Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第36話 神域へ

 夏祭りの準備のため、スケイル山に向かうのはいよいよ明日だ。
 白樺の苗木は順調に育っていた。
 シルバーは膝を抱えてそれを見つめ、頭の中では違うことを考える。
 鉱夫達の様子は日々変わっているようだ。
 あの日見た、血走ったような目の彼らではなくなっている。ただゆるやかに活気を取り戻しつつある、という感じだ。
 今は残っている金属の加工、農具の手入れ、と多岐に渡る仕事をこなしているらしい。
 エメラルド川が落ち着けば、家の再建などで大工道具が大量に必要になる。
 彼らの存在が近くにあることは不幸中の幸いと言えそうだ。
 レッドのことも気がかりだが、帰還者の言い分に、猟師たちの暗躍。
 バーチという国はいつからこれほどまでに薄暗い影に覆われていたのだろう。
(過去を気にしても仕方ない。変えられない……)
 だが、過去を知ることで未来は変えられるのではないか――そんな考えでぼんやりとしたせいか、薔薇のトゲで手の甲を切ってしまった。
 ひりひりと痛む傷痕に、赤い滴。
 ローズマリーが目を見開いてすぐにハンカチをそこにあてた。
「平気よ、このくらい」
 浅くかすめた程度だ。
「何をおっしゃいます、薔薇のトゲで出来た傷はミミズのように腫れるんですよ。はやく洗って、消毒しましょう」
 ローズマリーにせかされ、庭園を出る。
 医務室で手当をしてもらい、昼食の後に執務をこなす。
 眠くなる目を覚まそうと頬をつねり、気づくと夜がやってきた。
「あっという間だわ……」
「殿下、今日はもう休まれては? 月のものが来るのではありませんか」
「そういえば、そうね……」
 気づくとあくびが出てしまう。
 しかし不思議なことだ、以前は胸が張って痛みがあったというのに、この頃は少し楽な気がする。
「薔薇のおかげかしら」
 シルバーはそう呟き、髪を下ろす。
「オニキス殿がいらっしゃるわね。それまで休むことにしましょう」
「では」
 ローズマリーはてきぱきと片付けをこなし、すぐに部屋を出た。
 シルバーは一人、丁寧に整えられたベッドに身体を沈ませる。
 天蓋の中心が目に入った。
 その虫除けの薄い布地は、唯一シルバーを外界から守ってくれるもののよう。
 その唯一の場所に入るのを許したのは一人だけだ。
 なのに今はその存在が遠い。
 当たり前だ。
 シルバーが求めたのは思い出だけなのだから。
 胸がぐうっと締め付けられたようになり、思わず眉根が寄る。
 そんなに自分は純粋だろうか? もっと欲深いはず、と自らを戒めるような感覚にため息が出た。
 誰よりそばにいて欲しい。
 自分だけを見つめて欲しい。
(なんてわがままなのでしょう)
 彼も同じ気持ちでいてくれたら、など。

 満月の光は思うよりも強く、シルバーの身体の影を足下に浮かばせていた。
マゼンタとローズマリーが見守る中、いつものように庭園のベンチに腰掛ける。
 よく響く足音に振り向けば、夜の闇より暗く、その分輝く黒髪が見える。
 やはりいつものように、庭園内に入ってくる気配はなかった。
 目が合うと挨拶しそのまま話す。
「明日には城を発たれると」
 オニキスはそう言うと、ベンチに座ってシルバーを覗き込むようにした。
「ええ。しばらく会えなくなるわ」
「捜査は抜かりなくやります。だが、祭りのため恩赦が行われるのでしたか」
「そうよ。反対?」
「ええ」
 オニキスのはっきりとした返事に、シルバーはふっと息を飲んだ。そう言うだろうと思っていたが、彼は時々はっきりしすぎではないだろうか。
「なぜ?」
「彼らと、バーチで暗躍している者達の関係をまだ洗えていません。……帝国軍の隊長殿を疑うつもりはないが、覇気が感じられないのは気になります。このままで平穏に済ませられるかどうか」
「祭りの期間中に何かあれば、その罪は大小に関わらず厳罰です。……少なくとも私の知るところでは平穏に済んだようだったわ」
「ならば良いのですが、様々なことが関連して動いているように感じます。私の杞憂であれば良いのですが、殿下、くれぐれもお気をつけ下さい」
「私のこと?」
 オニキスの心配の対象が自分だと知り、シルバーは目を丸くした。
 入山する者達は皆信を置いている者達だ。山は見晴らしもよく、危険だとは思わなかった。
「当たり前でしょう、殿下ほどこの国に変化をもたらそうとした王はおりません。反感を買うのは必然です。私もお供出来れば良いのですが、そういうわけにはいかない」
 オニキスは自身の首を抱えるように撫で、上空に目をやった。
 線のしっかりとした横顔が見える。
 遠回しだが、彼の言いたいことはよくわかった。
 暗殺の危険があるのは誰よりシルバー自身なのだ。ただでさえ王、ないし帝国に不満を抱く者がおり、更に扇動されているのだ。
 今更ながら因果な役目だ。気づかず目の前のことに夢中になっていたとなれば、世間知らずと言われても仕方ない。
「サンとジャスミンをお連れ下さい」
「えっ?」
 オニキスが連れている捜査機関の者だ。身体の大きい黒髪の男と、溌剌とした美しい女性。
 確かに頼もしそうな者達だが……。
「でも……」
「彼らなら信頼出来ます。サンは知識も体力もあるし、何かあっても皆を守って生き延びるでしょう。ジャスミンなら貴女のおそばにいられます」
「そんなことをして、あなたは大丈夫なの? あまりに少ない人数でしょう。護衛は?」
「私は問題ない、大仰に護衛をつけるほど警戒されます。連絡ならシャムロック――鷹を通じていかようにも出来ます。我らはバーチの滞在に期日を設けていないし、ある意味のんびりしたものです。そうなれば御身の身の安全が何より最優先だ。私を安心させるためと思って、どうか彼らをおそばに」
 オニキスの目がまっすぐにシルバーを見た。
 熱が胸に滲むような感覚に、シルバーはつい胸元を押さえて下を向く。
 服の下に忍ばせた羽の感触に、ほっと息が出る。
「殿下?」
「……そうね。あなたの申し出に感謝します。でも、きっと大丈夫よ」
「”大丈夫”にしなければなりません」
「心配性ね」
「なんとなくコーの気持ちが分かった気がしますよ。必ず信頼出来る者と一緒にいるように」
「わかったわ」
 シルバーはようやく顔をあげ、オニキスを見た。なんとなく体が温かい気がする。
「でも、何かあればあなたが駆けつけてくれるのでしょう?」
 そう言うと、オニキスはふと顎を持ち上げ、シルバーを見た。
「……困った方だな」
 そう独り言のように呟き、ついで目元を和らげて笑った。
「駆けつけますよ。必ず」
 オニキスの飾り気のない一言に、シルバーは顔が緩むのを感じた。視線を下に向け、両手の指を絡めて膝の上に置く。
「それなら安心だわ。……ありがとう」
 それから会話が途切れ、だが去るわけでもない。
 二人の呼気が夜空に溶け込んでいくようだった。

***

 祭りの準備のため、女王を乗せた白木造りの馬車が城下町を出て行く。
 近衛兵に守られたその馬車を見送り、オニキスは鳩尾あたりがもやもやするのを感じていた。
 見張り塔から見える空は曇っている。
 いっそ雨がふれば良いものを、分厚い雲はただ空気だけを重くしていた。それが彼女を飲み込んでしまう気がして、どうにも気がかりである。
「若旦那さま、何か気になることでも?」
 ナギがそう声をかけ、オニキスの視線の先を辿る。窓の向こうには馬車の一行。
 シャムロックが翼を広げてついていく。上空から一行の道行きを見守っているようだった。
「何でもない」
 オニキスはそう言って窓から離れ、ナギとともに広間へ入る。
 ラピスはじめ皆の目が注がれた。
「恩赦は今から1週間後だ。重罪人は解放されぬとはいえ、各方面で問題が起きることだろう。帝国軍、バーチ軍の警備はいっそう厳重になるが、その分捜査に協力はしづらくなる。またサンとジャスミンを殿下の警護に向かわせた。かなり厳しい状況になるが、精進してくれ」
 オニキスの後をつぎ、ラピスが言う。
「はい。では、人身売買についての捜査についてです。被害者の身元はほぼ全員把握しておりますが、帝都より持ち込んだコネクションの資料によりますと、この仲介をしていた者がいるはずだがまだ特定は出来ていません。それらしい名前、外見の特徴なども掴めておりません」
 ラピスが言うと、次にブルーが手を挙げる。
「帝国軍との不和に関してですが、帝国軍と話してきました。アンバー隊長が残していった資料を元にですが……」

 一通り報告を聞き終え、オニキスは目頭を押さえると茶を口に入れる。
 目立った事件はあるのに、その正体がなかなか掴めない。
 まるで霧の中にいるかのようだ。
「思ったよりも厄介だな……」
 ラピスがぽつりと呟いた。
「コネクションの影があちこちにあるというのに、なぜかその足跡が消えている、といった感じだな」
「ええ。殿下のご様子も気になるところです。スピネルとは一体、なんなのでしょう」
 ラピスは自身の顎を撫で、眉を寄せる。彼にも日記のことを話すべきか――オニキスが一瞬迷ったその時、広間の扉がノックされた。
 コーが応待し、見えた顔はシアンであった。
「貴殿も行ったのだと思っていたが」
 そうオニキスが声をかけると、シアンはまじめな顔をして首を横にふる。
「殿下がご不在だからこそ、俺たちが治安を守らねばならん」
「そうか……」
「捜査はどうだ? 話せる範囲で良いから、今の状況を聞きたい」
「今は手詰まりです。人身売買……コネクションが深く関わっているのはそこだと考えていたのですが、どうも見通しが甘かったようです」
「被害者には……」
「全員会った。だが仲介人のことはまるで聞き出せない……男か女かさえも」
「性別すら分からないと?」
「だそうだ。背格好からは判別出来ない、と。声は美しかったようだが、人によって性別が違って聞こえるらしい」
 オニキスの説明にシアンは眉をよせた。
「なんじゃそりゃ?」
「それが特徴とも思えたのですが、何年もそうなのです。人身売買は何年間も続いていたのに、仲介人が変わらぬわけないでしょう? しかもここは移住者が多く、そして国民は国内で移動でざるを得ない。誰が誰かわからない。足跡を足跡で覆ってしまっているようで、原型が見えなくなっているのですよ」
「参ったな、それは」
 シアンは腕を組み、うーん、と唸った。
「国民の様子はどうなんだ?」
 オニキスが質問すると、シアンは眉を持ち上げて肩をすくめる。
「不思議なことに落ち着いてる。去年はまだイライラしてたもんさ。今年は……そうだな、道路の舗装が出来てるからな。避難所も思ったより拡大出来たし、炊き出しのための食料も安全に届くし、博士のところからも薬草なんかが届いた。だいぶ改善出来た気がするんだ。それに……」
「それに?」
「鉱夫達が思ったより穏やかなんだよ。一時は暴動が起きかけたのに、今は人が変わったようだ。セッケイ岩とやらの毒が抜けた……ってやつか? だとしたらあの時のことも、毒のせいだと言えるのか……」
「鉱夫か。ルウの花といい、セッケイ岩といい、人を惑わすものがずいぶん多いな」
「危険だからと禁じたはずなんだがな」
 シアンは頭をかいて見せた。
「毒が抜けたのなら、それは時間が経ったからか? あるいは薬草の類いで解毒出来たのか……」
「毒が抜けた、で思い出したよ。レッドという男がいると話しただろう? 彼はこの頃、生気を取り戻してきたよ。それこそ毒が抜けたような……一度会ってみるか? やつも移住者で、スプルスの寵児なんだよ。今ならまともに会話出来る」
 シアンの提案にオニキスとラピスは同時に頷いた。
「宿に火をつけたという話だったが……」
「一人で出来ることじゃない。だが他に放火したやつも分かっていない」
「そっちもか?」
「ああ。突破口を求めてここに顔を出したんだ」
 シアンもやれやれと頭をふる。
 オニキスはコーに留守を任せると、二人とともに城を出る。
 レッドを監視しているという小さな家に入る。
 庭では一時的に家畜を預かっているらしく、豚がこちらに気づいて匂いを確かめに来た。
 シアンに気づいた庭師らしい中年の男が手をあげて挨拶する。
「レッドに会いに来た」
 シアンが声をかけると、庭師は扉の鍵を開ける。彼はシアンの部下の一人だったようだ。
 思うより低い天井、最低限の家具、敷物の上のテーブルは4人がけ。
 窓辺にいた男が3人の来訪を立ち上がって迎える。
 やせこけた頬だが澄んだ目をしていた。
「レッドと申します」
 そう名乗った声は芯の通ったものだった。

「スプルス様の元でお手伝いをしておりました」
 シアンの説明、質問にレッドは答えていた。
 そこに迷いは見えない。
「彼との関係は?」
「私がまだ子供だったころ、アイリスで紛争が起きたのです。そこで父を亡くし、移住を余儀なくされたのです。母と妹と共に、はじめ首都からの援助でバーチへ……ということだったのですが、妹は体が弱く、しかし首都は生活にカネがかかります。なるべく早くバーチへと思っておりましたが、順番が来ず……。そこに声をかけて下さったのが労働組合の関係者でした。すぐに話は進み、移住を。妹の治療のために熱心に医者を探して下さり、母には仕事、私には学業を、と色々世話をしてくれたのです。その時スプルス様は組合長ではなく、我々のような弱者の世話役でした」
 レッドの口ぶりは落ち着いていた。
 オニキスはレッドとはじめて会うが、シアンやシルバーから聞く人となりとは違う、と感じた。
 もっと熱心な男だと思っていたのだが。
「彼のことをどう思っている?」
「感謝してもしきれません。妹や母、私が救われたのは紛れもない事実。我らだけでなく、同じような環境にいる者を救っておられる方……そのはずです」
「はず?」
「違うのでしょうか。女王殿下はよく衝突を。私にはそれが分からずにいたのです。どちらもバーチを発展させるため、必死に働いておられる。協力すれば良いのに、と思っておりました」
 レッドは一瞬額を抱え、まぶしいものでも見たかのようにきつく目を閉じる。
「一つ訊きたい」
 オニキスがそう割り込めば、レッドは目を開けて見た。わずかに汗ばんだレッドのこめかみ。
 何か違和感がある。
「君の望んだ人生は得られたのか?」
「私の望む人生?」
 レッドは聞き返し、首を横にふった。
「滅相もない。家に、学業に、母や妹の世話までして下さったのに、なぜ私の人生まで望めましょうか」
「当然の権利だろう。君達は犯罪人ではなく、紛争のため家族や家を失った被害者だ。帝国からすれば守るべき対象である。なのに自らの人生を望んではいけない、と考えるのは不自然じゃないか?」
「弱い立場になれば、そのように考えられぬものです」
「君はしかし、バーチのために働いているのだろう? だったらいつまでも弱者じゃない。与えられるだけの者ではなくなった、自分の人生を掴んでも良いはずだ」
 オニキスの言うことに、レッドは首を捻って視線を落とした。
「すまないが、質問を重ねる。君の学業はどういった内容なんだ?」
「労働組合が用意した学校、教材です。移住者向けの……」
 オニキスはラピスに目線を寄越し、ラピスが頷くのを確認するとレッドに向き直った。
「母君の仕事先は?」
「ロバの世話です」
「バーチには特有の馬がいるな。知っているか?」
「はい。小柄ですがスタミナがあり、主人と認めた者を裏切らない」
「会ったことはあるか?」
「……いいえ。それが何か?」
 レッドは訳が分からない、と目を丸くしてオニキスを見た。
 澄んだ目。
 疑うことを知らない、子供のような目だ。
「……君が移住する際、関係者に声をかけられたと言っていたな。その者の特徴など覚えているか?」
 オニキスがそれを訊くと、レッドは記憶を辿るように手指を動かし、落ち着きなく鼻を擦ると「そう、あれは、確か」と呟く。
「妹がよく会っていたはずです。とてもお世話になったと……とても美しい方でしたね」
「美しい?」
「ええ。細身の女性でした。あなたの瞳のような、黒く輝く髪をお持ちの……」

 家を出るとラピスは早速捜査員を連れて行く、と言いオニキスは頷いた。
「学校を調べるのか?」
「ああ。移住者の生活に関わること全てを用意している、というのは妙な話だ」
「そうやれば、労働組合に一生頭があがらない者に仕立てられるということだな」
 シアンは感心したように唸り、腕を組むと部下に何か命じ始める。
 それが済むと振り返った。
「これから首都を通じてバーチに移住した者達と話してくるよ。何かわかったらすぐに知らせる」
 オニキスはシアンを見送るとラピスを振り返る。
「レッドの妹君を調べてこよう。ジャスミンがいないのが惜しまれるな」
「仕方ありません。会うときはルピナスをお連れ下さい。私はブルー、ナギと行動しましょう」
「ああ。コーには留守をしてもらうよ」
 西日が目にまぶしい。
 オニキスはこの日はレッドの妹――名前はミント――の住居、その姿を確認するに留めた。
 レッドによく似た目元。
 もう20代後半だというが、10代の乙女のように若々しい肌をしている。
 恋人がいるようで、部屋に入るなり嬌声が聞こえてきた。
 それから男性ともつかぬような美しい声。
 耳が溶けそうなほど甘い言葉を彼女に浴びせているようだ。
 オニキスはふーっと息を吐き出し首をふる。
(いつ彼女と接触するか?)
 視線を下に向けそれを考えていると、靴が汚れているのに気がつく。
 微かに匂う気がする。何の匂いかまでは分からないが。
 オニキスは帽子を深く被りなおし、宿へ戻った。

***

 スケイル山の麓にたどり着いたのは、出発から3日後のことだ。
 予定通りの到着に皆安堵の表情を浮かべている。
 シルバーは月のものと重なってしまったことで、ほとんど眠っての移動だ。今でも頭はぼんやりしていた。
「すぐにお部屋を整えて参ります」
 ローズマリーが侍女を連れ、斎戒のための王の邸に入っていった。
 馬車の中から視線を巡らせれば、オニキスが同行させるよう言った二人が目に入る。
 サンとジャスミン。
 あまり話したことはないが、オニキスは彼らを信頼しているようだ。
 ジャスミンの妖艶ともいえる美しさも目をひくが、サンのその風貌はかなり目立っていた。
 黒い髪に青い瞳。
 一体どういう人物なのだろうか。
 馬達は大人しく、厩舎に入ると近衛兵の世話にさっそくくつろぎ始めている。
 スケイル山の麓は裂け目の中にあり、横を見れば巨大な崖という景色なのだが、高山植物の楚々とした可憐な花が見えるせいか思うより荒々しくない。
 つやつやとした葉は木漏れ日を健気に集め、明るく風通しも良いくらいだ。
「ここは穏やかね……」
 シルバーが呟くと、同乗していたマゼンタが神妙な面持ちで返す。
「水害で流された家があんなに……」
「橋が壊れていないのが不幸中の幸いだわ。でも崩れた山の処理、家の再建をもっと考えねばならない」
「はい。もっと技術があがれば良いのですが……」
「なぜあそこまで土地が腐っていたのかしら」
 道の途中で見たむき出しになっていた土砂崩れの跡は、明らかな異臭を放っていた。
 土か、水か。腐っていたのだ。
「とにかく道路をまた補修する必要があるわ」
 シルバーは扇をふって考えを切り替えようとした。その時ローズマリーが戻ってきて、開けっ放しの窓に顔を寄せる。
「準備が整いました。どうぞお入り下さい」
「ええ。ありがとう」
 馬車の扉が開かれ、シルバーはマゼンタとローズマリーの手を借りて降りる。
 近衛兵、侍女達、それに習うようにサンとジャスミンが片膝をついて頭を下げた。
 そう言って石畳を歩いて邸に入る。
 斎戒室に一人入れば、白い土壁に生けられた花、紫色の敷物と最低限の調度品、香炉。
 王座はない。
 無駄の一切ない邸内は清浄な空気に満ちている。
 シルバーはそれを確認すると、皆が待つ広場に戻った。
「ここまでご苦労様でした。無事たどり着けたのは、ひとえに皆々の存在があってのこと。そしてこれからの3週間も、あなた方が頼りです。どうぞよろしくお願いしますね」
 皆が一様に頭を下げる。
 その中で一人、サンはまっすぐにこちらを見ていた。
 深い海を思わせる青い目。
「……どうかしましたか?」
「いえ。……失礼しました」
 サンの深々と下がった黒髪に、木漏れ日が当たって色が変わる。
 微かにのぞくのは確かに亜麻色の毛。
(?)
 彼は何者なのだろう。
 それが妙に気になった。

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第37話 その声

 

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