琴と会わない間、都筑は仕事が終わるとjin's kitechenに足を運んでいた。
手料理に飢えたのかもしれない。
嫌がらせの犯人が分かった、彼女は心を病んでる、名前は司 美奈子……それをどう説明すれば良いのか。説明しない方が良いのか。
司と琴は知り合いのようだし、ショックかもしれない。
いつものカウンター席、髭の伸びた顎をさすって、焼き肉定食を食べる。
あまりに黙り込む都筑を見かねてか、佐山が声をかけてきた。
「何かありましたか?」
都筑は顔をあげた。
おろしたままの前髪のせいで、店内が狭く見える。
「いや……なんというか。何と言えば良いかわからない状況になった」
「そうなんですか?」
佐山は首を傾げる。
分からなくて当然だ。
その時。
「都筑さん」
声をかけてきたのは女性客だ。
ショートカットの、目のくりくりした可愛い女性だった。
「ご一緒して良いですか?」
都筑は目を丸くし、周囲を見渡す。
他にたくさんの客がいるわけでもない。空席はある。
わざわざ声をかけてきたということは、つまり逆ナンというやつだ。
都筑はフリーだ。
受け入れても誰に批難されることはない。
それでも今惹かれている女性がいて、しかも彼女に関わることで考え中なのだ。
答えは「No」しかなかった。
***
客を見送った光香が店に戻り、店内の空気が悪いのに気づいて首を傾げた。
それにさっき、ショートカットの女性客が泣いて飛び出していった。
都筑は額を抱えるようにして、他の客達がひそひそと何か話している。
佐山が珍しく困ったように眉をひそめ、光香を見つけると顎をしゃくった。
「何があったの?」
「何て言うか……モテる男は辛いですねって」
佐山の返事はまるで掴めない。
やがて都筑が顔をあげる。
「さっきの子の分、俺が出しとくから。そろそろ出るよ、空気を悪くしてすまない」
「は?」
***
ショートカットの女性客が都筑に声をかけ、それを都筑が断ったのだ。
居づらくなった彼女がそのまま飛び出してしまったようで、都筑は他の客の視線を集めてしまった。
光香は無理に店を出る必要はないと言った。
彼女は都筑に本気だったのだろうが、ナンパなら失敗する可能性も込みでするべきだ。それで恥をかかされたと思うなら彼女の態度が幼稚すぎる。
そう言うと他の客も同感だ、と頷いた。
「彼女のお代は気にしないで下さいね。お客さんに負担させたらあたしの恥です」
「あんなに傷つくと思わなかった。上原さんならこっちの問題です、で終わりそうなのに」
「上原さん?」
「前の……俺が恋人のフリをしてる子」
「ああ、あの子。その後どうなりました?」
光香の質問に、都筑はわずかに眉をひそめる。
光香は目を見開いた。
「何かあったんですか?」
「いや。何もない。信頼出来るスタッフもいるようだし、彼女がついてるモデルがしっかり者だから、そこは心配してないんだ」
都筑は一度言葉を切ると、ふーっと息を吐き出した。
「彼女の知人が色々やらかして……それを説明すべきかどうか、考えてた」
都筑は真剣に考えていた。
光香がオウム返しで都筑に話すよう促す。
「説明すべきかどうか、ですか」
「言わない方が良いこともある。そう思う。だけど今回の事では俺も無関係ではないし、仕事の立場から説明する責任もある。これからは心配いらない、そう言えば安心出来るなら言った方がいいかもしれない、どっちもを考えすぎてたんだ」
都筑はここではないどこかを見るようにしながら頭を軽く撫でた。
「上原さんは弱い子ですか?」
「いや。芯の強い子だと思う」
「それなら彼女を信じてあげたらいいんじゃないですか?」
光香の言葉に都筑は顔をあげる。
「都筑さん、抱え込むのは良くないですよ。あなたの問題じゃない、彼女の問題。彼女が関わることなら自然と彼女にも答えは見えてくるでしょ? その時サポートが必要ならそうしてあげればいいんじゃないですか?」
「……」
都筑は顎に手をやり、視線を流す。
やがて頷いた。
「そうだな。そうかもしれない」
都筑の目にいつもの理知的な光が戻る。
光香は笑みを浮かべると手を叩いた。
「さて! 食後のデザートでもいかがですか?」
都筑はやっと笑みを浮かべた。
「いただくよ」
***
差し出されたチョコレートのガナッシュ・アイスを食べていると、光香がいたずらっぽく笑いながらカウンター越しに声をかける。
「ねぇねぇ。なんでそんなに彼女を心配してるんですかっ?」
都筑は目を丸くした。
「このところ彼女のことばっかりじゃないですか?」
光香はにやにやして、楽しそうだ。
佐山に視線をやると、彼は無表情に肩をすくめた。
「さっきのショートカットの子、可愛かったじゃないですか? フリーならラッキー! みたいな」
「ちょっと、待った」
「なんとも思ってないならそんなに心配しませんよね、なのにこないだはわざわざここまで連れてきて。かといって気軽に手を出したいわけでもなさそう。やだわ、ガラスにでも触れるかのように接しちゃって」
光香のマシンガントークに火がついた。
「もう見てるこっちがもどかしくなっちゃう! あの子も、好きでもない男と二人っきりで寝ます? 寝ないよね~。普通。隙を見せるの怖いよね~。女子のバイブルよね~。男と二人で食事に行かない。男と二人で車に乗らない。よっぽどのおバカさんじゃなければこのくらい、本能で分かりますよ。ま、それは置いといて!」
「置いとくのかよ」
佐山が呟いた。
「都筑さん、ずばり彼女の事をどう想ってるんですか!?」
光香の目がきらきら輝いている。
綺麗どころか、圧力を感じる。
「……」
都筑は目を見開いたまま、光香の言葉を考えた。
恋? それにしては自分の想いよりも彼女を大切にしたいと想う。
愛? それと言うには浅すぎるだろう。
彼女を守ってやりたい、大切にしてやりたい。
可愛いと想う。
受け入れてくれるなら、髪に触れて、頬を撫でて、腕の中に閉じ込めてしまいたい。
誰にも傷つけられないように。
誰にも渡さないように。
「……惹かれてる」
「よしっ!」
「何がよしっ、なんですか……」
嬉しそうな光香に佐山がクールな突っ込みを入れた。
多少は肩の力が抜け、ある種覚悟のようなものが決まった都筑は、jin`s kitechenから家に戻る。
夜11時を回っていた、いつもならスマホにメッセージが入る時刻だ。
送り主はもちろん琴だ。
寝る前に一応、の連絡をしている。
義務ではないし、疲れたなら忘れることもあるだろう。
都筑は特に気にせずシャワーを浴び、ゆったりと夜を過ごした。