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うそとまことと 小説

第2話 きっかけは

2020-10-01

 

 翌日、琴はメイクルームでミクのスキンケアを施していた。
 ミクの肌に合わせた、ハトムギの化粧水。水滴が残る程度に馴染ませ、しばらくそのままだ。
 暇を持て余したミクが「そういえば」と口を開く。
「沖 陽ってさぁ、スタッフキラーなんだって」
 琴は彼女の発言に口元をわずかに歪ませる。
「琴さん気をつけてね」
「そ、そうですね」
 琴は全身が急に力が入ってしまい、手元の加湿器を落としてしまった。
 ガチャン、と大きな音がして、ミクが振り向く。

「大丈夫?」
「大丈夫です」
 琴は素早く加湿器を拾って、壊れたりしていないか確認する。
 念のため、スペアに変えておこう。
 そう考え、集中しようとしたが、ミクが琴の異変に気づいてしまった。
「もしかして沖と何かあった?」
「いいえっ!」
 ミクの鋭い質問に琴は思わず大きな声になってしまう。
 流石に勘づいたミクがいぶかしげに首を捻る。
「やーだー。あたしの琴ちゃん、あいつにとられたくな~い~。ねぇ、何かあった? それともまだ何もない?」
 ミクの質問の幅が狭い。琴はつい「まだなにも」と答えてしまった。
「まだ……ってことはもしかして声かけられてる?」
「……いえ、その……食事に行かない? 飲みに行かない? って誘われてるだけですよ。何かってほどじゃないですし……」
「完全にロックオンされてる。いい? 琴さん。男が食事に誘うのは下心があるから。男の頭の中じゃ、食事とベッドはセットなの」
 ミクが真剣な表情になって話し始めた。
 琴は思わず彼女の視線をまっすぐに受け止め、これはごまかせないな、と感じる。
「だから好きな男じゃないなら、ついていかないように。……で、どうなの?」
「どうって……」
「沖のこと。誘いに乗ってもいいかなって?」
 ミクの言葉はストレートだ。琴は即座に首を横にふる。
「乗りたくないです。好きじゃないから」
「そうか。なら、なるべくあたしと一緒にいようね」
 琴の返事に満足したのか、ミクはにっこり笑って頷いた。

***

 帰り支度を整え、ビルから出る。
 途中ラジオパーソナリティとすれ違い、軽い挨拶をして玄関に向かった。
 不運というべきか否か。
 ラジオのゲストとして呼ばれていたらしい沖の姿がそこにあった。
 自動販売機の前で飲料を手にしている。

「お疲れ様です」
 都筑がそう声をかけると、沖はあからさまに嫌そうな顔をして口を開いた。
「どうも。お仕事ですか」
「ええ。そちらもお忙しそうで」
 都筑はコインケースを取り出し、自動販売機に向く。
「なんの仕事かと思えば、ビルのリスクマネジメント?」
 沖はめざとく都筑の首にかかっていた入館者カードを見たらしい。
「そうですが。ご興味でも?」
「いえ特には」
「沖さんは顔が名刺のようなものですからね。どこに行っても歓迎されるでしょう」
「どうかな」
 沖が飲料を口にする。
「気に入らないね、あんた」
 と、沖が言った。
 都筑は顔色一つ変えず、お茶のボタンを押す。がたん、とすぐにペットボトルが落ちた。
「そうですか」
 と、都筑は返した。
 沖はわかりやすく舌打ちし、その場を去って行った。

***

 それから数日後。
 ミクの提案に従って、琴はなるべく彼女といるようにしていた。
 幸い沖が近づいてくることは減り、気楽に過ごせたものだった。
 が、休憩室でメイク道具の確認をしている時。
「やっと話せるようになった」
 と、ミクが撮影中、沖は出番でなかったためか、琴に笑顔を見せながらそう声をかけてきた。
「お疲れ様です……」
「なんか少し間が出来ちゃったよね。緊張してる?」
「かもしれません」
「そう。可愛いな、正直で」
「はぁ……」
 琴は目をなるべくそらし、手元のメイク道具の手入れをするふりをした。
「ねぇ、琴ちゃん。中原って確かに売れっ子だけど、そうなれたのは君のおかげでしょ。みんな知ってる。メイクが変わってから雑誌での露出が増えたって」
 突然の話題に、琴は作業していた手を止める。
 それは違う。
 そう言おうと思ったが、沖のペースは止まりそうにない。
「天性の才能だよね。正直、琴さんほどの人なら他の人相手でも満足させられるんじゃない?」
「さぁ……好みはありますから……」
「早い話さ、中原の事務所って小さいじゃん? 俺が話つけるからさ、俺のとこと契約しない? 若くてこれからアイドルデビューする子、いっぱいいるよ。琴ちゃんの才能を活かせるチャンスがごろごろあるんだ。だからさ……」
 沖の手が琴の手に触れる。
 沖の意味ありげな撫で方。その意図するところ。
 仕事のために寝ろ、と誘っているのだ。
 全身の産毛がぞわっと逆立ったようになり、触れられた手が固まる。
「私……」
 琴は喉が詰まったように感じて、上手く声が出ないばかりか、息すら苦しくなってきた。
 情けない気分だ。
「化粧直し入りまーす」
 スタッフの言葉に救われ、琴は弾かれたように立ち上がった。走るようにして、ミクのもとを目指す。
 途中、すれ違ったのはカリナのマネージャー・辻だった。

***

 帰り支度をすませ、ミクとともにスタジオを出る。
 今日は少し遅くなってしまったから、すでに信号機のぎらぎらが強い夜の街になっていた。
「お腹空いたね~」
 と、ミクは近くのレストランを検索中だった。
「ミクさん、琴さん」
 と、明るい声がして振り返ると、そこにいたのは予想通りカリナだった。
「カリナちゃ~ん」
「お疲れ様です、カリナさん」
「今からごはんですか? 私達もご一緒していい?」
 見れば辻が背筋もしゃんとしたまま側に控えていた。
「いいよぉ。女子会しよう」
 琴も異論はない。
 4人で居酒屋に行き、座敷でゆったりしながらつまみのようなメニューを頼む。
 ミクはビール党だ。
 レモンたっぷりの唐揚げをひょいひょい食べながら、どんどん飲んでいく。
 辻が驚いたように言った。
「よくそれで体型維持が出来ますよね」
 辻の言葉にミクは目を見開く。
「うふふ。秘訣があるんですよ」
「秘訣?」
 カリナが食いついた。
「教えて欲しいな。私、すぐぷよぷよしちゃう」
「そうなの? 細いじゃん」
「食べるのを控えてるんです。甘いの大好きだし、油断するとすぐにだめんなる」
「食べ合わせだよ、食べ合わせ。好きな物を食べる。それと同時にバランス取るものも食べる」
「えっ、食べてばっかりじゃないですか?」
 カリナの正直な感想に、ミクはぷっと吹き出した。
「でしょ! 食べてばっかり。あのね、食べ合わせをちゃんとするのは体のためなんだって。栄養の偏りが良くないから、あれを食べたらこれも食べましょうって感じ。これは体のためで、ダイエットはダイエット。ちゃんと運動もしてるよ」
「へぇー。食べ合わせ……」
「これやるなら、一回ちゃんと見てもらった方が良いよ。こういうお店があってさ……」
 ミクはカリナにスマホの画面を見せ、説明を始めた。
 琴は野菜スティックを食べていた。
 辻が顔を寄せてきた。
「琴さん、余計なお世話かもしれませんが……」
「はい?」
「枕で得る仕事は、結局身につきません。地道でも確かな一歩の方が、遅くてもしっかりした地位につながります」
 辻のぴしゃりとした言葉に、琴は神妙な顔で頷く。
「琴さんの性格からしてあり得ないとは思いますが。誘われてるなら、厄介事になる前に手を打った方がいいかもしれませんね」
「ん?」
「え?」
 話が聞こえたのか、ミクとカリナが振り向いた。
「厄介事……」
「芸能界から干されるかもしれません。あることないこと平気で書きますから、マスコミは。沖さんの事務所は大きいですからね、彼が気に入らないと言えば、スタッフ総替えも可能性にはあるでしょう。さすがに出演者発表が終わりましたからミクさんは大丈夫としても、あなたを守る理由は、はっきり言ってないんですよ」
 辻の最後の言葉に眉をひそめたのはミクだ。
「ちょっとちょっと。あたしが困る」
「代わりはいますよ。そういう話になってしまいます。出来るだけ沖さんのメンツを潰さないようにするしかありません」
 琴は考えるように口元に手をやった。
 辻の言っていることがよく分かる。
 それは琴自身が最も困っていた部分だからだ。
 理解してくれているのならむしろ心強い。
「どうしようって、ずっと考えていたんですけど、答えが出なくて……」
「彼氏がいるふりとか~」
 カリナがそう言ったが、皆首をかしげた。
 いないのはとっくにバレている。
「ですよねぇ」
「立場の弱い女性を取って食うのは、一般社会でもよくある話ですから」
「サイテー」
「さいてー」
 ミクとカリナが唇を尖らせた。
 琴はますます混乱した。
 確かにセクハラはよく聞く話だ。
 こういうことから巻き込まれていくのか……しかし琴自身、恋愛には疎い。 頭を文字通り抱え、重い重いため息を吐く。
「じゃ、好きな人がいる、は?」
 カリナの提案に眉を開いたのはミクだ。
「それだ。それそれ。それなら沖もメンツ問題なしかも」
「ああ、なるほど。彼氏がいないのはバレてますからね、その方がいいかもしれません」
「好きな人……」
 琴は反芻する。
「イメージしてみてよ。こういう人がタイプって。その人を想いながら沖の前でのろけちゃえ」
 ミクの言葉に琴は想像する。
 タイプ。
 どんな人?
 性格は?
 顔は?
 雰囲気?
「うーん……」
「アリかもしれませんね。ストーカーなんかを撃退するなら、相手の妄想を打ち砕くのが有効らしいですし。琴さん、宿題にしましょうか。さ、食べましょう」
 辻がようやくにっこり笑って、食事を再開させた。

***

 家に帰り着くと、琴は荷物を降ろしてソファベッドに倒れ込む。
「疲れた」
 と、声に出して言うと、余計な力が抜けたのか背中が重くなる。
 好きな人。
 のろける。
 妄想を打ち砕く。
 なるほど……と思いながら、想像に描くのは誠実そうな、背筋の伸びた姿だ。
(すっきりした顔が良いかな……精悍っていうのかな、信頼出来そうな。仕事に情熱と誇りを持ってて、大事にしてる人がいい。背は高い方が好きかなぁ)
 好みの相手を描くと、頬が勝手に緩んでくる。
 少女漫画が面白い理由がわかった気がした。
 しかし、皆はいつ頃自分は女であると自覚するものなのだろう。
 初恋すらあやふやな琴は、自分が遅れているのでは、という不安に駆られた。

***

 翌朝。
 琴はビルで都筑の姿を見つけた。
 映画の撮影のため、隣のビルを利用することになったのだ。
 思いがけず都筑と仕事場が同じになったのが、何となく嬉しい。
「都筑さん」
 声をかけると、都筑は眉を持ち上げたのちにいつもの柔和な笑みを浮かべる。
「どうも。撮影が始まったようですね」
「はい。そちらはいかがですか?」
「こちらも順調ですよ」
「お久しぶりでーす」
 都筑と向かい合って話していた井上が人なつこい笑みを見せた。
「井上さん」
 琴と井上は年も近く、すぐに打ち解けた雰囲気で話し始める。
 井上は芸能人の姿を見れることに少なからず興奮しているようだ。カリナの話になると目を輝かせる。
「カリナちゃんですか? すごく話しやすくて、優しい子ですよ」
「やっぱそうなんだ。いや、テレビで見てるとすごい明るくていいな~って思ってたけど。マジ良かった」
「井上。仕事中だぞ」
 都筑の指摘に、井上も琴もはっとする。
「そうでした」
「ごめんなさい」
 都筑は設計書を片手に井上に合図した。
「頑張って下さい」
 と琴が言うと、二人は振り返って「お互いに」と返した。

***

 琴とミクは並んで昼食を取っていた。
 ケータリングというやつだが、ビル内で全員が並べるわけではなかったので、個々で好きな場所を見つけている。
 設備を新たにするため、行き来出来ない場所も多かったためだ。
 業者が何人か誘導灯を新しく張り替えている。
 あまり見ることのない作業を見ながらスープを飲んでいると、現れたのは都筑だった。
「都筑さん。お疲れ様です」
「お疲れ様です。休憩ですか」
「どなた?」
 ミクが二人の顔を見る。
 琴は都筑とミクを紹介した。
「へぇ~リスクマネジメント。なんかかっこいいですね」
「カタカナの肩書きですからね。あなたもそうでしたか?」
「そうそう、デルモ~。こっちはメイクアップアーティスト。みんなカタカナですね」
 ミクは自分で言って、あははと笑う。
「都筑さんも休憩ですか?」
「少しですがね」
「良かったらケータリングのスープ、もらってきましょうか。すごく美味しいんですよ」
「いや、部外者ですし……」
 琴が気軽にそう言うと、都筑は苦笑いを浮かべる。
 女性とは面白いもので、こういう時はあまり仕事・プライベートを気にせず分け合おうとする所がある。
 琴は「まぁ一口」とどこかの酔っ払いのような事を言って、都筑に自身のスープカップを差し出した。
 都筑は観念したようにそれを受け取り、琴をじっと見るや一気に飲み干してしまった。
「あ~!!」
「ぷっ、あははは!」
「ごちそうさまでした」
 都筑は会釈すると、二人から離れていってしまった。
 琴はスープカップを覗き込む。
「本当に残ってない!」
「やるなー、お兄さん!」

***

 階段の踊り場を点検していると目に太陽光線が入る。
 窓に目をやればもう日がかなり傾いていた。
 あの後琴と会ったが、少しむくれたような表情をしてこちらを見ていた。
 それがおかしくなって笑えば、琴は顔を赤くして目をそらした。
 全く無邪気だ。
「大人をからかうもんじゃないですね」
「よーく分かりました」
 という会話をし、琴は時間だと言って現場に戻っていった。
 それを見送った後、帰り支度を整える。
 玄関ホールにたどり着くと、撮影していたのかミクと、沖の姿が目に入る。
 スタッフやカメラも多く、しかし「カット」がかかって一斉にくだけた空気になった。
 スタッフの案内で帰宅者が誘導される。都筑はビルの従業員の流れに習っていた。
 知り合いの姿というのは人混みでも見つけられるものだ、琴が一人、場を離れていくのが見えた。
 そして彼女を追いかけるように沖の姿。

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  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

-うそとまことと, 小説
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