーの余韻ごと絡める。
 アルコールが一気に熱を運んだが、都筑は琴の体を抱きしめると口の中の熱まで奪うように貪った。

 

次の話。18歳以上の方はこちらへ→第4話 キッチンで(官能シーンあり)

18歳未満の方はこちらへどうぞ→第5話 花火

 

注意!(アルコール度数の高いお酒で口内の殺菌が可能か、の根拠を私自身は持っていません。

アルコール度数の高いお酒はその分体に影響を与えますので、充分にお気を付けください。)

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