Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 小説

Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第6話 それぞれの日常へ

 空が白くなり、シルバーはわずかな眠りから目覚めた。
 シーツは互いの情事の跡を吸って重さを変え、身じろぎすると肌に張り付く。
 シルバーは手を伸ばして水差しを取ろうとし――その手を長い節だった指が止める。
 夜の間、シルバーの体を隅々まで探った指だ。
「……お目覚めですか」
 オニキスの声は掠れている。そのまま腹部を後ろから抱きしめられ、シルバーは振り向いた。
「喉がかわいたの」
「それは失礼しました」
 そう言いながらも、オニキスはシルバーを離そうとしない。背中に彼の息がかかり、シルバーは腰をくすぐられたように感じて笑い声を立てる。
「何かおかしいので?」
「いいえ、何も。あなた、そろそろ出ないとマゼンタに見つかるわよ」
「……せっかく二人だけの朝なのに、もったいないな。それに貴女はここを去る」
「……そうね」
 現実を突きつけられ、シルバーは体がしぼむ感覚を味わった。オニキスがそれに気づいたのか顔を覗き込んでくる。
「ここでやりたい事は、まだおありですか?」
「……もうないわ。ありがとう」
「今夜も参っても?」
「……」
 シルバーは返事が出来なかった。
 ここでやめないと、未練にさいなまれる。
 そんな気がした。
 オニキスは肘をつくとふっと息を吐き出し、シルバーの体を撫でた。
「調子に乗りました。……お忘れ下さい」
「オニキス……」
 シルバーは体を反転させ、彼と向き合うとその頬を撫でた。黒い髪が指に絡んで、それがなぜか心にも絡んでくるような感じがする。
「どう言えば良いのか……ここでのことは、思い出にしないと先へ進めそうにないの。会えれば嬉しいけど、それだけにしないと……」
 オニキスはシルバーの細い指を引き寄せ、口元に持っていく。
 不思議に引き込まれる瞳はまっすぐにシルバーを見つめていた。
 シルバーは目をそらす。
「あなたに会えて嬉しかった」
 そうぽつりと言えば、手をひかれてあっという間に背中をベッドに沈ませていた。
 肌が密着するよう上から抱きしめられ、身動きが出来ない。
「……オニキス殿」
「もうしばらく、このまま」
 オニキスの手が髪を撫でてくる。シルバーは彼の背に手を回し、もうすぐ別れなければならないそのにおいを体いっぱいに焚きしめた。

***

 小柄な馬だが、足腰は強く頑丈。バーチの野生種だった彼らは、いつしか人と共に暮らすようになったという。特に女性に懐き、その良き守護者として家々でも飼われている。
 オニキスはそんな彼らに手ずからエサを食べさせていた。彼らもすっかりオニキスに慣れたようだ。
「気に入ったのか」
 荷物を確認していたシアンが声をかけてくる。
「ああ。いい馬だ」
「教師への謝礼として……と言いたいところだが、こいつらがいないと俺たちが帰れん」
 シアンはそう言って豪快な笑みを浮かべた。
 オニキスはそれに口元に笑みを浮かべて返し、袋を手渡した。
「これは?」
「日持ちする果物類だ。彼らにおやつとしてやるといい」
「そうか……すまんな。あんたは読めないよ。人に対してはああなのに……」
「参ったな、その通りだ。我ながら皮肉な性格をしてると思うよ」
「宮殿では仕方ない……のは理解してるつもりだ。口先だけ外面だけの連中より、よほど良い。色々世話になった。ありがとう」
 シアンは手を伸ばしてきた。下心のない、実にあっさりとした拍手の求め方だ。
 オニキスは頷きながらそれに返す。
「謝礼なら陛下から頂いている、気にしないでくれ。それに久々にやりがいのある仕事だったよ。殿下に礼を言っておいてくれ」
「挨拶に行く予定だが……」
「別件で呼ばれている。……見送りは出来ない。無事で帰れよ」
 小柄なバーチの馬が名残惜しげにオニキスの服に額をこすりつけた。オニキスはそれを撫でてやり、シアンに背を向けると厩舎を出た。

***

 女王の見送りの数は少なかった。
 貴族達は表面上丁寧にしながら言い訳し、よそよそしい態度を見せていた。
 無理もない。
 女王に気に入られてバーチに呼ばれでもしたら。
 シルバーは「今は耐えろ」という、力のこもった皇帝の言葉に頷きながら馬車に乗り込む。
 ガラガラと規則正しい音をたてて車輪がまわる。
 舗装された道のため案外早く都を出たようだ。
 オニキスの見送りはない。
 彼から贈られた羽ペンを取り出し、白い羽を撫でて胸に抱く。
 腰のあたりが疼くのは女の本能なのか。今日はコルセットがやけに苦しい。旅立ちなのだから巻かなくても良かったのだが、見送りの場で背が丸くなっては情けない。
 ふっと息を吐き出すと窓を開けた。風が流れ込み、髪が頬を撫でる。
 シルバーは太陽に照らされる草原を見た。地平線いっぱいの草原。その中、草の波を走る馬のたてがみを見つけた。よく見ると、その馬は人を乗せ走っている。
 道の向こうの丘にたどり着いたその馬はとまり、騎手が降りた。
 騎手が帽子を脱いだため、黒い髪が風に流れた。
 黒い髪が。
 シルバーは彼に見えるかどうか分からないまま、白い羽ペンをふって見せる。
 彼は恭しく礼をすると、そのまま馬車を見送った。
 シルバーは背もたれに体を預け、体中を満たす温かいものに顔を綻ばせた。

 道は徐々にその姿を変える。
 平坦な道はいつしか苔だらけ。ぬかるみに車輪が食い込み、衛兵達がそれを立て直すためシルバーに外に出るよう言った。
 出発から4日後のことである。
 森を抜けたあたりから霞が濃くなり、視界も悪い。
 出かけるには良い春だったが、霞が出るとやっかいだ。マゼンタが近くに立ち、カンテラを取り出した。
「困ったわね……やはり、道路を造ることが優先かもしれないわ……」
「オニキス殿の言ったとおり、同時進行でも良いかも知れません」
「人手が必要ね。何にせよ、どれだけの時間がかかるのやら」
 車輪が抜け、馬車が体勢を取り戻す。馬たちは慣れた様子で落ち着いていた。ケがなどもしていないようだ。
「今日の宿までもう一踏ん張りです。参りましょう」
 シアンがそう声をかけ、衛兵の肩をぽんと叩いて奮起を促した。
 シルバーは馬車へ誘導され、乗ったが、気になるのはやはり首都からバーチへの、この道。
 雨期が来れば土砂崩れも心配だ。
 先には一度崩れた道に板を敷いただけのものもある。
 使者の気持ちが何となく分かってしまい、深いため息が出てしまった。
「時間がかかってもいいわ。皆無事でたどり着くようにしましょう」
 衛兵達の力強い返事が頼もしかった。

 それから7日後。
 泥を固めたような道が続き、鬱蒼と茂った森は暗く湿気をまき散らしている。
 エメラルド川はまだ美しい色をしているが、その周囲の田畑はぽつぽつ土の色を現し閑散としていた。
 やせ細った農民が馬車に気づき、礼をする。
 作業を再開させたが、どうやらクワが上手く入らないようだ。
「なぜかしら」
 シルバーのつぶやきを聞いたマゼンタが馬を巡らせ、農民のそばへ行く。
 何か話した後、マゼンタが戻ってきて窓に顔を寄せた。
「水が抜けないので、土が固まっているのだそうです」
「それは悪影響があることなの?」
「良い面としては栄養が抜けにくいこと、悪影響としては、水が抜けないので根腐れが起きやすいとのこと」
「良い面もあるのね」
「はい。ただ、植物を密集させられないので収穫量は落ちるようです」
「……全く大変だわ。農業に詳しい人に声をかけ、改善策を教えてもらいましょう。古くからここに住んでいる農民が良いわ」
「承知しました」
 川沿いの道はバーチに近づくほど多少は整う。馬たちの蹄の音はリズムを取り戻し、順調に進んだ。
 このまま行けば夜には城に着くだろう。
 そう思っていたのだが、倒木に道を阻まれた。
 根腐れしたらしい。
「やはり……」
「殿下、馬車は通れません」
「ええ。馬車は解体、馬を放して先導させて」
 シルバーの指示通り、衛兵達は馬車を解体すると荷物を背負い、馬に手綱をつけて先導させた。
 彼らは道をよく知っている。道路ではないが、草むらをかき分けて進み始めた。
 シルバーは乗馬するよう勧められたが、疲れるまでは歩くと言ってブーツに履き替え歩いた。
 伸びた草が容赦なく体を叩く。
 夕陽に照らされ、エメラルド川の水面がきらきら光っている。
 緑色の透明な川も、この時ばかりは黄金色だ。
 この美しくも恐ろしい川とどのように向き合うのか。
 シルバーは一人、途方もない挑戦をしたものだと考えていた。

 予定よりも長い旅路となったが、食料を多めに詰め込んだため事なきを得、バーチ城に帰った。
 体力が回復するまでシルバーは2日は寝込んだものだが、3日目には日常を過ごすに問題はなくなっていた。
 オニキスのすすめで購入した本の山に目を通し、城内の図書室の開放準備を整える。
 道路がやはり気がかりだ。
 水害と連動しているはず、それなら水害から安全な場所を探して道路を新たに造る必要があるだろう。
 古く建てられた神殿沿いに道路を造り、神殿を休息場としても使えるようにしてはどうだろうか。
 神官に話を通そう。
 色々な事を決め、シルバーは予定を埋めていく。
「女王殿下、ずいぶんはりきっておいでですな」
 会議の場で、そう髭の向こうに笑みを浮かべて言ったのはバーチの労働組合長であるスプルス・フォーンだ。
 貴族ではないが古くからバーチに根を下ろす家柄で、発言力も高い。
「ええ」
「良い休日を過ごされたようで、何より。首都での収穫はいかがでしたか?」
「思う以上の満足な結果でした。色々思いついたので、実行に移す前にご意見を伺うつもり。そうね、あなたにも伺いたいわ」
「何についてでしょう」
「水害がやはり気になるわ。でも、まずは道路ね。これがなくては物資もまともに届けられそうにない。安全な場所を探したいの」
「それは結構。もっともなご意見です。だがいかんせん人手不足だ。バーチにいるのは年寄りと子供、病人ばかり」
「皇帝陛下から兵士を預かります。彼らに中心になってもらおうかと……」
 会議場がざわついた。応援が来ると思わなかったのだろう。
 皇帝は兵士100人の派遣を決めた。半月後に到着の予定で、それと世話役も何人かやってくる。
「陛下はずいぶん協力的ですな」
「ええ。多少の無理も聞き入れて下さいました」
「だが、彼ら主体で動くとなれば後々我らが追い詰められますぞ」
 スプルスの言葉にシルバーは目を見開いた。
 国道となれば民は通行税を払わず移動出来る。人の往来が活発になればバーチは活気づくだろう。
「なぜです?」
 シルバーが疑問をそのまま口にすると、スプルスは背もたれに体を預けるようにゆったりと座り直し、口を開いた。
「バーチの道路を舗装することを生業にしてる者達は仕事を失いますよ。道が出来たことで活気づくのはむしろ首都の方だ。皆遊びに出かけ、仕事を求めて移住しますからな。それに、兵士100人を受け入れる余裕があると思いますか?」
「仕事が間に合っておらず、そのために農林業、猟師達が困っているのも確かです。首都からこちらへ帰る途中、倒木のために遠回りをしました。連絡を速やかに行い、水害や年貢、交易を潤滑にすることもバーチのために必要です。兵士達の受け入れですが、当座は城に」
「城? 宿ではなく?」
「当座です。準備が整えば、宿に泊まってもらいます。宿代はこちらがお支払いするわ」
「速やかであれば良いという話でもありますまい。景観が損なわれ、首都の都合で道路を建てられればバーチはそれこそ帝国のための食い物にされかねませんよ」
「それは被害妄想が過ぎるというもの……」
 そう小声で言ったのは背の低い白髪頭の神官だ。
「女王殿下のおっしゃる通り、道が崩れたために避難の遅れた者達が毎年出ます。今上皇帝陛下はそういった被災者に対して常に救援物資と納税の義務からの解放をされてきました。だがその分、バーチ王国として帝国におさめる年貢は厳しくなるばかり」
「そう言うが、神官殿。あなた方はそもそも納税の義務になく、我々とは意見が異なるのは当然だ。我々は働かねばならない。そしてその分の報酬を受け取るのが当然だ。だがその仕事が奪われてはどうしようもない」
 シルバーが口を開いた。
「国道は働くために必要なものです」
「それは違いますな。女王殿下は市井をご存じでない。バーチの道路は本来、我らバーチの民のもの。皇帝のものではない」
「ではスプルス殿はどうであれば良いとお考えなのです?」
「私どもの職人をお使い下さい。彼らが造った道路は今でも現役でしょう。第一、バーチの土も知らぬ者にまともな道など造れるはずがない」
「ええ、ですが……」
「人手の問題ですか? コネはあります。ご心配なく」
「いえ、やはり道路のことは急務です。雨期が来る前にある程度確保しておきたい、神殿や城に安全に避難出来るように。スプルス殿のおっしゃることはごもっともですが、命には代えられないわ」
 シルバーが言い切ると、会議場に静寂が訪れた。
 会議場を出るとひそひそと話し声が背中に聞こえてくる。
「どうせ何も知らない女王様の遊び」
 スプルスの機嫌取りだろう。
 だがシルバーは知っているのだ。
 スプルス達が造った道路は確かに質が良い。だがその通りに並ぶ店は全て彼の傘下。そうでない者は高い家賃と通行料金を取られることを。
 適正価格で商売をするなら、彼の傘下に入るしかない。
 スプルスはそうやって自らの勢力を拡大させ、発言力を増していったのだ。

「殿下が無事にバーチにお戻りになられて良かった。会議は如何でしたか?」
「相変わらずよ。労働組合長は何としても自分の利権を守りたいのね」
 侍女であるローズマリーはベッドを整えつつため息をついた。30をとうに過ぎた彼女は、ふくよかな体をまっすぐに伸ばしてシルバーに向く。
「彼は貧富の差の要因の一つですわ」
「でも実際に仕事場も提供しているし、彼がいなくて困る者も多いでしょうね。道路建設に関しては譲るつもりはないけど……」
「反対意見が多いのですか?」
「もちろん。自分の所に道路を造って欲しい者もいるでしょうし、迷惑と思う者もいる。とにかくひな形を作り、そこから説明を繰り返す必要がありそうね」
「まず生きることが第一でしょうに……」
 ローズマリーは渋面をつくった。シルバーは髪をほどき、腰のリボンを緩める。
「今までに慣れると新しい方へ向かうのが怖くなるんですって。良い変化だとしても、だそうよ」
 シルバーはオニキスの授業で出た話を口にした。
「それに、今後使い続けるものだから慎重に慎重を重ねるくらいが良いのよ。何年かかってもいいわ。スプルスだっていつまでも現役ではないでしょうし」
「殿下、何か変わられましたね。大胆ですわ」
 ローズマリーはシルバーの背にまわると下着のリボンをほどく。シルバーが髪を持ち上げた時、ふとローズマリーの手が止まった。
「あら……まあまあ」
「何事?」
「いいえぇ。うふふ」
 ローズマリーが突然機嫌よろしく笑ったので、シルバーは眉を寄せた。
「何かあったの?」
「女王殿下。体は嘘をつきません」
「……???」
 着替えを終えると、ローズマリーが部屋を出て行った。
 シルバーはすっかり慣れ親しんだベッドに身を沈める。
 細かいレースの天蓋は彼女を守ってくれるようだ。どこへ行っても「女王」でなくてはならない彼女を、その周囲の視線や評価から。
 ようやく一息ついたためか、目を閉じると思い出されるのはオニキスの目だ。
 底の見えない、まるで冬の夜空のような黒い目。
 まっすぐにシルバーだけを見つめていたあの夜の、驚くほど熱を感じるあのまなざし。
 体の奥が熱い。
 シルバーは困った、と思いながらそっと指先を下腹部に滑らせた。

 今日は図書室の開放に向けての準備だ。
 シルバーはマゼンタ、シアンの兄妹とローズマリー率いる侍女達と共に本を移動させる作業をしていた。
 今ある図書室は本を並べて保存するための部屋、と化している。もっと広く空間を取り、明るい日差しの中で自由に読めるようにしたいのだ。
 選んだのは空いていた2階の広間。
 埃をかぶっていたが掃除し、窓を開けると部屋は生き返ったように明るくなった。
 本棚を壁面に並べ、本を入れていく。
 一日で終わるはずがないと思っていたが、気心知れた顔ぶれであるためかそれは苦にならなかった。
「マゼンタったらまたナンバーを間違えてるわよ」
「まず手に取れる分を本棚に入れてから、後で並べ替えた方が効率的でしょ」
 ローズマリーとマゼンタが言い合っている。この二人は相性が良いのか悪いのか、よくこうやって小競り合いをするのだ。
「ほぅら、また倒れた。せめて本の大きさくらい、揃えて取ったら?」
「いちいち気にしてたらさっぱり進まない! ローズマリーこそ、あなたの本棚まるで埋まってないじゃない」
「これは配置を考えながらやってるからであって……」
 また始まった、と侍女達もくすくす笑い出した。
 椅子を並べ、司書がつとめる為の机と空間を入り口に設ける。
 大体形になったのではないだろうか。
 床に積まれている本類、それにともなう知育道具の設置などはまた時間のある時に出来るだろう。
 他にも仕事はある。
 今日はここまでとなった。

次の話へ→Tale of Empire -白樺の女王と水の貴公子ー 第7話 足元の影

 

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