シリウスが王都を以前出た時、深夜だったためか王都の門の大きさは分からなかった。
昼に見るそれは大きく、見張りの兵士が並んでおりかなり威圧的だ。
分厚い門が開かれ、帝都の使者であるサンの馬車を中へ入れる。
馬車の中にいて見えないとはいえ、兵士らに護送されるというのはおかしな感じだ。
石畳を行く中、兵士らの軍靴の音がやけに大きく聞こえていた。
王宮を出て宿に案内される。
客室に入ると、サンは「帝都の使者として竜人族との関係を視察にきた」と説明したと話す。
それは間違いではないし、帝都の者として相応しい役割だ。ベリルも納得の様子を見せ、サンに同行を申し出た。
その夜、シリウスは宿の庭に出た。
休憩のため設けられた椅子があり、そこに腰掛け星を見る。
王都へ舞い戻り、やるべきはスティールを調べることだ。
彼はなぜ自分を暗殺しようとしたのか。
「シリウス」
声がかけられ振り向くと、ジャスパーがビンを片手に立っていた。
「よぉ。それは?」
「酒です」
ジャスパーは椅子に腰掛け、シリウスにグラスを渡し、それに注ぐ。琥珀色の酒だ。
「蒸留酒とか言うらしい。これは美味いですよ」
「お前が言うなら間違いないな」
注がれたそれを口に含む。アルコールは確かにきついが、干しぶどうのような甘さにうまく溶け込んでいる。野趣があるが上品だ。
「美味い」
「でしょう。ワインよりはコレの方が好みだ」
「そうだな……」
ジャスパーはかなり強い方だ。飲んでも飲んでも酔った姿を見せない。
そういえば、ゆっくり飲むのはいつぶりだろう。一年以上はこんな時間がなかったはずだ。
「これからどうします? ロータス王子に連絡は?」
「すべきか考えたが、俺からの連絡があったと知れれば、彼の身が危うくなるだろう。俺は暗殺されるはずだったから、脱獄のことも表にはなっていないが……」
「スティールが怪しいと睨んでるんですよね」
「何らか関わってるのは確かだ。俺は王国軍との和議に反対だったしな。ベリー家の婿という立場もあり、竜人族を二分しかねない。始末する理由はある」
「帝国の将軍の前で人質解放の条件すら定めたというのに」
ジャスパーの一言に、シリウスはつい笑ってしまった。
「不義理だよな」
「不義理よ」
鋭い声が聞こえ、二人は振り返った。
宿の一室から女の声が聞こえてくる。
ベリルだった。
「何がだね」
宥めるようなオウルの声が聞こえてくる。二人で話しているようだった。
「シリウス殿よ。妻がありながら、別の女と関係を持ったなんて」
例の話だ。シリウスはジャスパーの一瞥を感じた。
「その話かね。シリウス殿が言ったのかい?」
「そうよ。娼婦かどうかも分からない、クレマチスよりも若い女だと言ってたわ。信じられない」
「信じられない? 何を言うのだね、ベリル。そなた達は便宜上夫婦の形を取っただけのこと。お互いのプライベートまで明け渡す必要があるか? それに、そなた達、真に夫婦だと言えるか?」
「誓いを立てたわ」
「私が言ってるのはそうではない」
オウルがぴしゃりと言うと、ベリルの声が聞こえなくなった。
シリウスとベリルの間に夫婦のことはない。
しばらくすると、ベリルの声が聞こえてくる。
「……オウル、なぜシリウス殿とその女のことを知っているの」
「微かに感じただけじゃ。金の髪飾りにその娘のエネルギーが染みついていたゆえ」
「なぜ私に言わなかったの?」
「言ってどうする? シリウス殿の勝手であろう。別にその娘に無理強いしたわけでもない」
「彼はそうしたと言ってたわ」
「言葉が常に真実を語るとは限らぬであろう。そなたを傷つけぬ為の方便だよ」
「傷ついたわ」
「なぜ?」
「だって裏切られたのよ。私は妻なのにないがしろで……見ず知らずの女には手を出して」
ベリルは声を詰まらせた。
しばらくの沈黙がおり、シリウスは息を吐くとまぶたをおろす。
「本当ですか?」
ジャスパーがそう聞いた。
「ああ」
「へえ。あんたには意外だな……いや、安心しましたけど」
「安心?」
「あんたは特に、ずっと気を張ってたでしょう。女の肌に慰められる時があった方が、ずっと生命的だ。俺ですらそうしたい感情くらいある。それに竜人族は今、あんたにとっては守る対象であって、甘えられる対象じゃなくなったからな。ならばその女に感謝しても良いくらいでしょう」
ジャスパーの言い分にシリウスは一部胸のつかえがおりる気分だった。
「ただ形だけの夫婦で、つまり不倫だとは言える。だが結婚を迫ったのはそなた。彼はそなたを傷つけたりしていないのに、見ず知らずの娘に慰められたら責めるのかえ? それはなぜだ?」
「彼に静かの森での立場を与えたのよ、なのにこんな形で裏切られて、怒らないでいられる?」
「いれるだろうよ。好意がなければのう、むしろ幸運だと思う」
オウルの言葉にシリウスもジャスパーも振り向いた。ベリルの返事はない。
「そなた偉くなったものだの。確かにそなたは彼らに居場所を与えた。ベリー家の娘として盟約を果たしたのだよ。だがそれはそもそも対等な関係だったもののはず。ベリー家もかつて竜人族に救われておるしな。立場を与えるなら、別に結婚という形を取らなくて良かったのじゃ」
「あなたが予言を……」
「予言は不完全だと言うたであろう、そなたこだわりすぎなのだよ。予言のためにクレマチスをシリウス殿にめあわせる必要があるのか、と言ったな。だがそれをするつもりもない、とも。全部おかしいと思わぬか? なぜそなたが決める? クレマチスの行方を決めるのはクレマチス自身だ。確かにシリウス殿はそなたとの結婚に応じたが、あの状況で断れると思うかね? 彼の立場は非常に弱かったのだ。良いか? ベリル、そなたは縛られすぎなのだよ。肩書きに縛られ、役目にしばられ、そしてそれを周囲にも強いている。それは責任とは違うぞ」
普段のどこかつかみ所のない老婆の、思いがけない厳しい声音に空気が固くなった。
シリウスは手の杯を包み直す。
「言い得て妙だな」
そう呟く。
自分にも思い当たるものがあった。
ダイヤモンドの槍だ。
あれが失われても、皆なんとかやってこれたではないか。
だがあの魔力に逆らえないのだ。
(今、魔力と言ったか?)
自分の言葉に驚き、ふとプルメリアを思い出した。
彼女はダイヤモンドの槍に興味を示さなかった。
「望まぬ結婚をして、その相手が自分に興味を抱かなかったら幸運であろう。クレマチスはそれを望んでいたし、それが約束だから応じたのだ。だがそなたはそれを怒っている。私からすれば理由は明白だ。シリウス殿を好いているのだね」
長い沈黙がおり、ようやく聞こえてきた声はかなり弱々しいものだった。
「……そうよ」
翌朝、ベリルは朝食に現れなかった。
が、一人の少年が現れた。赤茶色の髪、引き締まった体つきは少年兵のようでもあり、シリウス達の姿を認めるとまっすぐな目で挨拶をする。
その一連の所作は貴族のような優美さすら感じさせるものだった。
「帝国特殊捜査機関捜査員のナギと申します」
「私はシリウスだ。彼らはベリー家の者達」
「シリウス殿達にも関係があるので、ここでお話します。ロータス王子殿下が出奔を」
「えっ?」
クレマチスが立ち上がった。
「どういうことですか?」
「詳しいことは不明ですが、ロータス王子殿下は竜人族の青年、もう一人の青年と共に王宮を出た後、馬に乗り走り去ったということです。今行方を追っています」
「おそらくフェンネルだ」
シリウスがそう言うと、皆の視線が向いた。
「フェンネルは監獄にいた俺に気づき、ロータス王子との連絡係をやってくれていた。多分、王子の事情にも詳しいはず。一緒に出るとしたらあいつしかいない」
「彼は信用出来るのですか?」
クレマチスの厳しい目線が飛んでくる。シリウスはそれを受け止めた。
「ああ。考えることは苦手だが、カンが鋭く戦士としても将来有望だ。王子に懐いていたし、裏切ることは決してない」
「もう一人の者は?」
オウルが聞き、ナギは「はい」と言うと続ける。
「元兵士ではないかと。アジュガ王子殿下の軍に同行していた者の可能性が高いのです。なぜロータス王子殿下と行動をともにしているかは不明ですが、ロックランドで交流があったのは確かです。それから……」
ナギが報告したのはロータスのことと、それからアジュガ王子のことだった。
彼は薬物依存の症状を見せたという。
コネクションとの関係が疑われており、捜査機関は彼をマークしているという。
「サン。長官が頼んだものは……」
「これだ」
サンは懐から一つの筒を取り出す。
蓋を開け、中を取り出すと広げてみせた。
一枚の肖像画。美しい金髪の女性が描かれており、黒のドレスと赤い薔薇の髪飾りが印象的だった。
「オークション会場で得たものの写しだな」
「はい」
サンの確認に、ナギは頷いた。
シリウスには何の話か分からないが、どうやら重要なもののようである。
「そういえば、ブルーはどうした? 一緒に行動してるんじゃなかったのか?」
「ブルーはロータス王子殿下を追っています。必要なら護衛すると。そろそろ連絡が来るんじゃないかな……」
「ならナギ、しばらくは俺たちと一緒にいるんだ」
「うん。……じゃない、はい」
「長官はどうしてる?」
「王宮では顔が知られているので、こっそり行動しておられます。今は百年前の王城跡に行くとおっしゃって……」
「それからは予測不可能だな」
「……そういうことです」
サンはだろうなと呟き、絵を筒に戻す。
シリウスは自分が幽閉されているはずの離宮へ向かう、と告げた。ジャスパーも同行を申し出る。
意外だったのは、クレマチスが手を挙げたことだ。
「いざという時、私がいたら助かるはずよ」
彼女の決意は固いようだ。
3人で離宮へ向かうこととなった。
***
静かの森は以前よりも閑散としていた。
竜人族の気配は薄れ、営みの後は解体されないままになっている。
かまどのあとは、まるで火事のあとのようだ。
「竜人族はダイヤモンド山へ帰ることになりましたが、それが急な移動だったのです」
家老がそう説明する。
「急な……なぜ急いだか、理由は分かるか?」
ロータスが問えば、彼は軽くため息をついた。
「献上を急ぐためだと。アイリス王国との信頼を早く強固なものにするため、ダイヤモンドを……」
「……なるほど。納得しやすい理由だ」
ロータス達は王宮を出ると、静かの森に向かった。ここなら土地勘がなければすぐに迷子になる。王国軍は追いにくいはずである。
フェンネルがいて良かった、とロータスは思った。
「王子殿下、一体何があったのです?」
「王宮を出たんだ。私が竜人族と通じ、クーデターを企てているため処刑すると」
「はあ?!」
驚きを禁じ得ない、と家老は大声を出し、慌てて口を手で覆う。
「まさか!」
「そうだろう。父上もアジュガ兄上もおかしいんだ。兄上は薬のせいでおかしくなってしまわれたが……とにかく、私は疑われ、生きるために王宮を出た。今は……もう王子ではないかも」
「お、恐ろしいことを。父が息子を疑うなど。いや、しかし、アイリスは常にそんな話が……」
「前例だらけだ。父上は自分以外の者をいつも疑い、怖れておられた。国の存続のために」
「しかし、和議が成立したはずですが……」
「和議など格好だけだ。そして姉上のもくろみは竜人族を弱体化させ、支配すること。そのために山と王都へ勢力を二分させたんだ。そうすれば竜人族は代々受け継いできた伝統や知恵を、一部は失い王国へ依存せざるを得なくなる。そして姉上がスティール殿の子を産めば、その子はダイヤモンド山の主となる。それだけでなく、姉上は子を王にするつもりだ」
ロータスの説明に、家老は顔色を青くする。
「……ピオニー王女殿下の画策だということですか。和議の話があまりに早く進んだと思っておりましたが……」
「シリウスも暗殺されるところだった。人質ですらない。スティールはそれを平気でする男だ」
ロータスは旅の支度のため、倉へ入った。
フェンネルとイオスもそれぞれ必要なものを見繕う。
家老は慌てた様子でロータスを追った。
「どこへ行かれるのですか?」
「ダイヤモンド山だ。彼らにスティールに従わぬよう、言いに行く」
「危険です。殿下が疑われているのは、竜人族と通じてクーデターを企てているということでしょう。彼らに会えばより疑いは強くなります」
「だが……」
家老の言うとおりだ、とロータスは気づいた。が、真実を告げなければ。竜人族はどうなってしまうのか。
「だったら、それに相応しいやつが行けばいいんだよな」
荒っぽい口調は聞き慣れないもの。
ロータスと家老が振り返ると、見慣れぬ長身の男が腰に手をあてこちらを見ていた。
「どうも、お初にお目にかかります。私は帝国特殊捜査機関捜査員のブルー。ロータス王子殿下と、ベリー家のご家老殿で間違いありませんね」
「……帝国特殊捜査機関……こんな所で会うとは思わなかった」
「失礼を承知で、王宮から出奔された時から追いかけておりました。今の話もお聞きしました」
「では、何が真実か理解したと?」
「ある程度のことは。ダイヤモンド山へ行き、竜人族に真実を話す。王子では無理なら、他のやつが行けばいいんです」
ブルーの言葉の真意が掴めない、とロータスは目を丸くした。
するとブルーは白い歯を見せてにかっと笑う。
「ここで着ていた衣服は?」
竜人族の織った衣服を久しぶりに身に纏う。銀髪を隠す必要もなく、なぜかしっくり来る感覚にロータスは久々に安堵の息を吐き出した。
出発の準備を整えたのは夕方、明朝静かの森を出る。
夜の澄んだ空気に誘われ、外に出ると意外な人物にロータスは息を飲んだ。
「プルメリア……」
ここにいたのか、と声をかけると、彼女は何も言わないまま歩き出す。
夜に出歩くのは危険だ、とロータスは跡を追い、見慣れた木々を抜け歩く。
たどり着いたのは星を見るのを邪魔しない、木々の開けた湖。
クレマチスのペンダントが沈む、あの湖だ。
プルメリアは黙ったまま、ロータスをじっと見つめている。
「プルメリア。どうしたんだ?」
彼女はやはり黙ったままだ。だが、手を持ち上げ、何かを指さす。
湖の更に奥。
そして彼女は、ロータスに何か訴えるように見つめる。
「……あそこに何かあるのか?」
ロータスは指し示されたところへ進んでいく。
根を乗り越え、湖を半周し。プルメリアが示すのはまっすぐにこの奥。
木の根がびっしりと岩を覆い尽くし、何もない。
振り返るが、プルメリアはもはや小さく表情は読み解けない。
「一体、何だというんだ……?」
小さな根をどかし、気づく。
岩というにはあまりに平らだ。
人工的に手を加えたような。だがどことなく荒々しく、まるで竜人族が作ったかまどのような……。
朽ちた根がロータスの手でぼろぼろと剥がれ落ちていく。
文字が読める。
何か書かれていたが、ロータスには読めない。これは竜人族の文字ではないか……なぜ見える? ふと見上げれば、満月だ。
黄金色に輝いて、ロータスを真上から照らしていた。
「……これは……」
文字が照らされて浮かび上がってくる。
「親愛なる友よ、お前の魂の一部と私の魂の一部をこのダイヤモンドに封じた。これから先、お前は彼らを導いていくだろう。いつか役目を終えるその時まで」
プルメリアのどこか無機質な声がそれを読み上げる。
「……もしかして、ダイヤモンドの槍のことか?」
隣に立つプルメリアに聞けば、彼女はこくんと頷き、そして糸の切れた人形のように、足を崩れさせる。ロータスは彼女を抱えた。
が、次の瞬間、プルメリアはかすみのようにぼやけ、消えてしまった。
***
離宮といっても、今は主のいない宮だ。かつては問題のある王子、王妃のために造られたものだったらしい。
王宮の端にあり、寂れたそこは人の気配などなく、確かに人質を暮らさせるには恰好の場所かもしれなかった。
「何もありませんね」
「とはいえ、人質がいる体なら誰か来るかもしれないわ。待ってみたらどうかしら」
クレマチスの提案に頷き、夕方まで待つ。
案の定人は来た。
スティールだった。
シリウス達は柱に隠れ、様子を伺う。
「クソッ、何が精霊が認めるはず、だ……。あんなもん、下らない迷信だろうが!」
ガンッ、と鈍い音を立てて物が落ちた。
槍だ。布で包まれた先端から、透明の石が見えている。
ダイヤモンドの槍に間違いない。
「どいつもこいつもバカにしやがって。山に帰れたのは誰のお陰だと思ってるんだ! 口を開けばシリウスなら、プラチナなら。何も果たせなかった連中にすがって何が出来るっていうんだ、クソったれが!」
フン、と鼻をならすスティールのもとに、駆け寄る足音が3つ。
「山から石が運ばれてきました」
「いちいちうるせえな。あの小娘のところに持っていきな! 毎回同じことを言わせるんじゃねえよ」
「ですが、質を確かめないと……」
「だったらテメエでやれよ」
スティールの機嫌の悪さに気づいたのか、彼らはすごすごと引き下がる。
見れば竜人族の者たちだった。
「スティール、族長なのだからその役目は果たさないと」
「下の奴らの面倒は見てやってる。何が不満だ? 第一、お前ら甘えすぎなんだよ。大した戦闘力もなし、統率だって取れやしない。よくそれでやってこれたな」
「仕方ありません。王国軍との戦闘で戦士は減りました。女子供を守ることに精一杯で、まともな訓練なんて出来ませんでしたから」
「プラチナとシリウスが甘やかしすぎなんだよ。だから王国軍なんかに負けたんだ」
スティールの言いぐさに皆が眉を顰める。
「スティール! あれは不意打ちを食らったからだぞ」
「だから何だってんだ? 弱いから負けたんだ。王国軍なんぞに不意をつかれたくらいで、いちいちビビってんじゃねえよ!」
「簡単に言うな! プラチナもシリウスも、和平の道を探していたんだぞ。簡単に戦闘になって、取り返しのつかないことになったらどうするんだ」
「だから甘いって言ってんだよ! 何が最高の戦士だよ、結局王国軍に負けたような女だ。あんなのを信じてるてめえら全員、頭がおかしいんだよ!」
「プラチナを愚弄するな!」
竜人族の男が腰の短剣を抜き、スティールに襲いかかった。
「スティール、お前は知らないだろうが、彼女が死んだのは俺たちを逃がすためだったんだぞ! それを、貴様!」
短剣がスティールの袖を割いた。
ジャスパーはクレマチスの口を覆い、何も見えないよう胸に庇う。
シリウスは腰の短剣を抜いた。それから足下の石を拾う。
その時、キインと甲高い音が鳴って短剣が飛ばされた。
丸腰になった男にスティールがのしかかる。
「うるせえ野郎だ。良いか? よく聞け。これから王国は俺のものになるんだ。その時逆らうような奴は要らねえ、てめえらもよく見ておけよ! 俺に逆らうとどうなるか!」
「待て!」
シリウスは飛び出し、スティールの腕めがけて石を投げた。
ビシッ、と鈍い音がしてスティールの手首にそれが当たる。槍が落ちたところ、男がもがいて脱出した。
「シリウス!?」
スティールは目を見開いたが、さすがに当代1の戦士である。シリウスの短剣を持つ手を弾くと、距離をとった。
「なんでテメエがここにいるんだ!」
「悪いな、だがここは俺がいるはずだろ」
「チッ、悪運の強いやつめ……!」
後ろからジャスパーも出てくる。
竜人族の男達は突然のことにとっさには動けなかったようだが、やがて二人を見守るように距離を取るとジャスパーを見た。
「スティール、さっき、お前何と言った? 王国はお前のものになると? 一体どういうことだ」
「言ったとおりだ、俺がアイリスの王になるんだ。そうすりゃ戦はなくなり、誰も竜人族をバカにしなくなるさ。ダイヤモンド山はクソ人間どもが入れない神聖な山となり、鉱石は全て俺のものだ。文句を言うやつは誰一人いない。満足だろ? 戦はなくなるんだから!」
「お前がアイリス王になるだと?」
ざわっ、とその場にいる者達の間に動揺が広がる。
「だから俺に逆らうな。逆らう奴も、俺についてこれない奴も要らねえ。これから忙しくなるぞ、王位を取りに行くんだからな!」
スティールはダイヤモンドの槍を手に取ると、布を取り去った。太陽光が乱反射し、目が潰れる。その隙にスティールはさきほどの男に突撃した。
「待て、やめろ!」
シリウスはとっさに手を伸ばすが、止めることは叶わない。
シリウスの指先を切った矛先はまっすぐに男の胸に突き刺さる――
「見せしめだ! プラチナも、シリウスも! どいつもこいつもアテになんかなりゃしねえ! 和平のためと言いながら、結局犠牲者ばかり出した連中を信じた罰だ!」
スティールの吠えるような声が、夕陽に溶けていく。
血が影に飲み込まれていった。
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