ざわざわと波のように「ダイヤモンドの槍だ」と声が広がっていく。
ロータスにはそれが何かわからない。だが明らかに皆の反応が違い、シリウスでさえも目を見開いていた。
「プラチナの死後失われていたが、ある時王国軍を見つけて襲ってやった。そこにコレがあったのさ。ほら、この輝き。間違いない」
スティールはどこか恍惚の表情を浮かべて、矛先に触れる。
ダイヤモンドのそれは繊細に光を反射させ美しい。戦いの道具というには清らか過ぎた。
これが血に濡れたことがあるというのだろうか。ロータスはそれを見ていたが、気になるのは竜人族の反応である。
皆、甘い夢でも見ているかのように、酔ったような目でそれを見ていたのである。
「俺たちのもとに戻ってきた」
「さすがは当代1の戦士だ。戦だからこそお前の手に渡った」
「スティールなら確かに相応しい」
こそこそと話し合う声が広がっていく。
ロータスはそばにいたフェンネルの袖をひいた。
「一体、何だというんだ?」
「ダイヤモンドの槍のこと? あれは大昔、竜人族の族長とベリー家の者が共同で造ったものなんだ。精霊が宿ってるとか言われてて、代々族長になった者に受け継がれてる。なんで族長に受け継がれたかは分からなくなったらしいんだけど……まあ、つまり、族長の証なんだ」
「族長の……だとすると……」
ロータスはシリウスを見た。彼もダイヤモンドに惹きつけられているようだ。
その目は、赤くなっている?
「……だが、シリウスが皆をここまで導いた」
「そうだよ、シリウスの旦那がいないと皆のたれ死んでた。おかしいよ」
シトリンが耳打ちするように二人に話す。そのままフェンネルとロータスの腕をとり、皆の輪から外れていく。
「ダイヤモンドの槍がなくても、ここまでやってこれたんだもん。スティールのアニキが族長、なんてことになったら大変だよ」
「でもシトリン、アニキは一番強い戦士なんだし」
「そんなの関係ないよ! あたしたち、アニキに殺されちゃう!」
シトリンは今にも泣き出しそうだ。
そんな中、スティールが屋敷で言ったことを話し始める。ロータスは慌てて輪に戻った。
「ウェストウィンドの新しい領主はアジュガ王子だ。あいつのことだ、ウェストウィンドに兵士を駐屯させ、肥えた大地を屯田とし、あそこに要塞を建てて俺たちを見張るつもりだ。冬の期間、俺たちは動けないが、あいつらはそれが出来る。考えてみろ、ここと王都の中間にあるウェストウィンドのあの草原を埋め尽くす王国軍の姿を。いくら人質がいると言っても、すでに攻撃の準備をしてるんだぞ。俺たちに必要なのは、隠れながらみじめな生活をするための森じゃない。武器だよ、力だ。それがなくちゃ何も守れやしない。何も奪い返せやしないぞ」
「スティール……何が言いたい? 王国軍に宣戦布告するつもりか? そんなことをすれば二度と関係の再構築は叶わず、戦闘は長引き、ダイヤモンド山への帰還も、あるいは生活すら成り立たなくなるぞ」
シリウスは詰め寄るようにしてスティールの前に出た。
「おうおう弱気な旦那さまだ。シリウスといえばプラチナの参謀にして勇敢な戦士だったというのに!」
スティールはそんな彼の胸を押し、距離を保つ。
「王国軍なんざ烏合の衆だ。確かにアジュガの野郎はなかなかやる奴だったが、それでもお前に人質を渡して撤退したような奴だ。何を怖れる必要がある?」
「彼の軍はいつもより少なかった。王国軍とて防衛のため兵力を割かざるをえなかっただけだろう。俺たちが秘密裏に武具防具を揃えられたのは、ベリー家の支援のおかげだ」
「王国側をかばうような言い方だな。なんだ、ここでの生活で骨抜きにされたか? ベリルって女のせいか? それともその王子のせいか?」
「油断するなと言っているんだ! なぜわからない? お前は以前にも独断で行動し、その結果仲間を犠牲にしただろうが。プルメリアの父親がお前を帰すために盾になったことを忘れたのか?!」
シリウスは珍しく、犬歯すらむき出しにしている。やはり、彼の目が、赤く染まっていた。
「冗談じゃねえ。庇われなくても脱出出来たさ。第一俺について来れない奴は足手まといなんだよ!」
スティールはフンと鼻を鳴らすと、ダイヤモンドの槍を布で覆った。
竜人族の者は目が覚めたように息を吸い、二人を見る。
「旦那、目が……」
心配するように誰かが声をかけ、シリウスは首をふると頭をかいた。
「話は終わりだ。スティール、頭を冷やせ。どっちみち冬が終わるまで戦闘はしない」
「てめぇに従うかよ。呆れたぜ、シリウス。すっかり弱腰じゃねえか。プラチナがいないと何も出来ないってか?」
「スティール……!」
シリウスは拳を振り上げる――ロータスはそれを止めるため、彼の腕を取り力一杯かき抱いた。
「落ち着いてくれ、ここで争うことはない!」
シリウスは息を荒げているが、ぐっと唇を噛むと肩の力は抜いた。だが手は色が変わるほどに強く握られている。
「っははは」
スティールがからかうように笑った。その目はロータスを見ている。
「残念な王子様だよ。お兄ちゃんの代わりに人質を申し出たっていうのに、領地も恋人も全部失って……今や馬のお世話番、なんてな」
「なんだと?」
ロータスは時間が止まったかのように感じた。スティール以外に誰もいないような感覚。彼の声しか入ってこない。
今なんと言った?
「勇気を出して庇ってやったお兄ちゃんに何もかも奪われたな。これじゃあ、報われるものが何もない。あの王子、自分が生きのびるために犠牲にした弟の婚約者とあっさり結婚するなんて、やはり大した肝だぜ」
それから彼が何か話していたのを目で見ていたが、耳は何かに覆われたようになり、まるで声が入ってこない。
気づくと湖のそばにいた。
冬を前に葉を落としたはずの木に、一枚の枯れ葉がしがみついていた。
わずかな希望にすがりつくようなそれが、ついに湖に落ちて波紋を描く。
ロータスはそれと自分自身を重ね、湖にうつる自分の顔に自嘲した。
待つと約束したはずなのに、こうも短い間に心変わりしてしまうものなのか。
彼女は自分を裏切ったのか。
確かに病弱で、王位も遠いロータスと、体は強く地位も高いアジュガではあまりに差がある。
彼は正妻を持っていないのだ。第二婦人ではないのなら、彼女とその家族は懇ろに扱われることだろう。ウェストウィンドも。
当然だ。
いつ帰ってくるか、帰ってきたとしても頼りない自分より、強いアジュガが選ばれるのは。
何度ため息をついても胸は重く、頭はぼうっとしている。
怒りなのか情けなさなのか、もはや分からない。
帰る場所を失ってしまった――そんな想いでいっぱいだった。
ガサガサ、と枯れ葉を踏む音が聞こえてきたが、振り返る気力が沸いてこない。
「誰だ?」
と、かろうじて声を出せば、足音は止まった。
しばらくの沈黙の後、隣に座り込んだ小さな影にロータスは目をやった。
プルメリアだ。
「……何をしている?」
「そっちこそ。一人でいていいの? おばちゃんは?」
「デイジーなら夕食の準備だ。シトリンは会議だろう」
「うん。皆、ダイヤモンドの槍が戻ってきて嬉しいみたい。でも、戸惑ってる」
「族長の証と聞いた」
「みたい。でも、ばかみたい」
「ああ……彼らを導いてきたのは、彼ら自身のはず。なぜ石に頼る? 石に支配されて、それで良いのか?……そんなこと私には関係ないか」
「王子様、悲しいの?」
「なぜ?」
「そんな色してる」
ロータスはプルメリアを見た。淡い緑色の目は清らかで、ロータスをまっすぐに見つめていた。
あのダイヤモンドよりも遥かに綺麗だ。見ていると胸が少し、柔らかくなった気がした。
「色……?」
「色で見える。道も空気も、良いものは白っぽくて透明で、悪いのは濁ってる。王子様、今青っぽくて灰色。煙みたいになってるから」
「それは……悪いのか?」
「そこまで悪くない。でも良くない」
「そうか……いや、気にしないでくれ。君、戻らなくて良いのか?」
「うん。今気持ち悪いから」
「色……というのがか?」
「そう」
プルメリアは足下の小石を拾い、それをはじいた。
カツン、カツン、と小さな音がリズミカルに鳴る。
ロータスは重く沈んでいたものが込みあがってくるような感じがして、目をゆっくり閉じると息を吐き出した。
胸からペンダントを取り出し、木漏れ日と湖に反射する光できらめくそれを指で撫でる。
(クレマチス。愛する人よ)
それでも今は彼女を想えない。
幸福を願えたら一人前の男であろうか。
それでも今は想えない。
ロータスはペンダントを湖に投げ入れた。
透明感の強い澄んだ湖に、それは沈んで見えなくなった。
大きな波紋もいずれは消える。
ロータスは乾いた風に髪を揺らした。
***
ダイヤモンドの槍が選んだ者はスティールに違いない、竜人族の総意はそれであった。
静かの森で竜人族の新たな族長が決まる。
一方ベリー家の婿であるシリウスもまた発言力を持ち、閉じた空間の中に二人のリーダーが並び立つこととなってしまった。
白銀の雪はどこまでも澄んで、ひっそり育つ不信感すら隠してしまう。
***
帝都にたどり着いたのは雪がちらつくころだった。
ジャスパーなどは明らかに顔色を悪くしていたが、体を温めるものを、とクレマチスが淹れた紅茶を常飲してからマシにはなったと言う。
旅で皆、髪も肌も痛んでしまったものだが、五体満足で目的地にたどり着いたことは誉めて良いかもしれない。
オウルとベリーは着いた翌日さっそく皇帝に拝謁したいと申し込み、その返事を待っていた。
その午後のことだった。
皇帝の執務室に呼ばれたのである。
王国のものとは違い、頑強ながらも華やかな宮殿だ。赤毛氈は毛艶も良く、柱は円柱で重そうだが人を遠ざける気配がない。
クレマチスは花を彫った彫金細工の花瓶などに目が行き、王国との技術力の差に目を丸くしていた。
「アイリスとは違うかね」
「ええ、まるっきり。向こうではもっと、剣や槍のようなものが好まれるし、その分細かな装飾はしないものです。ここはほら、花びらが透けるよう。こんなに薄くしてどうして壊れないの?」
クレマチスがそう小声で話していると、案内を、と言って先導していた青年が口元を覆いつつ笑みを浮かべた。
彼には少年が都会に来て浮かれていると見えたかもしれない。
青年――ラピスと名乗った彼は「国によって事情が変わりますから。アイリスで造られる剣の出来映えは群を抜いているともっぱらの噂です」と言った。
「かもしれません」
「武器の類いは苦手なのかな?」
「いいえ。いえ、苦手ではありますけど……必要だとは思っています」
「なるほど。確かに不要なものとは言えないものだね。ところでベリー家の方が直々に帝都へ来るとは。先触れはありませんでしたが……」
ベリルが口を開く。
「大変失礼をいたしました。事情が事情でしたから、使者を送る余裕がなかったのです」
「そうですか……しかし竜人族を連れての旅は大変だったでしょう。検問など、あったのでは?」
「まいたんだ」
ジャスパーはどことなくトゲのある言い方をした。
「まいた?」
「自由になるにはそれしかない。奴らは俺たちの目的地を知りたかったようで、放っておいても検問は突破出来たかもしれないが」
「ならば、まききった可能性は低いのでしょう。彼らも見失ったふりをしてあなた達を送り出したかもしれない。無事に検問を突破したなら、おそらくは」
ラピスの言葉に肩をすくめたのはルビーだ。
「なるほどね」
「チッ。そういうことか。ならどうする? 俺たちを王国軍に引き渡すか?」
「いいえ。長官も皇帝陛下もそのつもりはございません」
ラピスはそうはっきりと言った。
「アイリス王国で起きた紛争、その原因と解決策を探ることが喫緊の要事なのです。竜人族と争うのは本意ではありません」
「そうは言うが、やはり王国が大切なのだろう」
「もちろん。だが竜人族は帝国の民ではないとはいえ、ベリー家を通じた長年の関係というものがある。簡単に切って良いものではないと陛下も長官も理解しておられますから」
「どこまで公平に出来ると?」
ジャスパーの目が厳しくなった。ラピスはそれを受け止める。
「まずは全容を把握しないと、なんとも言えません。ただ王国の行動に関しては私の口からは申せませんが、まず陛下にお話を。あなた方が我らを信用するかどうか、それはあなた方にしか決められませんので」
ラピスは皇帝の執務室の、その金細工で出来たドアノブを3回叩いた。
「入れ」とくぐもった声がかかり、ドアが開かれた。
中の長机の向こうにある椅子に背を預け、獅子のような目をこちらに向ける40代ほどの男。
皇帝その人は思っていたよりも気さくな雰囲気で、部屋に入ったクレマチスたちを姿を認めると笑みを浮かべて迎え入れたのである。
「長旅であったのう。何か面白いことはあったか?」
第一声はそれであった。
皇帝への説明をベリルは終えた。
クレマチスはルビーと共に壁によってそれを聞いていただけだが、いよいよ話が終わると皇帝に手招きされ、彼の前に立つ。
「変わった目をしているなあ。名前は?」
「く、クレマチスと」
「クレマチスか。あれは良いな、美しい花だ。ふぅむ、顔の角度を変えてみよ」
クレマチスは言われたとおりに横を向いたりしてみせる。皇帝はほうほう、と目を大きく見開いて目をじっと見てくる。
ジェンティアナにされた時のような恐怖はないものの、照れくさいような感覚にクレマチスは戸惑った。
虹のように色を変える目。
そんなに珍しいものなのだろうか。
「ほう。これを見るのは二度目だ。こんな巡り合わせもあるのだな」
「二度目ですか?」
「ああ。ずいぶん前になるが……確か20年以上前のことだ。美しい娘だったことを覚えている。金髪で、目の色はそなたと同じ」
「そんな方がいらっしゃったのですか」
皇帝はクレマチスを解放するとクレマチスを見た。
「……まるでその時の再現のようだな。彼女も男の格好をしていた」
「えっ」
もう見破られていたのか、とクレマチスは思わず声をあげてしまった。
皇帝は深く頷くとクレマチスを解放する。
「我が王都を訪れていた時の話だ。実家から飛び出すために男装したと……まあ、今となっては昔の話だ。アイリス国内で起きている問題については我らも関心を持っている。紛争の解決は皆で目指すところだ。竜人族にとっても良い道を探すと約束する。また日を改めて話そう。ラピス、彼らを宿に案内せよ」
皇帝は立ち上がってクレマチス達を見送る。
ラピスに案内され、帝都内にある一等地の宿に向かう。
サンダーという厳しくそりたつ、白銀の雪が覆う山がまっすぐに見える場所だ。
クレマチスは自身の屋敷よりも大きく、部屋数も多いその豪奢な宿に口を開けた。人の身長などゆうに越す高さの玄関の天井。
(帝都とはこんなに栄えた場所なのね)
アイリス王宮も堅固なもので、数々ある要塞も年季が入っているが、もちろんクレマチスの屋敷とは雲泥の差がある。
それよりも立派で、しかも戦のためではなく客をもてなすため、という平和のための施設がこれほどまで手が込んで造られているとは!
(武器にお金を使うのではなく、人々の豊かさのために使えるって、すごいことなのだわ)
ロータスが柔軟に平和に対し意識が向く理由が分かった気がした。
彼は学生の時と兵役の際、これを見てきたのだ。
兵士や武器、要塞の質ではなく、生活そのものの質の高さに帝国の力の本質を見たのだろう。
これを発展させるために必要なのは、やはり人である。
帝都が学生の受け入れを広く行う――これもロータスから聞いた話だが、それはやはり将来の発展と人材育成のためなのだと。
ロータスは皇帝への尊敬を口にしていた。
王族や貴族など、一部の権力者に力が集中しては結局国は育たない、自分もそのようにしたい、と。
そうなるべく日々努力する彼の姿を思いだし、クレマチスは胸がしくしく痛む気がした。
(今どうしておられるのだろう)
無事でいるだろうか。せき込んでいないだろうか。
彼が自分とアジュガのことを知ったら?
裏切り者だと責めるだろうか。
それとも、仕方のないこと、と言うのだろうか。
どうせなら責めて欲しい。
だがそれも結局、自分を慰めるために願っていること、とクレマチスは理解していた。
***
スティールが新しい族長となり1ヶ月が過ぎた。
彼はフェンネル始め、若い戦士達を育てるためと静かの森を切り拓き、兵舎にあたる物を造っていた。
流石に器用な竜人族とはいえ、手が冷えてうまく木を切れない、と大量に薪を消費していく。
「あれでは森の木がなくなってしまうな……」
屋敷からそれを見ていたシリウスが呟くと、ロータスが隣に来て口を開く。
「止めた方が良いのではないか」
「俺では止められない。族長の決定だ」
「だが、ここはベリー家の領地だ。婿であるあなたが何も出来ないはずない」
「ああ。だが、スティールの言うことも一理あるんだ。戦士達を鍛えなければならない。……兵舎の建設、そのための許可と、立ち入ってはいけない場所の線引き。これを明確にしないとな」
シリウスがそう言うと、ロータスは神妙な面持ちで頷いた。
その目つきがどこかいつもと違う。
シリウスはそう気づき、彼の首元に目をやった。彼の胸元に下がるものがない。
ペンダントを手放したのだ。
その理由は聞かずとも分かる。
「……王子。街の整備には慣れていると聞いたが」
「ああ。ウェストウィンドの統治を任されていたから、多少は役立てると思う。何でも聞いてくれ」
ロータスの返事はやけにはきはきとしており、シリウスは
(やけになったか?)
と疑ったが、彼の目つきの険しさに息を吐いた。
(どこかで発散させるか。本当にやけを起こされても困る)
彼が婚約者を兄に奪われ、調子を崩しているのは明白だ。
それにより問題を起こしたわけではないが、鋭くなった目つきには不穏なものを感じざるを得ない。
怒りが蓄積されれば、いつかどこかが切れてしまう。
「ウェストウィンドは家畜を育てるのに適した土地だった。牛や山羊のフンはそのまま肥料となり、草花を育てる。全てが素晴らしい循環を繰り返し、土地全体で呼吸をしているかのようだった」
ロータスはそんなことを言った。
「綿の花が咲き始め、蚕が糸を紡ぐ。皇帝陛下へ絹糸を献上すれば、これで王女の花嫁衣装を作る、とおっしゃって下さったものだ。……風景としては面白くない場所かもしれない。だが春に虫や鳥が集まるあの場所に、鎧兜は相応しくないだろう」
一息に言った彼の様子に、シリウスは「ああ」と納得した。
自分の手で守ってきた大地だ。それを意外な方法で奪われた。その愚痴が、つい出てしまったというところだろう。
シリウスはそれになんとなくほっとし、ロータスの頭をがしがし撫でた。
「な、何をする?」
「いや……とにかく、俺はあくまでも婿という立場だ。決定権は本来ならベリルにある。彼女らからまだ何の連絡も来ちゃいないが」
「心配ではないのか?」
「心配ではある。だが、ツテを頼ってもそれらしい人物を見たと聞かないんだ。なら無事という可能性もある。だったら信じるしかない。ジャスパーは何とかする男だ」
「……信頼しているのだな」
「ああ。さて、家老とスティールとを呼んで話し合いだ。王子も同席してくれ」
「私が? 私はただの人質だ」
「家老はそう見ていないし、街の統治の経験者の助言も欲しい所だ」
シリウスはひょいと毛皮をひっかけると窓を閉めた。
ロータスもコートを羽織り、後をついてくる。
雪こそまだ積もっていないが、重さを増す冬の雲に閉じられ、寒さが逃げてくれない。
シリウスは頬を叩く冷気に顔をしかめた。
「シリウス」
背中にロータスの声がぶつかる。
「故郷を失った怒りは、……少しだけだがわかるつもりだ。王国を恨んでいるなら、中途半端なことはやめろ」
ロータスの言葉が理解出来ず、シリウスは振り返った。
ロータスは一人立ち尽くし、視線を下に向けている。
まるで迷子のようだ。
「中途半端?」
「私に対する扱いだ。スティールの言うとおり、私はダイヤモンド山を奪った王国側の人間だ。それも王族だ。ならば、恨みを晴らしたいなら、その少しは……背負える」
シリウスはロータスの言い様に胸がむかむかするのを感じた。
目に熱が昇るのを感じ、息を吐いて首をふると彼に背を向ける。
「思い上がるなよ、血は血を呼ぶだけだ。誰かを犠牲にして喜ぶような奴は俺は好きじゃない」
「犠牲というが……」
「本当の自己犠牲というものは、自らを損なわせる行動じゃない。自らを神に近づける方法だそうだ。そうだな、ダイヤモンド山の価値と、王子の価値。それは=じゃないんだ」
「……山の方が価値があると」
「そういうことだ。王子や俺が死んだそのずっと後にも、山は残り続けるんだから」
ロータスはようやく顔をあげたが、困ったように眉を寄せている。
「ずいぶん先を見ているのだな」
「どうかな。先祖を思えばその繰り返しだと気づかされる。俺たちに繋がるまでに、どれだけの命が生まれ、死んで、また繋がったか。だがそのいずれもがあの山と共にあった。王子に価値があるとかないとか、俺に価値がないとかあるとかは別問題だ」
「……」
「兄王子が憎いか?」
シリウスが突然そう訊けば、ロータスは目をこれ以上なく見開いた。
「それとも婚約者か」
「彼女を憎むはずない。……政治のことだ。ウィンド家の事情もあるし、兄上なりに考えがおありだったのかもしれない。だが本心は……どうなのだろう。病弱な私より、兄上の方がずっと立派だ。……彼女はどう思ったのだろう」
「さぁ。だが、それなら王子が怖れているその理由ははっきりしているな」
「私が怖れている理由?」
「王子は誰より何より、自分自身を信じていないんだ」
次の話へ→Tale of Empire ー復活のダイヤモンドー 第11話 決意