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うそとまことと 小説

第4話 事件

2020-10-01

 

 淡い桜色が透けて見える、柔らかい印象の白いワンピースだ。
 ミクの楽屋の壁に、ハンガーで飾られている。
 琴は絵画でも見るような格好だった。
 襟はうるさくないレース、シンプルだが首元を丁寧に飾り、ミモレ丈のスカートはゆったりドレープするシフォンで、フィッシュテールである。
 可愛いというよりは綺麗。
 クラシックだがカジュアル、という絶妙なバランスだった。
 今度持ってくる、という約束をミクは1週間ごしで果たした。
「綺麗…・・・」
「でしょう。けっこう前のやつだけどね。今は流行もあんまり関係なく古着とかあるし、シンプル系だから廃れないデザイン。7年前あたしが着る予定だったんだけど、ちょーっとサイズがね。あたし身長あるから、合わなかったんだよね」
 ミクはそう言いながら、ハンガーごと持って琴の体に合わせる。
鏡に映るのは、黒のティーシャツに白のパンツスタイルのスタッフではない。
 ロングの黒髪が白いワンピースに映える、一人の女性だ。
「サイズぴったりっぽい。仕事中は上にカーディガン着て、終わってデートってなったらカーディガン取っちゃうの。そしたらレースが良い味出すから」
 ミクが満足そうに笑った。
「でも……これ、高いんじゃ……」
 手触りが明らかに大量生産品と違う。
 なめらかで、柔らかで、とろみがある。
「高いのは高いよ。ただし減価償却っていうの?古着になるからウニクロくらいじゃないかな。ついでにこれもらったやつで、しかも着れない。つまり宝の持ち腐れなんだよね。服としての使命を全うさせたいじゃん? 琴さんが着てくれた方がありがたいの」
 気に入ってくれたならね、とミクは付け足す。
 琴は鏡の前で何度もスカートを広げたり、ワンピースの胸元を自身のそれほど大きくない胸に合わせたり。
「……本当にもらって良いんですか?」
 正直に言えば、琴はとても気に入っている。
 乙女チックと女性らしさの中間のデザイン。
 清潔感もあれば、可愛らしさも綺麗さもある。
「もちろん」
「嬉しいなぁ。こういうの持ってない」
「似合うのに。スタッフさん、みんなそれなりに着飾ってるでしょ? 琴さんももっとおしゃれしたらいいよ」
 琴はその言葉にうっと詰まる。
 金銭面の問題があるのだ。
 お金があったら今は勉強に当てたかった。それに、スタッフのおしゃれがあまりに目立つのも考えものだった。
「その……はい。気持ちはやまやま……」
「普段も清潔感あっていいけどね。女の子っていうのを楽しまなきゃ」
 ミクの言葉はさすがに説得力がある。
 琴は何度も頷き、項垂れた。
「女の子かぁ……ミクさん、初恋っていつでした?」
「5歳かな。そこからはスカート三昧」
 その言葉に琴は驚いた。

***

 ワンピースをありがたく頂戴し、琴は百均でコートカバーを買うとそれにしまった。
 畳めばリュックに入るかもしれないが、そうならせめて皺がつかないように、最後に入れよう。
 そう考えて壁に飾ったままにする。
 ミクが撮影中、カリナがそばに寄ってきた。
 主人公の通う喫茶店の店員役だ。
 三つ編みをアップさせた花嫁のような髪型に、シンプルなメイク。 彼女の身長は琴より少し低く、同性ながら「可愛い」と思わず言いたくなる。
「琴さん、琴さんのてがけたメイク写真を見せたら、写真集のゲストメイクアップアーティストの一人として採用したいって」
「本当に!? 嬉しい、ありがとう、カリナちゃん!」
「誘ったのこっちだもん。お礼を言うのはあたし。あのね、勝手にイメージしてるのは『男装』なんだ。男の子じゃなくて、凜々しい感じになりたいの」
「うん! 研究するする! 楽しみだな~写真。他にはどんなの?」
「カメラマンさんと打ち合わせ中。せっかくだからイメージ壊したいよねって」
「へぇ~! わあ、楽しみすぎる!」
 琴とカリナは手を取り合って喜び合っている。辻が咳払いでそれとなく注意し、二人は声を落とした。
 琴はそうだ、と気になっていたことを彼女に訊く。
「カリナちゃん、初恋っていつだった?」
「初恋……10歳の時、小学校の先生。それからちょっとませた」
 琴は項垂れた。

***

「初恋ですか? 14歳でしたね。忘れもしません、文学少女だった私は、家庭教師をしてくれた大学生の青年に恋をしました」
 辻が語る甘酸っぱい思い出話に、琴は思わず胸の前で祈るように手を組む。
「はじめは分からなかったものです。これが恋かどうかなんて。ただ自分の部屋に、違う匂いがする。そう、男性の匂いです。いつもいつもこの匂いにどきどきしたものです。彼が来る時はミニスカートをはいていましたね。今にして思えば太ももが残念で……」
「長くなりそう」
「なんか官能小説みたい」
「カリナちゃん、官能小説読むの?」
「何度か読みました。ミクさんは?」
「あたしおフランス映画。濃ゆいのよね~」
「琴さんはそういうの、何か見ます?」
 ミクと二人で話していたカリナが琴に水を向けたが、琴は答えられなかった。
 ――女の子っていうのを楽しまなきゃ。
 ミクの言葉にどきりとしたのは、琴は初恋すらしていない、と思い出したからだ。
 それで皆に初恋の話を聞いているのだが、早いうちに恋をして、自分は女なのだと自覚する年齢が思っていたよりも早いようなのに驚いた。
「しょ、少女漫画……は中学で読まなくなったし……」
「エロだよ。エロのやつ」
「エロは……あんまり」
「わー、純情! 琴さんかわい~い~」
 カリナが琴を抱きしめてきた。
 花のコロンの香りがする。
「苦手? ダメだよ、ちゃんと知っとかないと。イザって時に対処出来なくなる」
「あら対処ですか? 本だといちいち詳しく説明されているのでおすすめですね」
「辻さんのすすめで小説読んでるんだ。面白いよ」
「映画だと見て理解出来るし。あ、そうか。両方にすればより理解が深まるわけだね」
 3人の説明に琴は頭がぐるぐるするのを感じた。 突然の性教育というやつだろうか。
 確かに、琴は何一つ分かっていない。
 アレがソコに入る。それがゴールだと思っている。
 他にははじめては痛い、ということや、ゴムをつけるのが避妊です、というくらいだ。
「動画なら無料のやつもあるよ」
 カリナはすぐに検索ワードを教えた。

***

 カリナに検索ワードを教えてもらい、ミクとともに楽屋に戻る。
 ミクはメイク落とし、琴は片付けだ。
 そろそろ帰れそうだ、楽屋についたら都筑に連絡を……そう考えてドアを開けると、そこには無残な光景が広がっていた。
 白く柔らかな生地が散乱し、壁にかかっていたレースの美しいワンピースは上下もばらばら、ハサミで切り刻まれたまま、ハンガーに下げられていたのだ。
「何これ……」
 ミクが楽屋に入り、中を確認する。
 ワンピースを手にすると、苦しげに息を吐いた。
「何これ! 誰がこんな……」
「ミクさん、誰か、呼びましょう?……危ないかも……」
 琴が言って、ミクは自身の荷物と琴の荷物を持つと、楽屋の外に出た。
 琴は手の震えを抑えられず、ぎゅっと握ると何とかスマホを取り出した。
 メッセージを打つのももどかしく、電話をかける。
 つながるだろうか、と不安に思ったが、2コールで相手はすぐに出た。
「もしもし? 琴さん?」
 電話の向こうに、聞き慣れた声。
 都筑だ。
「つ、都筑さん」
 琴は喉がきりきり痛むのを感じていたが、都筑の声を聞いた瞬間に目が熱くなり、息を吸い込むと口を開いた。
「その……今、が、楽屋にいて。は、早く来て欲しくて……」
 琴の切羽詰まった様子が伝わったのか、都筑はすぐに答えた。
「今行く。移動出来るなら電話は切らないで、人の多いところで待ってるんだ。すぐに行くから」
「はい」
 都筑の指示に頷き、琴はミクの手を取った。
「都筑さん? なんて?」
 ミクも不安気に眉をひそめている。
 琴はスマホをぎゅっと握ったまま、ミクに説明しつつ玄関へ向かった。
 受付嬢はとっくに帰ったようだ。後に残るのはスタジオの警備員と、映画のスタッフばかり。
「もうすぐ出られるよ。どこにいる?」
 都筑の声がスマホから聞こえる。
「玄関ホールです」
「分かった。一人じゃないよな?」
「ミクさんも一緒です。あとは……スタッフさんたち」
 スマホを持つ手の震えはおさまってきている。
 琴は緩く息を吐き出した。
 ミクが琴のそばに戻ってくる。
「警備員さんに話してきた。楽屋に行ってくれるって。都筑さん来てくれるって?」
「はい……」
 ミクはふぅ、と息を吐き出した。
「やばいね。こんなの久しぶりにされるよ」
 彼女の手も震えていた。
 琴はその手に自分の手を重ねる。ミクは顔をあげた。
「とにかく、お互い無事だし……」
「はい。それは、良かったです」
「うん」
 都筑がやってきた。
 息があがっている、走ってきたのだろう。
 彼は二人を見つけ、「ケガは?」と訊いた。
「大丈夫です」
「それは大丈夫」
 二人同時に答え、都筑は頷く。
「何があったんですか?」
 琴はミクと顔を合わせ、頷くと話し始めた。

***

 話を聞き終えると、都筑は警備員と連絡先を交換した。
(これは警察に相談が必要かもしれないな)
 と考えていると、警備員が口を開いた。
「いたずら、で終わる可能性が高いね」
 警備員がそう話した。
 年は50代後半だろうか。都筑は彼の言葉に頷く。
「その方が撮影に支障が出ない、ということですか?」
「そういうこと。よくあるんだよ、実際。衣装が隠されたとか、靴に画鋲とか。古典的な話だと思うかもしれないけど」
「アンチ……人気者をけなすことは今でもありますからね。それは納得しています」
 だがエレベーターの件がある。
 いたずら、嫌がらせだとしても、衣服が切り刻まれ、エレベーターに閉じ込めなど、身体に影響がある話だ。
「それでも実際にケガはなし……」
 被害としては認められないのか。都筑はイライラと頭をかいた。
「あのー」
 と、ミクが声をかけてきた。
「何かありましたか?」
「あたし、マネージャーさんが事務所のスタッフと一緒に迎えに来てくれるんです。ただ他の子も一緒だから車に乗せられるのあたしだけで……琴さんは一人になっちゃうんですよ。都筑さん、その、送っていってあげてくれませんか?」
 都筑が琴に目をやると、彼女は落ち着かないのかあちこちを見渡し、足をぶんぶんさせている。
「ええ、そうします」
「あの子外見はか弱い感じだけど、けっこう頑固っていうか。芯はしっかりしてるんです。だから今も気をはってくれてるけど……あたしは何回かこういうの経験してるから慣れてるけど、あの子ははじめてだろうし、怖かったと思うんです。その……なんていったら良いんだろう」
 ミクは自身の首を支えるようにしている。
 彼女も不安なのだろうが、まだ落ち着いているようだった。スタッフが数人迎えに来るなら大丈夫だろう。
 琴は腕を何度もさすって、唇を噛んでいた。
 取り乱さないようにはしているが、さすがに不安でいっぱいな様である。
 都筑は頷く。
「無事に送ります」

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  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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