私がYouTubeをやめたわけ
はじめに断っておくと、私はYouTubeがとても好きです。好きなユーチューバーさんも多数いらっしゃいます。
日々、楽しく拝見しています。
それでも、自分自身が「YouTuberとして活動を続けること」は難しいと感じるようになりました。
1. ガイドラインとの“スレ違い”
私の活動ジャンルは「セクシャルウェルネス」と「大人の女性が安心して楽しめるエンタメ」です。
言葉を選んでも、ある程度の「大人な話」は避けられません。もちろん、YouTubeのガイドラインに違反しないよう慎重に言葉を選び、表現を削り、比喩に比喩を重ねて、まるで“法の目をかいくぐる”ような日々でした。
正直疲れました。
これは創作ではなく、検閲との知恵比べ。
それは、本当に届けたいものから遠ざかることでもあります。これでは意味がない!
2. しかし「規制の網をすり抜ける」作品が氾濫している
皮肉なことに、プラットフォームには今や“アウト寄り”な動画が溢れています。アダルトな……いわゆるエロなネタ。
言葉遊びや連想ゲームで巧みにガイドラインを避けながら、堂々と性的な話を繰り広げる動画たち。
中には有名ユーチューバーが、男女問わず自身の性生活を赤裸々に語るものすらあります。視聴者さんも自分の好きなユーチューバーの話には興味を惹かれるでしょう。
でも……
言葉遊び・連想ゲームは英語ですぐにはバレない……ということかもしれませんが、あまりに下品です。
これ、許されてるの?
本来、そういう話題ってYouTubeでは禁止されていたんじゃ……?
YouTubeという“公共のリビングルーム”のような場所で、気まずい過激さや刺激を見るのは少し疲れます。
アダルトなネタは、アダルトサイトで発信なされば良い、と私は思います。大切な話題ですし、必要とする方もいるでしょう。アダルトサイトはけっこう多いですから、どこかに合うものがあるでしょう。
こういうルール違反は誰かが造った安全なプラットフォームを借りているのに、自らとプラットフォーム提供者の聖域を汚している行為に他なりません。カラオケをラブホ代わりにするようなものではないでしょうか。規制が厳しくなるのは仕方のない事です。
3. 収益化が生んだ「質より刺激」の世界
収益化が可能、というのは素晴らしいこと。
でも、「目立てば勝ち」「バズれば勝ち」な世界へ。
過剰演出、誇張表現、注意喚起、これさえしてれば間違いない、これをしている人の末路……など誤解を招く表現過多。
人の目や注意を引き、危機感をあおるのは悲しいかな効果があります。
しかし、だからといって無責任な情報発信をする理由にはならないと思います。
収益化に関しては遠慮するより、ちゃんと質の高いコンテンツを用意した方が良いのではないか、あるいは、それを目指すべきではないでしょうか。
とくに、美容・健康・セクシャル系のテーマは繊細です。
だからこそ、視聴回数のための言い換えや演出ではなく、本当に価値あることを、丁寧に届けることが大切だと私は考えています。
4. 他人のふんどし、他人の名誉
最近は、有名人の失敗やゴシップを扱った動画も非常に多く目にします。
その多くは、本人を知らず、真実も事実も見ていないまま、酷評や嘲笑を繰り返す。
これは、公開いじめではないでしょうか。
名誉毀損で訴えられてないからOK、ではなく、人として守るべき一線があるはずです。
さらに、有名人の名前や時事ネタはアルゴリズム的に優遇されるため、興味がない方にも表示されてしまいます。
人を笑いものにする動画が“伸びる”という現実も、悲しいです。
他にもどこかから借りてきた映像を平気で再利用するというのは、楽かもしれませんがその手抜きは後に痛い目を見るでしょう。
まず信頼がありません。
それになにより、YouTubeは個人個人の動画を皆でシェアして楽しむためにアップロードする場所です。
「あなたはなぜユーチューバーになったの?」と思ってしまいます。
(日本では違法アップロードは犯罪です。他人のものを盗んでいるのと同じです。盗むばかりか、それで収益化しているならもっと大変なことです)
5. どこへ行く、オリジナル
YouTubeはかつて「誰もが動画をアップできる」革命的な場でした。
でも今は、過去の名作を切り抜いたり、二次創作や考察動画の方がアルゴリズムに好かれやすい。
視聴者としても、有名なものの方が安心ですし、知らない言葉や名前は検索もできません。
それは自然なことです。
オリジナルな創作よりも、誰かの作品を“再解釈”した方が注目されるのは仕方ないのでしょう。
でもYouTubeの最初の画期的なコンセプトから離れて行ってるような……クリエイターやオリジナルではなく、二次創作が人気になりやすいというのは、いつの世もそうですが、なんとなく虚しい部分があります。
そして、私は静かにログアウトした
私は、別に「正しいYouTube」を語りたいのではありません。
ただ、自分の伝えたいことを、自分の方法で表現できないなら、それはもう「私にとっての発信場所」ではなくなってしまう。
それだけのことです。
今もYouTubeを好きな気持ちは変わりませんし、素晴らしいコンテンツもたくさんあります。今後も見るでしょう……間違いなく。
ただ、「発信者」としての私は、ちょっと違う道を歩くことにしました。
それが、この文章の「タイトルに込めた意味」です。