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Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第12話 解放

「おい。ボスがお前の話を聞きたいそうだ」
 さきほどの男が戻ってきて、オニキスに向き合う。
「つまり?」
「奴隷を全員並べて売るのは良い。見比べもそうだし、売れ筋も分かるってな。そのよくまわる頭を貸せよ」
「この程度で『よくまわる』か。よほど無能が集まっているらしい」
 オニキスがわかりやすく悪態をつくと、男は拳を振り上げた。が、商品に傷をつけてはいけない、と気づいたらしく胸ぐらを掴んで「調子に乗るなよ」と言うと手を離した。
「せいぜいご主人様にたっぷり可愛がってもらいな」
「そういう趣味はないがな。第一売れるかどうかもわからんが」
 オニキスは男のやってきた方向につま先を向けた。「行くぞ。案内せよ」そう言って男に顎で指示する。
 二人で歩き出すと、コーの心配顔が横目に入った。
 オニキスは口の端を持ち上げて見せる。
 全く世話の焼ける従者さまだ。
 それが伝わったのか、コーは頭をかきながら項垂れた。

 オニキスが去った後、廊下はシーンと静かになった。
「あれが主なら苦労するだろうな」
 サンがさも同情するかのようにコーに言ったが、その口元はにやにやしている。
「若旦那さまはいつもああです。決断力に優れているのは良いのですが、いかんせん、ご自分の身分を考えないフシがあるといいますか……」
「飽きなくていいんじゃないか?」
「こちらは寿命の縮む思いですよ! 前だってまさか女王殿下を接待するのに、何もおっしゃって下さらなかった。……バーチの女王さまと言えば深窓の佳人で、公には滅多にお姿を現さないのに……こちらは失礼があったらと思うと……」
 ジャスミンが眉を持ち上げて話に加わった。
「あらあ。女王さまだなんて。ずいぶんエラい人達と接点があるのね、あの人」
「一応ね、一応ですが」
「バーチの女王……」
 さきほどオニキスと言い合った男が呟いた。
 彼はバーチ出身者だったはずだ。コーの目が向く。
「女王だからなんだ。どうせ何も出来やしない。あそこはドラゴンに呪われた土地なんだよ」

 白い星を真ん中に、星座の位置が移り始める。夜も更けた。
 オニキスは窓の向こうの、やけに穏やかな夜空に目をやっていた。
 イライラした様子でこちらを見る「ボス」の目が気に入らないのだ。
 赤く充血して、今にも火を噴きそうな四角い顔。
「イカサマがあったに違いない」
「いま、調べています」
「全く! こっちは大損だ。冗談じゃないぞ」
 ボスは不機嫌を隠さず部下を部屋の外へやった。一瞬静かになったかと思うと、彼の目がぶしつけにオニキスをとらえた。
「提案は気に入った」
「それはどうも」
「よく顔を見せろ」
 ボスの言うことにオニキスは大人しくしたがった。
 タバコのきつい匂いがする。それとアルコール。
 相当遊んできたに違いない。
「ふぅん。綺麗な顔だな。高く売れるだろう」
 髪も目も黒は珍しい。
 品定めするためか全く遠慮がない。
 オニキスは視線こそ逸らさず彼を見返したが、いかんせん匂いがきつくてたまらない。
「だが売るのも惜しい」
 ボスは机を挟んで椅子に座り、引き出しを開けると金の入った袋を取り出した。
「俺が買おう。ここで働けよ、いい看板になりそうだ」
 証文に彼は自身の名前を書き出した。オニキスの考えは、彼からすれば聞く必要がないのだろう。
(従えば、潜入捜査を続けられる……)
 ふとそう思った。
 ペンの走る音が耳に響く。
 袋詰めされた金。
 急速に現実が目の前に迫ってきたような感覚があった。よく見れば部屋の中には絵画がある。
 女性が好みそうな優美な花の絵だ。白い薔薇の花の絵。
 なんとも芳しい。
 あの夜が思い起こされる。
(だが……そこまで介入する必要があるだろうか)
 これ以上進めば、オニキスは自身の立場から逸脱する気がした。立場というより、役目かもしれない。
 これ以上深入りしてはいけない。
「……お断りだ」
「うん?」
 ガキッ、と手かせを力任せに割る。
 目を見開いたボスの横っ面を手かせで殴った。
 いきなりのことで受け身が取れなかったのだろう、床に倒れ込んだボスに馬乗りし、手かせをのど元に押しつけた。
「帳簿があるはずだな。出せ」
 ボスはうめき声を出すばかりだ。オニキスは酔いのせいではなく顔を真っ赤にする彼の咽を、少しだけ解放する。
「命までは取らん。帳簿と、オークションに参加する奴らの名簿だ」
「し、知らん……!」
「知らん……? 顧客だろ」
「顧客と言ったって、俺は、ただ言われるままっ……!」
 手かせを咽に食い込ませると、ボスは額に脂汗を浮かべた。
 オニキスは再び力を緩める。
「誰の指図だ?」
「っは……俺は、ただ、オークションを管理してるだけだ……! 指示はいつも、手紙で!」
「手紙か……それを出せ」
「無理だ! いつも燃やすよう、言われて……」
 オニキスは再び手かせをのど元に沈める。体重もかけた。ボスの赤い顔に、更に赤みがのぼった。
「毎回、燃やすと? 律儀なことだな……他に何か残していないか? ん?」
 咽を解放する代わりに膝を鳩尾に沈める。ボスはその膝を何度も叩いた。
 オニキスは返事がないので息を吐いて整え、ボスのベルトを抜くと両手を後ろでに縛った。
 彼を椅子に座らせると乱れた髪を目の前にたらし、オニキスを睨みあげてくる。
「一体、なんだ貴様!」
「ホリーの領主だよ。村人が世話になっているそうで、礼を言いに来た。さて……」
 オニキスは小さいが切れ味の良い、さきほどののこぎりを取り出した。
 ボスの首元にそれをあてる。彼は息をのむと目を硬くとじた。
「ここの絵画はずいぶん、趣味が良いな……ご婦人方が好みそうだが」
「そ、そりゃそうだろ。ここは元々……」
「元々?」
「も、元々、ある女性の邸だ……!」
「それじゃあ、分からない。何という名の、どのような女性だ?」
 ボスはのこぎりから逃げるようにしているが、オニキスは逃がさない。すうー、とのこぎりをわずかにスライドさせてみせる。
 ひりつくような痛みが首筋に走ったに違いない。ボスは呼吸を乱した。
「そ、それは俺も知らない! 本当だ! た、ただ、ここの最上階に鍵のかかった部屋があって、そこには誰も入れない……そこに何かあるんじゃないか!」
「秘密の部屋か……」
 オニキスはのこぎりをおさめ、ボスのジャケットで血を拭いた。
「こ、このクソ野郎め!」
 のこぎりが遠ざかったためか悪態をつくボスに、オニキスは身を乗り出して睨みつける。
「もう逃れられんぞ。帝国軍がここを囲んでる。……せいぜい最後の味を楽しんでおけよ」
 オニキスはそう言って、顔を強ばらせるボスの体を椅子にくくりつけ、タバコを咥えさせた。これで声は出せまい。
 後は帝国軍が上手くやるだろう。
 帳簿も名簿も、あるいは手紙なんかも出てくるかも知れない。
 オニキスはオークションに戻るため、何事もなかったように表情を繕う。
 廊下に出ると「客が待ってるだろう」と言って部下に案内をさせた。

 サンが真っ先に気づいたらしく、眉を持ち上げて頷いた。
 オニキスはそれに応え、列に並ぶ。
「一人も逃げるなよ。並んで立ってりゃ良いんだ」
 そんな下卑た笑い声混じりの説明がされ、不安げに子供達が肩を震わせた。
 ジャスミンがそれを抱いてやっている。
 扉が開かれ、暗く視界の悪い室内に流れるように入っていく。
 空気が一気に解放されたように広がっていった。オニキスは暗さの中見え隠れする人影を薄く目を開けて数える。
 思ったより少ないのではないか。
「……どうなったんだ?」
 サンがそう訊いてきた。
「……ボスらしい男を縛り上げてきた。ここには誰も入れない、部屋があるらしい。くまなく調査すれば何か出てくるかもしれん」
「部屋……鍵か何か、いるのか?」
「壊せば良いだろう。探す手間がもったいない」
「……なるほど」
 オニキスの返答にサンは間を置いてから納得したようだ。
 全員が並ぶと、ガラガラガラと音がするとともに視界が明るくなる。
 燭台に火が灯され、窓も開かれたのだ。
 舞台に並べられていた皆の顔が見えるほどに照らされ、いよいよ参加者の顔が見えた。
 オニキスが真っ先に見つけたのは、肌の白いえんじ色のジャケットの男だ。
 護衛役2人を後ろにゆったりと腰掛ける姿は様になっている。
 酔った様子もない。
「あの男は……」
 何者だ?
 その疑問への答えはないまま、オークションが開始された。

 働き手になる、と思われたのだろう。赤茶色の髪の青年達がえんじ色のジャケットの男に買われた。
 女子供はお目当てではないらしい。
 あちらこちらで子供達のすすり泣く声が聞こえる。
「いつやるの?」
「合図を待て。そろそろだろう」
 ジャスミンがじれったそうに手を動かしている。
 女の悲鳴が聞こえた。
 買われた女が酔っ払い客に体を触られたのだ。
 オニキスもジャスミンも値段がつけられ始めている。
 ジャスミンは流石に眉を寄せ、隣の男を見上げた。
「サン……」
「大丈夫だ。必ず助ける」
 サンが疑いようもない、力強い声でそう勇気づける。ジャスミンは何度も頷いた。
 経理が出来る、ということがあってか、コーが買われていった。
 オニキスも段々値段が跳ね上がっていく。もう子供は皆客の手に渡ってしまった。これ以上人質に取られると動きづらくなるだろう。
「チッ、帝国軍は何をしている」
 思わず悪態をつくと、窓の向こうから3回、火の光が点滅するのが見えた。
 オニキスはサンの腰を小突いた。
「今だ!」
 オニキスは近くにいた客に殴りかかり、護衛役の顔面めがけて蹴りつける。サンは手かせを割り、「こっちだ! 来い!」と声を張り上げると護衛役を引きつけた。
 突然のことに客側も反応が遅れたようだ。オニキスは指笛を吹いて、紛れ込んでいるはずの私兵に合図を出す。
 3人の同じバンダナをつけた彼らがオニキスに合図し、飛び出ていく。
 帝国軍を入れるため、玄関を開けに行くのだ。
 それを見届けると、床に這いつくばっていたコーの元に駆け寄る。
 襟を掴んで立たせると、彼は燭台を手にしていた。
「良い物を持ってるじゃないか」
「素手よりはマシですよ。どうぞ」
 ロウソクを立てる部分は針状だ。金属製のそれはなかなか頼りになりそうではないか。
「戦えない者を舞台に庇う。お前は青年達と合流して扉を守りに行け。ネズミ一匹通すな」
「御意!」
 コーが同じく手かせを割ったエリカの青年達と走り出した。
 オニキスは燭台を構え、女子供を抱える客に迫った。
「その者らを解放すれば傷つけない」
「急に何事なんだ」
「いよいよ悪事がバレた、ということさ」
 視界の端でサンが一人、注意を引きつけている。
 オニキスはかかってくる護衛役をいなし、顎を狙って燭台の土台を打ち付けた。しばらく動けないだろう。
「さあ。監獄に入るにしても、せめて無傷でいたいだろう」
「おい、マジかよ。俺は雇われただけだ」
 護衛役が反応した。
「なら投降すれば良い。”商品”を解放すれば話はつけてやる」
 護衛役は客を一度見て、その手におさまっていた少女をぶんどりオニキスによこす。
 オニキスは少女を背に庇うと、護衛役から武器を取り上げて下がるよう言った。
 客が一人、また一人と玄関に向かって走り出してゆく。
 オニキスの視界にえんじ色のジャケットが入った。
 彼はとっくに青年達に逃げられたようだ。逃げるつもりだろう、乱闘には参加せず護衛役2人と扉に向かっていった。
 どこか落ち着いた足取りに、何か違和感を得る。
 オニキスはブーツに仕込ませておいた小瓶のふたを開け、彼の背中に向かって投げた。
 狙い違わずえんじ色のジャケットに、黄色い花粉が飛び散る。
 彼は一度だけオニキスを振り返った。
 額から目にかけて、大きな傷痕がある。
 巨大な鋭い爪でひっかかれたような……彼は口元に不敵な笑みを浮かべると、背を向ける。
 そして彼は姿を消した。
(一体、何者だ?)
 後を追わねば、と思った瞬間、ジャスミンが「妹の分よ」と叫ぶように言うのが聞こえた。
 どこからともなく物々しい足音が聞こえてきた。
 扉が勢いよく開かれ、抜剣の耳が痛むような鋭い音が辺りを支配した。
「帝国軍だ。潔く投降せよ」

 オークション会場だけでなく、賭場など邸中に残っていた者達が続々外に出されていく。
 オニキスは手かせを完全に外してもらい、事後処理のため帝国軍に報告をしていた。
 手かせをはめられていたため誰が誘拐の被害者はわかりやすい。彼らは皆一様に兵士らにより保護され、飲み物やブランケットを手渡されていた。
「伯爵自ら危ないことを……」
 軍に同行していたラピスが心配顔でオニキスに向き合った。
「仕方ない。バレるのは時間の問題でしたから」
「とはいえ、せめて腕の立つ者をお連れになれば良かったのでは?」
「それだと警戒されるでしょう。それより、邸は全て見たのですか?」
「今夜中に全て調査するのは難しいでしょうね……しかし、これにより”コネクション”は帝国から宣戦布告を受けた形になりました。さらには被害者の奪還。しばらく派手な行いは慎むものと期待出来るかも知れません」
「そうならば良いのですが……そうだ、ラピス殿。一人の男が姿を消したのです。これを追う必要があるでしょう」
「一人の男?」
「軍内に見た者はおりませんか? えんじ色のジャケット、背には黄色の花粉」
「……邸をずっと見ておりましたが、そのような男は見ておりません」
「……まさか……なぜだ?」
 まさか幻覚だったのか? オニキスは流石に眉をひそめた。サンと目が合い、彼を手招くと「えんじ色のジャケット、恰幅の良い男がいたな」と訊く。
「ああ。エリカの連中を買い集めていたな」
「おらぬそうだ」
「何だと? あの時完全に守りは固めたはず」
「し、失礼ですが。こちらの方は?」
「サンという。聞こえは悪いが奴隷同士の息子だ。首都のどこかの貴族の……これも探らねばなりません」
「ええ、もちろん。サン殿、良ければ話をお聞かせ願いたい。ああ、そうだ。オニキス殿――」
 ラピスが眉を開き、笑みを見せた。
「皇帝陛下が此度のことが成功したならば、あなたを一度、首都に呼ぶよう仰せでした。凱旋ですね」
 口を開けて豪快に笑う皇帝の姿が脳裏に浮かぶ。「無茶しおって。見てみたかったものだ、なあ! 大臣どもよ」とでも言うのだろう。
 オニキスは愛想笑いを返すのがやっとだった。
 一方、軍に保護されたにも関わらず、逃げだそうとする人影があった。
 オニキスはそれを見つけると、足下の小石を拾う。いつでも投げれるよう密かに構えながら、その背中に声をかける。
「どこへ行くつもりだ?」
「!」
 案の定走り出したそのふくらはぎ狙って小石をぶつけると、動きが鈍くなった。
 サンとラピスも一緒に彼のもとに駆けつける。
 追いついて足をひっかけると彼はその場に倒れ込んだ。
 明かりを顔に近づけると、バーチ出身のあの密猟者が唾をはきかけた。
「離せよ! 俺は自由の身だ!」
「まだ話があると言っただろう」
 オニキスが彼の襟を掴もうと手を伸ばしたが、それより先に胸ぐらを掴んでしまったのはサンだった。
 握力の強く、上背もある彼に持ち上げられると自然足が浮く。
「逃げるな」
「うる、せぇ」
「密猟は罪だ。だがもっと罪深いのは、彼らの世話を放り出すことだろう。彼らはどうやって生きていくんだ」
「どうせ詳しい奴がいるさ。俺なんかいなくてもな!」
「フン」
 サンは手を離し、男は地面に膝を強く打った。
「クソ……」
「密猟者ですか?」
「ええ。バーチの白い、イタチがいるでしょう。おそらくここにも何匹かいるはずです」
「それは確認済みですが……彼は被害者なのでは……」
「複雑な事情があるようですね。同情は不要ですが、話だけは聞いておいた方が良いかと」
「うるせえ! てめえらには関係ねえだろ! ここでエラそうに言ったってバーチを救えるはずもねえんだ!」
 男がそうわめき、兵士がやってきて彼をとらえた。
 足を引きずったまま連れて行かれる彼の細い背を見ながら、オニキスは胸に広がる苦いものを感じて唇を噛んだ。

 バーチはそこまで荒れているのか?
 彼女はどこまで耐えられる?
 白い薔薇のような、気高くも柔らかい、甘い香りを放つ彼女は……。

***

 道路建設の予定地、その一つ目の案が完成する。
 過去、エメラルド川の氾濫の被害の少ない場所を選び、かつ移動しやすいなだらかな土地を選んだのだ。
 だが描かれた草案の地図を披露すれば、諮問機関の者達は一様に首をかしげる。
 スプルスもわかりやすいほど勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「民家や市場から遠いですな」
「実用性がありません」
「公園としてなら利用は出来そうですが……」
「こんなに蛇行していたら、余計遠回りになりませんか?」
 シルバーはでしょうね、と予想通りの反応に頷き、自身の腕を撫でた。
 山間に縫うような形を取ったかと思えば、平野部もうねうねとしている。一見無駄に見えるだろう。
「これは安全に焦点を当てたものです。確かに利便性には欠けていますね」
「今使える道と連結させても良いのでは?」
「国道と私道が交われば、料金で利用者は混乱するでしょう?」
「宿も遠いですよ」
 それぞれ意見が出始めた。
 皆道路建設に積極的になってきたようである。
 シルバーはその様子に満足して、もう一枚の地図を出す。
「こちらはエメラルド川の治水工事案の一つです。ここに人工池を造り、農業用水に利用してはいかがかと。川にいくつか支流を造り、氾濫が起きないよう、水を抜きます」
 これはバーチに古くから住む者達と話し合って作った草案だ。まだ考える余地はある。
「ここに支流を造りますから、道路の位置も考え直さねばなりません。川に沿って、というのも考えられます」
「橋を渡すのですか?」
「ええ。必要でしょう」
「予算はどうするのです? ただでさえバーチは……」
「これは将来への投資です。今出し渋って、未来の子供達に余計な負担を負わせるつもりはありませんもの」
「これを行うことで、むしろ負担を負わせることになりませんか?」
 穏やかな口調だが鋭い意見だ。シルバーは彼の目をじっと見た。
 年は30代。バーチには珍しい、働き盛りの男性だ。栗色の短髪は清々しく、目元は柔らかく声もおっとりしているが、意見は真っ当なようだ。
「あなたの名前は?」
「私ですか? レッドと申します」
「レッド。バーチの再興をどうお考えです?」
「再興はもちろん賛成です。ここに世話になって久しいですから、愛着もありますし。川の氾濫を抑えるため、堤防の強化ではなく水を抜くという発想も良いと思っております」
「では一番気にかかることは何?」
 シルバーがわずかに身を乗り出して問うと、皆の目がレッドに向いた。彼はスプルスを見たが、彼が肩をすくめて促したので口を開く。
「やはり、予算ですよ。もし帝国に借金をし、それを返すだけのものが出来なかったら? 立派な橋を造っても無用の長物になりかねません」
「では最優先だと思う物は何です?」
「最優先、ですか。……そうですね……やはり、私の意見としては水害そのものです。支流を造る作業自体は良いと思います」
「まずそれに注力することが良い、ということね?」
「ええ。あれもこれも、となると却って一つのものがおろそかになるのでは」
 シルバーはレッドの意見に頷いて見せた。
 が、一つに尽くせばもう片方がダメになるものだ。常にバランスを見ておかなければならない。シルバーが女王としてやるべきは「全体を見て判断すること」である。
 レッドの言うことはもっともだが、やはり道路との同時進行が望ましいように思えてならなかった。
「ではエメラルド川の開拓を軸に話し合いましょう。ただし道路に関しても話し合いは進めるつもりです。良ければ皆様も、意見をまとめていらして下さいね」
 この日の会議は終わりだ。
 シルバーは執務室から出るとそのまま王座の間に向かう。
 マゼンタとローズマリーの足音がついてくる中、慌ただしげに駆け寄る男性の足音が一つ。
「女王殿下!」
 廊下に響き渡る声はさきほどの男性のもの。
 振り返ると栗色の短髪がすぐさま足下近くに見えた。
 跪いて頭を低くするレッドは恭しく、というより恐縮しきっている様だった。
「どうかして?」
「私のような者が意見するのは畏れ多いことと存じておりますが……」
 その時、4人の脇を先ほどの諮問機関に座する専門家達が通り過ぎていった。
 シルバーは扇を取り出すと口元を隠した。
 彼らが通り過ぎるとレッドに言う。
「ここでは人目につきます。王座の間までいらっしゃい」
「はい」

 シルバーは10段の階段上にある王座に座る。
 金糸の縁取りがされた赤毛氈が階下の石畳まで伸び、窓から差し込む西日がレッドの横顔を照らしていた。
「さて。なんのお話?」
「先ほどの国道建設のことです。現在使われている国道の荒廃は存じておりますが、そのありかまで変えてしまうのは本意ですか?」
「本意です。なぜ疑問に思うのですか?」
「そうであるならば、今現在安全な場所で宿や飲食店を開いている者はどうなさるおつもりなのですか?」
「困るでしょうね」
 シルバーがそう返すと、レッドは目を大きく見開いた後に眉を寄せた。
「それなら、なぜです?」
「良いこと、今現在使われている道は全て国道ではなく私道なのです。そこに入るお店はある基準にかなっているから建っているの。確かにあの道は立派よ。だけどたとえば生活に必要な薪、農具、植物の種、作物や動物たちを運ぶため、毎回私道の管理者に通行料金を払わなければならない。それでは彼らに入るお金はどんどん減ってしまうわ」
「それの何が問題でしょうか」
 レッドの口ぶりは落ち着いている。批判がしたいわけでもなく、ただ説明が欲しいようだ。
 シルバーは扇を閉じると手のひらにぽんと置いた。
「おかげで農業を営む者は場所を変えざるを得ず、たとえば土地の安い川の近く、獣たちの通う山や森の近くに畑を作ります。だけど開墾して使える土地にするには時間がかかり、結局は破産するの。そのため家すら失って不法住居を構える者達が続出よ」
「しかし、実際に私道を利用して一定の水準で暮らしている者達もいるではありませんか?」
「その一定の水準に入れるのが一握りというのが問題よ。さらにその一定の者達は一般市民ではなく、ある団体に与しているようね」
 レッドの眉がぴくりと動いた。冷静な男のようだが、意外にも表情は雄弁だ。
「国道もそう。かつてなら私たちバーチの者で、納められた税金から手直すことは出来ていたはず。国道なら交通料金はかからず、生活に必要な物は安価で手に入った。どこから歯車が狂ったのか、私は着任2年目ですから、当時のことは知りません。でも調査はするつもり。レッド、あなたは私の本意を聞きに来たのね? それならば教えてあげましょう。私はバーチをバーチの者の手に返すつもりです」
「移住者は認めないということですか?」
「私も移住者のようなもの。それに、彼らもここを古里を思うなら、バーチの者でしょう。ここで生まれ育った2世、3世もいる。彼らもまたバーチで暮らしていくのですよ。あなたもそうなのでしょう? だったら自分たちにも関わる話だと分かっているのではなくて? そうね、言い方が誤解を招いたかもしれない。この国を、バーチを愛する者の手に返すのよ」
 レッドは眉を寄せたが、顎を一度だけさすると顔をあげる。
 目が合うと、その目にはさきほどよりも清々しい光が宿っていた。
「はい。私にとっても大切な古里です」
「ええ。その言葉を聞いて安心しました。レッド、あなたの意見は確かに必要なものだわ。バーチのためによく考えてくれているのが分かります」
 シルバーがそう言ってくつろいだ笑みを向けると、レッドは頭をかくようにして下を向いてしまった。
「あ、いえ……その……」
「一人の意見だと偏りが出るもの。私は天秤を見守る必要がある。これからもよろしくお願いするわ」
 そう言って王座から降りて手を差し出すと、レッドはおそるおそるシルバーの手を取った。
 手の甲に口づけが落ち、レッドの手の震えが伝わってくる。
 レッドは再び頭を低く垂れた。

「マゼンタ、彼をよく見ておくよう、シアンに連絡を取るように」
「はい」
 レッドが去った後、シルバーはそう命じた。
 自室に戻ると、窓に腰掛け眼下に広がる景色を見下ろした。
 雨期が近づいている。
 風はどこか湿気を帯び、肌に張り付くようだ。
 先祖代々石を組んで造ったような人家が見える。一つ、一つ、明かりを灯して、今は穏やかだ。
 あの家が水に埋もれてしまう。
 水害に巻き込まれた家畜の姿を思い出し、帰らぬ人を待つ者の姿を思い出し、シルバーは抑えきれぬため息を吐き出す。
 一人で眠るには広いベッドに体を預け、まだ進まない工事の話にまた大きなため息が出る。
 そして簡単に人を信用出来ないことも、シルバーの心を重くさせた。
(あのレッドという者を、どこまで信じて良いのかしら……)
 スプルスに頼るような目線を送った彼を。
 だが人としてはまっすぐな者のようだった。
 彼のような人物が協力してくれれば、バーチは再興を果たし、発展してゆけるのではないだろうか。
 どちらにせよバーチに移住者が必要なのは間違いない。特に彼のような世代の者だ。
 今と未来を繋いでいけるような。
(スプルス殿がどうでも、こちらの政策に魅力がなければ同じ。私は私のやるべきことをやるだけだわ)
 そう本心を思い出せば不思議と心は浮上し、落ち着いてくる。
 やるべきをやる。
 それでいいのだ。

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第13話 束の間の平穏

 

 

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