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小説 鏡中夢幻

【鏡中夢幻】 第9話

2024-12-14

 

 それから3日後のことである。
 鹿鳴館は新たな客を迎え入れた。
 イギリスの近くにある小さな王国・ミストウィルド(架空の国)の若き女王クララその人である。
 はちみつ色の輝く髪は細かに巻かれゴールドのように輝く。
 そして長いまつげに縁どられた大きな目は、水滴を浴びてきらめく「エメラルド」のようだった。
 彼女は供として、黒髪に銀縁の眼鏡をかけた20代後半のあやしくも美しい男性を連れて来日している。
 大きなダイヤモンドをトップにつけた、黒光りする杖を持っていた。
 彼はエドマンドと名乗った。
 ミストウィルド王国の侯爵である。

 

 昼には鹿鳴館でお茶会が開かれた。
 隣席するのは柴田大使、イギリス貴族、そしてクララ女王とエドマンド侯爵である。
 そしてアレクも呼ばれていた。
 通訳としてであろう。沙羅は男装したまま、それをこっそりのぞき見た。
 話の内容など聞こえてこないが、皆にこやかに笑顔を浮かべて話し込んでいる。
 特にイギリス貴族の男性は楽しそうだ、クララ女王を見ながら、彼女の椅子に手を伸ばしている。
(女王様になんだか慣れ慣れしいというか……)
 礼儀がなってないのではないか?と沙羅は思ったが、それを咎める気配はない。クララ女王も黙ってそれを受け入れている。
 コーラルピンクのドレスがとても似合う美しい女性だが、どこか人形めいて見えた。
 張り付けたような笑顔とでも言うべきか。
 やがてアレクが彼女の前に呼ばれ、身をかがめると膝をついて彼女を見上げた。
 沙羅は心臓に痛みを感じ、胸を押さえる。
 元々異人のような顔立ちをした彼だ。クララ女王の側にいるとそれが際立ち、おとぎ話の騎士のようにもすら見える。
 とてもお似合いだ。
 クララ女王は手を差し出し、アレクはそれを取ると彼女を立たせた。
 その瞬間の彼女の目。
 夢見心地にうっとりと目じりが下がり、恋する乙女のようである。
「……」
 沙羅は呼吸すら忘れ、それを見ていた。
 アレクとクララ女王が二人きりで庭へ歩いていき、姿が見えなくなるまで。

 

 沙羅は先に館に戻り、岩と一緒に夕食を作る。
 キュウリを切って、切って、切って……
「奥様、そんなにキュウリばかり召し上がるおつもりですか?」
「え?」
 見れば5本分は切ってしまっている。
「……お漬物に」
「その方が良いでしょう。どうなさったんです?帰ってこられてから、ずっとぼーっとして」
「それは、その……」
 つまり嫉妬だ。
 クララ女王のような美しい女性が、アレクの側にいる。
 二人でどこへ行ったの?
 何をしていたの?
 そんな疑問がぐるぐる巡り、不安で頭がふらふらしてくる。
「はあ……」
 ため息をついたその時、来客を知らせるベルがちりんと鳴った。
「あら、出てきますね」
 岩が手を拭きながら玄関へ行った。しばらくすると戻ってきて、包丁を再び握る。
「旦那様は今日お戻りにならないと」
「え!?」
「お仕事なんでしょう?大変ですねえ、外交というのも。確かに今までになく異人さんが来ますものね……」

 

 一人でベッドに寝ころび、横を向いてかけ布団を握りしめる。
 広いベッドに一人はあまりに心細い……いや、そうではない。
 クララ女王のことが気になって仕方ないのだ。
 エドガーがエメラルドの目の女性に気をつけろと言っていたから?
 彼女がアレクを探していた人?
 なぜ?
 なんのために?
 まさか、彼女もまた鏡を使って来た女性なのだろうか。エドガーが言っていた異分子?
 まるで分からない。
 だが一つだけはっきりしていることと言えば、クララのアレクを見るあのまなざし、あれは間違いなく恋慕だ。
 そして二人は行ってしまった。
 それがたまらなく不安なのである。

 

「女王に会ったんだな」
 橋の近くでエドガーと会い、沙羅はつい相談してしまった。
 彼以外に話せる相手がいないのだ。
「彼女は一体?」
「ミストウィルド王国の女王だ」
「間違いないんですね」
「ああ。彼女は異分子じゃあないんだ」
 エドガーの説明に沙羅は項垂れる。
「どうしたら良いのか……」
「お嬢さんはどうしたいんだ?」
「アレクのことを知りたいと願ってここへ……」
「なら、それを忘れるな」
 全くその通りだ。異論をはさむ余地がない。嫉妬など何の役にも立たないのだから、と沙羅は自戒する。
「でも、なぜクララ女王に気を付ける必要があるんです?」
「君が感じたままが正しいんだ」
 余計分からなくなってしまった。感じるまま?
 つまり、彼女がアレクを好きだろうということ?
 それはおそらく、正しい。女の直感とは厄介だ。
「エドガーさん、なぜはっきり言ってくれないの?」
「それは……この世界が俺に話させないのさ」
「どうして?」
「彼女の願いを邪魔するからだろう」
「彼女、彼女って……一体、誰の事ですか?」
「言えれば俺も苦労しないよ」
「どうしてサラさんは死んだの?」
「それも君の願いと関わっている。俺が言うわけにはいかない。この世界で、お嬢さんだけが自由に動けるんだ。頑張ってくれ」
 自分だけが自由に動ける?沙羅はますます混乱を深めた。
 では皆はそうではないということだ。
 まるでヒントなし。
 とにかくアレクのことを追うしかないのだろう。
 沙羅は鹿鳴館に向かった。今日は舞踏会に呼ばれているため、ドレスを着なければならない。
 ドレスを着て、髪型を整えてもらう。鏡にうつる自分はどことなく他人みたいだ。
 首元に赤いリボンが印象的な、白を基調に縁取りは黒のひきしまって見えるドレスである。
 外交の場なのだ。欧米列強に恥じない態度を心がけなければならない。
 沙羅はお守りとしてあのかんざしを持ってきていた。
 髪にさし、胸を張ってダンスホールへ入る。
 ドアを開けた瞬間に豪華絢爛、シャンデリアが青白い光をまき散らす夜の社交場。
 燕尾服を着たアレクの腕に手をかけた。
 音楽は生演奏。よく考えれば本当に贅沢だ。
 沙羅の手を取りステップを踏みながら、アレクが小さく言う。
「腹の中では皆分かっているんだ、滑稽な集まりだと。だがこれが日本を少しづつ成長させる」
「昔から日本は外国に学んできました。隋に、唐に、印度に。それが欧米になっただけかもしれません。それに、どれだけ外国のものが入っても失われなかったものがたくさんあります」
「ああ。お前は賢い、その通りだ。人の心までは誰も支配出来ないのだから。少しの我慢だ、日本を守り育てるため、我々はいくらでも道化を演じてみせよう。どうせこの夜会もすぐに終わる」
 音楽が鳴りやみ、歓談の時間となる。
 グラスに赤いワインが注がれた。
 アレクはそれを掲げたが、舐める程度にしている。こういう時下戸は辛いものだ。
「私が代わりに」
「すまない。お前は飲めるんだな」
「ちょっと強いみたい」
「頼もしい。それに、エゲレス語も私よりよほど流暢だ」
 それはほめ過ぎだろう。アレクの英語はネイティブだ。だが土地によるのは確かである。彼のはイギリス風で、沙羅はアメリカ風だった。
 その時、ホールがざわめいた。
 貴賓席にクララ女王とエドマンド侯爵が現れたのである。
 美しい二人の登場に皆が色めきだった。
「女王はどなたを指名されるやら」
 そんな声が聞こえてくる。沙羅には分かっていた。
 彼女は金色のドレスを揺らし、まっすぐにアレクの元へやってくる。
 沙羅は一歩下がろうとしたが、女王がそれを引き留めた。
「あなたにも会ってみたいと思っていたの」
 低く落ち着いた声だが、どことなく少女のような話し方だった。
「お初にお目にかかります。私はサラ・ノクターン……」
「そうね、サラ。顔をあげて」
 言われるまま顔をあげれば、女王とまっすぐに向き合う恰好になった。
 心臓を射抜かれた気分だ。息すらまともに出来ないくらいに、女王はじっと沙羅を見て来た。
「サラ。言葉が通じるのね」
「はい」
「それは素晴らしいわ。私の話し相手になって下さる?ここまで来て土産話がないのは悔しいことだから」
 思わぬ提案だ。エドガーには気を付けるよう言われている。
「ですが……」
「女王様には必要なのです。願いを叶えて下さいませんか?」
 甘い鼻にかかったような声でささやくよう言ったのはエドマンド侯爵だ。
 男性ながら美しく整った顔立ちで、アイドル風というべきか、声に合う甘い顔立ちをしている。
「……妻はまだ社交デビューをしたばかりで、失礼があるやもしれません」
 アレクが言ったが、クララ女王は沙羅をじっと見据えて離さない。彼女の目は澄んだエメラルドのように美しいが、どこか冷たい光が宿っていた。
「年も近いんじゃなくて?サラ、女性同士異文化交流を楽しみましょう」
 ここまで押されて断れば、鹿鳴館、あるいはアレクの名誉に関わるのではないか。
 沙羅は唇を一度噛むと「はい」と応じた。
 再び音楽が演奏され始める。
 ワルツだ。
 クララ女王はアレクを誘い、一人になった沙羅はエドマンド侯爵に手を引かれた。
 ダンスホールの中心へ移動するアレクとクララを見つめながらステップを踏む。
 遠ざかる二人を見ていると、沙羅は迷子になったような感覚に襲われた。
 手を握るエドマンド侯爵の体温が他人事のよう、音楽が終わっても沙羅がそれに気づくことはなかった。

 

 バシャッ、バシャッ、と写真が撮られていく。
 今日の夜会に集まった人々、各国ごとの使節団、大臣夫婦。
 何台もカメラが並び、数分かけて写真を撮っているのだ。
 地位の高い人のためだろう、と沙羅は思っていたし、事実解散され、ダンスホールからは客が次々帰ると同時にカメラマンも帰る準備を整えていく。
 その時、アレクがその中の一人に声をかけた。
「デイヴィッド」
 無精ひげの生えた、うねりのある髪をした男性である。異国人だ。
「よぉ、アレク。どうしたんだ?」
「一枚頼みたい」
「金かかるぜ。良いのか?」
「ああ」
 アレクは振り返り、沙羅を呼んだ。
「あんたも隅に置けないなあ。別嬪さんじゃないか」
「妻だ」
 デイヴィッドは「ほお」と沙羅を見る。
「異人の血が混じってる?」
「いいや」
「そうかい?髪が波うって、日本人には珍しいんじゃないのか?」
「そうでもない。それに日本は異国人の血がとっくに入ってるよ。100%ピュアジャパニーズの方が珍しい」
「へえ。お嬢さん、俺はデイヴィッドだ。アレクとはちょいちょい話させてもらってるよ」
「サラ・ノクターンです。どうも初めまして」
 デイヴィッドはがらがらした声だが落ち着いていて、親近感をにじませる男だった。それに、カタコトながら日本語もすらすら出てくる。
「じゃあ、そっちに座ってくれ。アレクも」
「え?」
 デイヴィッドに椅子を勧められ、沙羅はアレクを振り返った。
「お前の写真を撮ってもらおうと思って」
 こんなすごい機械で。まるで写真館で撮ってもらうようだ。スマホのような気軽なものではないのだろう、沙羅はつい萎縮した。
「でも、良いんですか?もうお仕事は終わったのでは?」
「俺は良いんだよ。小遣い稼ぎさ。あ、アレか?魂が吸い取られるとかって奴かい?」
 明治時代に広がった迷信だ。さすがに沙羅は信じていないが、その迷信はかなり定着したようである。
「そんなことがあるわけない。なあ、サラ」
 アレクはやけにあっさりと否定した。
「あんたは?」
「私は良い。今夜は彼女だけを」
 沙羅はせめて一緒が良い、と思ったがデイヴィッドは準備をしてしまう。
「はい、動かないように。良いよ、そのまま……」
 沙羅は突然始まった撮影に身を固くし、静止した。2分ほどで撮れるらしい。
 アレクが腕をまくった。まるで腕時計を確認するかのような動きだ。
 だが当然そこに時計はない。
 沙羅はそれがなんとなくおかしくて、つい微笑んで見てしまう。
 バシャッ、と音がした。

 

 アレクとデイヴィッドは知り合いのようで、気の置けない雰囲気があった。
 デイヴィッドならアレクの事を知っているのではないか、と沙羅は声をかけた。
「サー」
「かしこまらなくて結構。デイヴィッドで良いよ。用はなんだい?」
「おかしなこととは思いますが、どうしても知りたくて。アレクの事なのですが、彼のご両親のことをご存じですか?」
 沙羅の質問にデイヴィッドは目を丸くし、肩を持ち上げた。
「いいや。なんでだい?」
「薩摩隼人とオランダの女性との間に日本で生まれて、日本で育ったのに、彼の名前はアレクサンダー・ノクターン」
「ああ、そういうことね。あの名前はさ、賜ったんだよ」
 賜った?意外な情報だ。沙羅はデイヴィッドに食い下がる。
「賜ったとは、誰にですか?」
「クララ女王だよ。知らないのかい?」
「え?」
 沙羅はもう客のいないダンスホールを振り返り、クララを思い返す。
 はちみつ色の髪、エメラルドの目の、絵画に描かれそうな美女。
「彼女は以前も日本に?」
「いいや。今回が初めてさ」
「ならなぜ……?」
 沙羅は胸に疑惑の渦が広がるのを感じたが、デイヴィッドは何が不思議か分からないと首をかしげて沙羅を見た。
 疑う自分がおかしいのか?そう混乱しそうなほど、周囲は何も変わらず閉館の作業を進めていく。
(おかしい、だってクララ女王が来日されたのはつい先日。なのに、アレクは少なくとも3年以上はアレクなのよ。戸籍だって確認したのに)
 ここは鏡の世界で、沙羅自身もタイムトラベルをしている。何が起きても不思議ではないのかもしれない。
 だが矛盾が大きすぎるのではないか。
「クララ女王が彼に名前を」
「そうだ、名誉な事なんだよ。騎士勲章も渡すつもりだそうだ」
 沙羅は内心の動揺を悟られないように笑みを浮かべた。鹿鳴館に来てから多少の演技は上手くなった気がする。
「よくご存じなのですね」
「まあね、職業柄、色んな噂を聞くもんで」
「なら、アレクの本名は?」
 デイヴィッドは腕を組んで沙羅を見ると、どことなく寂し気に眉を下げて口角を持ち上げた。
「さあ……誰も奴のことを知らないんだよ」

 

 馬車に揺られ、沙羅は窓を開けて夜風を浴びた。
 ガス灯が道を照らすが、光はまだ弱く視界はそれほど良くない。
 かろうじて車輪周りが見える程度だった。
「昨夜はすまない。帰れなかった」
 隣に座るアレクがそう声をかけ、沙羅は振り向いた。
「何があったのですか?」
「ミストウィルド王国のことを調べていた。王国は後継者もおらず、大英帝国の圧力を受けているようだ。子が生まれれば夫方の後ろ盾を得られるだろうが、結婚してもう8年経つのにその気配がないと」
 沙羅には関係のない話だと思ったが、なんとなく嫌な感じがした。まるで結婚と子供は政略の道具のようではないか。
 いや、そういう時代が長く続いていたのは確かだ。沙羅の時代には考えにくいことだが、女性は嫁ぎ先の子を産まねば役立たずと放り出されても仕方ない、という風潮がある。それに女王ともなればまっさきに世継ぎを願われるものなのだろう。
「人は子供を産む道具じゃない……」
 思わず呟いてしまった。
「サラ?」
「そんな扱いを受けたら、心と体が傷ついてもっと産めなくなりそう……」
「……」
 アレクの名前のこともあり、なんとなく気持ちが沈んでいる。
 女王から授かった名前で彼は生きている。
 こうして優しく接する彼は誰なのだろう?
 隣にいるのに、異世界の人のように存在があやふやに感じられた。
「……アレク」
 ようやく重く感じる頭を彼の肩にもたれさせる。
 寺院に育つ樹々のような彼の香りも、確かな体温も、今は沙羅に与えられているというのに、彼が彼ではない感じがしてくる。
「あなたのことを知りたい」
「……私は私だ。なぜそんなことを思う?」
(好きだから)
 スカートをぎゅっと握ると、アレクの手がそれを包んだ。
「どうして私と結婚したのですか?」
「紹介だ。九州で見合いをし、そのまま」
「弓削家の娘だから?」
「ああ。私が出世すればつり合いが取れるだろうと。だがそれだけが理由なら、他にも相応しい女性はいた」
「ならなぜ?」
「それは……月がきれいだったからだ」
 沙羅は顔をあげ、アレクを見た。
 紺色の目が沙羅を見つめている。瞳孔は宇宙のような広がりを見せていた。
――人の心までは誰も支配出来ないのだから。少しの我慢だ、日本を守り育てるため、我々はいくらでも道化を演じてみせよう。どうせこの夜会もすぐに終わる……アレクの言葉が思い出された。
 そうだ、エドガーも言っていたではないか。他人の心は操れない、と。彼は彼なのだ。
 沙羅は一人頷き、アレクと再び向き合う。
「……アレク。あなた自身のことが、大切なんです。名前が重要なわけじゃない……」
「そうか。それなら嬉しいことだ」
「だから……」
「ん?」
(必ず見つける。本当のあなたを)

次の話へ→【鏡中夢幻】 第10話

 

  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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