Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第33話 薔薇園の夜

 帝国軍の新たな先遣隊が到着し、アンバーはその引き継ぎ指導を開始した。
 アンバー達の調査により浮き彫りになった濁流の続く箇所は地図に記され、机に出されたそれには危険地帯を表す赤い線が生々しく描かれている。
 シルバーは一時伏せっていたことを隠し、諮問機関との会議に出席していた。
 オニキスも同席しており、博士と何か話し合っている。
「まず、今回の水害でエメラルド川がどう流れるかを調べてもらいました。マインサイトはその鉱山入り口付近まで水没、生活圏はかろうじて浸水被害を免れたものの、壊滅的な被害を受けています。ここから山々をぬって川は勢いを増し、街道、集落1、2、3をほぼ同時に飲み込むようです」
 シルバーの説明に、スプルスも身を乗り出す。
「支流はいかがですか?」
「エメラルド川自体の勢いが強いため、支流に流れた水は放たれたままに堤防をこえ、畑に入り込みます。農作物を流しだし、倒れた木々を巻き込んでさらに下流の村や街に甚大な被害を出している……この流れですね」
 シルバーが指さすのはバーチ王都に近い、森林の辺りだ。
 森林といっても、川の流れにより拓かれており、そこには草木が生えていない道がある。秋になれば自然の遊歩道、冬になれば近道として利用されているのだ。
「エメラルド川の状態を把握した上で、紹介しておきましょう。帝国軍の交替と共に、治水の専門家が首都からおいでになりました、オニキス殿です」
 シルバーが促すと、オニキスは立ち上がり、姿勢を正して皆の顔を見るようにした。
「首都より参りました、オニキスと申します。学院とウィローで治水に関して実践的に学びましたので、お役に立てるかと存じます。よろしく」
 そう言ったオニキスを博士は目元に笑みを浮かべ迎えたが、スプルスは口を閉じたままじっと見つめて「どうぞよろしく」と言う。
 あまり良い空気ではなさそうだ。シルバーは扇で自身の腰を叩き、咳払いをすると席につく。
「新たな視点が入れば、きっと発見もあります。皆で協力してバーチを復活させましょうね」
「御意」
「では早速、オニキス殿、何か意見がおありかしら」
 シルバーはなるべく冷たいように話した。
 昨夜、オニキスと打ち合わせしている。彼はなるべく自分に注目させ、下心を持っている人物を引きつけたいのだという。
 シルバーは表向き彼とは疎遠な態度を取るよう言われていた。
「まず水を一時的に溜めるものが必要でしょうな」
「一時的に? どうして?」
「急激に放出された水の量と勢いに、下流の堤防はじめ川は耐えられないのですよ。だから橋にも堤防にも欠損が出てしまう……どこかため池を作るに相応しい土地を特定せねばなりません」
「でも、どこも集落、村、街と生活圏として成立しています。今更水没させろとおっしゃるの?」
「どちらにせよこのままであれば、バーチ全体が水没しているようなものでしょう。殿下は橋と支流を造れば……と仰せでしたが、それは現実的でない。いざ農業を、となった場合、水がなくなっている可能性すらあります」
 オニキスの言い様はどことなく嫌味だ。打ち合わせ通りだが、シルバーは眉を顰めてしまった。
「ため池と言うけれど、バーチの水は重く、土を含んでいます。清潔と言いづらい水を溜めるよりも、流して流して、上澄みを利用出来るようにした方が良いのではなくて?」
「一理ありますが、殿下は治水に関しては素人でいらっしゃる。良いですか、池とすれば土はやがて底に落ち、それこそ上澄みが取れやすくなるのです。必要に応じて水を流す、あるいはくみ取る。そうすれば粘土質の土は改善され、農業用地としての価値はもっと高まるでしょう」
「あら、農夫が言っていたけど、水が溜まる土だからこそ栄養価の高い野菜が出来ると言っていたわ」
「その結果収穫の量は少ないのではありませんか? それにカビなどの病原菌も、まさしく湿気を好むもの。人への健康問題も考えなければ」
 オニキスの指摘にシルバーは眉間の皺を深くした。
「怖れ知らずなことだ。女王殿下のご機嫌を損ねることをいとわぬとは」
 スプルスがくつくつ笑った。
 オニキスはシルバーの目をじっと見つめ、口を開く。
「このぐらいで機嫌を損ねるのならば政治に向いていません。恐れながら女王殿下は――」

 ――少し、考えが甘いようだ。

 オニキスの一言が頭にこびりついている。
 シルバーは私室に戻り、顔を真っ赤にして部屋中を歩いていた。
 功を奏したのだろう、オニキスはまんまとスプルスの歓心を買い、会議のあとに何やら話していた。
 シルバーとて打ち合わせ通り、とわかっていても、何やら良い気分ではない。
 オニキスが食えない奴ということを今更思い出した。
 何度目かわからないため息……というには強すぎる何かを吐き出しながら、ベッドに顔を埋める。と、ノックの音の後にローズマリーの声が聞こえてきた。
「殿下~? 今よろしいですか?」
 彼女の声はどこか楽しそうだ。シルバーは肩の力を抜いて、「何の用?」と答える。
「お客様がおいでです。どちらでお迎えいたしましょうか?」
「どなた?」
「うふふ」
 ローズマリーは笑ってごまかす。シルバーは立ち上がり、扉を開けた。
「何をふざけているの?」
「殿下っ。お耳を拝借」
 ローズマリーがそっと耳打ちをする。
「捜査機関の長官殿です。良ければあの部屋へ手引きいたしますわ」
「ローズ……!」
 シルバーは先ほどとは違う理由で顔を赤くし、ローズマリーから距離を取った。
「そのような勘ぐりはおやめなさい!」
「あら。では、執務室にご案内を?」
「当たり前でしょう!」
 シルバーの声は廊下一杯に響き、侍女達が口元に手をやってくすくす笑い出した。
 シルバーは部屋に戻ると、化粧台の前に座って冷たい水を飲む。
 しかし頬の熱は下がってくれそうになかった。

 ローズマリーの言うあの部屋とは、王族が使う秘密の閨房室のことである。
 シルバーのこの部屋からも通じているが、もう一つ別の通路に通じているのだ。
 この部屋の存在を知っているのは歴代の王、女王、王女、その相手、そして侍女長のみ、王子は知らされることのない特別な部屋だった。
 シルバーは女王として赴任してすぐ、ローズマリーの案内で入ってみたが、自分には縁のない部屋よと気に留めなかったのだ。
 ところが今になって生々しく感じられる。あの部屋の持つ意味が放つ、独特の空気が鼻の奥を刺激するようだった。

 急遽化粧を整え、リーフ兄妹もいる執務室へ向かう。
 オニキスは軽装に着替えていたが、すでにそこで待機していたようだ、シルバーの顔を見ると穏やかに笑みを向けてくる。
「お休みのところを申し訳ありません」
「いいえ。オニキス殿こそ、慣れない土地でお疲れでしょうに」
 声をかけながら彼の目を見れば、ローズマリーの一言を思い出して体温があがる。慌てて来たせい、と自分に言い訳して扇を広げる。
「その……何のご用かしら」
「先ほどは大変失礼を」
「ああ、会議のこと? そういう打ち合わせだったもの。それで、首尾は?」
「スプルス・フォーンが食いついてきました。彼は農業を拡大させたいようで、私の提案に乗り気のようです」
「農業、農業ね……人手が必要だわ。また自分の手の者ばかり、就業させるのかしら……」
「可能性は高いでしょう。探りを入れたいので、彼と上手くやっていくつもりです。そのご報告を……殿下?」
 オニキスは身長差を利用して顔を覗き込んできた。
 目が合うとシルバーは涙が滲むような熱を感じて扇をふる。
「……熱でも?」
 気遣わしげなオニキスの声に思わず手を止める。覗き込んでくる黒い瞳は、不思議に風景を反射させる。
 鏡のようだった。
「……何でもないわ。これからも、表向きはあなたと対立すれば良いのかしら」
「親しくないように振る舞えば良いでしょう。やり過ぎれば却って怪しくなるもの、他人のようにすれば充分かと」
「そうね……ところで軽装ですね」
「ええ。城に近づく時は多少変装することにしました」
「では、もしかして宿も変えるの?」
「はい」
 離れているとはいえ、同じ城内。そこにいると思えば不思議と嬉しかったものだ、だが彼は出て行く必要がある。
 シルバーはこの頃、城内で出入りの激しくなるのを複雑な気分で見ていた。
「……捜査機関の方々はどうするのです?」
「彼らはこちらに。何かあれば彼らにおっしゃって下さい」
 オニキスの態度は淡々として、私情を見せない。シルバーは頷いてそれを受け入れた。
「わかりました。オニキス殿……言うまでもないのでしょうが、くれぐれもお気をつけて」
「……ええ。では、失礼いたします」
 そういってオニキスは執務室を出て行く。
 シルバーは背もたれに体を預け、天井を仰いだ。
 何やらどっと疲れた気分だ。
 明日には帝国軍のもてなしをしなければならない。その準備にとりかかるよう指示し、この日の役目を終えた。

 博士達主導で、森林についての講義が開かれていた。
 広場に民が集まり、出店の繁盛とともに木々についての理解が広まっていく。
 シルバーはぜひ聞きたい、と思っていたが、残念なことに来る夏祭りの準備のために忙しくなってしまった。
 アンバーの帰還もじきである。
 帝国軍の引き継ぎは順調、特に問題は起きず、バーチの民とも交流を始めている。おそらくアンバーは王国との溝を埋めるべし、と伝えたのだろう。
 一方、レッドは以前より痩せたようだが、つきものが取れたようなすっきりとした表情になっていた、とシアンが報告した。彼が再び登城し、ことの真相を語る日は近いだろう。
 ローズマリーはこの頃アンバーにべったりということはなくなり、ともすれば捜査機関の誰かと積極的に話している。
 その姿はまるで軍人のように凜々しい。アンバーが「非常に誠実な方だ」と褒める目元に何かもの悲しさを感じたのは、シルバーの願望のせいだろうか。
「隊長がバーチで過ごす、最後の夜になるのですね」
 そう声をかけると、アンバーは静かに頷いた。
「ローズマリーが夕食を腕によりをかけてご用意します。城へいらして下さいね」
「もったいないことです。ですが、お言葉に甘えましょう。ところで――」
「ところで?」
「これが最後とは思えません。おそらく、また、ここへ戻ってくるでしょう」
 アンバーの言葉にシルバーは眉を開いた。
「それは心強いわ。でも、なぜそう思うの?」
「長くつとめていると、カンが養われるものです。報告書を読むに、陛下は各王国について何か考えておられるに違いない」
「陛下なら、確かに、やりかねないわ……」
 シルバーの脳裏に、図書室で豪快に笑いながらも辛辣なことを言ってのける皇帝の顔が思い浮かんだ。
「そういえばバーチの馬の実力を示すよう言われたわ……」
「それは良いご提案ですね。あの子らは確かに頑丈で、気質大人しいが気弱でない。長距離の耐久レースなら勝算はあるでしょう」
「そういうもの? でも騎手を育てる余裕もないし……」
「募集すれば何人かは手を挙げるでしょう。民間には我々よりもっと専門の技術を持った職人が多くいますよ。博士のような人物がね」
 アンバーの意見にシルバーはうーん、と考え込んだ。
 確かに職人、博士、と言われるような人物は多い。シルバーが思うより、奥深いものはそこかしこにあるのだろう。馬の世界一つ取ってもそうなのだから。
「確かに、どこかでバーチのことを帝国中に知らせる必要はあるもの。馬一頭の背後には、良質な牧草、それを育てる土、水、人手がある。それが広まれば、もしかしたら色んな広報に繋がりそうね。あるいはもっと効率よく発展させる知恵が入ってくるかも……何にせよ、窓口をもっと広げておきたいわ」
 シルバーの言葉にアンバーは表情をくつろげた。年相応の皺のよる笑みは、見る者を安心させる。皇帝が彼を重宝する理由がわかった気がした。
「あなたの背中を若い人に見せたいのね」
「背中ですか?」
「なんでもありません。では、また夕食の席で会いましょう」
 アンバーを見送り、私室に戻る。
 ローズマリーがハーブティーを用意しており、部屋中に薔薇に似ているが、すっきりとした香りが広がっていた。
「良い香りだわ」
「ええ。博士のもとで働いている方々が持ってきて下さったんですの。よく眠れるものらしくて、避難所でも好評なんだとか」
「博士のプラントは無事なのね」
「はい。でも、軍が道を整えてくれたからここまで届けられたのだそうです。去年まではどうにも……」
 それを聞いて、シルバーは納得したように頷いた。
 無駄ではなかった。
 それに、地道で、動きは遅いが、何とか出来るということを実感したのだ。
 おとぎ話のように魔法に頼る必要はない。
「そういえば、この頃夢を見ないわ……」
 あの美しい声の中に潜む、冷たい何か。全身を這う生々しい感触。
 なんだったのだろう。それにペンはなくなってしまった。
「夢……。殿下、その後、オニキス殿とお話になりましたか?」
「? オニキス殿が何かあるの?」
 シルバーは首を傾げた。
 彼と話すとは?
 ローズマリーは自身の手を重ね合わせ、目を閉じると首をふる。
「……いいえ。何でもありません。そうそう、アンバー隊長と夕食を、というお話でしたが、アンバー隊長は捜査機関の方々と会っておきたいのだそうです。招待状をお出ししますか」
 ローズマリーの話に頷き、シルバーは夕食までの間、ゆっくりすると決めてローズマリーを下がらせた。
 昼過ぎの太陽はきつく部屋に入り込んでくる。本来ならばこの短い夏を、バーチの民は楽しんでいたはずだ。
 過去の日記は古いものほど夏を愛しんでいる。
 青い湖のそば、白樺の木々のその下で、子鹿たちが跳ねるように駆け回っていく、と。

***

 バーチの昔の絵を見ながら、オニキスは王の日記を開いて照合する。
「昔は思っていた以上に栄えていたのだな」
 そう呟くとブルーが顔をあげた。マゼンタは二人を見張っているが、その目に敵意はない。
「子鹿が湖のそばを跳ねるように駆け回る、か……このバーチ王は感性の豊かなお方だったのか」
「けっこう見てますけど、スピネルって名前は出てきませんね」
「ああ。それに、セッケイ岩とやらの報告もないな。図鑑に載るのだから、ないものではないはずだが……」
 オニキスは、首をまわしてほぐしながら書庫を出る。
 ブルーとマゼンタも後について出た。城の廊下に出ると、侍女が駆け寄ってきた。
「マゼンタさま、捜査機関の方々にこちらを」
 マゼンタはそれを受け取り、中身を確認するとオニキス達に言った。
「今夜はアンバー隊長がバーチで過ごす最後の夜となります。女王殿下はねぎらうため食事会を。その夕食の席に、捜査機関の方々を招待したいとのことですが……いかがでしょうか」
「全員か?」
「いえ、お役目に差し支えないのであれば、ということです」
「私は問題ない。ラピス殿達は難しいだろうが……」
 今は捜査のため城を出ている。
「コー達にも声をかけましょうか。進捗状況も確認しませんと」
 ブルーの一言に頷き、マゼンタにおそらく5人は出る、と伝えて解散とした。
 ブルーは部屋に戻るようで、オニキスも城を出て宿につま先を向ける――その瞬間にマゼンタに呼び止められた。
「ローズマリーが少し話したいと書いています。お時間はありますか?」
「ああ。侍女長殿か……」
 おそらく大事な話だろう、シルバーに関わることかもしれない。オニキスは表情を引き締めるとマゼンタの案内に従った。
 着いたのは兵舎前の休憩室だった。窓は全開で、やましいことなどないようにされている。
 到着間もない帝国軍の兵士達の声が聞こえる中、ローズマリーは口を開いた。
「お忙しいとは存じますが、スピネルという者に関して、何か発見は?」
 彼女の口調はどこか硬い。シルバーを心配しているのだ、オニキスは無理もない、と頷いて答える。
「日記を探ってみたが、今はまだ……セッケイ岩についても調査中だ。そちらは何か、あったか?」
「いいえ。殿下はこの頃、スピネルの夢を見ないとおっしゃっていました。……長官殿がお調べになっている、と殿下にお話すべきかどうか、私では判断出来かねます」
「殿下のお心をいたずらに刺激するのは憚られる。今は、まだ」
 オニキスがそう言い含めると、ローズマリーは目を伏せて頷く。
「殿下が夢を見る、見ない、そのきっかけがあるのかしら……」
 ローズマリーの言葉にオニキスは目を光らせる。
「……ローズマリー殿、それは調べる価値がありそうだ」

 夕食に参加出来たのはオニキスとブルーはじめ、コー達である。ラピス達は城下街から離れているため、やはり間に合わなかった。
 アンバーは軍服ではなく、宮にあがるための礼服を身に纏っている。紺色のすっきりとしたそれは、彼の鍛えられた身体を映えさせた。
 そんな彼の隣にいたのは、彼から役目を引き継いだ新しい百人隊長だ。
 シルバーは髪をアップにしていたが、レースの首飾りで赤い痕を隠している。化粧のために顔色の良し悪しは分からなかった。
「アンバー隊長が我らを誘って下さったそうですね」
 オニキスがそう水を向けると、彼は深く頷いてワインをテーブルに置いた。
「バーチは帝国の中でも閉ざされた土地ということもあり、闇が深いのだと思います。我々軍人は陛下の命に従い、表向きの活動しか出来ぬ。今回、設立されたこの捜査機関、短い間だがそのお役目に向き合う貴殿らの活動を拝見し、その意味をわずかなりとも理解しました。我々は捜査をする権利を持っておりません。が、その中で得た情報をお預けしたいと思ったのです」
 アンバーの説明に皆が表情を引き締めた。彼は資料をまとめたものをオニキスに手渡した。
 急ぎで作られたものなのか、文字のインクがところどころ滲んでいる。アンバーが引き継ぎの作業の中、時間を割いて作ったものだとうかがえた。
「学生連合、鉱夫、農民……かなり多岐に渡るのですね」
 オニキスはそれだけ確認すると資料を閉じた。
 ここは食事の席だ。
「ありがとうございます。これで捜査もはかどるでしょう」
「いえ。何かある、そう感じても何も出来ない歯がゆさを、皆感じていたのですよ。ここへ来られる道中、オニキス殿はロバを用いては、と話されていたそうですね。それに気づく能力こそ、今のバーチには必要なのでしょう。いや、帝国にとって、でしょうか。物事には裏があるものだが、毒がはびこってはいけない。貴殿らのご活躍を願っております」
 アンバーはなめらかに話す。おそらく、ずっと抱えていた想いだったのだろう。彼らしい正義感をオニキスは受け止めた。
「さて、料理が冷めてはもったいない」
 アンバーは表情を和らげる。シルバーは侍女に料理を運ぶよう言った。
 銀のナイフとフォークが器用に肉を切り分けていく。
 燭台のロウソクの火が、室内を穏やかに照らし揺れていた。ブルーはアンバーとよく話し合っている。シャムロックを用いた連絡を密にするつもりのようだ。
 オニキスはシルバーの視線を感じて振り向く。
 彼女は狐のような目尻を柔らかく下げ、翡翠色の瞳の色を濃くしてこちらを見つめていた。
(ロウソクのせいだ)
 オニキスはそう思おうとした。
 どこか甘えるような、誘うような目に見えるのは。
 ローズマリーがアンバーと話している。
 誰もが誰かと話している。
 そんな中、シルバーは無言のままに、オニキスだけを見つめていた。
 そんな気がして、息苦しさに襟を緩める。
 だが悪くない心地だ。
 胸の奥に、触れたら火傷しそうな熱を感じるのは。

 城内は静まりかえり、城下街もどこか穏やかな気配に包まれている。
 酒のせいか火照った頬を冷まそうと、オニキスは窓辺に寄り外を見ていた。
 宿に帰る予定だが、去るのが惜しい。
 もうしばらくここにいたい気分だった。この日の夕食会は非常に居心地が良かったせいだろう。
「若旦那さま」
 幼い声でそう呼びかけるのは一人しかいない。
 振り返るとやはりナギがおり、背を伸ばしてこちらを見ていた。
「何か用か?」
「お一人で宿を変えられたと聞いて、どうしているかと思ったんです」
「特に問題はない。そっちはどうだ?」
「今まで通りです。調査は進んでいますが、セッケイ岩の出所がまだ分かりません」
「そうか……厄介だ。問題が点在している。それに加えて表面ではなく裏側に隠れているようだしな。ナギ、無理はするなよ。下手をすればこちらが絡め取られるやもしれん」
「はい」
 ナギの素直な返事を聞き、そのまま別れる。視線を戻せば、窓の向こうに見えたのは花のようだ。
 よく見れば薔薇である。
 初夏にも咲くのか、と興味を惹かれ、そのままバルコニーに出る。
 風に乗って薔薇の甘い香りが鼻腔に入り込んだ。ふと彼女の視線を思い出す。
 彼女の白い首筋を、柔らかい乳房を、そのなめらかな肌を。
 離れているがバルコニーから見える限り、向こうには庭園があるようだ。トゲに守られ、薔薇がたくさん花開かせているのだろう。
 そこに人影を見つけ、オニキスはふと気配を消した。
 白に近い豊かな髪はシルバーのものである。庭園の持ち主は彼女なのだから、当然か。
 ローズマリーとマゼンタも一緒のようだ。
 流石にマゼンタがこちらに気づいた。目が合うと彼女はローズマリーの袖をひいた。
「あら、長官殿……酔い覚ましですか?」
 そう声を張り上げ、ローズマリーはオニキスを手招いた。
 シルバーが顔をあげ、オニキスに気づくと手をふる。
 オニキスは庭園のそばまで寄り、3人を見た。
「ええ。あなた方も?」
「そうです。今夜は楽しい夜でしたから」
 生け垣になっているのはつるバラだ。下手に近寄ればトゲにやられてしまう。
 オニキスは葉と花の隙間から、どこか無防備に微笑むシルバーを見つめた。
「貴女の庭園ですか。薔薇がこんな季節にも咲くとは思いませんでした」
「オニキス殿にも知らないことがあるのね。これは四季咲きなの。中をお見せできれば良かったわ」
「残念だな……そこに入れるのは誰です?」
「私と、彼女達。それから庭師だけよ。でも、まあ、そうね。抜け道なんかもあるかしらね」
「抜け道?」
 オニキスが聞き返すと、シルバーは珍しく口を開けて笑った。
「冗談よ。真に受けないで」
 シルバーは「はい」とオニキスに向かって薔薇の花を投げた。
 月光のもとで白く輝くような、柔らかい薔薇がオニキスの手に落ちる。
「差し上げます。よく香っているわ、それを嗅ぐとよく眠れるの」
「……良い夢を見られそうだ」
「そうね、その通り。ローズマリーが提案してくれたの」
 シルバーの言葉にオニキスは目を見開き、ローズマリーを見た。
 彼女は神妙な面持ちで、こっくりと頷く。
 薔薇に何かあるのか?
 そう考えを巡らせながら、オニキスは薔薇を襟元に挿す。
「ありがたく頂戴しましょう」
「オニキス殿、またいらして。おやつくらいは用意出来るわ」
「……入り浸りになるかもしれませんよ」
「構わないわ」
 シルバーは事も無げにそう言うと、スカートの裾を揺らしてその場を去る。
 一度だけ振り返った彼女と目が合い、艶然とした笑みを見ると細い背中を見送る。
 何か香り立つような、そんな夜だった。

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第34話 バーチ物語

 

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