Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第41話 昔話

「一体どうしたと言うんだ?!」
 シアンの怒鳴り声が城内に響いた。
 バーチ兵、シアンの部下は口々に「わかりません」「突然人々が襲いかかってきたんです」と繰り返す。
 民間に武器をふるうわけにもいかない、と彼らは城に引き返してきたのだ。
 オニキスは左腕を隠し、そこにいた兵士を捕まえる。
「無事な民は?」
「鳩を飛ばしたところ、どうも無事な者もいるようです」
「では君らはそこへ向かえ。あの青白い者達は振り切るんだ。戦えない者と女子供は城に集めて防備を固めろ」
「はい!」
 オニキスの指示でやるべきことを見つけた者達は、駆け足で城から出て行く。
「クソッ、何だって言うんだ、こんな時に!」
「俺は山に向かうぞ。シアン、君は残って司令塔になれ」
 オニキスがそう伝え、シアンは地図を渡すとオニキスの肩を掴んだ。
「すまん。そうしてくれ、殿下達のことをよろしく頼む……! おい、帝国軍に連絡だ。救援を頼むよう伝えろ」
 シアンは部下に命じ、城内を駈け出す。
 オニキスが振り向くと、ラピスもまた目に厳しい光を宿して頷く。
「長官。参りましょう」
「ああ」
 ちらりとナギを見やれば、彼は唇を噛んで下を向いていた。
 時間がない。急がねば。
 ふぅっと息を吐き出すと、オニキスは彼に矢筒を渡す。
「荷物持ちでも何でもやると言ったな」
 ナギが顔をあげた。相変わらず曇りない、強い目が見上げてくる。
「ここにいても仕方ないなら、一緒に来い。ルピナス、君もだ」
「はい」
 ルピナスも返事し、ナギは矢筒を受け取ると目に涙を溜めて頷いた。
「向かうはバーチの東北、スケイル山だ。馬を全力で走らせる。おくれるなよ」
「はい!」

***

 裂け目の奥に身を滑らせると、夢の通り洞窟になっていた。
 中は城の大広間よりも広く、静かで足音がよく響き、暗いのだが穏やかだ。
「ここは?」
 マゼンタは警戒を怠らないまま疑問を口にした。
 シルバーはわずかな光源に気づき、周囲を見渡す。皆の顔は何となく見分けがつく。
「ここは……竜の巣ね……」
 シルバーは自ら言ったことにはっとした。
(そうか。ここがそうなら説明がつくはずね。では、あの夢に出てきたのは竜?)
 中の空気は穏やかで、竜はいない。だが怪物の呼気のようなものが洞窟の入り口から感じる。
 戻れば終わりだ。
 だが道はあるのだろうか?
「竜の巣……伝説の産まれた場所といったところでしょうか」
「ただの伝説ではなくなりそう」
 そう呟いたのはローズマリーだ。現実主義の彼女の声はどこか弱々しい。
「大丈夫?」
「大丈夫……です。今は。殿下、どうしてこの道をご存じだったのです?」
「それは……」
 グオオオオォ……と怪物のうなり声が響いてきた。
 幸い、裂け目は固い断層となっており狭い。怪物も無理には破れないようだ。
 だが振動にいちいち心臓が痛いように跳ねる。
「あの大きい口にナイフ全部投げてやろうかしら」
 ジャスミンがいらついた声でそんなことを言う。
「全部はやめて。色々使い道があるの」
 マゼンタが返した。
「先代達の日記のお陰かもしれない。夢で見て……でも、夢の通りならここには……」
 竜がいたはず。
「やはり死んでしまったのかしら……」
「ねえ、光があるなら出口があるんじゃない? 探してみるわ」
 ジャスミンはじっとしていられないのか、そう言うと光源を求めて行った。
「サン殿はご無事でしょうか……」
 ローズマリーがそっと呟く。
「無事だと信じたいわ。まだ約束も果たせていないのだし……私達も何か出来ることを探しましょう」
「では火種を用意しましょう。ねえ、仕事よ」
 ローズマリーは辛うじて一緒に逃げ出せた侍女に声をかけた。彼女は自身を強く抱いて、首を横にふる。
 恐怖で動けないようだ。
 シルバー達は洞窟内を歩き、白樺の樹皮を見つける。湖からずっと群生地だったようだ。風か、あるいは獣たちの足に乗って洞窟内に入り込んできたのだろう。
 マゼンタがナイフで器用に火を起こすと、ふわっと温かくなった。
 火を見て安心感を得るのは人間の特権と言えそうだ。
「ねえ。ここから出られそうよ」
 ジャスミンが上の方から声をかけてきた。彼女の姿を辿るように視線を巡らせれば、岩壁にそって緩い坂道がある。
 侍女を立たせ、火の明かりで足下を照らしながら進んだ。
 ジャスミンは石を掘るように取り出していく。
 女性か子供なら通れそうな穴が開き、そこから外の光が差し込んできていた。
「すごいわ、ジャスミン」
「これでも旅慣れてるの。色々やったわ、魚をとったり、草を食べたり……洞窟で夜を明かしたこともあったわね」
「そうなの?」
「そうよ。連中に捕まるまで、芸を覚えながらね。新しい家を求めて……洞窟って冷えるでしょ、妹達とくっついて寝て……」
 ジャスミンはそこで言葉を止めると、髪をかきわけて「まあいいわ」と終わらせる。
「さて、どうしますか」
 腰を手を当て、ジャスミンはシルバーを振り返った。
 シルバーは皆の顔を見回す。
 体力に劣る侍女達、シルバーも例外ではなく、ましてやワンピース姿だ。あまりに軽装すぎる。山歩きですら危険だった。
 ローズマリーも毅然としているが、足が震えている。
「……マゼンタ。ジャスミンと二人で下山し、救援要請とその案内を」
「はっ」
 マゼンタはすぐに返事した。が、ジャスミンは彼女を見ると腰の手を下ろし、シルバーにむき直す。
「でも、ここに残ってあなた方を守る者もいるでしょ?」
「ここならきっと大丈夫。あの怪物も入って来れないようだし、ここで注意をひきつけておくから、あなた達はその隙に」
 マゼンタは装備の確認をすると息を吐き出した。
 出れば危険かもしれない。
 だがここに残るのも危険だ。もし出られなければ、3日と命は保たない。
「殿下。必ず救援を連れて戻ります」
「信じてるわ」
 シルバーはマゼンタの細いがしっかりとした手を取り、きゅっと握りしめる。
 マゼンタとジャスミンが続いて出て行く。
 ローズマリー達は洞窟内を大きな音を立てて歩いて回った。
 怪物のイライラしたような鼻息はこちらに向けられ、遠ざかる気配はない。
 マゼンタ達の脱出は成功したようだ。
「女王! お前の願いを叶えてやろうと言うのに、意固地なことだ! お前の民がどれほど犠牲になっても構わぬというのだな!!」
 そう女とも男ともつかぬ美しい声が洞窟内に響く。
 その時、どこからか天に昇る歌声のようなものが遠くに聞こえた。

***

 裂け目に続く道を走らせ、山を見る。
 一部木々がなぎ倒され、鳥達が騒いでいた。
 オニキスは空模様が怪しくなるのを肌で感じ取り、同時に左腕に走る違和感に眉をよせる。
 ルビセルの放った針のせいだとは分かるが、何の毒で何が解毒になるのかは分からない。
 まだ動くようなのが幸いだ。
 ラピスの進言でこの日は休むことになった。走らせ続ければフェザー達は死んでしまう。
 そうなれば救援どころではない。
 小川を見つけて、オニキスは一人水を汲みながら左の袖を捲った。
 そこは城下にいた者達と同じ、青白い肌色になっている。
(毒だな。広がってはいない……)
 確認するように指を曲げ、広げる。
 動くのに問題はない。だが違和感がある。
 皆のもとに戻り、ブルーの用意した携帯食料を口にし、わずかな時間でも、と仮眠を取る。
 今すぐにでもシルバーのもとに駆けつけたい気分だ。だが焦れば体力を無駄に消耗するだけ。
 冷静な部分が必死にオニキスを抑えつけていた。
 目を閉じれば見えてくるのはあの社。
 あの沼地の奥に、何かが潜んでいた。
 そこから出てくる異形。
 そして社の中に安置されている宝石。
 ――あれを手に入れなければ。あれを解放せねば。捧げよ、我らが王に
 そんな祈りに似た声が聞こえてくる。
 あの社に何かある。
 あれを浄化せねば。
 そう本能めいたものが訴えてくる。
(まずは殿下をお救いせねば……)
 地鳴りのような音が聞こえてくる。フェザーが蹄鉄を打ち鳴らした。シャムロックの鳴き声がする。
「まずいぞ」
 夢うつつでそう声を出せば、月の下「何ですか?」とルピナスが返事した。寝ずの番をしていたため、すぐにオニキスの声に反応したらしい。
「皆を起こせ。何か来るぞ」
「えっ?」
 ルピナスは戸惑う様子を見せたが、すぐにオニキスの言うとおり皆を起こした。
 シャムロックがやはり羽をうち、急かしている。
 その時、急流に大木が流されていくような轟音が鼓膜に響いた。
「なんだ!?」
 ブルーがそう叫び、音の方向を指さす。
 巨大なトカゲを思わせる、月の光に似た鱗の生き物がコウモリのような翼を広げて夜空に飛び立っていった。

 夜が開ける前に出発し、スケイル山の麓にたどり着く。
 山の道は分からない。だが、バーチのあの小柄な馬が通っていった足跡を見つけた。
「これを辿れば……」
「ここって聖域ですよね」
 ラピスとルピナスが同時に口を開く。
 先ほどの巨大なトカゲは山のどこかへ消えてしまった。
 とにかくシルバー達を救わねばならない、とオニキスが指示し、前に進む。
 ルピナスは何か思うところがあるようで、まじないを唱えると全員に聖水をかけた。
「念のためです」
 そう言い、自ら先導する。
 オニキスは聖水がかかった瞬間、左腕が焼けるように熱くなったのを感じ、そこを押さえる。
(ただの毒ではないのか?)
「では」
 とルピナスが一歩踏み出したその時、小枝の折れる音に振り返る。
 剣の柄に手をやり踏み出せば、現れたのは見覚えのある二人のシルエットだった。
「ジャスミン、マゼンタ」
「長官! 今助けを呼びに行くつもりだったの!」
 ジャスミンは眉を開いて笑みを見せた。髪も肌も所々擦り傷だらけで、木々や草を踏み分ける様は今にも倒れそうなほどだ。
 マゼンタは表情こそ張り詰めているが、同じ様子でいる。
「サンから報告があった。巨大な怪物が出たとか……殿下はどうした?」
「安全と思しき洞窟で待機されています。早く向かいましょう、こっちです」
 マゼンタは目の下を青くしながら、きびすを返した。来た道をすぐ戻るつもりのようだ。
「マゼンタ嬢、これを」
 ラピスがその背を追い、水筒を手渡す。
 マゼンタはそれをうろんげな目で見た。
「殿下達はもう一日以上飲まず食わずだ。これは殿下に……」
「しかしあなたが倒れては、道案内がいなくなる。動けばその分消費もするというもの、それで女王殿下の護衛が務まりますか?」
 ラピスの一言にマゼンタは乾いた唇を舐め、目をそらすと水筒を受け取った。
「サンはどうした?」
 オニキスがジャスミンに聞けば、彼女は目つきを険しくして首をふる。
「彼のことだから、無事だと思うわ。でも、合流出来ないのは気になる」
「……ああ。だが、まずは殿下をお助けせねば……」
 グググッと地面が揺れた、と思ったが、地震ではなかった。
 木々が雪崩のように斜面を滑ってきているのだ。その奥に何か見える。
 肌色に近いような、生物の色だ。
「あれが怪物よ。ミミズみたいな……」
「ミミズ……」
 オニキスは復唱すると、脳裏でスプルスの別宅に飾られていた絵を思い出す。
 それだけでなく、王の日記にも記されていたはずだ。ミミズと。
 ――あれを手に入れなければ。あれを解放せねば。捧げよ、我らが王に
(――あれを浄化せねば)
 そう心臓まで跳ね上がり訴える。
「あれとは何だ……?」
 気づかぬうちに声に出したらしい、ジャスミンが眉を跳ね上げる。
「長官?」
「……何でもない。とにかく、殿下のもとまで行くぞ」
 マゼンタとジャスミンの案内で山に入る。獣道ですらない、草をなぎ倒した道なき道を行く。
「あのトカゲみたいなのは何なんだよ」
 ブルーが呟いた。

***

 月光のような、城でも灰色でもない、虹にも近い色の鱗はとても美しかった。
 洞窟のその下、地面を割って夜空へ昇り、そばに降りてきた黄金色の目はシルバーをとらえ、ゆっくりとまばたきをする。
「お前が新たな王か」
 その声は凜として美しい。響きこそ重いものの、女性のものだ。
「……あなたが竜、なのですね」
「そうだ。あれから何年経った? 契約を忘れ、違え、道を踏み外した王との別れから……」
「契約を忘れた?」
「そうだ」
「で、殿下……」
 ローズマリーがシルバーのそばに立ち、庇おうとするがシルバーは彼女を留める。
 バーチの竜といえばアイス湖を消滅させ、毒を広げた王の敵である。
 が、今目の前にいるこの竜は荒ぶった様子を見せない、それこそ波すら立たぬ湖のような穏やかさで、気品すらあった。
「危のうございます」
「平気よ。下がりなさい」
 シルバーが命じると、ローズマリーはきゅっと口を閉ざし一歩下がる。
「何があったのですか? ここで、バーチ王と」
「私達は呼ばれたのだ。ここを……彼女を守るために。あの王はお前達の系譜で言えば初代にあたる」
「初代? 彼があなた……を呼んだのですか?」
「そう。厳密には私のつがいを。そして対価として王の魂とバーチの湖を頂いた。そこは我らにとっても安住の地だった。守るものは一つ、バーチの宝……翡翠」
「翡翠……初代王后を……鹿の王の娘を?」
「その通りだ。外は相変わらずうるさいことだ。あの悪竜……今はもう竜ではないようだが……やつにつがいを奪われた。私も老いたものだ、もはやあれを退ける力はない」
「……あなたはエメラルド川の氾濫と関係ないのですか?」
「関係ならあるのだろう。私がアイス湖を焼いたのだから」
「えっ?」
「仕方がなかった。我がつがい――プロキオンの死骸はやつの毒に犯されていた。アイス湖に落ちたため、あのまま放っておけばアイス湖から毒がバーチ全土に広がってしまう。私はプロキオンごと湖を焼いた。それ以外に道はなかった。幸い、プロキオンの魂はバーチ王と結びつき、王墓から向こうの世界へ渡れたようだ。問題はない」
「ど、毒ですって? 今でもアイス湖に面する鉱山からは毒が出るのよ」
「そうだ。銀に似た姿でな。私は、やつはプロキオンとの戦いで死んだと思っていた。そのため鉱山の毒もいずれ浄化するだろうと。だがそうではなかった。やつは生きていたのだ」
 シルバーは竜の話を混乱半分で聞いていた。全容は理解出来ない。
 ただ、この目の前にいる竜が真実を語っているのだろうとは理解出来る。
「あなたの言う、やつとは誰のことなの?」
「お前も知っているはず。王との契約には本当の名前が必要不可欠だからな。やつの名はスピネル――」
 シルバーははっと息をのんだ。ローズマリーもまた目を見開く。
(そうだわ。なぜ気づかなかったの? あの怪物はまるで夢に出てきたスピネルだった。声も同じだわ)
 洞窟をこじ開けようとする体当たりの振動に、侍女達が小さく悲鳴をあげている。
 竜はそのすぐそこにいるであろう怪物に視線を向ける。
 憐憫すら感じさせるその目元は湖に浮かぶ満月のようだった。
「名を変え、姿を変え、今もなお生にしがみつくやつにとって、名などもはや無意味かもしれぬ。だが依り代にされた者達にとっては苦痛であろう。必要なのは解放だ。やつの唯一残った本体をこそ、消滅させねばならない」
「本体?」
「そう。やつが竜だった時の逆鱗――」

 翡翠を守るため呼ばれた竜・プロキオンは、つがいであるクォーツとともにバーチに舞い降りた。
 スケイル山の湖を巣とし幾星霜。
 王の魂と結びついたプロキオンはバーチという国をこよなく愛した。
 問題が一つだけあった。
 エメラルド川の氾濫である。鹿の王が残した痛みを伴う教訓にして恩恵だった。
 ある時、悪竜が現れた。
 その名はスピネル。欲望のまま仲間の銀を盗み、その結果追い出されたはぐれ竜である。
 彼は鉱山のあるバーチに目をつけ、中でも秘宝とされた翡翠を狙ってきたのだ。
 彼は王の夢に入り込み、ささやきかける。
『エメラルド川の氾濫は竜のしわざ。これを退ければ、きっと川はおさまる。そして翡翠を手にすれば、バーチは未来永劫豊かな国となるだろう』
 プロキオンは王の遣わした兵、そしてスピネルから翡翠を守るため応戦し、勝利した。そのはずだった。
 スピネルは死の間際、自らの血液をプロキオンに浴びせる。その血には毒が充満していた。
 毒を浴びたプロキオンは死に絶え、アイス湖に落ちた。
 鉱山内に毒は流れ、湖に毒が流れた。
 クォーツはプロキオンの死骸ごと湖を焼き払う。だが誤解は続いていた。
 今になれば分かることだが、この時まだスピネルは生きていたのだ。
 近くにいた、トカゲの肉体を借りて、生き延びた。
 トカゲとなったスピネルは王の夢に現れ、今度はクォーツを討伐せよとささやく。
 その手助けをする代わり、スピネルは王座を求めた。
 それは叶えられた。
 かつてのバーチ王城である。

 シルバーの目の前で、竜――クォーツはまばたきをする。
 つがいであるプロキオンを失った彼女は、長い間独りだったのだ。人々の誤解の中、翡翠を守りつづけて。
「……あなたはなんて誇り高いのでしょう」
「それが役目だからだろう。お前が女王たらんとしているように。昔話はこれで終わりだ。あとのことは知っているのだろう?」
「ええ。スピネルは歴代の王と契約をかわし、対価を得てきた。……エメラルド川の氾濫を逆手に取って自分の野心を叶えようなんて……」
「お前は純粋だな。鹿の王がここへ導いた理由がわかる気がする。この国を救え。そのために必要なものは全て揃っているはず……」
 クォーツは体を起こした。
 その視線の先を追えば、マゼンタ達が脱出した穴。あれから一日が過ぎたと光の差し込み方で分かる。
 そこが陰った。
 入ってきたのは小柄な人影――マゼンタでもジャスミンでもない、少年のものだ。
 再び光が差すと、両手に水筒や食料を持った赤茶色の髪が視界におさまる。
「帝国特殊捜査機関、女王殿下のお迎えに参りました」
 ナギである。シルバーは安堵から顔を綻ばせ、穴を見る。声を出してはいけない、とかわりに大きく息を吐いた。
「皆来たのね」
「はい。お怪我などされていませんか」
 ナギはカタコトのようになりながら、必死に話す。
「何とか無事よ。ありがとう」
 シルバーは水筒を受け取りながら、小気味よく跳ねる心臓を押さえる。
「って、うわあ」
 ナギが小さく声をあげる。目の前には黄金色の目。
「……」
「……」
 ナギは口を押さえ、一歩後ずさった。
「……ここに棲んでいた、竜のクォーツよ。バーチを守っている存在だから、怖がらなくていいわ」
「……はいっ」
 ナギは平静を取り戻したのか、口から手をゆっくり離した。が、目は泳いでいる。
「あの、長官に報告をして参ります」
「分かったわ」
 ナギのまだ小さな背を見送り、喉の渇きを癒す。疲れていたことにようやく体が気づき、途端に体が重くなった。
「力強い子だ。星が味方している」
「あの子?」
「ああ。外に出るといい、女王よ。やつは私が足止めしてやろう」
「危険だわ」
「だがそれが私の役目なのだ。翡翠を守り、この国を守る。良いか、翡翠は上流にある。それを持ち、やつの逆鱗を探せ。翡翠はやつの手に渡してはならない」
「……クォーツ」
 シルバーは彼女のそばに膝をつくと、その手を取った。額をそこに押し当てる。
「ありがとう」

 ようやく元の世界に戻れる……そんな気分で太陽を見上げる。まぶしさに目を細めながら、穴から差し出される力強い手に引っ張り出された。
 夜より深い、ぬばたまの目。その瞳。
 目が合うと、ほっとしたようにその目元が和らいだ。
 ぎゅっと握りしめた手から絶え間ない温もりが伝わってくる。
 オニキス。あなた本当に駆けつけてくれたのね。
 声に出さずにそう語りかけると、オニキスは手を離すその寸前に、一度だけ力を込めて手を握る。
「クォーツがあの怪物を足止めしてくれるわ。その隙に、私たちは翡翠を入手、保護。そしてあの怪物の本体を探します。これを消滅させれば私たちの勝ちよ」
 そう毅然として言えば、異論を唱える者はいなかった。

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