話はさかのぼるが、王宮が陥落したその日である。
王都で起きた暴動により、民が離れていった。
まだ残っている者達もいる。ジェンティアナは騎士を呼び、彼らを速やかに王都から脱出させるよう指示を出した。
衛兵は彼を避難させようとしている。
混乱の中でシリウス達は王都に留まっていた。酒場にいるジャスミンと合流し、鷹を飛ばす。
王都に溢れ始めたのは竜人族と王国軍だった。
「スティールの軍だな」
「それとピオニー……なのか」
アゲートは表情をこれ以上なく引き締めていた。
「信じられん。なぜこんな騒ぎを起こした?」
「スティールは王になると言っていた。それでこんなことを」
ジャスパーは言葉にしながら整理しているようだ。
シリウスは「まず離脱を」と告げ、皆が頷くのを確認すると荷物をまとめた。
こんな時に髪の染料は落ちてしまっている。変装は間に合わないだろう、そうなれば、スティールが自分を見つけ次第処刑するのは目に見えている。
「父上が心配だ……」
「今は私たちではどうにもできないわ」
ジャスミンははっきりと告げた。
味方の人数が少なすぎる。アゲートは私兵を持っていないのだ。そして王でもないため、軍も騎士も指揮出来ない。
「ベリル、静かの森に退避したい。特殊捜査機関の者も一緒に」
「構わないわ。すぐに行きましょう。それからサファイヤ湖のルビーに連絡を……」
「どうやら民とともにウェストウィンドへ向かっているようだ。あそこは確かに駐屯地となったが、屯田があり大人数収容出来る」
「ほお、なるほど」
エジリンがのんきな口調で頷く。こんな事態に巻き込まれたというのに、大物だ。
「皇子、あなたが一番危険ですよ」
サンが釘をさすように注意する。エジリンはなぜ? と首を傾げて見せた。
「こんな事に巻き込まれた皇子を活かしておけば帝都にどんな報告をされるか。事故に見せかけて暗殺される可能性がもっとも高い」
「うわ、最悪だ。でもここで死ぬ気はしないんだけど。ところで、そうなったらこの暴動を起こした者は全て”事故”と言うつもりなのだろうか」
「どうであっても言い訳はいくらでも作れる。アイリスに帝都から新たな王がやってきて、彼らの子をめとれば帳消しなのですから」
「……常に前例の通りか。芸がない」
エジリンはやや凜々しい顔を見せ、顎をさすった。
「では私は帝都へ帰れるまで、常に危険だ。あなた方とともにいた方がきっと安全だろう。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
エジリンは行動を定めた。誰も異論はない。
ベリルは静かの森へ案内すると告げ、皆立ち上がる――シリウスは言った。
「俺は残る」
「え?」
髪を指さす。
「これではあいつらに見つかる可能性が高いんだ。皆を巻き込むわけにはいかない。ジャスパー、後は頼んだぞ」
そういって立ち上がり、一人酒場を出ようとしたその時だ。
「おい……」
「いい加減にして!」
ジャスパーが言うより早く、ベリルが激昂した。
「いつも自分を犠牲にして、それで皆は助かって嬉しいと思うの!? 置いていかれる人の気持ちも考えてよ!」
ベリルの一言に、皆目を見開いた。
「さっきだって一人残って、もしあなたが負けていたら? 皆後悔するわ。一人にしてしまったことを。一緒だったら助かったかもしれないのにって! 今度はそうさせないから!」
ベリルはシリウスの胸ぐらを掴むと、問答無用で引っ張り歩く。
シリウスは言葉も継げないまま、思わず「ははっ」と笑ってしまった。
「何?」
「いや……すっきりした」
急に肩の荷がおりた気分だ。
ベリル達に続いて皆酒場を出る。
王都へ向かうため、大通りを避け、逃げ遅れた民に紛れて門を目指す。
「アハハハハハハ! いい気味だ、あたしを苦しめた罰だよ! 罰が当たったんだ! 王女に逆らった罰がね……!」
狂ったように笑う女の姿が、土埃の中に見える。
白髪の女だ。
カラスがその頭上を旋回していた。不気味な光景、シリウスは竜人族が槍を持ち走り回るのを見ていた。
あるいは気づいた者が向かってくる。
ジャスパーが弓を構えた。かつての味方に向かって、矢を放つ。
正確に肩を射抜き、彼らは槍を落とした。もう戦士ではいられないだろう。
まさしく混沌だ。味方だった者が敵となり、敵だった者が味方になっている。
王国軍と、竜人族。両方の軍勢が迫ってきていた。
エジリンを守るように進むが、囲まれてしまった。
その時、馬のいななきと共に明らかに動きが違う、慣れた兵士らが王国軍を蹴散らしていく。
アジュガだ。寝間着のままではあったが、彼はすぐに彼とわかる。
「おい、ここは抑えてやる」
彼はそれだけ言うと、自らの精鋭を率いて血路を開いた。
シリウスが一度だけ振り返ると、アジュガはいつかのような笑みを、一瞬だけ見せる。
それが最後に見る彼の姿となった。
所属する場所が違っただけ。志が同じなら、産まれに関わらず自然と重なり、違うなら離れていくだけだ。
今となっては竜人族も王国も、大して変わらない。
皆混乱の中にいるだけだ。
門の前にスティールが一人、立っていた。
待っていたのだろう。シリウスの姿を認めると、彼は組んでいた腕を開き、ダイヤモンドの槍を取り出す。
「構えろ、シリウス」
スティールはシリウスに槍を投げて寄越した。
「シリウス」
ベリルが顔を覗き込む。シリウスは「わかっている」と言うと一人、一行から離れスティールと向き合った。
「スティール、お前、王都をひっくり返したな」
「ああ。これで戦争は終わるぞ。良かったな」
「他人事のようだ。お前、本当は何がしたいんだ? 何を求めていた?」
「今となっちゃ、どうでも良いことだろ」
スティールは落ち着いていた。いつもの彼なら、喜んでこの混乱の波に乗っていたことだろう。
何かが違う。
焦りを感じるのだ。
「……」
シトリンか、プルメリアなら彼のことが分かったかもしれない。あるいは、プラチナなら?
言ってもせんないこと、シリウスは槍を構え、スティールと真正面から向き合う。
ダイヤモンドの槍は曇っている。今なら惑わされない、シリウスはそう直感していた。
空気を抜けるように突き出されるそれを寸での所でかわし、柄でスティールの腕をうって離れる。
彼の持つ鋭い呼吸を受け入れ、流すのだ。
そしてこちらに巻き込む。
流石にスティールは細身のくせに一撃が鋭い。一度でも受ければ致命傷だろう。
シリウスは攻撃をかわしながら、チャンスを窺った。
隙の出来た背中に肘を打ち込み、その時には脇腹に打撃が加えられる。
膝を折って耐え、衝撃を逃がすと額をうつ。
「埒があかないな、本気を出せよ、シリウス!」
「お前こそ、どうしたんだ。迷いがあるぞ」
「チッ」
舌打ちとともにスティールは真上から槍を剣のように振り下ろした。
シリウスはそれを受け止める――キイン、と不似合いな美しい音がなり、スティールの目が見開かれた。
「!?」
一瞬の隙にシリウスは彼の鳩尾に掌底をあて、呼吸とともに押さえこむ。
スティールは息を乱したが、流石に鋼の肉体である。数歩下がると槍を振って払う仕草を見せた。
その槍の先端にあった、ダイヤモンドがない。
「クソッタレが! こんな時にぶっ壊れるなって冗談じゃねえ。シリウス、悪運の強い野郎め。今回は見逃してやる。とっとと行け!」
スティールは飛ぶように去っていく。
シリウスはその場に転がっていた、ダイヤモンドを手にした。
真っ二つに割れ、表面は光を複雑に閉じ込め濁っている。
竜人族の混乱を示すかのように。
「……」
なぜか、これでいいのだという気がした。
***
新居の中でピオニ―は一人、震える膝を抱えていた。
そこに白髪の女が現れ、見下ろす。
「なあに、お嬢ちゃん。泣いているのかい?」
「こ、こんな、恐ろしいこと……聞いていないわ」
「そりゃそうだろう、言ってないもの。でもこんなことぐらいでメソメソして、それで女王になれると思っているのかい? 王位が欲しかったんだろう? この国はね、いつだってこうやって王位が変わっていったんだよ。時の支配者を否定してね」
「私はこんな、こんなことまで望んでいないわ」
ピオニ―の声は震えていた。
白髪の女はそれを聞くと、唇を歪めてあざ笑う。
「世間知らずだね、夢物語の中だけで生きてきたのかい? だから利用されるんだよ」
「利用ですって?」
「その通りさ。女王になりたいかいって言えば、すぐついてきてさ。あたしを王宮に入れちまった。可愛いものだね、王女さま」
白髪の女はピオニ―の金髪を掴むと無理に顔をあげさせた。
「ねえ? 王女さま。失敗したら、王女だろうとなんだろうと、民は簡単に許さないよ。皆剣を構えてあんたを取り囲むさ」
「私がやったんじゃないわ……スティールとあなたがこれをやったのよ!」
「あんたのためにね!」
白髪の女がぴしゃりと言う。
一切の時間が止まったかのような静けさの中、ピオニ―の顔色はどんどん生気を失っていった。
「いいかい? あんたの名前で、あたしたちは好きにやらせてもらった。感謝してるよ。責任は全てあんたが背負うんだ。だってあんたを女王にするためだからね」
撫でるような声音で言うと、白髪の女は髪を離す。
「私の責任……?」
「そうだよ。そうそう、あんたを女王にするんだったら邪魔な人間がまだいるね」
ピオニ―はゼーッと息を吸い込んだ。誰のことか気づかないわけがない。白髪の女のドレスにすがりつき、涙でぐしゃぐしゃな顔をあげた。
「や、やめて。お願い! 父上は放っておけばいいわ! 殺す必要なんてないじゃない!」
「あらそう? でもお父上にバレたら、あんたが死ぬんだよ。どっちが大切なの?」
「それは……でも、ばれなきゃ良いのよ。そうよ、隠せば……だって、私が実行したわけじゃない! スティールとあなたがやったの。私は望んでない……」
「スティールを婿にすると言ったのはあんただよ。あいつを一人犠牲にして、あんたは助かるって本気で思ってる? 縁者が一緒に処刑されなくてなんで夫婦なの。後を追うのが美徳なのさ」
「やめてよ! 死にたくない!」
ピオニ―は金切り声をあげて泣きわめいた。
白髪の女はふふんと笑って、裾を揺らすと宮を出る。
そこにいたのはアジュガだった。
「ピオニ―もあんたと関わっていたのか」
「その通りだよ。クーデターなんて、この国じゃ何か小さなきっかけがあればすぐ起こせる。ロータスでも、あんたでも、誰でも良かったんだ。まあ都合が良かったのはあの子だね。ロータスはまっすぐすぎて使えなかったよ」
「……魔女め」
アジュガがそう言うと、白髪の女は「久々に聞いたよ」と呟く。
剣が太陽光できらりと光る、だが震えていた。
「薬物中毒の男に何が出来るっていうんだい。まともな現実は見えてるかい?」
「俺は確かにまともじゃない。だから丸腰の女でも切れるぞ」
アジュガは白髪の女に斬りかかるが、切っ先は空を切るばかり。
そこに落ちた破片が光り、アジュガの目を焼いた。
その時、彼の背中に衝撃が加わり、アジュガは確認するように手をやった。
赤くぬるい体液が、掌にべっとりついている。
「……」
アジュガは酔った人のように体を崩し、その場に倒れる。
背中には切られたような痕が残っていた。
***
王都を脱出したシリウス達は、静かの森を目指す。
ウェストウィンドへ流れていく民は多く、そこに紛れ、夜に紛れ。王国軍が追ってくる気配はなかったが、カラスがうるさかった。
5日、夜通し駆け抜け、静かの森に到着する。
森は名前の通り静まりかえり、ベリルとオウルが帰還を告げると家老が飛び出してきた。
「お嬢様! 長老も!」
その声に家々から皆が顔を出す。
デイジーもいた。笑みを見せ、一行を迎え入れる。
もう深夜ではあったが、すぐに屋敷内は整えられた。だがシリウスは気になることがあり、デイジーに話を聞く。
「ここで王子達が行方不明になったはずだ」
「ああ、そうです。あの時、プルメリアちゃんと一緒に湖へ行ったはずです」
「湖か」
二人の話し合いを聞いていたベリルが勘づき、側に来る。
「湖を通じて、サファイヤ湖に行ってしまったということね?」
「そうだろう。オニキス殿は魔女、と言っていた。怪しい女を見てないか?」
シリウスはデイジーに聞きながら湖へ向かうため屋敷を出る。
ベリルとジャスパーもついてきた。
「いいえ。怪しい女……は見ていません。あの、話がよく分からないのですが」
「王子とプルをさらったのは、魔女だということだ。詳しくはまだ分からないが、湖に細工があるかもしれん、見てくる」
「私たちに任せて、旦那達は休まれた方が良いでしょう」
「いや、俺は夜目が利く。危機はすぐに取り除かんとな」
「俺も行きますっ」
フェンネルも手を挙げ、デイジーは人を呼ぶと一緒に湖へ向かった。
「ここに王子の服があったんです」
フェンネルが言った。
「服?」
「落ちていたんです。詳しいことは分かりませんけど」
湖のほとりにあったということだ。シリウスはその理由がすぐに分かった。
あのペンダントを取ろうとしたのだろう。
シリウスはぐるりと湖を見渡した。
以前と違ったような風景に違和感を覚え、さくさくと草を踏んで石を渡り、匍うように生えていた植物が根ごと払われたような跡に手をやった。
「これは……石版?」
文字が書かれていた。竜人族の文字だ。
「”親愛なる友よ、お前の魂の一部と私の魂の一部をこのダイヤモンドに封じた。これから先、お前は彼らを導いていくだろう。いつか役目を終えるその時まで”……予言か?」
シリウスが読み上げると、腰の袋に下げていたダイヤモンドが疼くような動きを見せた。
「役目……」
取り出し、真っ二つに別れたそれを見る。
精霊が宿っている、そう伝承されたダイヤモンドの槍。
もう槍ではないが、ダイヤモンドはまだ残っている。この石に宿っていたのは精霊ではなく、先祖の魂だったということなのか。
「シリウス?」
ジャスパーが近寄る。
「ダイヤモンドの槍のことが書かれている。これを造ったのはベリー家の者だったらしい」
「それがわれた……役目を終えたと?」
「かもしれないな……」
シリウスはダイヤモンドを入れ直し、目を凝らす。
何かあるはずだ。鏡か、それに似たものが。
木々の上、枝に何か引っ掛かっている。あれではないか、シリウスが指さすと、フェンネルがすぐに登り、それを掴んで戻ってきた。
「これ、そうじゃない? サファイヤ湖で見たの似てます」
フェンネルが見せたのは鏡の破片だ。
おそらく間違いない。だがどうやってあんな木の上に設置したのだろう。
「静かの森は聖域にほど近い。一体どうやって入り込めたというんだ」
「案外、鳥かもしれないな」
ジャスパーは何のけなしにそう言う。
「まさか」
とフェンネルもおかしそうに返したが、シリウスはなぜか笑えなかった。
ずっと追っている鳥がいるのだ。
そう、カラスが。
「……まさかな」
鏡の破片を見つけたら、すぐ布に包んで何も写さないように、と指示を出しその夜はようやく床についた。
さすがに疲れが溜まっていたため、皆朝が来てもなかなか起きられなかった。オウルは寝込んでしまったようで、ベリルは心配している。
昼前に起きたシリウスは屋敷を見て回った。
ロータスが使っていた天井裏、シリウスが使っていた一階の寝所、全て出た時と同じ。
どこか匂いが残っているかのようですらある。
「ロータスはここで生活を?」
アゲートがそう聞き、シリウスは頷く。
「ああ」
「……王宮とは違うな。生きている感じがするよ」
「あなたも王宮で、息苦しい思いをしているのか」
シリウスの一言にアゲートは目を見開く。
「……なぜ?」
「ジェンティアナ国王は、ここよりずっと立派で広い寝室にいた。だが、まるで監獄のような冷たさの中にいる感じだった。広いほど虚しさばかり漂うような」
「……父上もそうだが、王となった者は、いや、リーダーとなった者は、どこか孤独になるものだ。皆に背中しか見せられないのだから。あなたもそうなのではないか?」
アゲートの言葉にシリウスは視線を逸らし、自分に問いかけた。
(孤独?)
ジャスパーもかつて言ったものだ、竜人族は守る対象であって、甘えられる対象ではなくなったと。だからといって孤独と思ったことはない。
そもそも、孤独ではないのだ。問題は。
「孤独というなら、誰もみな孤独だ。誰かといても孤独だろ。そうじゃない、俺は……孤独だとしても、虚しいと思ったことはない。俺は俺だからな。それで充分だ」
「……虚しくない、のか」
「自分を見失わなければいいだけだ。ジェンティアナ国王は、ずっと自分を見失っていたんだろう。だから誰のことも信じられなくなっていた」
「……」
アゲートは腕を組んで黙り込む、何か考えているようだ。
シリウスはそんな彼に訊く。
「そういえば、妻子はどうしたんだ」
「ああ、それは、ありがたいことにトレニアが預かってくれているんだ」
「トレニア王女か」
「トレニアはロータスを心配してたよ。当然だな、彼は昔から体が弱かった……」
その時、玄関扉がノックされた。
「長官から連絡です」
ナギがやってきて屋敷内で告げる。
「ロータス殿下がこちらにいらっしゃると」
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