足下に血が流れている。
クレマチスは悲鳴が出そうになるのを辛うじてこらえ、柱からシリウス達をのぞいた。
スティールは槍を構え、その先端に血がついている。
全身の血液がどこかへ抜け去ったような感覚に震え、その場に座り込む。
このままどうなってしまうのか?
ジャスパーやシリウスも殺されてしまうのだろうか?
クレマチスは両手を組んで、息を吸う。
心臓は暴れて落ち着かない。
剣戟の音が聞こえてきた。シリウスは暗殺されるはずだったのだ。スティールが遠慮するはずない。
ジャスパーも、ここにはいないも同然の人物である。
「シリウス、テメエは邪魔なんだよ、昔からずっと!」
スティールは怒りを露わに叫んだ。
「何の話だ? 俺が何をしたっていうんだ!」
「テメエの存在そのものだよ! どいつもこいつも、俺を無視しやがって!」
ガィンッ、と鈍い金属音がして、短剣が飛んできた。
ジャスパーの諫めるような声が聞こえ、クレマチスはついに柱から飛び出した。
「もうやめて!」
息苦しい中必死に声を出せば、その場にいた全員の視線がクレマチスを見た。
「引っ込んでろ、クソアマ……!」
シリウスに馬乗りになったスティールが、野良犬のような目で睨む。視線だけで全身が震えるようになったが、クレマチスは柱にしがみつくようにしながらもその場に立つ。
「わ、私はアジュガ王子の妻ですよ。その者達は私の供です。勝手な振る舞いは許しません」
「クレマチス、下がっていろ」
ジャスパーはそう言ったが、クレマチスは首を横にふると続けた。
「離宮とはいえ宮で剣を抜けば厳罰です。今なら見逃してあげます。双方、剣をおさめて!」
なるべく厳しい声音で言えば、スティールの目が睨むようなものから、探るようなものに変わった。
彼は槍を引くと、ジャスパーを見て言う。
「……だそうだ」
「チッ」
ジャスパーは短剣を鞘に戻す。スティールも立ち上がり、3歩離れた。シリウスもパッと立ち上がる。
「アジュガ王子の妻?」
スティールは確認するようにクレマチスを見た。
じろじろと、全身をなめ回すように。
「へえ。あの王子様の。つまり、婚約者を裏切った女か」
スティールの言いぐさにクレマチスは喉を掴まれたようになった。ぐっと下唇を噛み、手を握りしめる。
「証拠なんてないだろ。あんたがアジュガの妻だなんて、誰が見てわかる?」
「証拠ならあるわ。ここに指輪がある」
つけるつもりのない既婚の証の指輪だ。アジュガの印判が彫られてあり、クレマチスはそれを懐に入れて持ってきていた。
「なるほど? 嫌っているわりには、利用するんだな。なかなか大した肝だぜ」
スティールはにやにや笑うとクレマチスに近づいてきた。
「待て、スティール」
シリウスが声をかけ、彼より先にクレマチスの元に来た。大きな背がクレマチスの視界を覆う。
「離宮でのことは不問にすると奥方が言ってるんだ。流石に王国の騎士をまとめて相手は出来ないだろう」
「負け犬がほざきやがって。この女がいなかったら、今頃プラチナのもとにいたかもな」
「ああ。悪運が強くて助かったよ」
シリウスはそう切り返し、クレマチスを庇ったままその場を離れる。
「すまない、助かった」
そうシリウスの謝意が耳元に落ちる。ジャスパーも連れだって歩き出し、門に近づく――残された竜人族はシリウスとスティールと、両方を見るとその場に立ち尽くした。
「そうそう、あの王子様。あんたに裏切られて真っ青な顔をしていたな。残念な王子様だよ、全く」
胸に鋭い痛みが走る。
クレマチスは声には出さないまま、ぽたぽたと足下に滴のあとを作っていった。
その後、宮での騒ぎを聞きつけた警護兵がようやつ駆けつけ、スティールが石の選別をしていたと話す声が聞こえてくる。
クレマチスは「夫のもとへ竜人族を連れていく途中だった」と答え、警護兵数名と離宮を離れた。
クレマチスはアジュガの宮へ送られたが、彼が不在なのをいいことにそのまま脱走し、シリウス達と再び合流する。
夜、宿で寝込んでいると客の声にクレマチスは身を起こした。
庭に先ほどの竜人族が集まっていたのだ。
3人。それと大きな袋。
「どうしたんだ」
シリウスが出迎えている。
「逃げ出してきたんだ。スティールにはついていけない」
「……」
袋を抱きかかえるようにして、地面におろす。
シリウスはそれを開いた。中にはすでに息絶えたあの男が。
「ちゃんと弔ってやりたい」
「ああ……」
シリウスはジャスパーを呼ぶ。すぐに庭に出たジャスパーは事情をすぐに理解したようで、宿に戻ると荷物をまとめて出た。
5人は亡骸を抱き、そのままどこかへ出て行く。
冷えた夜の空気の中、仲間のためどこかへ行く彼らを見ていると不思議な心地になった。
まるで神聖なものを見た気分だ。
部屋を出て、何か温かい飲み物でもと思い厨房へ行く。
そこにいたのはベリルとルビーだった。
「姉様……」
ベリルの目元は腫れていた。
「今日は大変だったみたいね」
「離宮で人が殺されたの」
クレマチスがぽつりと言うと、ベリルはそばに来るよう手招きし、彼女の肩を抱くとホットショコラを手渡す。
「今日は無理に眠らなくて良いわ」
「うん」
ベリルの細い手が背を撫でる。
クレマチスはどうしても下がってしまう視線をそのままに、まばたきを繰り返した。
***
ダイヤモンド山へ入ると、すぐにその峻険な道のりが出迎える。
岩はゴツゴツとし、石も大小問わず散乱している。踏む道はほとんど岩だ。草は生えているものの、岩の隙間に辛うじて残る土にしがみつく恰好である。
舗装されていない道は人の足には辛いものがあった。が、フェンネルは裸足の指や土踏まずを器用に使って、道なき道を歩いて行く。
「……翼でも生えてるかのようですね」
イオスがそう喩えた。
そのくらい、軽々と岩を飛び越えていくフェンネルの姿に、ロータスは今更ながら納得する。
これなら王宮などあっさり潜り込めるはずだ。
そうならやはり戦を仕掛けるつもりなら、彼らはもっとスマートにこなせたはずである。
ロータスは自分の中にある確信を決定づけるものを求め始めた。
きっとあるはずだ、竜人族が開戦をしたわけではないと知らせるものが。
陽が傾き始めると、護衛役を買って出たブルーが休憩を告げる。
今日はここで野営するのが良いかもしれない。高さに慣れないと今後呼吸が苦しくなる。
ロータスは思い切った質問をした。
「捜査機関としては、この戦をどう考えているのですか?」
ブルーは鷹のシャムロックにエサを与えると答えた。
「コネクションが関与している……それは確かだと」
「コネクションがどのような連中かは聞いておりましたが、これほどの規模なのですか」
「帝都中心からエリカの草原、バーチに至っては王城を移すその前から歴代バーチ王と。他の土地ではどこまで巣くっているかを捜査中です。なんというか、闇の連中が全て何らか繋がっているという感じですね。仕事も紹介してもらえるし」
「皆繋がる……」
「ああいう連中は基本、つるむのですよ。一人で平気な者は、わざわざ他人を攻撃したり、邪魔する意味がないと知っています。一人でいられない者が引きずられていくのです」
「善良な者でも孤独を嫌う者はいるでしょう」
「失礼しました。私の言い方が間違いです。真剣な人づきあいが出来る者同士なら、互いに依存はしません。だが中には一人きりが嫌で、虚しさのあまり他人にすがる者がいるものです。そういった者が気づけば影に落ちている。類は友を呼ぶ。犯罪コネクションが大きくなりやすい要因の一つです。えーと、話が脱線したかな? アイリス王国と竜人族の不和……戦闘のきっかけについてはまだ捜査が進んでいません。だが両者の間にはいつも緊張感があったはずです。誰かがそこをつつけば、簡単に切れてしまう糸のような。それを利用されたのではないかと」
「利用?」
ブルーの言い様に違和感を覚え、ロータスは首を傾げた。
「詳しくは長官から聞いた方が間違いないと思うのですが、まあ、私が知っている限りのことはお話しましょう。その許可は得ています」
「竜人族が戦を望んだと思いますか?」
「戦を望んだとは言い切れません。が、それを利用した者がいるのは事実です。王子殿下がよくご存じだ」
「スティールのことですね。彼はアイリス王国で地位を得た……」
「そしてピオニー王女殿下が王位を狙っていたのも確かです。そのために動いていたようですが、だが戦を始めたとは言い切れない。それをする意味はありませんからね。兄君と結びつき、王子か王女を産めば安泰ではあったかもしれません」
「アイリス王国で地位を盤石にと思えば、そうなってしまうのでしょうか。だが姉上の言った通り、女性が一人で生きていくには厳しい国なのかも……」
ロータスは頭痛がしそうなほど眉を寄せた。
何かが変わらなければいけない、そう思ったのはつい最近だ。トレニアと話したその時に。
「やはりこの国が……この国のルールがいけないのだろうか? 変えていく必要があるのかどうか……だがそう願った者達が頂上に至り、そして前例の通りに沈んでいった」
独り言のような呟きに返事はない。ブルーは火をつけ、携帯食料を取り出し、それを火にかけると言った。
「この戦で誰が一番得をするか。間違いなくコネクションです。だが元凶とはいえない」
ブルーの言うとおりだ。コネクションは確かに違法売買を繰り返しているが、それを利用する者に原因はある。
売れないものを売る必要はないからだ。
「私もそれが知りたい。なぜ戦を起こしたのか」
ロータスが静かにそう言った時、枝が火に折れパチンと小気味よい音を立てた。
翌日、陽のあるうちに竜人族の集落にたどり着いた。いくつかある集落のうち、ここは加工場を中心に造られた集落であるらしく、鉱石とハンマーなどが多く、人も男性がほとんどだった。
「フェンネル! それに王子!」
久々に会う顔。
フェンネルが駆けつけ、彼らに抱きついた。
竜人族はスティールの命令で山へ帰還したのは良いが、リーダーがいない。
今は熟練の職人が中心に切り盛りし、何とか採掘と加工を進めているのだという。
「皆を集めて欲しい。話がある」
ロータスの真剣な態度に、何か感じたのか男達はすぐに行動を開始した。
陽が落ちると、もう一つの大きな集落に案内される。
家は木造、2階や3階建てのものもあり、かまどから煙ものぼって生活感がある。
畑も井戸、石を並べて造られた階段もあって、すり鉢状の街のようだ。家々の玄関に松明が置かれ、陽の入りにくい時間になっても暖かな色で満ちていた。その底にあたるところが広場らしい。
女子供の姿が多いことに気づき、ロータスはさりげなく周囲を見渡した。
静かの森で会った、プルメリアのことが気になったのである。彼女は山へ帰ったはず、とベリー家の家老は話していた。
「プルメリアは……」
ロータスがそう聞こうとした時、駆け寄ってくる足音に気づいて振り返る――「王子様!」と呼ぶ声とともに、しっかりとした体つきの、しかし若い女が飛びついてきた。
「シトリン!」
「うわあ! また会えて嬉しいよ!」
振り向いて顔を見ると、前と同じような屈託のない笑顔がそこにあった。
シトリンはロータスの手をとるとさっそく案内を始める。
小道には商店、新鮮な食材や乾物、薬草も売られており、思った以上に栄えた様子にロータスは感じ入った。
「シトリン、何か変わったことはあった?」
フェンネルがそう聞くと、シトリンは眉をよせ気むずかしい顔をつくる。
「とにかくダイヤモンドを持ってこいってうるさいの。それでおっちゃん達、ほとんど狩り出されちゃって街の整備どころじゃないよ。ここはなんとかおばちゃん達で協力してやってるけど」
「では、まだ回復はしていないのか……」
ロータスはつぶやき、周囲を改めて見た。
確かに品物はあるが最低限といった感じだ。
活気はあるものの、人数は集落の規模のわりには少ない。
「ダイヤモンドをなぜ急いで集めている?」
ロータスの質問にシトリンは首を傾げて見せた。
「王国の信頼を得るためだとかなんとか……」
「それらしい理由ですね」
ブルーが言い、ロータスは頷く。
「この人誰?」
「帝国特殊捜査機関の捜査員だ。よろしく、お嬢ちゃん」
「……どっかで会ったっけ?」
ブルーの親しげな挨拶に、シトリンは首を傾げた。
夜、各集落の代表が集まった。
ロータスは歴戦の勇士を思わせるいでたちの彼らと、ぐるりと火を囲んで向き合う。
中には、狩りの時に看病してくれた彼の姿もあった。
フェンネルも同席する中、ロータスは王宮で起きたことを説明する。
スティールは裏切っていた。
ピオニーと通じ、王位を奪うために。
そしてダイヤモンド山を手に入れるため、竜人族の弱体化を狙っているということ。
話が終わると、火の木を焼く音がはっきり聞こえるほど静まりかえる。
それに耐えかねたのか、フェンネルが口を開いた。
「あのさ……」
皆の視線が彼に集まった。
「スティールのアニキは確かに強くて、かっこよかった。ダイヤモンドの槍に相応しいって、俺も思ったよ。でも、気づいたんだ。俺たち自身の意思は? って。槍は確かに大事だよ。だけどプラチナが死んで、その後死にものぐるいで散り散りになった俺たちを集めて、居場所を作ったのは誰かって」
「フェンネル、わかるけどな。でも伝統を簡単に捨ててはいけないんだ。そこには俺たちの先祖の意思が宿ってる」
「伝統を無視したいわけじゃない。ご先祖が大事なのは俺も一緒だよ。でも、そうじゃなくて……槍に甘えてないかって。俺たちが決めなくちゃいけないことっていっぱいあると思わない? 俺たちが未来を作っていかなくちゃいけないのに、過去にすがってないかって」
フェンネルの言葉に、ある者はため息をつき、ある者は首をふり、ある者は頷く。
フェンネルはそれを見ると言う。
「これで良いんだよ。皆がそれぞれの意思や意見を持ってる。何か一つだけが正しいわけじゃない。プラチナもシリウスもそう言ってきただろ? その結果、王国と戦争は長い間起きなかった」
「だが結果としてはそうなった」
男が言うと、フェンネルはロータスをちらりと見て続ける。
「でも原因はプラチナじゃない。槍でもない。それを探ってるんだ。そして王子が命を賭けてここまで注意しに来てくれたんだぞ。なあ、従うばかりじゃなくてさ、どうしたら良いか考えてみようよ。俺は王子と一緒に原因を探るよ」
「王子、ここまで来てくれたことは感謝する。でも、もしも王国軍にこれがバレたら? 王子と結託しようとしてると思われたら、俺たちは……」
「分かっている。その時は私が申し開きをする」
ロータスはそうなってしまった場合、王国軍の前で自決することを決めていた。
それが正しく伝わったのは、さすがカンの鋭い竜人族というべきか。
「それは……それは誰も望んでいない」
「誰も望んでいなくても、それが一番被害を出さなくて済む方法だ。だが私はそうなると思っていないし、そうしたいわけでもない。和平のため出来ることを出来る限りしたいんだ」
竜人族に嘘は通用しない。逆に言えば、真心が通じるということだ。ロータスには今や後ろめたいものはなかった。
ただ自分のなすべきをなす。
それが大きな原動力となっている。
恐れはなかった。
「……俺たちは何をすれば良い?」
一人がロータスを見た。皆もロータスの返事を待っている。
「……あなた達が信じたいものを信じてくれ」
話し合いが終わり、それぞれが帰って行く。その背中を見送っていると、くいっ、と裾をひかれた。
下を見ればふわふわの金髪。小さな手。ロータスは膝をついて目線を合わせた。
「プルメリア……」
「王子様。ここに来た時、すぐ分かった」
「君はずっとここにいたんだろう? この前、静かの森で君に会った。だが消えてしまった。……あれは夢だったのか?」
「夢だけど、夢じゃない。あたしもあの時、あそこにいた」
まっすぐに見つめてくる目は汚れない宝石のようである。
「あの夢は何だったのか、分かるか?」
「ダイヤモンドの槍が造られた時のことを書いた……だけじゃなくて、その終わりのことを知らせるためだと思う」
「終わり?」
「終わることは悪いことじゃないよ」
プルメリアはそう言った。
その時、シトリンがやってきて4人に寝泊まりする所を用意したと告げた。
案内に従い、入った場所は集落の出入り口付近の一軒家である。
それほど大きくなく、土壁に木で作られた塀がある。
庵のような建物も奥にあり、井戸もあった。
「シリウスの旦那の家だよ」
本人の性格をよく現している、とロータスは思った。
中は思うより天井が高く、広々としている。部屋がないためだ。
円形の床に細かな柄の入った織物が敷かれていた。調度品は武骨ながら丁寧に磨かれて光沢がある。
室内の3分の1ほど、かろうじてある屋根裏部屋にも何か置いてあった。
「とりあえず布団は用意しといたから。ご飯になったら呼ぶね」
「何から何まですまない。ありがとう、シトリン」
「水くさいなあ。でも、どういたしまして。嬉しいよ、王子もフェンネルも無事で」
お兄さん達もゆっくりしててね、とシトリンは家を出て行く。
どっと疲れが吹き出し、ロータスはその場に座り込んだ。
額を確認するが、汗をかくだけの体温で熱が出た感じはない。
以前よりずっと丈夫になったようだ。
呼吸も普通に出来ている。
「さて、落ち着いたし長官に連絡しますかね。何か知らせたいことなどありますか?」
ブルーがシャムロックという鷹を腕に乗せ外へ向かう。
「捜査機関の方々は一体、誰と繋がっているんですか?」
イオスの質問にブルーは顎をしゃくった。
「色々なんだよなぁ。ただ長官は王宮には入れないみたいで。外堀を埋めてる途中です」
「王宮に入れない……なぜでしょう」
「顔が知られてるんですよ。長官は兵役の時、ここに来てたらしくて。それだけじゃなくてコネクションにも顔がバレてるから、あまり派手に活動出来ないって。後の奴らは飲み屋を経営しながら噂を集めたり、商人に接触したり。まあ、正直に言いますと王子殿下が静かの森でお暮らしになっている時、こっそり見てました」
「え?」
ロータスは思わず聞き返してしまった。
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