その日は朝から大忙しだった。
ローズマリーの指示の元、一番広い応接の間に長いテーブルが用意され、磨き上げた椅子が並べられていく。
一番良いテーブルランナーをひいて燭台を飾る。
スズも手伝いを申し出たようで、侍女の制服を着ていた。
シルバーは投書箱に入っていた、民の意見と諮問機関の意見を見比べながらの会議である。
この頃になるとスプルスが意見を言い始めた。
レッドは相変わらずシアン達の見張りのもとで大人しくしている。
そのためスプルスは自ら出てこざるを得なかったのだろう。
会議は午前中に終わらせたい。シルバーはこの日、特殊捜査機関なる組織の接待をせねばならないのだ。
その話はまだ彼らには知らせていない。
アンバー隊長からの報告によると、捜査機関は不正行為を暴くため存在する組織らしい。
そのため表だって行動するよりは、ある程度隠れた方が隠しておきたい秘密を暴きやすいというのだ。
(隠密みたいなものよね)
そう考えれば、これまでなかったのが不思議な存在ともいえそうだった。
会議時間を知らせるロウソクはもうすぐ消えそうだ。
シルバーはそわそわした気分を味わいながら、この場にいるメンバーの顔を見る。
議論は白熱。
午前中に終わりそうになかった。
***
宿が放火によりひとつ消失したらしい。
そのため、オニキス達は宿泊する場所として、かつて建てられたという不法住居――現在は帝国軍が駐屯地として使っている――で一夜を明かした。
昼前にはアンバー隊長がやって来るようで、オニキスは身支度を整えると挨拶のためテントを出た。
兵士達が隊列を組む中、オニキスはある人物を見つけた。
頭の上の方で一束にまとめられた髪はまっすぐで、彼女の性格をよく表しているように見える。
「マゼンタ嬢」
「えっ」
声をかけられたマゼンタは目を見開き、ぎこちなく礼をした。かつての偏見を反省しているらしい。
「お、オニキス殿。えっ、まさか貴殿が捜査機関とやらの……」
「長官だ。アンバー隊長の迎えか?」
「いや、殿下にご報告申し上げるための伝令です。どういった方々なのか……」
「では先に紹介しておく。皆」
オニキスはテントを開け、声をかけた。ラピスはじめ、旅慣れた者達はしゃっきりとした様子だったが、ルピナスとコーはどこか眠そうにしている。
「彼は副長官のラピス、元軍人のブルー、元物流のサンとジャスミン、神官のルピナス殿、雑用のコーとナギだ」
オニキスがかいつまんで紹介すると、マゼンタはそれをメモしていく。彼女は書き終えると、どこか睨むようにオニキスの顔を見てきた。
「なぜ名乗らなかったのですか?」
「考えたが、伝書も公文書の一つだろう。軍内でのやり取りはそれに従うのが良い」
「殿下は気を揉んでおられたのですよ。首都からの使者となれば、大体が不遜な態度を取るから……」
「悪かったな。だが知り合いだからといって贔屓するのも問題だろう。殿下のことだからそれはないとは思うが……」
「当然です。だがそれとは別に、殿下には心配の種が増えたのだ。ただでさえこの頃……」
マゼンタは眉をつり上げて言い始めた。
オニキスが後ろを振り向くと、ラピスは肩をすくめて知らんぷりである。
ブルーは肩をゆらして笑っていた。
「この頃なんだ?」
「それは、何というか、とにかく問題が重なっているのです。治水に関してもあちこちから様々な意見が……」
「それはそうだろうな。とにかく、殿下のお心を軽くして差し上げたいのなら、早く報告にあがったらどうだ? 私らはアンバー隊長と共に参れば良いのだろう?」
オニキスがそう言うと、マゼンタは眉を寄せながらも頷く。オニキスが嫌味っぽく言ったのは確かだが、相変わらず顔に出やすい女だ。
「ええ。そうです。では失礼」
マゼンタは礼をすると颯爽と立ち去っていく。
馬に乗る姿はなかなかに凜々しく勇ましい。
「相変わらずだな……」
「仲が悪いの?」
ジャスミンが笑みを隠さず言う。オニキスは顔を背けて言った。
「彼女とはさっぱり馬が合わない」
「今の方はリーフ家のご息女ですね」
ラピスは流石にすぐに分かったらしい。
「ああ」
「じゃあお嬢様なの?」
「はい、身分は高いですね。しかし、中央のお嬢様とはだいぶ印象が違います」
「そうだな。リーフ家の兄妹は良くも悪くもまっすぐ過ぎる気がする。うかうかしているとこっちが不正の対象としてマークされるかもしれないな」
オニキスがそう言って口元に笑みを浮かべると、ラピスが再び肩をすくめてみせた。
「楽しむところですか?」
「兄妹は政治上の計算が出来ないんだ。私やラピス殿より、君らの方が良い関係になれるんじゃないか? そういうわけで、任せた」
サン達は互いの顔を見合わせた。
それからしばらくして、アンバーが現れた。
栗色の髪は豊かに波打ち、穏やかな目元には奥深い意志をたたえている。評判通りの良い男のようだった。
隊長というが、将軍であってもおかしくなさそうだ。彼が貴族だったならとっくにそうなっていただろう。
「捜査機関長官のオニキス・ヒソップと申す。こちらは副長官のラピス」
「お初にお目にかかります」
挨拶もそこそこに移動を開始。疲れた馬達は軍が世話するという。シルバーへの献上品を手に、彼の案内で城下町、その石畳を歩いた。
「申し訳ありません。本来ならば馬車を用意せねばならないのですが……」
アンバーはそう話した。堂々とした態度によどみのない口調だ。
「仕方ない。避難民のための物資を運ぶのに手一杯なのでしょう」
「ええ。帝国軍本部からもこちらへ兵を送るとの旨がありましたが、いつ頃になりますか?」
「1週間後を予定しております。道が思っていたよりも綺麗に舗装されていましたから、多少ずれ込むかも」
「わかりました。道中、困ったことなどありましたか? 殿下のご指示で道を均すよう言われておりますが、中からの視点だけだと見えない部分もあります。外からのご意見をぜひ伺いたい」
「あの山道は少し危険でしたな。ロバなどを使うようにすれば、もっと安全に行き来出来るのでは、と思いましたが……」
オニキスはつい先日気になったことをそのまま話した。
しかしアンバーはわずかに眉を寄せる。
それから静かに頷くと「それこそ殿下が抱えておられる問題の一つなのです」と言った。
「つまり隊長が話せることではないと?」
「ええ。話せる部分と、話せない部分が絡まっているのです。私としてはロバを使うことには賛成です。彼らは馬よりも頑丈で、粗食に耐える。バーチで飼育するに適した動物でしょうに」
「利権か何か? バーチの馬も好ましい品種ですが……」
「そういうものだと言っておきましょう」
バーチ城の玄関が見えてくる。
今は図書室に通う少年少女のため門は開いているようだが、それでも初めて訪れる者を遠ざけるように、城の上部は針のように上部が尖っている。
雪よけのためとは分かっていても威圧感が強い印象だった。
跳ね上げ橋を通って城へ足を踏み入れる。
赤紫の絨毯は首都の宮殿のものよりも分厚い感触だ。冷気を遮断するためだろう。
足音は絨毯に吸い込まれるものの、呼吸音が跳ね返ってくるように城壁は響き渡る。
これでは侵入者はすぐに気づかれるだろう。
「なかなか立派な城ですね」
ラピスの発した声は小さいが、振動するように響いた。
「俺たちも入って良かったのでしょうか」
サンがそう言い、アンバーは頷いた。
「ええ。捜査機関の方々をお迎えするよう言われております」
「緊張する……しますわ」
「話すのは私とラピス殿に任せておけ」
「良かったぁ」
ジャスミンが明らかにほっとした様子を見せる。
人影が柱の影に見える。
子供達だった。
「避難民ですか?」
「ええ。各地から集まっておりまして、この機会に勉強会なども開いております」
「勉強会ですか」
「兵士からも教えることが意外と多く、それもあってか隊員が安らぐ場面も多いのですよ」
「それは良いことです」
子供達の好奇心に満ちた目が注がれている。
ジャスミンが手をふって見せると、子供達は遠慮がちに手をふりかえした。
「捜査機関にも少年がいるのですね」
アンバーの言葉にナギが顔をあげた。
オニキスが答える。
「ええ」
「元は学生兵士ですか?」
「いえ。訳あって旅慣れており、馬の世話に関しては頼もしいので」
「……左様ですか」
アンバーは思うところがあったのかそれ以上追求することはなく、応接室に案内を終えると退室していった。
準備が出来たらまた迎えに来るらしい。
「ああ~。緊張した」
ジャスミンとブルーは姿勢を崩しつつオニキスを見た。
「おいおい、俺たちも夕食会に出るのかよ?」
「そういう流れだな」
「本当? あたしご飯食べられなくなっちゃうかも……」
「適当で良い」
「残すの罰当たりでしょぉ」
「庭の肥やしにでもするだろうさ。さて、服を着替えて……」
オニキスの指示で準備が進む。シルバーへの献上品をラピスと開け、問題ないのを確認するとそれを包み直す。
ブルーは髭を剃りに行き、ルピナスは法衣の皺を伸ばしている。サンは髪を丁寧に油で撫でつけていた。
身支度が整うと、皆なかなかにさまになっている。
ジャスミンの深海のような青のドレスは流れるように体を包み、健康的な体つきをより美しく見せている。
サンはそんな貴婦人めいた彼女のボディガードのようだ。ブルーも並ぶと威圧感すら漂っている。
ルピナスはやはり法衣だ。地位の低い神官ではあるが、光沢のある生地は気品がある。
コーとナギは従者らしく簡素だが、着慣れているためか見劣りはしない。
ラピスは深い緑の膝まであるジャケットを着ている。細かくついたボタンはいずれも彫金されたもので、貴族だったという面影を感じさせた。
「過去の栄光と嫌っていましたが、役立つ時もあるのですね」
「これから増えるでしょう」
ルピナスがそう言うと、ラピスは苦笑いを浮かべて首を傾けた。
「どうだろう」
オニキスは仮面舞踏会で着たジャケットをそのまま身に纏う。
いつかの空気感が思い出され、今度は仮面がないことに気づくと幾分か気楽な感じがする。
今思っても奇妙な舞踏会だった。
***
陽が傾いているのをシルバーは見つめていた。
もうすぐ空の色は濃くなるだろう。
会議が長引いたため、その後の予定を多少崩さねばならなかった。
方々に連絡を指示していると、慌てた様子でマゼンタが現れる。
彼女は作業の邪魔にならないよう無言のままメモを差し出す。
シルバーはそれを受け取り、そこに書かれた名前に目を見張る。
一瞬、呼吸がとまった。
***
一足先に、とオニキス達は応接の間に案内された。
侍女長だというローズマリーという女性は困ったように眉を寄せながら丁寧に頭を下げた。
「大変申し訳ありません! 午前の会議が長引いてしまって、殿下は今、今後の予定を調整しているのです」
「こちらこそ忙しい時期に失礼した……」
「では食前酒からお持ちしましょう」
ローズマリーは間髪入れずに鈴を鳴らして侍女達を呼ぶ。
中にはナギと同い年くらいの少女もおり、緊張した面持ちで酒の入ったビンを運んでくる。
「長官さまはリーフ家の兄妹とお知り合いなのですって? 彼らも仕事が片付き次第参りますので、少々お待ち下さいね」
ローズマリーは早口で、にっこり笑っているもののこちらに息継ぎの間を与えない。
(帝国の使者は警戒されているというやつか)
「こちらはバーチでも最高と称される濁り酒ですの。甘みがあるので食前酒にうってつけです」
「ああ、話には聞いた」
「そうでしたか? すぐにお食事もお持ちしますね」
ローズマリーは小さなグラスに酒を注いでいく。
とろっと垂れるようにグラスに流れ、ブルーが言ったとおりの美しい乳白色。
側でローズマリーが綺麗な笑顔を浮かべている。
ささやかな威圧感を覚えながら、オニキスはそれを持ち上げた。
「では」
と声をかけグラスに口をつける。
思うよりはさらっとした飲み口で、嫌味のないさわやかな甘さが舌に広がった。
「美味だな」
と感想を述べると、ローズマリーは目をきらきらさせて頷いた。
「お口に合ったようで何よりです。では」
ローズマリーはそのまま下がり、応接の間は静けさを取り戻した。
テーブルの上には銀の燭台、ロウソクの火が柔らかく揺れ、中央には生花。中央でも山に登らないと見れない、高山植物らしい細長い花びらが特徴的だった。
「質問の間がない。隙がありませんね、彼女」
と、ラピスが呟いた。
「ローズマリー殿は殿下の懐刀とも言うべき側近ですから。侍女ですが油断なさらない方が良い」
アンバーはそう言いながらどこか柔らかく微笑んでいる。
「よく知っている方ですか?」
ラピスが聞くと、アンバーは頷いた。
「何くれとなく世話をしてくれます。その分、我々からの情報を得やすいのでしょう。彼女への言動は全て殿下に伝わっていると考えてよろしいかと。ところで鷹を飛ばしたのはどなたですか?」
ブルーが手を挙げた。
「君は?」
「元帝国軍11巡回隊特例分隊員の一人ブルーと申します」
「巡回隊の特例分隊か。なかなか厳しいところにいたのだな。それがなぜ特殊捜査機関に?」
「まあ、色々ありましてね。除隊されて一兵卒。故郷に帰る資金を貯めていたのですが、そこに長官殿が声をかけて下さったので、良いかなと」
「捜査機関か。それも大臣職にいた方がトップなら重要なのでしょう。かなり興味深いな。一体、何を捜査すると言うのです?」
アンバーの目がオニキスに向いた。
オニキスはそれを受け止め、テーブルに軽く身を乗り出す。
「文書でもお知らせしましたが、コネクション関連です。裏と繋がっているのはその筋の人間だけではなく、表の人物も繋がっている。そういった関係性を洗い出すのが役目です」
「なるほど。詳しい話は殿下が来られてからが良いのでしょうな。我々としては手伝いたいところだが……」
「一度首都へ戻られる必要があるのでは?」
「その通りです。我々も簡単に弱音を吐くことはありませんが、予定よりも長く留まっている。休まねば辛いところでしょう」
アンバーは現実的な問題をよく見ている。彼らが帰還するまでに色々話を聞いておきたいところだ。
「あなたからは教わることが多そうだ」
オニキスがそう言うと、アンバーは表情を引き締めた。
「ええ。バーチの地形、民衆についてなら」
「先ほどもお話したが、我々は表の裏の関係を知らねばならぬ。一兵卒だから、と発言を封じるのではなく、思ったことを話して欲しいのです。それを精査してゆくのがつとめですから」
「だが越権行為になりませんか?」
アンバーの懸念は当然のことだった。
軍に属する者は政治や内政に口出ししてはならない。あくまでも皇帝の命に従うのだ。
だが皇帝はオニキスの不信任案と姦淫罪の一件で、衛兵にもすら発言権がないために、無実の者が追い落とされるという事実を覆そうとした。
そして公正に、真実を守るために捜査機関を設立したのだ。オニキス達はその権限を行使して、普段発言権のない者達からも話を聞くことが出来る。
アンバーにそれを説明すると、彼は神妙な面持ちで聞き、そして腕を組むと唸るように言う。
「大ばくちですな」
「中央では庶民の大臣が誕生した。彼女は確かな人物ですが、カネや公権力でそれが潰され、また貴族政治に戻っては帝国がつぶれるだけです」
「庶民の大臣が? 陛下はそれを認められたと?」
「昔から認めてはおられました。我が父がそうです。だが庶民のままでは周りの貴族が納得しない。ために名字と爵位、貴族として必要なものを与えられたのです。そしてようやく、陛下は庶民のままで大臣職につけるよう、――」
――罪人となったフィカス家と取引を。
だが、フィカス家の暗部をどこまで話すべきか? オニキスが一瞬言葉に詰まったその時、ローズマリーの声が扉越しに聞こえてきた。
「女王殿下のおなり」
それと同時にオニキスはじめ皆起立する。
蝶番のギイイッ、と言う音がやけに響き、扉が開かれた。
圧縮された空気が流れ出す。
それを感じて目で追えば、そこにいたのは白薔薇の如く艶めかしい、彼女であった。
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