Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 最終話 秋光の気配

 半日をかけてようやく着いた沼地は、不気味なほどに静まりかえっていた。
 風が止まっている。
 木々は枝を垂らし絡み合い、岩や石は黒い苔のようなものでびっしり覆われている。
 獣たちの気配すらなく、先に進むのは危険だと知らせていた。
 一羽のカラスが森の上を飛んでいる。
 何度か話をしたあのカラスだ、とオニキスはすぐに気がついた。
「この奥にその社があるの?」
 ジャスミンがそう訊いた。
 呼吸すれば水の腐った匂いがする。スカーフなしでは息すら苦しい。
「ああ。左腕も疼いているしな」
「博士に頂いた湯薬はいかがですか?」
 コーは心配を隠さない。
「ああいうのは時間がかかるものだろう。とにかく、社に祀られているのがやつの本体かどうか確認せねばならぬ。それが済めばどうとでも解決出来るさ」
 オニキスの言った言葉に反応したのはサンだった。彼は目を丸くするとオニキスの左腕を掴んだ。
「いざとなったら切って落とすつもりか」
 サンの青い目がオニキスを見据えている。
「それで丸く収まるなら良いだろう。万が一のことさえ用意出来ていれば、あとの選択肢は自由だ」
「それで弓をひけるか? 殿下には御身大事にしろと言っておいて、お前自身がそんなていたらくなら説得力がないぞ」
 オニキスはサンの手をふりほどき、視線を逸らした。
「別に自分を捨てているわけじゃない。最良の選択を出来るよう考えているだけだ。一般人にだって事故や病で手足をなくす者は多い。戦いに出る者がそれを怖れて示しがつくか?」
「それを怖れるからこそ、一番守らねばならぬものが分かるんだろう!」
 サンの激昂が森に響いた。
 その時、ぞぞぞっ、と土の中が波打つ。
「今のはなんだ……?」
 再び静かになると、かすかに木の葉が揺れた。
「……言い争っている場合ではなさそうです」
 ラピスが緊張した声でそう言った。波紋のようにそれが広がっていく。
「ルピナス、皆にご加護があるよう、祈っておいてくれ」
「はい」
 ルピナスは馬達を下がらせ、地面に○を書き始めた。
 紫色のスカーフを首に巻き、聖水片手に器用に。やがて○の中に古代文字を書き終えると、中心に薪をおいて火をつけた。
「香草を焚きます」
 そういって白い葉っぱを取り出し、火で燃やし始める。
 甘い香りが煙と共に立ち上った瞬間、突風が吹いた。
「あつっ」
 風から顔を守ったルピナスの袖に、飛んだ火の粉が燃え移る。
 すぐに消火はしたものの、ルピナスは左手を火傷したらしい。
「森の神が怒っているような……」
「浄化を嫌う神がいるかよ」
 ブルーが呆れたように言って、ルピナスの肩をぽんぽん叩いた。
「ここで間違いないってことじゃねぇの? こうなりゃ行くしかない……」
「そのようだ」
 オニキスが頷いて一歩踏み出す。
 木々が枝を槍のように向けてきた。
「やる気だな」
「一気に燃やしちまうか」
「さっきのようになりますよ」
「そうなったら燃えるの、あたしたちってことね……」
「地道に行くか」
 それぞれに得物を構え森に挑む。
 迫り来る枝を切り拓き、根を踏んで道にする。
 風が一陣、彼らの背中を押すように吹いた。

***

 スピネルの巨体は大きくなっていた。
 途中、すれ違う人、あるいは逃げ遅れた動物たちを飲み込んで成長したのだろうか。
 エメラルド川のような濁った薄茶色の巨体は、平野を滑るように移動している。
 ミミズのような、と言われていたが、ミミズに岩をくっつけたような姿は不気味だ。それに足はなく、腹ばい。たまに見える歯は細かく、口の中のその奥にまで無数に生えているという。
 あれで奇妙に声だけが美しい。
 アンバーは大城壁に立ち、火矢を用意し、スピネルに向かって射かける。
 歯の生え際、首のあたり、フシ、などに痛みを感じているようだとオニキスが言っていたが、確かにそこに当たった時、スピネルは苦悶の声をあげて動きを止める。
「討ち果たすことは可能……かもしれないと」
「だが聞いていたよりでかくなってるな……エメラルド川の川幅に近づいてるぞ」
 副将軍と状況を確認しながら攻撃を進めるが、いかんせん未知の相手だ。ミミズならば太陽の熱が強ければひからびるが、あいにくの曇り空。
 雨がふれば火矢は用をなさない。
 城壁もどれだけ持ちこたえるだろうか?
 それに操られている者達も気になる。
「捜査機関が頼りですね」
「それまでなんとか踏んばるしかないか」
 アンバーはふうっと息を吐き出した。
 シアンからの報告を持ってきたマゼンタも彼の隣で様子を伺っていた。
 彼女も「スピネルは最初見たときよりも大きくなっている」と話していた。
「やつは目が見えない。私たちの匂いや音に反応していたはずです」
「ならば攪乱出来る……かもしれませんね?」
「おそらくは」
 視線をスピネルにうつせば、確かにやつに目はない。それに何かを探すように体をねじって、確認してから移動する様子を見せている。
 マゼンタの言葉通りなら、とアンバーは洗濯所に行くよう彼女に指示を出した。
 まだ洗濯されていない衣類をありったけ集め、それでスピネルの動きを誘導出来れば……マゼンタは理解したらしく、ローズマリーを探しながらその場を離れた。
 スピネルが再び移動を開始し、アンバーは口を開ける瞬間を待って「弓兵!」と指示を出す。
「射かけろ!」
 火矢がスピネルめがけて降り注いだ。

 マゼンタの颯爽とした姿が王座の間に現れた。
 シルバーが視線をやると、彼女は恭しく礼をして「洗濯所を解放したいのです」と切り出す。
「何をするつもりなの?」
「スピネルは匂いや音に反応を見せております。人の匂いが染みついた衣類をちらつかせれば、攪乱出来るやもしれません」
「なるほど、わかりました。楽隊にも出陣するよう命じるわ。現場ではアンバー将軍に従うよう」
 シルバーが控えていた隊長達に命じると、彼らは「はいっ!」と返事して駆け足で出て行く。
「ローズマリーは今厨房で指示出ししているわ。こちらから人をやって伝えておくから、あなたは持ち場に戻って」
「かしこまりました!」
 マゼンタもまた駆け足だ。
 シルバーは侍女に以上のことを言って向かわせる。
 城内は慌ただしく人の足音が入り乱れていた。
 スズ達もまた、湯薬を作るために寝ずに作業している。
 王座の間にもわずかにその香りが満ち始めていた。

 シアンはつるはしを持つ民に対してこずっていた。彼らは本来、守るべき対象である。
 青白い顔色に、うつろな目。正気でないのは見て分かるが、彼らを傷つけず捕縛するのは難儀なことだった。
「つるはしもバカにならん」
「土砂を砕く道具ですからね。下手すれば鎧も貫通します」
 部下がそんなことを言った。日常的に鉄製の道具を使い、洞窟などで採掘作業をしている者達だ、兵士に負けず劣らす鍛えられている。
 それが迷いなく襲ってくるのだ。
「くそっ、特効薬があれば良いんだが!」
 シャベルをはじき、隙を作って腹部に潜り込む。押し倒すようにすると縄で手足を縛った。
「厄介だ!」
「あそこ!」
 部下が指さした方向に目をやれば、兵士の盾が崩され、そこから彼らが雪崩のように押し始めていた。
「まずいぞ!」
 シアンが駆けつける――そこを馬にまたがった男が駆けつけ、漁師が使う網を投げて彼らを捕縛した。
「レッド!」
「間に合いましたか!?」
「もちろんだ!」
 レッドが乗っているのはバーチ馬だ。小柄なため、小回りがきき具合が良い。惜しむらくは彼らを飼育している者達が限られていることだ。今も少ない頭数しかいなかった。
 レッドはそれを50頭近く揃えてきたのだ。見れば猟師達が後ろに控え、気まずそうにしていた。
「どうしたんだ、この仔らは」
「スプルス様のお屋敷から借りてきました。ロバもおりますよ」
「助かる。この仔らとロバがいれば百人力だ。レッド、君は戦えるか?」
「戦う術は持っておりませんが、捕縛ということならお役に立てるはずです」
「よし。行くぞ!」
 シアンは早速跨がり、走らせた。突破された箇所から彼らを追い詰める。
 羊を追う犬のように。彼らを傷つけず家に帰してやるのだ。
 そんなイメージがわいてきた。

***

 森に入り込んでしばらくが経つが、なかなかに手強い。
 枝は先端をとがらせ槍のように突き出してくる。それを切って捨て、切って捨て。
 風が通ると共に匂いもマシになってはくるが、肝心の社を守るように枝や根がびっしりと覆い尽くしてしまう。
 近づくなと言わんばかりだ。
 それに沼も、ぼこぼこと鳴って気味が悪かった。
「埒があかないな」
 オニキスは顔についた泥をぬぐい、迫ってくる枝を切り捨てる。
「何とか考えないと……とはいえ火は使えないようですし」
 ラピスは細身の剣を上手く使っていた。彼も貴族だったころには兵役に参加していたはず。剣を振るう姿はなかなか優雅だ。
「これだけ湿気ていれば、どっちにしても厳しいでしょうね。まず風を通す、これが一番では?」
 ブルーがそう提案した。
 背後にはコー始め、ナギとルピナスが控えている。
 幸いなのは、切った枝はすぐに枯れていく。もともと死んだ木々だったのかもしれない。スピネルの影響でか、生にしがみついた結果なのか。
「しかし、気味の悪い沼だな」
 斧をおさめ、息を整えながらサンが呟く。
 オニキスはそれを聞き、思いついて顔をあげた。
 香り良いもの悪夢を遠ざける、と。
「ああ。ルピナス! 沼に何か、香草でも入れてみてくれ」
「えっ」
「何か反応がないか見てみよう」
「は、はいっ」
 ルピナスは首に下げていた袋から、乾燥したものを取り出す。
 香草の一種だ。オレンジ色の見た目華やかなものである。
 皆も興味をそそられ、ルピナスを見守るようにしながら後退した。
「では」
 ルピナスはまじないを呟き、それを手でこねて沼に入れる。
 ぴちょーん、と軽い音がして、それがどんどん響いていく。
「これは?」
 ラピスが眉をひそめた。
「何だ……?」
 ぼこぼこと沸騰したようにわいていた沼の表面が、さざ波うつ。
 それはどんどん大きくなり、波紋が広がっていった。

***

 マゼンタとローズマリーが用意した衣類を、槍の先端に突き刺し平野をアンバー率いる騎馬隊が走る。
 案の定、スピネルはそれに食いついた。
 城壁からなるべく離し、弓兵の矢が届く位置へ……アンバーが指示を出し、矢がスピネルに降り注ぐ。
「よし! この調子だ!」
 騎馬隊を下がらせ、次の準備にとりかかる。だがスピネルは一時的に移動を止めたものの、残り香を探すようにすると再び走る。
 弓矢もやはり、あの巨躯では大した攻撃にならないのだろう。
 アンバーは唇を噛みしめながらスピネルを見た。逃げ遅れたバーチ兵があの口に取り込まれていく。
 スピネルはまた大きくなった。
 嫌な光景だった。
 その時、スピネルが急に身をよじらせた。
 ぶるぶる震え、城壁に迫る勢いだったものが突然それる。
「何事だ?」
 今や雲のように巨大化したスピネルだったが、首をコブラのように持ち上げたかと思うと、何か吐き出した。
 どしゃどしゃっと腐臭のする液体が平野に広がり、流石のアンバーも鼻を覆う。
「グエエッ」
 と、スピネルは苦しげな声を出し、その身をすぼめていく。
「クソッ、クソがッ! 何て物を!」
 スピネルはそう呻きながら体中を掻くように、地面にこすりつけた。
「何か分からんが、苦痛を感じているようだ。皆、火矢を使え! 一気に浴びせるぞ!」
 この隙を逃さず、アンバーは指示する。火矢が無数、スピネルの体に刺さっていった。
 スピネルは更に体を小さくしていく――一瞬のことで、にわかには信じがたいが、スピネルは土の中に逃げ込んだのだ。
 跡を追えば、そこには巨大な穴が開いていた。ちょうどスピネルの体が通るほどの。
「これは……」
「まずいぞ。城下に入られたら!?」
 兵士達が騒ぎ出した。アンバーは彼らのそばまで馬を走らせ、兜を取る。
 よく見れば、穴から土は一本筋盛り上がっていた。スピネルが通っていった跡に違いない。
「落ち着け! スピネルの足跡は残っているのだ。これを追うぞ!」
「は、はい!」

 アンバーの部下が早馬で知らせたのは、スピネルが土の中に潜み、移動したということである。
 マゼンタは即座にそれを追いかけた。
 スピネルの体は一回りも二回りも小さくなったらしく、その分すばやく動き出したということだ。
 跡を追うが、城内や城下に向かっているふうではない。
 平野を抜け、更にシアン達がいる草原に向かっているようだ。
「見失わぬように! 私は兄上にご報告申し上げる!」
 マゼンタはバーチ兵に指示を飛ばし、馬を走らせた。
 草原では鉱山夫相手にシアン達が善戦していた。 馬やロバが増え、その中にはレッドの姿もある。
「兄上!」
「マゼンタ、どうした――」
「スピネルは土に潜り、こちらへ向かっております! 急ぎ対処を……」
 説明の途中で大きな影が覆う。
 シアン達は目を見開き、頭上を見ていた。
 マゼンタも振り返る、そこには痩せた巨大ミミズがその首をもたげていた。
「女王の匂いがすると思ったら……その側近だったか……」
 スピネルはそう言うと口を大きく開けた。
「危ない!」
 マゼンタに向かって降りてきたスピネルにシアンは剣を投げ飛ばし、馬の手綱を取った。
「レッド! 急ぎ退避だ!」
「しかし……!」
「正面から戦って勝てる相手じゃないぞ!」
 シアンの激昂にレッドは不承不承頷く。
「この国を救ってやると言っているのに! 人の子の分際で何が出来るという?! 調子に乗るのもいい加減にせよ! 女王!」
 スピネルの怒気に満ちた声が草原いっぱいに響き、雲がまた分厚くなった。
 陽の光は遠い。

 王座の間に控えていたシルバーだが、いてもたってもいられず、中央バルコニーに出た。
 薔薇園を見下ろす格好になり、手すりに身を乗り出すようにする。
 当然だが外の様子は見えない。
「今どうなっているのか……」
「殿下、報告を待ちましょう」
「ええ……でも、なんだか呼ばれた気がした……」
 シルバーの言葉にローズマリーは眉をひそめる。
「殿下……」
「分かっているわ、スピネルに取り込まれてはいけない。でも……あれは……?」
 曇り空とはいえ、夜のように暗いわけがない。その空の中に一際大きな影が迫って一部だけ暗くなっていたのだ。
 目をこらせば、それが翼を広げた姿だと知る。
 あの大きさ、翼の形は彼女しかいない。
「クォーツ!」
 シルバーの声に気づいたのか、クォーツは風を起こしながら庭園に降り立つ――姿勢を崩し、倒れ込むように。
 侍女は悲鳴をあげ、城内に控えていた近衛兵達は槍を構える。
 クォーツは敵ではない――シルバーはすぐにそう告げながら、庭園に駆けていく。
 ローズマリーも「槍を下げよ」と言いながら跡についた。
 月光のような鱗はところどころ血が滲み、どす黒くなっている箇所もあった。
 かなりひどい状態で、クォーツは息すら苦しそうである。
 そばに膝をつき、首に手を当てると鼓動は弱っていた。
「クォーツ! 今手当を……!」
「構わぬ、女王よ。私ももう、老いたのだ。それより、翡翠は手にしたか?」
「ええ。ここに……」
 シルバーが胸元から翡翠を取り出すと、クォーツは満月のような目を細めてそれを見た。
「それが無事なら、バーチはいずれ復活する」
「そうね。でも、あなた……私たちを逃がすためにこんな傷を」
 ローズマリーの指示で侍女達が薬や湯を持ってきたが、巨大な竜を怖れたのか、遠巻きに見守るだけだ。
 シルバーはドレスを裂いて、傷口を拭う。人ならとっくに致命傷だろう傷口に、布はいくつあっても足りないだろう。
「それしか道はなかった。スピネルめ、奴は毒の回った血を得たのだろうよ。そして神域を汚し、結界を破ったのだ。プロキオンを失い、肉体も老いた私では奴に勝てない」
「あなたはまだ生きてるわ。とにかく手当を受けてちょうだい」
 クォーツが話す度、それに合わせて血が流れた。鉄のような匂いが雲に蓋され充満していく。
「そんなことをしている場合ではない。女王よ。お前に話さねばならないことがある」
「話?」
 騒然とする中、一人竜に近づいてきた。博士だ。振り返ると城に集まっていた者達が窓越しにこちらの様子を伺っている。
 博士は湯薬を持っていた。
「博士」
「ひどい怪我を……間に合うかどうか……」
「それでも、お願い。博士。彼女はずっとバーチを守っていた竜です」
「分かりました」
 博士は布を湯で洗い、傷口をきれいにし始めた。シルバーはクォーツにむき直す。
「話とは?」
「スピネルは歴代のバーチ王と契約を結んでいたのだ。その対価として、あらゆるものを得た。お前は何か、望んだか?」
「いいえ」
「ならば良い。それなら、お前が引き込まれることはない」
「え?」
 シルバーは眉を寄せた。
 引き込まれるとは?
「どういうことなの?」
「奴のもとにはバーチ王達の魂の一部が……プロキオンが初代と結びついたように。……スピネルはだからこそ王座に執着するのだ。そうすることで、奴ははぐれ竜から竜王になれると考えている。バーチ王の寿命はいつも短い。それはやつに引き込まれたためだよ。良いか、スピネルはいつも王と取引をする」
「ならば……」
「スピネルを誘い込めるのも、王だけだ」
「ま、待ちなさい。女王殿下におとりになれと言うのですか」
 ローズマリーはいつになく厳しい剣幕でクォーツを見た。
「幸い、シルバー女王はやつと契約を交わしていない。だからこその好機なのだ。彼女が連れて行かれることはない」
「話を逸らさないで。殿下は国を導く、宝なのですよ。そんなお方を盾にしろと言うの?!」
「王とは時として矢面に立つものだ」
「ばかなことを言わないで!」
 ローズマリーは目に涙を溜め、首を横にふる。
 しかしシルバーにはクォーツの言わんとしていることがよく分かった。
 民の生きる糧、道を得るため、敵前に身をさらしたかつての皇帝、かつての王、名も無き王達の物語。
 そんな逸話がよくある。
 ローズマリーも、本当はよく理解しているはずだ。だからクォーツの言葉にすぐ反応したのである。
「クォーツ、よく分かったわ」
 シルバーは立ち上がり、衛兵から旗を受け取る。
「スピネルの本体を討ち果たすため、私がおとりになれば良い」
「殿下!」
「死にに行くわけではない。アンバー将軍達も、シアン達も、……オニキス達もいるわ。バーチを救うため、女王としてのつとめを果たす。……それだけよ」
 シルバーが庭園を見渡せば、一枚の葉が光っているのが目に入る。
 白樺だ。
 葉が太陽の光を浴び、きらめいていたのだ。
「……あれをお守りにしましょう」
 シルバーは白樺の葉を取り、旗の頂点につける。
「では、参りましょう」
 白樺の葉が白く輝いた。

***

 沼の水位は下がっていく。
 ルピナスが取り出した草花は、揉めば良い香りが立ち上り、それを放り込むと沼は変化を見せたのだ。
 変化したのはそれだけでなく、社を覆っていた木々もまた弱体化したのだ。
「どういうことだ?」
 サンが周囲を見渡しながら呟く。
「ローズマリーのひらめきを治水に応用した。効くものだな」
「お、お役に立てたようで何よりです」
 ルピナスは沼のそばに立ち、覗き込んだ。オニキスもそれを習う。
「底なし沼かと思っていたが、そうではないのか……」
 底、というよりはある部分までまっすぐに開き、そこから横穴が開いているようだ。
 サンの身長より高く開いた横穴が、それこそ底なしのように続いている。
「どこまで続いてるんだろ……」
 ナギがそう言ったその時、馬の走る音に振り返る。
 マゼンタだった。
「オニキス殿! 大変です!」
 彼女の表情は厳しい。何があったと訊ねれば、彼女は騎乗したまま答えた。
「スピネルは地中に姿を消し、速度をあげてこちらへ……!」
 そう報告した瞬間、枝がひゅるりと伸びて彼女を狙った。
「!?」
 するどい矢のような一撃をサンの斧が切って止める。
「無事か?」
「は、……はい。今のは?」
「社を守ろうと木々が抵抗している。で? スピネルが向かってきていると言ったか」
「はい。方向は確かにこちらに。でも深く潜り込んでしまったのか、見失ってしまって」
「注意しに来てくれたのだな。感謝する」
 オニキスの感謝にマゼンタは目を丸くした。
 が、すぐに態度を改める。
「兄上も、捕縛が済めばこちらへ駆けつけると。ですが、万が一城下に迫っているなら……」
「ああ。その前にどうやってやつを見つけ叩くか、だな」
 オニキスは剣を抜くと、再び森に挑む。
「今なら火が使えるか?」
 そう言って剣をふってみせると、木々はオニキスを狙うように枝を伸ばしてくる。
 先ほどよりは枝が切れやすい。やはり弱っているのだ。
 剣を納めて弓を持つ。矢をつがえて社を直接狙えば、空いた隙間からその扉を射ることが出来た。
「勝算はある、やるぞ」
 オニキスは矢をつがえ、再び射る。
 扉に刺さるが、壊れる様子はない。かなり頑丈なようだ。
 枝はオニキスを狙うが、それをブルーとサンの剣と斧が防いだ。
「もう一本か?」
 サンがオニキスに目配せした。
「そうだな」
 頷いて三本目をつがえる。
 先の二本、その中間を狙えば穴が開くだろう。
 そこを狙って射れば、その矢は風を切って飛びまっすぐに――そこに現れた巨体が矢を飲み込んだ。
 スピネルだ。
 山で見た時と同じ大きさほどになっているが、違うのは短い手足が生えたことと、歯がカチカチとより鋭くなることだった。
「……音すらしなかったな」
「ここは私の領域だぞォ」
 と、スピネルはただれたような声を出した。
 弱体化した木々の根から、無数の穴がのぞく。丁度沼と同じ大きさだ。
 あれはスピネルの通路だったいうことだ。
「オニキス、貴様、私のモノを横取りしようなどとフザケタ真似を……代わりに貴様の目を寄越せェ!」
「目を寄越せとうるさいことだな。そんなに欲しければ取りに来い。貴様のようなゲス野郎に俺のこの目は過ぎたるものだと思うがな」
 オニキスの挑発に肩をすくめたのはブルーだ。サンは「こういう男だった」と頷いて見せている。
 ずるずるずるっ、とスピネルの巨体が腐った水を引きずって地上に出てきた。
 トカゲのように体をくねらせ、木々をなぎ倒しながらオニキスに向かって前進する。
「盗人がァ!」
 大きな口が開かれ、喉の奥までびっしり生えた歯をオニキスは見た。
 そこに袋を投げ込み、矢で射貫く。
 途端、華やかな香りが広がり、スピネルの喉の奥にそれは消えた。
「グゥッ」と苦悶の声が森にこだまする。
「貴様らか! 私の領域を汚したのはァア!」
「良い香りだろう?」
 オニキスは弓をつがえながら後退する。
 森から出るとスピネルは大きな体を揺するようにしてついてきた。
 スピネルは社を守ろうと必死なようだ。矢を射かけられようが気にせず社の前に立つ。
 オニキスは思わず舌打ちした。
 それに反応したスピネルが再び口を大きく開く。
 そのまま突進する。
 どう防ぐ?
 どう攻める?
 スピネルの一撃をすんでの所でかわしながら、オニキス達は攻めあぐねた。
 社は遠い――その時、凜々しくも柔らかい女性の声がやつの名を呼んだのだった。

「スピネル! バーチの女王はここにいる!」
 旗が翻り、葉が揺れ白く光った。
 それを持つシルバーは馬に乗り、近衛兵とアンバーを連れ駆けつけたのだ。
 オニキスはじめ、スピネルさえも彼女を振り返る。
「お下がり下さい!」
「いいえ。マゼンタ、これは私の役目よ。あなたこそ下がりなさい」
 シルバーは女王然とした毅然とした態度を見せ、マゼンタを下がらせた。
 シルバーの翡翠色の目がスピネルをとらえ、スピネルもまた彼女の匂いと声に体を反転させる。
「女王、女王よ。ようやく気が変わったか? この国を救えるのは私だけだと、ようやく気がついたか?」
 スピネルはオオサンショウウオのように小さな手足を動かし、甘えるような声を出した。
 いつか聞いたルビセルの美しい声そのもの。
 オニキスは弓を構え、スピネルに狙いを定める。いつでも射るつもりだ、だがシルバーはオニキスを見ると、静かに見据えて頷いた。
 大丈夫、と伝えるように。
「……姿も見せぬ鹿の王など頼りにならぬ。私がこれまで、どれだけ王達の願いを叶えてきた? 疫病を治し、エメラルド川の水量を減らし、竜すら遠ざけた。今や豊かな国となりつつあるこの国を、ここまで育てたのは私だと、シルバーよ、ようやく気がついたのだな?」
「……バーチという国が豊かかどうか。あなたにとってはそうなのでしょう。だけどその豊かさは一方にしか恩恵を与えぬ。全ての命は連鎖して成り立っているもの、偏りが起きれば全てが狂う。あなたの自己中心的な豊かさは、いつかあなた自身をも食らうものだと理解せよ」
 スピネルが歯をぎりぎり鳴らした。
「生意気な! 女王よ、貴様さえ頷けばそれで事足りるのだ!」
「殿下!」
 アンバーがシルバーの馬を叩いた。
 ダッと駆け出し、丘を登っていく。スピネルは猛然と彼女を追いかけ、社から離れていった。
 マゼンタが馬を走らせシルバーを追い、オニキスははっと振り返る。
「今だ……!」
 矢を社に向け、迷い無く射る。扉に穴が開き、中に赤黒く輝くものが見えた。
 スピネルが振り返る。
 オニキスはその気配に一度だけ振り返った。シルバーの目がこちらを見ている――あの夜贈った白い羽――それを思いだし、首に下げていたそれを取り出すと矢に刺す。
「オニキス! 女王! 計ったな……!」
 スピネルが体を捻り、オニキスに飛びかかったその瞬間、矢が飛んでいった。

 首都の玉座の間は変わらず荘厳である。
 見慣れたものと思っていた宮殿だが、バーチ城に長く留まっていたためか、より荘厳に感じるのだ。
 ラピスはブルーとともに登城し、バーチでの捜査報告をしていた。
「コネクションと関係があったと目されるスプルス・フォーンですが、彼は別宅で就寝中、放火に遭い死亡。氾濫が落ち着いた後本宅を捜査した結果、コネクションの主であった者との関係は認められましたが、コネクションという組織自体は知らず、利用されていただけと判明しました。しかしながらスプルスは、アイリスで暗躍する者達との関係が認められており、紛争にも関わっている可能性があります。その他、移住者支援においても学費、授業内容の書き換えを行い、帝国からの支援金の一部を自らの懐に納めていたことが判明。それをアイリスの暗躍組織に贈っていたと考えられ、バーチに対しても数々の支援策の妨害行為が判明しました。厳密には国家反逆罪に当たります。なお、放火に関しては一部洗脳を受けていた者達の犯行であるため、バーチ女王は厳罰には処さず一定期間蟄居を命じ、社会福祉に従事させた後解放するとのことです」
「バーチでコネクションの他の活動に関してはどうだった?」
「はい。コネクションの主・スピネルはバーチを手中に納めるべく、手広く画策していた模様。ですが、これに関しては歴代の王との関わりが確認されており、説明するのに時間がかかります」
 皇帝は首を捻った。顎に指先をあて、眉を寄せる。
「どういうことだ?」
「スピネルなる者は……その、神話の類いのような話になってしまうのですが……百年以上生きておりまして……元ははぐれ竜だったということなのです……」
 ラピスはとたん、尻すぼみになってしまった。
 こんな夢物語、自分自身信じていなかったのだ。竜人族のような、外見が少し違う程度の話ではない。
 この目で見たのは確かに竜、そして巨大なミミズのような、トカゲのような異形の怪物であった。
 皇帝はラピスの気まずげな態度に姿勢を緩めた。両手の指を組み、「ふーん」と言った。
「はぐれ竜か。スピネルと言ったか?」
「は、はい」
「夢物語のような話だが……お前がそんな冗談を言うとは思えん。まあ、シルバー、アンバーからもそんな報告があったのだし、調べてみる価値はありそうだ。さて。では、今判明しているバーチにおいてのコネクションの活動は主に人身売買か」
「はい。これに関しても長い期間続いていたようです」
「連中の人身売買の狙いは何だったのだ?」
「コネクションの狙いは王国を裏から崩壊させ、その上で王と契約を交わすことを目的としていました。その中で、バーチが最も必要としていたのが人手です。言うことを聞く傀儡。それを用意し、バーチに影響力を持ちながらも野心抱く者に接近し……」
「発言力を持たせて王と争わせたわけか。そうすれば国は二分され、進む話も進まない。その傀儡として格好の餌食となったのがスプルス・フォーンだったというわけだな。さらに学業の差があるため、計算すら出来ないとなればどこでちょろまかされても気づかない。おかげでバーチに居た者達は損ばかりしていたと」
「おっしゃるとおりでず」
「よくわかった。よく調べ上げたものだ。バーチのカネの流れもな。それでは治水事業も農業もうまく進まなかったはずだ。いや、一つすっきりしたではないか。なあ?」
 皇帝は機嫌の良い笑みを浮かべると、隣でゆったり扇をふる皇后を見た。
 バーチへの出発前に見た姿より、少しふっくらしただろうか。彼女はどことなく好奇心を滲ませる、以前のような目をしていた。
「陛下のおっしゃるとおり。これでバーチの復興への道は整ったということですわね。ところで長官はどうしたというの?」
 皇后のもっともな質問に、ラピスとブルーは互いの顔を見合わせる。
「長官は捜査の途中、スピネルの毒にあたり……」
「なんですって?」
「命に別状はありません。解毒薬も作成されており、充分な量、あるいは調合方法さえ確立されれば、それを持ちこちらへ帰還出来るはずです」
「そう遠くない日に可能です」
 そう続けてラピスとブルーが説明すると、皇后は目をぱちくりさせ、皇帝はおや、と口元をにやつかせる。
「ははは。まあ、よく働いたのだ。たっぷり休ませてやるとするか。その間、バーチの将来に希望の兆しがあるかもしれんしな」
 玉座の間に、皇帝の高らかな笑い声が響いた。

***

 シャムロックが翼を広げて空を飛んでいた。
 バーチには明るい日差しが差し込み始め、エメラルド川は元の美しい川色を取り戻しつつある。
「これが本来のエメラルド川ですか」
 馬車の窓を全開に、オニキスはそこから見える水面きらめく川を見つめる。
 隣に座っていたシルバーが微笑んだ。
「今は落ち着いているものね。秋になればもっと美しくなるの。どれだけ氾濫が恐ろしくても、この光景を恨むことは出来ないわ」
 鮮やかな青緑の川は、太陽光を反射させ流れていく。
 シャムロックを乗せた騎手が近寄り、オニキスに小さな便りを渡す。
【特殊捜査機関の面々には休暇が与えられました。1ヶ月ほど好きにせよとのこと。それが済めばアイリス王国へ向かい、コネクションならびにスプルス・フォーンとの関係者を洗い出し、可能ならば紛争を企てる者を突き止め捕縛せよとの勅命。以上】
 オニキスはそれをくるくると丸め、筒に入れると側についていたナギに渡す。
 あれから報告のため首都へ戻ったのはラピス、ブルー、ルピナスの三名だった。
 サンはシルバーとの約束のため残り、ジャスミンは彼に従う格好だ。コーとナギは言わずもがなである。
 あれからスピネルの足跡を辿り、そこで見つけたのはスケイル山の中腹にある湖である。
 鹿の王の神域からは離れており、ここに人工池を造ればエメラルド川の氾濫はかなりおさまるはず、と目星をつけたのだ。
 第一の候補地としては理想的だった。
 この日もその調査のためスケイル山に登ってきたのだ。バーチ馬はよく働いてくれている。
 窓を下ろし、図面を確認していたシルバーを見つめた。相変わらず熱心な女王さまだった。
 オニキスの視線に気づいたのかシルバーは顔をあげ、小首を傾げる。
「左腕はどう?」
「まだ色は悪いですが、違和感はなくなりました」
「なら良かった。博士達が作った湯薬が効いているのね」
「そうでしょうな。体調も良くなっております」
「そう?」
 シルバーは無垢な目を向けてきた。素直に嬉しそうにするそれを見ていると、オニキスは胸の奥にむくむくとわいてくる好奇心に抗えない。
「そうですよ。殿下が誰よりご存じのはず」
 シルバーの形の良い耳朶に唇を寄せてそう囁けば、シルバーは肩を跳ねさせ頬を赤くした。
「オニキス!」
「しーっ」
 静寂を促すと、シルバーは眉をくいっと持ち上げて扇を広げる。

 ――スピネルの騒動が済んだ頃、オニキスはローズマリーにより、庭園にあった隠し扉へ案内されたのだ。
 頑丈に石で作られた長い廊下を渡り、着いたのはある一室。どう見ても寝室で、照明や飾り物はオニキスの目から見ても一流の物。
 窓もちゃんとあり、朝の光がよく入るよう設計されていた。今は夕方のため、オレンジ色の空が見える程度だが。
 ベッドは大人でも3人は寝られそうで、中央にどんと置かれている。
「……ここは?」
 ゆっくり養生しろということだろうか? だがここへ来るのが難儀である。
 ローズマリーはそうではない、と肩をわざとらしくすくめてみせた。
「ここに入れるのは限られた方のみです」
「ほう。限られた方、に加えられて光栄だと思えば良いか?」
「光栄と感じるかどうかは長官殿にお任せします」
 ローズマリーの返答に、オニキスは目尻を下げた。
 全くその通りだ。人の心を完全に支配出来る者などいない。ミントも結局目覚め、ルビセルのことは名前すら分からない、という話である。
「ここへ入れるのは、今上陛下、王女殿下、そのお相手のみです」
 ローズマリーは口調こそ淡々と言った。
 オニキスはすぐに意味を理解し、流石に口が開いた。
「……”お相手”ね。わざわざ部屋を用意するのに意味がありそうだ」
「もちろんです。かつて、バーチに王として赴任すれば、そのお役目は一生でしたから。憂さ晴らしも必要でしたし、お世継ぎを望まれることもありました。お妃様にその兆候が見られなかったり、女王殿下と夫となった方が不和であれば叶いませんから。未婚なら王女殿下はまちがいなく王室の方ですし、その子もまた正当な世継ぎになれます」
 オニキスは思わず大きく息を吐き出した。
「今は任期未定のはずだが」
 仮に未婚の王のままだとしても、次も皇族に名を連ねる者が帝国より派遣される。王家にならなくても空位ではないはずだ。
 かつての厳しく自由のないルールのため、お家騒動や後継者争いが起きた過去から大幅に改変されたのだ。
「今はそうです。でもこの部屋は必要なのです」
「憂さ晴らし、か」
「もっと相応しい言葉があるでしょう? 遠慮なく逢瀬を重ねられる、愛の巣、と」
 確かに遠慮はいらなさそうだ。どこかに声が漏れる心配もなさそうである。
「ここを知っているのは?」
「今であれば侍女長である私、殿下、そして長官殿だけですわ」
「なるほど。で、例えば私と殿下がここで逢っている時、君はあちらの扉の向こうに控えているということだな」
 オニキスは入ってきたのとは正反対の方向を指さした。
 そちらは木製の扉である。内側からかんぬきがかかるようになっており、邪魔者は完全にシャットアウト出来てしまう。
「盗み聞きの趣味はありません」
「言い切るなよ。殿下の身の安全は考えないのか?」
「考えておりますとも」
 ローズマリーは不敵な笑みを浮かべた。
 この時オニキスは知らなかったが、この寝室に飾られている燭台の一つには紐がくくりつけられている。
 何かあった時、これをひけば城内のベルが一斉に鳴り響き、侍女長の案内で衛兵達がここに駆けつけるようになっていた。
 ちなみに使用されたことはない。
「というわけで、長官殿。どうぞ心ゆくまで」
「おい」
 ローズマリーはそそくさと出て行き、数分後、扉が開くのと同時に会話が聞こえてきた。
「部屋に一部破損ですって?」
「そうなのです、殿下。ベッド脇の……」
 シルバーと、先ほどわかれたローズマリーのもの。オニキスが振り向くと、何も知らない様子のシルバーと目が合った。
 彼女の顔がみるみる赤くなっていく。
「ろ、ローズ! これはどういうこと!?」
「ご覧の通りです」
「妙な気を回して……ちょっと!」
 ローズマリーはシルバーを残して行ってしまった。扉が締まる。
「なっ、なんてことを。ローズ、あなた聞いてるの!?」
 バンバン、とシルバーが扉を叩く音が部屋に響く。どうやら外から何らか閉められたようだ。
 オニキスは自分が来た方の扉を見、開くのを確認すると声をかけた。これも彼女の計算のうちだろう。さすがに閉じ込めはない。
「殿下」
「きゃあ!」
 シルバーは飛び上がらん勢いだ。
「お、お、オニキス殿。なぜここに」
「ローズマリー殿に相談があると言われ……ちなみにこちらから出られますが」
 オニキスが指さす石の扉を見て、シルバーは落ち着きを取り戻したのか「そ、そうね」と返した。
「全く、ご迷惑をおかけしました」
 シルバーは自身の髪を撫でてそう言う。
「いいえ。王家の裏事情を垣間見られて面白かったですよ」
「そ、そう。では、出ましょうか」
 オニキスの前をシルバーの細い体が通る。
 ふわふわと微かな薔薇の香り。その奥に感じる彼女自身の甘い香りを思いだし、このままわかれるのが惜しまれた。
 すいっと腰に手を回し、抱きよせる。
「オニキス殿……!」
「私と二人きりは嫌ですか」
「そ、そうでは……」
 シルバーは声をか細くし、また顔を赤くする。
「続きを下さると約束したはず」
 シルバーの髪を耳にかけると、真っ赤に染まった耳が見える。期待にか潤んだ目も。
 唇を寄せ、触れないまま待てば、シルバーは目を閉じ自ら唇を触れさせてきた――

 クォーツはスピネルの死を確認すると、その一週間後に息を引き取った。
 彼女と、その夫プロキオンもまた鹿の王の新たな聖域内に祀る予定である。
 スピネルも、彼が姿を借りた生物たちも、安易な道を選べば、腐敗に繋がるという教訓・戒めのためにも祀られることになった。
 結局スピネルが寄生した者達は、腐敗の犠牲者といえる。博士はミミズは土を耕すと告げ、忌み嫌ってはいけないと教えた。
 汚いものと美しいものは常に表裏一体なのだ。どちらか一方に傾いては、腐敗どころか存在すら危うくなるのみである。

 スケイル山の中腹にある目的地は見晴らしが良く、風の通りも良い。
 人工地を造るための設計が行われていった。
 シルバーは同行していたサンとジャスミンを呼ぶ。
 天幕の下、シルバーは侍女に持たせていた本を彼に手渡した。
 バーチ各地の民話、民謡をまとめたものであった。かなり古い一品のため、ページのところどころが破れたり汚れたりしている。が、肝心の一文は残されていた。
「あわれ我が子……」
 サンは小さな声で呟き、その一文を指でなぞった。
 バーチ北方、小さな農村に伝わる方言。
【あわれとは、愛しい、可愛い、の意味である】
 子守歌は一部だけが失われていたが、サンは記憶を辿るように目を閉じ、シルバーに深く頭を垂れたのであった。

 山にある滝に通じるよう水を流し、その滝壺を広げるという方向で話はまとまったようだ。
 シルバーはそれによる周囲への影響を聞き、必要な修正を加えていく。
 湖の規模を拡大させ、そこから川幅も広げる。川を分岐させ、一部人工地に逃がす。
 スケイル山の新たな祭壇、翡翠の安置場所も確保され、無理なく進められそうだと諮問機関の面々達も頷いた。
 ようやく治水が始まる。
 ようやくだった。

***

 1ヶ月の間、オニキスは現地に残っていたメンバーに休暇を言い渡すと自らはバーチに残ることにした。
 サンは農村を訪れ、ジャスミンも同行するという。
 コーとナギもオニキスと共に過ごすようだが、2週間過ぎれば一足先に首都へ帰還予定だ。
 オニキスは博士からもらった湯薬を日々欠かさず飲み、日増しに良くなる左腕を見ていた。
 マインサイトに生える毒草。
 その花の蜜のはちみつや、毒草を極限まで薄めたもの。それに薬草を足して煮詰めて……一見邪魔でしかなさそうな、役に立たないと思われているものが不思議な働きを発揮する。
 オニキスはそれを痛感せずにいられなかった。
「博士は王室の顧問にすべきですな」
 結局オニキスはシルバーとあの部屋で過ごしている。
 庭園から入れば誰の目を気にする必要がない。
 さすがは密会のための部屋である。
 充分に広いベッドに腰掛け、肌色が戻りつつある左腕を撫でた。
「そうよね。博士の研究資料を書き写すため、今人をやろうと考えているの」
「それは良い。バーチや帝国にとって、得がたい宝になるでしょう」
「王宮に呼びたい所だけど、そうしてしまうと彼は研究を進められなくなるものね。その邪魔は出来ない。ところで長官殿。バーチを出たら次はどこへ行くの?」
 シルバーはオニキスの後ろから、甘えるように抱きついてきた。
「アイリスへ」
 そう答えれば、シルバーは眉を曇らせた。
「そう……危険だけど、だからこそ行かねばならないのね」
「おっしゃるとおりです。まあ、大丈夫ですよ」
 オニキスが平然として言えば、シルバーはオニキスの頬を引き寄せ、顔を合わさせた。
「良いこと、油断大敵よ」
「はいはい」
「はいは一回!」
 シルバーは眉をつり上げた。女王として王座の間にいる時は、凛としてまるで手の届かない人だと思わせる。
 ところがそこを離れると表情豊かで、存外うぶな女の子のようである。
 女王としての自覚、責任。その重さ。それを細い肩に背負っている。そうと気づいていながら、オニキスは共に歩めないことを知っていた。
 オニキスは近い彼女の唇をかすめ取り、そのまま押し倒すと翡翠色の目が色を濃くしていくのを見つめた。
 お互いの道は違う。
 役目も背負うものも違いすぎる。
 だからこそ、思い出が支えになるのはオニキスにとっても同じだ。
「……ここを出たら……」
 ふとシルバーの表情が曇る。
 存在を確認するかのように、彼女の指先がオニキスの顎を撫でた。
 もう会えない?
 それをきけば、何かが狂ってしまう。シルバーもうそう勘づいたのか、首を横にふるとオニキスの首に腕を回した。
 引き寄せられるまま白い首筋に顔を埋めれば、体温が溶け合う感覚が胸に刻まれる。

 いつか役目を終えたら、二人の道は必ず繋がるだろう。
 そんな予感を確定するかのように、星が一際大きく輝いた。

***

 バーチでの休暇を終え、オニキスはサン達と合流し、王城を出る。
 振り返ればバルコニーにシルバーの姿が見えた。手を振れば、彼女が手を振り返す。
 のど元が苦しくなり、それを緩めると二人を見ていたジャスミンがため息をついた。
「地位があれば何でも好きに出来るわけじゃないのね。……ごめん、言わなきゃ良かった」
 ジャスミンがシルバーとオニキスを見て言ったため、言わんとしていることは伝わった。
「構わない。もう二度と来ない場所でもない、思い詰める必要は無いさ」
「そういうものなの?」
「ああ」
 オニキスの確信めいた返事に、サンが頷いた。
 思うところがあったようだ。
 彼もまた、故郷と呼べる場所を見つけたのだ。
「足があるからな。歩いていればどこへなりと通じるさ」
「ふぅーん。二人は良いものを見つけたって感じね? でも良い? オニキス。女性にとって女でいられる時間は貴重なのよ。早く迎えに行かなきゃ、おばあさんになるんだから」
「殿下なら美しく年を重ねることだろう。大体、その時私もじいさんだ。黒い髪が白くなる」
「ふっ」
 サンが吹き出したが、ジャスミンが「あなただって他人事じゃないわ」と返すと「君もな」と二人から突っ込まれる。
「良いわよ、良いわよ。年取っても楽しくやりましょ」
「その意気だ」
 バーチ馬の足取りは確かだ。オニキス達は馬をもらい受け、フェザーと共にバーチを離れていく。
 ――次に逢うとき、あなたが離れたくなくなる私になっているわ。覚悟しておいてね――

 昨夜シルバーがそう言って、オニキスは虚をつかれたがいっそ清々しいほどだった。
「楽しみにしておりますよ、殿下」
 呟いた言葉は風に乗って、バーチへ送られていく。
 秋の気配が訪れようとしていた。

 おわり。

戻る→無料小説一覧

 

【広告】"大人の女性のための、刺激的な漫画やボイス。目と耳で感じる特別な非日常世界で、日常をもっと豊かなものに。"
どんなサイトか知りたい方はこちらへ→DLsiteとは

follow us in feedly

-Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー, 小説
-

© 2023 椿の庭 Powered by AFFINGER5