ミクを見送った後、都筑は琴を連れてビルの駐車場に向かった。
仕事で使用中の軽トラを停めてあるのだ。
むっとした、圧縮されたかのような空気感。
時間も遅いため、人の気配はなかった。二人の靴音が響き渡る。
彼女の家の最寄り駅か、彼女が指定する場所で良いだろう。
おちゃらけたラジオでも流そうか、と考え、助手席に乗せていた細かい資材を後ろに移動させる。
幸いシートは傷みが少ない。
琴に乗るよう言って、都筑は運転席にまわる。
「どこまで送れば安心出来る?」
「えーっと……」
琴は最寄り駅らしい駅名を言った。
シートベルトをつけ、走り出す。
ちかちかとまぶしい信号の光。
車のヘッドライトにテールライト。
行き交う人々はスーツだがどこかくだけた雰囲気で、飲みに行くのか、遊びに行くのか。
「……撮影は順調?」
話題に困り、つい仕事の進捗具合を訊いた。
琴は緊張しているのか疲れているのか、それとも落ち込んでいるのか、少し反応が鈍いが返事した。
「はい……予定通りです」
「そうか。何か聞きたいラジオはある?」
「……洋楽とかが良いです」
琴のリクエストに応え、ラジオの電波を変える。やがて時間に合った、ゆったりした古い洋楽が流れ始める。
確か、古い映画の歌。
「古い歌ですよね」
「映画だったか、これ」
「確か、そうですね。戦時中の……?」
「ああ、そうだ、それだ。白百合」
「見たことありますか?」
「ないな……ストーリーをなんとか知ってる程度。有名な台詞は知ってるけど」
「なんですか? それ」
琴の反応に都筑は目を丸くした。
白百合の名台詞を知らないとは。
「ジェネレーション・ギャップかな。『君の瞳に……』って、知らない?」
「……初めて聞きました」
「そうなのか。うーん。そういえば君はまだ若いんだよな」
「そうですね。24です」
「……10歳も離れてたのか」
「都筑さん、34歳?」
「そう。君から見たらおっさんか」
「都筑さんはおっさんじゃないです。お兄さんです」
「それは良かった」
琴がようやく表情を和らげた。
肩の力が抜けたのか、頭をシートに預けて深く息を吐き出した。
「疲れてるみたいだけど」
「撮影がずっと長引いてて、休憩が減ってたんです。予定に合わせたから仕方ないけど、流石に疲れました」
「弁当を無理してるんじゃないよな」
「あれは、ううん。料理をしてると落ち着くんです。だから大丈夫」
「なら良いんだけど……たまには休んだ方が良いよ。好きなことだとしても」
「……はい。あ、でも、明日は普通に撮影も休みです」
「そう」
「……都筑さん、仕事中だったんじゃないですか? 電話した時……」
「あぁ、それは問題ないよ。気にしなくていい」
「……ほんとに?」
「本当に」
「なら良かった……」
会話が途切れる。
ゆったりした映画の洋楽特集なのか、いつか聴いたナンバーばかりだ。
窓の向こうは電飾のきらびやかな世界。
琴はそれを見つめるようにしていた。
「ワンピース……」
琴が呟いた。
「ミクさんがくれたものなのに……ちゃんとしまえば良かった……」
刃物で切り刻まれたらしい、白の柔らかそうな服が都筑の脳裏に蘇る。
ワンピースだったのか、と都筑は思った。
上下つながっていたとわからないほど、ばらばらだった。
「君のせいじゃないだろ」
「はい。でも……物がなくなるのは知ってたし、皺になったら、なんて、家でアイロンをかければすんだのになぁって」
「……スタジオも色々手入れが必要かもしれないな」
「かもしれません……」
琴ははあ、と大きく息を吐き出す。
ちら、と見れば目尻に光るものがあった。
泣き出さないのは良いことなのかどうか、都筑には分からなかった。
***
彼女の言った駅についたが、琴が動く気配はない。覗き込むようにすると、目を閉じ、ゆっくり胸元と腹部を上下させている。
眠ってしまったらしい。
「上原さん、着いたよ」
そう声をかけるが、全く反応がない。
(まずいな。ホテルに連れて行く? 書き置きでもすれば大丈夫か)
そう考えるが、近くにあるのはカプセルホテルだ。しかも満室らしい。
「上原さん」
もう一度声をかけるが、琴はガラスに頭を預けて器用に寝たまま。
疲れたような寝顔に都筑はいよいよ困る。
男ならこのまま放っておくが、若い女性だ。
考え抜いて、都筑はトラックを走らせることにした。
***
都筑が向かった先はjin's kitchenだった。
トラックを駐車場に停め、電話をかけるといつものクールな口調が応対する。
「はい、jin's kitchenです」
「こんばんは、都筑ですが」
「ああ、こんばんは。今日来られるんですか?」
「なんていうか……ちょっと頼みがあるんだ。オーナーはいる?」
「今忙しそうですね。折り返し電話させますけど……って、今そこにいます? 軽トラ?」
「ああ、そう。ちょっと困ってるんだ」
佐山が外に出てきた。
都筑が事情を説明すると、佐山は光香に話をしに行った。
やがて光香と佐山が揃って出てくる。
「申し訳ない」
「いいですよ。酔っ払い客よりマシですから。あ、彼女ですか? 寝ちゃったの」
「そう。ホテルに預けようかと思ったけど、流石に都会は満室だった」
「こんな時間まで働かせるのも考えものですよね。まあ、うちは……仕方ないけど」
光香が言うと佐山が肩をすくめてみせた。
都筑は佐山に軽トラの鍵を渡すと、眠ったままの琴を横抱きにした。
髪がさらさらと胸元に流れる。あがった体温のためか、柔らかい香りがした。
光香がドアを開けて誘導する。
都筑は横になれるよう並べられたソファに彼女をおろす。
着ていた薄手のジャケットを肩にかけてやり、戻ってきた佐山から鍵を受け取る。
「ありがとう、二人とも」
「いえ」
「いいえ。常連さんの頼みですもの~って、まあよく眠ってらっしゃる」
光香は奥からブランケットを持ってきて、琴にかけてやっていた。
夏とはいえ夜、冷房のきいた部屋では体が冷えてしまう。ようやく都筑もほっと胸をなで下ろした。
しばらく休めば起きられるかもしれない、そう考えて、ここに連れてくることにしたのだった。
それに確か、この店では終電を無くした女性客を泊めていた気がする。
「どうしたんですか?」
「何なに?」
興味を惹かれたらしい客の何人かがちらちらと都筑達を見ている。
琴を寝かせるためにソファを動かしたのだから、当然だろう。
「仕事先の子なんだけど、疲れがひどくてね。しばらく休ませようと思っています。ご迷惑かもしれませんが、そっとしておいてもらえると助かります」
「あー、大変だね」
「分かる~。疲れてると車って寝ちゃうよね」
「静かにってば」
理解が得られたようで、都筑は彼女のそばに腰をおろすと再び礼を言った。
メニューを開き、時計を見る。
もう22時を超えていた。
「ラストオーダーかな」
「すいませんが、そうなります」
佐山はそう言ったが、まわりに聞こえない小さな声で「一応はですが」と付け足した。
都筑はその言いぐさに口元を緩める。
「ありがとう」
「いいえ。オーナーがまあ、あんな感じですから。気にしなくていいんじゃないですか。たまにいますよ、寝ちゃってそのまま泊まるお客さんも」
「そう。フリーダムだな……ありがたいけど」
「若い女性客多いですから、オーナーはそういうの受け入れてるんです。ただの酔っ払いは放り出すって言ってますけど」
「オーナーらしいな」
都筑はほっとして笑う。適当に料理を頼み、水を飲んだ。
視線を落とせば、ほとんどメイクもとれた琴の寝顔が目に入る。
ゆったりとした呼吸を続け、起きる気配はまるでなかった。
「可愛い。安心しきってるみたい」
光香がカトラリーをテーブルに置いて、琴を見るとそう言った。
「全然起きないなんて、よっぽど疲れてるんでしょうね」
「かもしれない。色々あったから……」
ワンピースの無残な姿を思い出し、都筑はわずかに表情をくもらせる。
「色々……何かありました?」
「色々ね」
「ああ、そうか。あの子ですか? しつこく誘われてて……都筑さんが恋人のふりをしてあげてる?」
「そう、その子。しつこく誘われるだけならまだしも、彼女が勤めてる先でいたずらがひどくて」
「やあねぇ……って感じですね、仕事場では仕事をしてろって話ですよ。彼女の分はどうしましょうか。まだ起きそうにないし、軽食でも作っておきましょうか?」
「気を遣わせて、本当にすまない。そうしてくれると助かる」
「泊まることになりそうなら早めに言って下さいね。鍵とかかけなきゃいけないので」
「わかった。ありがとう」
光香はキッチンに戻り、料理を持つと別のテーブルに運ぶ。
3人連れの若い女性客だった。都筑達が気になるらしく、ちらちらと視線を感じる。
「都筑さんの彼女?」
「らしいよ。仕事先で色々あったみたい」
「頼れる人がいるっていいなぁ」
「まぁまぁ、いいから。はいお食べ」
***
店の照明が落とされる。
間接照明だけが残されていた。
外は暗いが穏やかな空気が流れていた。
結局琴は目覚めず、光香が気を遣って「ここに泊めたら良いですよ。運転大変だし、都筑さんも一緒にどうぞ。目覚めたとき知らない場所で一人じゃ怖いでしょ。防犯カメラあるから、えっちなことしちゃダメですよ~」と言って佐山と帰って行った。
深夜3時。
都筑は琴と離れた位置のソファにゆったり座って目を閉じていた。
琴の髪の感触が胸元に残り、思い出すと花のような香りが鼻腔の奥に蘇る。
(参ったな)
ワンピースをもらって、嬉しかったのかもしれない。それが切り刻まれて、そうとう落ち込んだのだろう、表情豊かだが泣いたところは初めて見た。
エレベーターに閉じ込められた時ですらそんなそぶりを見せなかったのだ。
照れたように頬を赤くし、にこにことよく笑って、張り切った様子で弁当を広げる。
思い出されるのはそんな姿ばかりだ。
彼女に惹かれている、と気づくのにそれほどはかからなかった。
あまり派手におしゃれをしている印象はなかったが、髪がほどけた瞬間にはどきりとしたし、確かにあの白いワンピースは柔らかそうな印象で、彼女によく似合っただろう。
「はぁ……」
なんともやりきれない。
それを吐き出すかのように大きなため息をついた。
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