Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第26話 新たな道

 皇帝の執務室に呼ばれ、オニキスはグレイとともにその話を聞いた。
 カイ・フィカスとコネクションの関係。
 フロンドとの関係。
 ルウの花、カネを使って政に関わる者を取り込んでいたこと。
 特にコネクションと繋がっていたことは重罪である。
「カイ・フィカスはどうなったのです?」
「特には何も。蟄居を命じた」
「それだけですか?」
「ああ。代わりにオパールを次の大臣に据えることを了承させた。あれが頷けば周りも頷かざるを得ない」
「では彼女を貴族に?」
「いいや、庶民のままだ。それで出世出来るとなれば、貴族どもも多少は気を引き締めるだろうし、庶民もやりがいを得るだろう」
 皇帝はなめらかに話す。
 明らかに上機嫌だった。
 貴族政治に風穴が空くのだ、国の形は大きく変わる。そのためにカイを活かす決断をしたのだろう。
 オニキスはグレイと顔を見合わせ、また皇帝を見る。
「そのために私は名代から退くのですね?」
「それもある」
「『も』?」
「ああ。お前に大臣や領主などの役目は似合わん」
 皇帝はそうあっけらかんと言った。オニキスはその言い様に、流石に笑ってしまう。
「オニキス」
 グレイが窘めたが、皇帝は「構わぬ」と許す。
「失礼しました。陛下のおっしゃる通りです」
「だろう。お前はこの宮殿のけがれを清めた。まさしくヒソップの名に相応しい。お前が審判で言ったことは参考にするつもりだ。宮殿につとめる衛兵達は今まで発言権を持たぬままでいたが、今後はそれを許そう。その代わり彼らに対する賄賂の危険性は出てくる。つまり色々考えねばならぬが……」
「神殿の検査官と同じように、独立した組織を造るのはいかがでしょう。貴族にも庶民にも偏らぬ、中立かつ公正な捜査機関として」
 オニキスが提案すると、皇帝は顎に手をやり考えた。
「悪くない。そうだな、しばらくは神殿に属するのが良いかもしれん」
「陛下、大変申し上げにくいのですが……」
 グレイが口を開き、皇帝が目をあげる。
「皇后陛下はどうなるのでしょうか」
「問題ない。あれの兄が裏で何をしていたかは、表沙汰にはせぬ」
「では皇后陛下の座は守られるということですね?」
「ああ。あれに落ち度はない」
「皇后陛下のことは安心しました。ですが、誰かがフィカス家の責任を取らねばならぬのでは? フィカス家により弱みを握られた者達はいかにして納得するでしょうか」
「カネに色に溺れた連中が悪いのだ、と言いたいところだが……ルウの花とやら、なかなか恐ろしいもののようだ。まあそれは良い、責任は取らせる。ちょうど相応しい者がいるだろう?」
「奴の所在がわかったのですか?」
「ああ。ラピスが見つけたようだ。で、オニキス」
 皇帝はオニキスをまっすぐに見据える。こういう時の皇帝は有無を言わせぬ強さを持っている。オニキスは背筋を伸ばしてそれを受け止めた。
「その捜査機関を率いろ」
「……は?」
「他に相応しい者がいるか? コネクションの存在を知り、そこを探り、打撃を与えた。ラピスも考えたが、あれは慎重で決断力に欠けるところがある。後方支援に向いているのだろう。お前とやつは気も合うようだし、二人が中心になれば良い組織になると思う」
 皇帝の中では決定事項のようだ。だがオニキスにはひっかかるものがあった。
「その活動範囲は?」
「未定だが、カイのようにコネクションと繋がっている者がいるはず。あれは帝国全土に広がっているのだからそれに合わせる必要があるだろうな。しばらくはコネクションを追う形だ」
「帝国軍との連繋も……」
「必要に応じて。軍内にもやはり庶民、貴族、と壁がある。オニキス、お前がいれば組織の箔はつくはずだ。対等に接するためにも今は貴族の名字が必要だろう」
「貴族である私を嫌う者はおりますよ。それに、審判にかけられたばかりだ。箔どころか汚点になりかねません」
「バカ言え、お前が方々に影響を与えたことは遅かれ早かれ解るものだ。それにこのことでお前は一躍有名になったしな。関心を買いやすい」
 コネクションに打撃を与えたにも関わらず、次には審判。落差の激しい話題に人々の関心が否応なく集まったのだ。
 皇帝の言にオニキスは肩をすくめた。
「では今の主な役割は、コネクションを追うこと、それに関わる者のあぶり出しといったところでしょうか」
「ああ。そして捜査機関の設立とその存在意義を表の世界にも裏の世界にも示すことだ。やるか?」
 皇帝が返答を待った。オニキスの中では答えは決まっている。
 こんなに面白そうな話はない。
「謹んでお受けしましょう。皇帝陛下直々のご指名とあれば、光栄なことこの上ない」

 こうしてオニキスは帝国特殊捜査機関の初代長官となった。
 皇帝ではなく帝国に対し忠誠を誓い、各王国を含む帝国全域に影響を持つ独立機関は初。
 神官や軍との調和を計るため、その検査官を引き入れることを視野にいれながらの始動だ。
 副長官はラピス。
 これに異論を唱える者はいなかった。
「引き入れたい者がいる」
 オニキスはラピスにそう話した。
「オニキス殿がそう願う方なら、なかなかの人物なのでしょうね」
「ああ。荷運びの仕事をしているはずだが……」
「もしかしてサンのことですか?」
 オニキスの従者としてともに行くことを決めたコーが勘づいた。
「サンとは……ああ、もしかしてオークションで……」
 ラピスは記憶を辿り、頷く。
「なるほど。確かに頼りになりそうな人物でしたが……引き受けてくれるでしょうか?」
「話すだけは話してみるか。案外ジャスミンも乗るかもしれないな」
「女性が入って良いものでしょうか?」
「難しいところだな。体力的な問題と、規律が乱れる可能性と……」
「そう考えると現実的ではありませんね。でも、海外に渡る船に乗るなら必ず女性を同乗させよ、ということわざもありますし」
「賢い女がいると場は落ち着くものだ。男だけだと暴走することがある」
「何事にも良い面と悪い面はあるものですからね。憂さ晴らしなら各街でも出来るでしょうし」
「ああ。全く、人間性がものを言う話だ。誰を引き入れるか慎重にやらねばならないな」
 コーは黙って話を聞いていたが、手を挙げて言った。
「年齢はどうしましょう? ナギがぜひ入りたいと言っているのですが」
「ナギか。今いくつだ?」
「14です」
「14で物事の裏側を見るのか。人間不信にならないか?」
「若旦那さまも私も似たような年頃で宮殿に入りましたよ。少年兵なら13歳から軍に入れますし」
 軍は半分学校のようにもなっているため、学費を払えない家では男の子をそこに入れることがある。
 寮暮らし、給食と給金が出る他読み書きも習え、実力次第で出世も出来ると一部では救済策のように扱われていた。
「……それもそうだな。そういえば、グロウでの調査に彼も行ったんだったな」
「はい。馬達も彼がいると落ち着くようでしたし、充分役に立ちます」
「子供が役に立つというのも考え物だ。だから商品となってしまうわけだな」
「失礼しました。私の言い方が悪かったようで……」
「いや、違う。お前に対してじゃない。色々見ることがあるだろう、幼子に歌わせて稼ぐ親なり、神託めいたことを言わせて稼ぐ親の姿を。子供を道具扱いすることが気に入らないだけだ。ナギが古里に帰るつもりがないなら自分で稼ぐ必要はある。馬の世話が上手いのは知っている、雑用なら雇えるはずだ」
「身内びいきになりかねません。ナギという少年がちゃんと出来る子だから、と証明せねば」
「ラピス殿の言うとおりだ。ひいきはしないとナギに言っておいてくれ」
「はい。それと、サンに連絡をつけてもらえるよう話してきます」
「任せた」
 コーは軍から物流協会に連絡をつけに行った。
 彼を見送ると、ラピスが口を開く。
「コネクションから表の人物を探るとなれば、個人的に気になるのはバーチです」
「バーチ?」
 そういえば、オパールも気になると話していた。
「確かエリカの男が多く……」
「そうです。明らかに人身売買が長く行われてきた。コネクションを調べたと言ってもまだ氷山の一角ですから、バーチからも見てみたいものです」
「移住者を受け入れていると言うのは確かだが、それに合わせて人身売買もしていたと言うことなのだろうか。これ以上は妄想だな。捜査する権利を得たのだから、活かせば良い」
「はい。今は人数も限られていますし、手あたり次第は非効率です。人身売買という決定的な証拠がありますからここから調べていきましょう」
 ラピスはそう意気込んでいた。彼は慎重ではあるが、こうと決めたら行動的である。
 二人はさっそく人材を集める。皇帝直々に募集をかけたこともあり、神官達の協力もあって何人かは見つかった。
 まずはルピナスという神官。
 18歳ながら花街の検査官もつとめており、捜査機関と連繋するには良さそうだ。ラピスが話をつけにいくと申し出た。
 もう一人はブルーという軍人。
 彼は各王国に連絡する隊の隊員だったが、隊長ともめた結果隊員から外され、雑兵になったそうだ。
 この隊長の素行が悪いと聞いたため、一度ブルーに会ってみたいとオニキスは思ったのだ。
 皇帝の命を受けたのは昨日のこと。いち早く形を整え、設立と始動を告げなければ。
 オニキスは自ら軍に面会の予約を入れ、すぐに了承されると兵舎に入る。
 天井を支える柱は傷や汚れがあるものの、頑丈に立ち兵士らを守っていた。
 採光のための窓は随所に開けられ開放的、剣戟の音はうるさくなく響く。
「ブルーという男とは知り合いか?」
 案内役をつとめる老兵は「いいえ」と答えた。
「奴は名こそ知られていますが、一兵卒にすぎんので……」
「名を知られているというのは?」
「元々実力のある男だったというのはありますが、一番は隊長とのイザコザです。気持ちは分かるが、あれでは報われんですな」
「それについて詳しく知っているのか?」
「私は当事者ではないので、知りません。ただ、隊長は酒癖が悪く、花街に通ってはカネを失うようなところがありまして……ブルーがしたことを皆責めるつもりはないのです」
 老兵は言葉を選びながら話している。おそらくこれ以上聞いても答えられないのだろう。
 オニキスは食堂につき、奥の席でゆったり座って鞘の手入れをしている男がそうだと案内されると、老兵に礼を言ってわかれた。
 よく肥えた土を思わせる、濃い茶髪だ。無精髭が顎を覆い、むき出しの肩は細かい傷痕がある。
 よく通った鼻梁は高く、掘りの深い目元は額に巻かれたバンダナのために見えづらい。
「君がブルーか」
 声をかけると、ブルーはちらりと目線を寄越し口元に笑みを浮かべた。
 すっくと立ち上がると、かなり背が高い。そして戦士らしく姿勢も良かった。土埃をかぶったような匂いがする、だが不快ではない。
「あなたはオニキス・ヒソップ……様ですね。黒髪のお貴族さまは首都じゃ珍しい」
 声は低くざらついているが、冷静だった。
「他の地域では?」
「よく見ましたよ。もう少し背は低かった気がするが……」
「君からすればほとんどが低いだろう」
「かもしれません。で、オニキス様といえばオークション壊滅の英雄殿でしょ、そして姦淫罪と不信任案で転落しかけた。話題のつきない方が、俺に何の用です?」
「余計な言葉が多いな。……皇帝陛下は新たな機関を設ける。そこに優秀な者を引き入れたいのだ。見たところ君は腕は立ちそうだが……」
 無駄のない体つきだ。維持するにも根気が必要だろう。
 それに先ほどの、鞘に触れる手つきだ。ガラスを磨くように、丁寧だった。
「ブルー、君に興味がわいた。少し話そう」
「あいにくだが、こちらも忙しい身なので。雑兵らしく武器の手入れをせねばなりません」
「手伝おう」
「は?」
「私も多少は武器を取る。扱いには慣れている」
 ブルーは眉を持ち上げると軽く肩をすくめた。
「まあ、どうぞ。お好きに」

 ラピスが会ったルピナスという青年は、一見すると女性のような風貌をしていた。
 特に端整な顔というわけではないが、そばかすの覆い頬、色の浅い髪はうねりがあって柔らかな印象がある。
 だが油断のない目元はラピスを品定めするように全身を見て、伸びた背筋は低身長にもかかわらず存在感を高めている。
「新たな捜査機関のお話は伺っております」
 芯のある声だった。
「どう思った?」
「良いと思います。花街での調査で感じたことですが、そこでは身分に関わらず無体を強いる連中が多いのです。ところが金持ちや貴族はそれをもみ消してしまう。オニキスさまの件でも、彼を追い落とすため画策があったようですし、我らとしても思うところはあったのです。つまり権力行使の幅が狭く、本来ならば裁かれるべき者が裁かれず、無実の者が裁かれるという腐った事が。……何とかならないものか、と思っていたところなので大変喜ばしく思っています」
 ルピナスは饒舌だった。まっすぐで曇りのない目。ラピスは相づちをうつ間もない彼の話に黙って耳を傾けるしかなかった。
「花街ではカネのない者が働くものです。本来ならば保護されるべき者らが、カネにものを言わせる者らに好きにされたあげく、体を差し出すものはつまり底辺のものだと笑われます。そんな者らに慰めてもらっているにも関わらず……いや、働く者にもたしかにゲスはいますが……」
「君は色々見てきたのだね」
「はい。この頃マヒしてきたような気がします」
「はっきり言うね……その、どうだろうか。旅から旅の可能性もある。首都で留守と連絡番をつとめても良い。それは個々の能力に任せるつもりなのだが……」
「体力に自信は……ないのですが、もっと広い世界を見たいとは考えておりました」
「なるほど。では、話に乗り気だと考えて良いのだね?」
「はい。博識かつ使者としてもご高名なラピスさま、ご自身の無罪を証明されたオニキスさまとともに働けることは大変光栄です」
 ルピナスは表情こそ崩さぬものの、瞳がきらきら輝く。
 時々言葉遣いが乱れるのが気になるものの、彼にも正義感といえるものがあると理解出来た。

 運良く首都へ帰ってきたところだというサンと、ジャスミン、それから見かけない顔の元軍人とコーは会った。
 荷運びの仕事は、引退した軍人の次の仕事先として勧められているらしい。
 各地への旅に耐えられる体力、生き残る術、読み書きが出来ることと軍人であったということで信頼されやすいからだ。
 軍人もそれを次の仕事に選ぶ者が多いという。
 戦闘になれば復帰は難しいほどの傷を負うこともある。また老いには勝てないと、仕事としての寿命は短いことも要因である。この仕事なら軍人としてのノウハウも活かせるし、軍と協力すれば安全に荷物を運べる。
 物流は人体でいえば血液だ。滞れば誰もが苦しむ。
 帝国としてもこの仕事を重視しているのだ。自然、良い人材に恵まれていた。
「特殊捜査機関……」
「オニキスさまとしてはまず優秀な人材を引き抜きたいと考えている。だが軍を乱すつもりはなく、連繋を取りつつ、ということです」
「ではかなり選抜するのですなあ」
 元軍人は驚くほどのんびりとした口調だった。彼はサンとジャスミンの上司にあたる。
「はい。まだ規模も決まっておりませんし……」
「サンは頑丈だし、思慮深い。良い人材と思いましたが、むう……」
「手放すのが惜しいと?」
「ええ、もちろん。ですが皇帝陛下が必要を感じて設立される機関に選ばれるとは、名誉なことです」
「ここの人員を減らすのはオニキスさまもラピス殿も本意ではありません」
 コーが説明すると、元軍人は眉をよせて考える。
「そうですな……まあ、荷運びは最低限の体力があれば良い、あとは習うより慣れろ。……捜査機関にはそれ以上の素質が必要になるのでしょう。私も元帝国軍人、そのあたりは分かります。サン、後はお前の意志しだいだ」
 サンとジャスミンは互いを見合わせると、肩をすくめた。
「あたしは賛成。サンなら活躍出来るでしょ?」
「お前は?」
「あたしは……」
「オニキスさま達は、まだ女性を入れて良いかどうか迷っている。だが捜査に加わる以外にも仕事はあるのだ。ジャスミンにも声をかけることは二人も承知されていた」
「あら」
「サンが家族のことを知りたいと思うなら、悪い話ではないと思う。しばらくはコネクションと表にいる人物を探るのが仕事だ。そうなれば、人身売買に関わった者をあぶり出すことになるだろうし……」
「個人でやるよりは確かな権利のもとだしな。帝国に対し隠れる必要がないのはありがたい。ただ、それは、公私混同というものではないか?」
「そうだと思う。だがそれがあったとしても、役目を優先するだろう、君は」
「……おそらくは」
 サンは渋面を見せている。何か迷う理由があるのだろうか、コーは答えを急かしても仕方がないと席を立った。
「まあ、返事はすぐでなくても構わない。興味がわいたらヒソップ家の邸に来てくれ」
「わかった」
 サンが頷き、コーは帰ろうときびすを帰す――「余った人材がいたら紹介して下さい」と、元軍人が穏やかにせっついてきた。

 手入れの済んだ剣を鞘に納める。
 ブルーの手つきは無駄がなく、武具に対する敬意が見て取れた。
 二人でやったため早く終わり、ブルーは肩を回すと言った。
「ずいぶん、慣れてらっしゃる」
「ああ。身を守ってくれるものだ」
「そりゃそうですね。でも、部下にやらせれば良いでしょう? 貴族なら他に仕事は山ほどある」
「机仕事ばかりだと気が滅入る。陛下にも言われたが、私はああいう役割には向いていない」
 ブルーは先ほどよりはくだけたように笑みを浮かべる。意外に人好きのする笑みだ。
「現場の方が好きですか」
「かもしれんな。君はどうなんだ?」
「どうですかね。俺は他に出来る仕事もないし、出世を考えたこともない」
「では何が生きる糧に?」
「まあ大体の奴と一緒ですよ。酒だったり女だったり。その時楽しけりゃ、何となく生きた心地にはなる。いつどうなるかわからないし、先のことを考えてもね」
「結婚は?」
「してません。もういい歳だけど、焦る気にもなれん。あなたは?」
「……」
 ブルーの質問にオニキスは口を噤んだ。「家」というものを考えれば、必要なはず。
 だがその気になれない。
「私は結婚に向いていない」
 そう答えれば、ブルーはくつくつ笑う。
「変わった方だな」
「特殊捜査機関だが……」
「いや、説明は不要ですよ。陛下の命令なんでしょ、だったら断れない」
「いや、命令ではない。自分で決断してくれ。これは帝国に忠誠を誓うのであって、今上陛下のご意志は……それほど重要ではないからな」
 オニキスがそう言えば、ブルーは眉を寄せて腕を組んだ。
「帝国に?」
「ああ。軍が忠誠を誓う唯一の主は常に皇帝陛下その人だが、この機関は神殿の検査官同様、独立した機関となる。つまり帝国に仕えて、時の皇帝に縛られることはない」
「それはばくち打ちだな。そんな捜査機関に武力を与えて良いものですか?」
 ブルーの指摘はもっともだった。彼はなかなか鋭い視点を持っている。
「だから軍との連繋が重要になるのだろう。こちらに対する疑惑の余地は残さねばならぬ。だが、神官が神々に仕えて罪人をとらえるように、我々は国に対して牙を向くものをとらえる。これからのアッシュにとって必要になってくるはずだ」
「3方でお互いをにらみ合う形になるのか。それなら不正も起きにくくなる……と」
「陛下は元々継承順位が低く、帝位にもそれほど執着されない方だからな。将来のことを見越しておられるのだろう」
「未来の陛下が愚鈍でも何とかなるように?」
 ブルーの言い様は取りようによっては不敬罪だ。だがオニキスには「可能性として」の話と思えたのでつい笑ってしまった。
「おそらくは。貴族連中や一部の金持ちが幅をきかせ、正義が埋もれてはアッシュ帝国の存在が危ぶまれる。君が言ったように、皇帝たる者が常に素質あるとは限らない。だがその身に流れる血脈は帝国全土を繋ぐ確かなものだ。これを守らねばアッシュ帝国はバラバラになるだろう? それを守るためには必要だと考えている」
「ははん、なるほど。俺としちゃ、考えもしない展開だったな。だが知ってるでしょ、俺は隊長に噛みついた猛犬だって」
「ああ」
 オニキスが頷くと、ブルーは頭をかいてオニキスを見おろした。
「誘う相手を間違えてる。素直な奴がいいんじゃないですか?」
「相手は公権力かもしれん。案外、私かもな。そうなった時、はっきり『No』と言える者が良いんだ。隊長の話は聞いた。アイリスから逃げてきた者達からカネを奪ったらしいな。それも例の如く酔った状態で」
 ブルーは腰に手をやり、視線を上向かせて息を吐き出した。
 まだ思うところがあるのだろう。
「そういう汚い連中を引きずり出すのが役目だ」
「それを聞くと面白そうだと思いますがね」
 ブルーは曖昧に笑う。
「まあ、そうですね。兵士をやめて物流に加わっても良いかなと考えていたんですが……前向きに考えておきますよ」
「ああ」
 オニキスはブルーと話を終えると、兵舎を後にした。
 その足で向かうのは牢屋だ。
 ラピスと合流し、面会するのはブラッドである。
 彼は独房で静かに座り、目を閉じていたが二人に気づくと目を開けた。
 穏やかな瞳は、まるで何の罪もないようにすら見える。
 死刑になるというのに怖れすら感じない。
「いつか来るだろうと思っていたよ」
 ブラッドがそう切り出した。
「コネクションの幹部があまりにもあっさりつかまったと思っていた」
 ラピスが静かにそう言う。冷たい牢屋に染みるように声は響き、すぐにおさまった。
 これでは内緒話も何もあったものじゃない。
「カイ・フィカスを活かすためか?」
 オニキスが問えば、ブラッドは薄く笑みを浮かべて頷く。
「主の宿願のためだ」
「主……? カイのことか?」
「フィカス家には仕えていた。だが誰も主と思ったことはない」
 ブラッドは淡々と話す。オニキスとラピスは顔を見合わせ、彼の前で腰を下ろした。
「ではお前の言う主とは誰のことだ?」
 オニキスの問いに、ブラッドはわずかに身を乗り出した。
 拷問のため汚れたシャツがはだけ、そこから首から胸元、手首に赤いミミズ腫れのような赤い筋が覗く。
(鞭にしては細いな)
 と、オニキスは疑問を感じたが、一瞬のことだった。ブラッドの濡れたような目がじっとりとこちらを見たからである。
「オニキス、貴様の目のようなぬばたまの、濡れた鱗を持つお方だよ。名前はスピネル――」

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第27話 その名はスピネル

 

 

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