Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第18話 雨と炎

「陛下、ひとつお訊きしたかったのですが」
「何だ?」
 翌日にも宮殿に上がり、オニキスは思い切って皇帝に訊くことにした。
「仮面舞踏会の夜のことです。かなり香りのきつい花を活けていたのですか?」
「ああ、あれか……あれは香油だ。皇后達が持っていたものなのだよ」
「香油ですか?」
「ああ。嗅ぐとその気になるだろ? 催淫効果があるというので使ったのだよ」
「かなりの奇策でしたね」
 オニキスは他人事のように応じながら、あっさり得られた答えに首を傾げた。
「それがどうかしたのか?」
「この頃花の香りを嗅ぐと体調が優れなくなる者を知り、何かヒントになるかもと思いまして……その香油の原料は花ではないのですか?」
「どうだったかな……皇后に訊いてみるのが手っ取り早いと思うが、あいにくあれも忙しい」
「何かございましたか?」
「皇子達の成人の儀式の準備に追われておる。皇女の相手も探さねばならぬし、色々な」
「それは慎重にならざるを得ませんな。これ以上お手数をおかけするわけにもいきません、この話はお忘れ下さい」
 オニキスはそう言うと執務室を出た。
 衛兵の礼を受けながら廊下を歩く。
 あの夜、確かに嗅いだ香りと似ている。そう感じたが、人の記憶はいざとなれば曖昧だ。
 そのまま見張られているのを知りながら中央階段を降り、一度だけ振り返ると宮殿を出た。
 調査に出ていたコー達が姿を見せ、報告を聞きながらそのまま歩く。
 庭園では白い小さな花がこっちを見て、とばかりに香りをまき散らしていた。雨の中だというのに健気なものだった。
「花街にその花の噂が広まっていました」
「花街……まあ、納得はするな」
「現物を見たことがない者が多く、なんでもエラい人が持ってくるそうです。花と酒を一緒に摂ることで、その、効果が増すとか」
 コーは顔から火が出ているかのように赤くして話している。
 彼には荷が重かったか。
 オニキスは庭園の様子を横目にしながら口を開いた。
「仮面舞踏会の夜に嗅いだのと似た気がした……が、舞踏会のは皇后陛下方が持っていた香油だということだ」
「そ、そうなのですか? だとしたら庶民が手にすることなど到底出来ませんよ」
「ああ……舞踏会の時とは違うのかもしれないな。フロンドのような男が手にできるとなれば」
「そうするとラピス様のもとに行っても収穫はなさそうですか?」
 私兵がそう口を挟んだ。
「いや、行くだけは行っても良いだろう。彼は博学だし、もしかしたら花そのものを知っているかもしれん」
「ではこのまま、お伺いしたいと話して参りましょうか」
「そうしてくれ」
 私兵はくるりときびすを返し、馬場へ向かった。
 オニキスはコーと歩きながら無垢な青空を見る。
「若旦那さま、なぜそう、余裕なのです?」
「余裕?」
「不信任案が出たと聞きました。それに、姦淫罪とされたら……」
「その時はその時だな」
「もう……こっちは必死にやってるのに……」
 コーは何やらぶつぶつ言っている。目の下には青々したクマが出来ていた。
 ラピスへの手土産を用意し庭園で時間を潰していると、先ほどの私兵が戻ってくる。ラピスは応待するとのことだ。
 彼の邸は首都の外れだが、森林の影がいかにも慎ましく小さな邸を包んでいる。
 庭に植えられている立派なトネリコの下に彼はいた。
「急な訪問、申し訳ない」
「いいえ。何やら大変なことになりましたね……」
 ラピスは眉を寄せ、表情をひきしめた。
 彼の実家も様々な暗躍によって落とされたのである。他人事ではないのだろう。
 邸の中は外観ほどは狭くない。家具と調理器具が並べられ、そこを我が物顔で移動する猫の姿があった。
「花ですか?」
 こんな時に?
 ラピスの顔はその疑問を隠さずに伝えてくる。
「ええ。どうもそれが解決の糸口になるように思える。黄色の、鋸歯のある花びらでした。全体像はまるで分かりませんが……」
「黄色、鋸歯……」
 ラピスは邸の奥に入り、しばらくすると両手で本を持ちながら戻ってくる。
 一冊の本だが、片手では持てないほどの枚数があるようだ。机に置くとドスン、と音がした。
「帝国に咲く花は大体網羅されています」
「こんな本があったとは……」
「秘伝ですから。帝国図書館にもありますが、あれはこの双子です」
「つまり?」
「元は私の実家に所蔵されていた図鑑で、これは写しです。同じ時期に作られ、献上品として皇帝陛下に贈られたのが図書館にあるものです」
「……国宝ですな」
「ええ。皇族の方以外触れられません」
 オニキスが取り出したその花を見て、ラピスは特徴の合う花を探した。黄色の花びら、鋸歯……オニキスも目を皿にして花の絵を探る。
 ページが開かれるごとに埃が舞ったが、誰も気にしない。
 静かな空間に本を開く音が響き、「あっ」とコーが声をあげた。
 彼が指さすのはページの下から二番目。黄色い鋸歯の花びらが6枚、中央のオレンジ色の花粉を囲うように取り巻いている。大きさも合う。
「これではないですか?」
「確かに似ている……」
 花びらをよく見れば、細かい産毛が生えているのまで同じだ。
「ふぅむ……ルウの花(オリジナルの花です)……帝国南西部に咲く、かなりの珍品と書かれていますね……。香りには催淫効果がある。蕾の時に摘んで乾燥させ、これを結婚式の夜に花婿、花嫁の酒に浮かべると、子宝に恵まれると」
 説明はやや遠回しだが、意味は同じだ。酒と一緒に、というコー達の言う話とも繋がる。
「ですが、この土地は戦争で焼け落ちた土地……」
 ラピスが続けて言ったことにオニキス達は顔をあげる。
「焼けたのならもう花は残っていないかもしれない……ですが、現にこの花は特徴が同じ」
「焼けたあと、復活した、とか」
 コーがそうぽつりと言う。が、ラピスは首を傾げてしまった。
「どうでしょうか……火で種すら燃える、と書かれていますからね……」
「別の土地でも発生した可能性は……」
「グロウはかなり限定された土地ですね。昼と夜の気温差も激しい土地ですし、乾燥もしているはず。鳥や虫が媒介したとしても、他の土地で上手く発芽したかは……可能性は低いでしょう。よほどの幸運か、よほど施設が整っていれば話は別ですが」
「コネクションはいかがです?」
「コネクションが揃えているかは掴めていません。オークションの商品を探るのに今は手一杯です。が、少なくともこの花はありませんでした」
 ラピスの説明にオニキスは腕を組んで考え込んだ。
 戦争で焼け落ちた。
 だが花はある。
 栽培の設備、施設。
 ふと壁に掛けられていた地図が目に入った。
 南西部の乾燥地帯。雨期に乾いた大地は花を咲かせる。
 戦地となった南西部、グロウの地。
 誰と誰が戦った?
「あそこはフィカス家と……旧朝臣が戦った土地……」
 オニキスの言った言葉に、皆が眉を持ち上げた。
 ラピスに礼を言って邸をあとにする。
 もう日暮れだ。
 雲の切れ目に太陽の光が覗く。
 傘をさしつつ厩まで歩けば、見知った顔が歩いてきた。
 背が高く、腕のたくましい男。
 黒い髪は首都では珍しい。青い目がこちらを見て、笑みを向けた。
 サンだった。
「サン……」
「おお、奴隷解放のヒーローか。久しぶりだな」
「ああ。元気そうで何よりだ。あれからどうだった?」
「色々調べられたが、一応は自由の身だ。俺の元の主は突き止められ、名字没収。両親は……」
 サンは眉を曇らせると首をふった。
 オニキスは察し、サンに頷いてみせる。
「一緒にいた連中は帝国がしばらく面倒を見てくれることになった。子供らは親を探して送る予定だそうだ」
「不便はあるだろう」
「仕方ない。思ったよりも良い扱いに皆混乱してる様子だった。今は何とか職業訓練についたり、そのまま兵士になった奴もいる」
「君は?」
「俺は……そうだな。兵士になるのも良いと思ったが、どうも気になることが出来た」
 馬車がやってきた。オニキスはサンに乗るよう勧め、二人で乗る。
 私兵とコーが馬を操ることになった。
「気になることとは?」
「俺の……出生といえば良いかな。両親の無念も何とかしてやりたい。俺を望んでいたわけではないだろうに……」
「それは……言葉にしてはいけないと思うが。だがそう思ってくれているならお喜びだろう」
「なら良いが。ただ単に興味が出ただけだ、大した志でもなんでもない。そうだ、あんたは黒髪だな。これは珍しいと聞いたんだが」
「ウィローでは多い髪色だ。後はアイリスにも……ご両親の外見で、他に覚えていることは?」
 オニキスがそう訊くと、サンは自身の顎を持って眉を寄せた。
「……どうだっただろうか。母の肌はかなり白かった気がする」
「肌は白……それならバーチか、ここ辺りかと思うが……」
「バーチ?」
「北の王国だ。雪で太陽が遠ざかるため、肌が白くなると聞いたが……」
「バーチね……俺は混血なんだろうな。父譲りなのがこの髪だ。彼の髪は細かく波打っていたように思う。肌や髪でどこまで分かるか……」
「挑戦だな」
 オニキスがにやりと笑えば、サンもつられたように笑う。
「そういえば、ジャスミンはどうした?」
 オニキスがその名を出すと、サンは口をへの字にして目をそらす。
 コーといい、サンといい、どうにも奥手が多いな、とオニキスは思う。
「彼女は各地の伝統舞踊を知っている。宮殿のお抱えにならないかと誘われているが……」
「そこでぬるま湯に浸かるのを自分に許すタイプには見えないな」
「その通りだ。彼女も各地に飛び出したいのだろうと思う……が、いかんせん危なすぎる」
「誘えば良いだろう、出生を探る旅に」
「俺の都合に付き合わせると?」
「誘うだけだ、あとは彼女が決める。旅すればお互いの意見で行先を決めれば良いだろう。別にずっと一緒でないといけないものでもない。良いところがあれば定住するのも良いだろう」
 サンは顎をさすって唸った。
「……」
「まあ、俺が決めることでもないが」
 オニキスはそう言うと窓を開けた。
 雨がどんどん強くなっている。
「このままどこまで送れば良い?」
「今は兵舎近くの工場跡を使わせてもらっている。その近くで良い」
「わかった」
「そういえば、オニキス。妙な噂を聞いたんだが……」
「噂?」
「その、お前が裁判にかけられるとか何とか」
「裁判? それは聞いてないな。今は不信任案にかけられているが」
「不信任……?」
「俺が大臣の名代にして伯爵でいて良いのか、ということだ。なんでも女性に対してふしだらだとか」
 サンは目を見開き、オニキスを見た。
「ああ、そういえば洗濯女はそんな話をしていたが……」
「どこまでも広がっているんだな……どんな話だった?」
 オニキスは興味をひかれ、つい聞いてしまう。サンは視線を巡らせ、手を叩く。
「そう、確か、皇后の侍女があんたと将来を誓ったと吹聴して、結果階段から突き落とされたらしい、とかなんとか」
「!」
 先日見たあの女性のことか?
「とんでもない話だ。嫉妬は恐ろしいとは聞くが、こうなってくると命に関わるんじゃないのか」
「その噂では、その後どうなったんだ?」
「さあ。とにかく、突き落とした方は実家に帰されて謹慎中らしい。あれじゃあ将来はないね、とか言われていたが……。どうなんだ?」
「さあ。俺は知らぬ」
「やはり根も葉もない話か……まあ、洗濯女の噂話らしい。そういえば、バーチといえば洗濯女はこんな話もしていたな」
 オニキスは頭を抱えた。
 洗濯女の情報網は恐ろしいものがある。彼女らは宮殿のスパイそのものだ。侍女の話はおそらく本当だろう。
「バーチの女王が一夜の恋に落ちたとか」
 オニキスは皇后がなぜ秘密を知っているのかよく分かった。

 サンを送ったあと、邸に帰る。
 グレイは机に何か並べていたが、オニキスを一瞥すると来るように言った。
「これは?」
「見合いの紹介状だな」
「見合い? 今ですか?」
「今だからこそ、受けさせたいのだろう」
 仲人の名はカイ・フィカスだ。
 いずれも彼の傘下にいる名字持ちの娘ばかり。
「傘下に降れば不信任案からも姦淫の疑いからも守ってやる、と」
「だろうな」
 グレイは顔色一つ変えない。
 彼のことだ、疑わしい事件が起きればそれをもみ消すなどもっての外だろう。
 たとえそれが我が子であっても、加害者ならば容赦しない。むしろ重い罪に問い、自らも身を引くと言うだろう。
「お前はどう考えている?」
 グレイの視線が質問とともにこちらを向いた。 目には覇気が戻り、首都を出た春とは比べものにならない。
「どうとも考えていません。この話に乗るつもりはありませんから」
「このままだと追い込まれるぞ」
「でしょうね。それでも、彼に属すればもっと深い沼に入り込むことになりますよ」
「命あっての物種だ。暗殺も考えられる」
「父上?」
 グレイの試すような口ぶりに、オニキスは業を煮やした。
「マーガレットのことを覚えているだろう」
「ええ」
「正気と思えぬ。お前がホリーを受け入れられない気持ちは分かる」
「……ホリー全体ではありません」
「全体ではないかもしれぬ。だが、あそこは生き残るためか、己の欲のためか、誰かを犠牲にしてきた過去が確かにあるのだよ。いや、今でもか……」
「それを言うなら、どこも似たようなものです。国なのか街なのか、あるいは仲間であっても家族であっても多少はあるでしょう。犠牲なのかどうかもわかりませんが、そしてどちらが悪いとも言い切れない」
「難しい話だ。様々なケースがある。外から見ただけでは……。分かっている、この話はもちろん断るつもりだ。だがこのままで身を守れる保証はない」
「カイ・フィカスはこの見合いに何を求めているのか……それによって打開出来るかも知れません」
「おそらくお前を与させ、大臣を続けさせるのだろう。そうすれば元の貴族政治に軌道修正出来る。副大臣は庶民の子だからな、彼女が後を継ぐのを阻止したいのかもしれん。うま味がありすぎて、どれが狙いかは分からぬよ」
「相手の出方を探りましょう」

 翌朝には見合いを断る旨をカイに伝える。返事は「そうか」の一言だった。

 一方、フロンドの邸に潜り込んだヒソップ家の私兵は、邸の掃除中に棚に挟まっていた紙を見つけた。
 かなり上質な紙だ。厚みもしっかりあり、にじみがない。
 細かく破られており、文字が書かれているが文章にはならない。
「2階に行くわよ」
 そんな声が聞こえ、彼は慌ててその紙をエプロンに突っ込んだ。

***

 雨が続くバーチでは、そこかしこからため息が聞こえてきそうな空気が満ちていた。
 エメラルド川、その支流は泥を巻き上げながら水量を増している。
 堤が決壊しないよう兵士達が民と力を合わせて土嚢を積んでいく。
 シルバーは侍女達を連れて炊き出しの準備を整え、移動を始めた家畜たちを牧場に案内したり、と慌ただしい時間を過ごしていた。
 アンバーは道路を守るために尽くしてくれていた。橋など、決壊の可能性があるところへ民が流れないよう指揮し、日暮れで補強作業が中断すると兵士達を休ませている。
 彼が休んでいるところをシルバーは見ていない。
「ローズマリー、アンバー隊長は休めている?」
「いいえ。私もそういったお姿は見ておりません」
「休むよう言っても働くのでしょうね」
「副隊長がお戻りになったら気持ちの余裕も出るのではないでしょうか」
「なら、それまでは何とか滋養のつくお食事を提供しましょう」
 ローズマリーと相談し、城で育てていた薬草を使って口にしやすいスープを作る。
 民も避難の旅で疲れているのだろう。甘みの強いスープは好評だ、と様子を見守るマゼンタはそう報告した。
 シアンも城下を見て回っており、水害対策を皆終えつつある、と連絡を寄越してきた。
 雨は日増しに強くなっている。
 川は雨に急かされるように流れを速くしていた。
 去年よりは減ったが、避難の遅れた者が流されたと聞いた時には流石に心臓がえぐられる思いである。
 城下町へ続く道に水が流れそうだ、という報告があがった。
「木を何本か切り倒し、即席の堤としては如何でしょうか?」
 レッドがそう提案したが、シルバーはこれを受け入れなかった。水の勢いを考えれば、弱ったバーチの樹木では耐えられない。
「いいえ、土嚢の一部を開いて水を抜きましょう」
「それでは水が流れ込んでくるのではありませんか?」
「それで良いの。全体を決壊させるより、一部を壊して被害を最小限に抑えるわ。水を抜いた場所は通らないよう、遠回りするよう誘導して」
「水の流れを変えては如何でしょう? 土嚢を積み直し、はやくエメラルド川へ合流させては」
 スプルスが案を出した。シルバーはそれだ、と指を鳴らす。
「それが良いでしょう」
 シルバーは地図を広げ、城下町に続く支流と堤の位置を確認する。
 オニキスの授業を思い出す。
 勢いに逆らわず、力で抑えるのではなく、流れに任せるように。
 以前なら堤を強く高く、と考えていただろう。彼がウィローで得た知識はきっと役立つはず。
 いつか各王国へ留学生を出せれば良い、とシルバーは頭の片隅で考えた。
「この辺り……ここなら水も抜け、橋や堤に負担が残らない……はず」
 迷っている暇はない。
 シルバーは印をうち、兵士に渡す。
「まだ水害は始まったばかり。雨期の後にエメラルド川は本気を出してくる」
 シルバーはそう呟き、兵士が走って行くのを見送った。

 3日後。
 シアンが報告に戻ってきた。
 シルバーの指示した堤の一部破壊は功を奏し、水は抜け始めたという。
 道路は一部沈んだが、城下町に浸水被害は出ていない。
 その道路も徐々に姿を取り戻しつつあるという。
「良かった……」
 シルバーは玉座でそれを聞き、深く腰を折り曲げて息を吐いた。
 レッドが惜しみない賛辞を送っている。
「スプルス殿の提案通り、土嚢を積んで水の流れを調整している?」
「はい。海へ抜ける最短ルートを模索中ですが、何とか」
「では、そのまま続けて」
 シアンもマゼンタも城下町から各地域へ駆け回っている。
 その日の夜、松明の行列が城下町に到着した。
 帝国軍の副隊長が採掘工達を連れ、戻ってきたのだ。
 スズとその父の姿もあったという。シルバーはバーチの民が無事に避難を終えたことに、ようやく一息ついた。
 アンバーも同じだ。副隊長と相談を終えると、その夜は宿で休みを取ることになったらしい。

 雨が珍しく止んでいた。

 それもあり、誰もが安息の夜を過ごしていた。
 パチパチ……と何か音が聞こえる。
 たき火の音だろう、とシルバーは思っていた。
 何か危機のある気配がない。
 寝返りを打ち、かけ布団を胸の前にかき集める。
 雨期のひんやりした夜気が肌に張り付いて冷えてしまう。
 再び眠気に誘われ、深い息をしている自分に気づき、シルバーはつい目を覚ました。
 パチパチ、という音は止まない。
 それどころか大きくなっていないか?
 シルバーは体を起こし、窓を覗いた。
 夜空におよそ似つかわしくない灰色の煙がのぼっている。
「……!」
 宿から火の手があがっていたのだ。
「ローズ!」
 シルバーは裸足のまま部屋を飛び出し、側に控えているローズマリーを呼び起こした。
「で、殿下?」
 ローズマリーが寝ぼけ眼をこすりながら姿を表す。シルバーは寝間着のまま廊下を走り出した。
「火事よ! 宿が燃えてしまう!」
「ええ?」
 シルバーの言葉に、城に控えていた者達が飛び起きてきた。
「兵士を起こして! 宿を消火しないと、帝国軍が炎に巻かれてしまうわ!」
 城内が騒がしくなり、シルバーは侍女達と共に城を出た。
 燃えている宿は目と鼻の先、指示を待たずに見つけられる。
 だが中の様子までは確認出来ない。
 馬たちも火に怯えて暴れていた。侍女達が駆け寄ろうとする。
「早く解放しないと……!」
「いけません、今彼らに近づいたら大変なことですよ!」
 駆けつけた兵士が侍女達を押しとどめる。
「アンバー隊長は?」
 ローズマリーの声が震えていた。彼女はそれでも取り乱さずにいる。
「隊長なら……」
 ズズズッ、と地鳴りのような音がして、宿の隣のレストランが崩れ落ちた。
 こちらは火は燃え移っていないはずだが――そこから出てきたのは軽装のままのアンバーその人だった。
 彼はそのまま木材を遠ざけるよう指示を出していた。
「隊長!」
「殿下? ここは危のうございます。早く城へお戻り下さい!」
「それよりもケガ人の手当が必要だわ。広間に集めて、それから消火作業を……」
 バキバキッ、と木材の剥がれるような音がして、見れば宿がゆっくりと傾いていく。
 火の粉が風に乗って散っていく。シルバーは頬に熱を感じ、一歩下がった。
「井戸はどちらですか?」
「それこそ宿の前だったはず。今は使えません。そうだわ、城内に戻って水を汲んできましょう」
「こんな時に限って晴れとは……」
 アンバーが珍しく不満を口にした。
 シルバーは城内から水を汲むよう言い、アンバーはつながれたままの馬たちを助けるために厩舎を解体しに行く。
 火傷を負った者達が、運ばれてきた水で体を冷やす。
 火傷によるけが人は20と数名。死者が3人だった。
 ついに焼け落ちた宿は焦げた匂いをまき散らし、灰がふる中火の勢いがおさまったのは、夜明けのことだった。
「まだ温度は高いままです。お近づきにならないよう」
 燃えた木材は白く見えるほど。ようやく雨が降りだし、焦げた木々を濡らしてゆく。
「なんということだ……」
 そう呟いた声に振り返ると、やせこけた顔をしたレッドがそこに立っていた。

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第19話 その一歩を

 

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