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小説 鏡中夢幻

【鏡中夢幻】 第2話

2024-10-26

 長髪を後ろで束ねた先ほどの男性は、植物で染めた緑色の着物を着ていた。
 見た目から年齢は30代といったところだろうか。年上に見える。
 彼が案内したのは洋風建築だったが、米俵も見た沙羅はここが日本であると認識した。
 瓦を使った和洋折衷のその洋館は、日本の伝統と西洋の影響が融合した独特なものである。
 明治、大正、そのあたりの建物のようだと沙羅は感じた。
「私はアレクサンダー・ノクターン」
 と、彼は名乗った。背が高く、ぱっと見は外国人だが、日本語はなめらかできれいな言葉を使う。
(すごい夢だわ)
 と、沙羅は思った。
 子供の頃に見た夢と似ている気がした。
 あの頃は確か、自分も着物と西洋風のドレスと両方を着ていた気がする。
 夢なら、納得がいく。これはいわゆる「明晰夢」というものなのだろう。
 子供の頃に見た夢の続きかもしれない。どこか懐かしい気分だ。
 アレクサンダーと向き直し、沙羅は自己紹介した。
「守屋沙羅です」
「サラ」
「沙羅双樹の沙羅と書いて……」
「なるほど。良い名前だ」
 低く落ち着いた彼の声が、甘さを帯びた。
 目が合うと彼はじっくりとこちらを見て、一瞬も離さない。
「……」
 沙羅もつい目が離せなくなり、固まってしまった。
(こんな紳士、滅多にいないなあ。ところで日本人かしら。それともハーフ?)
「サラ、なぜ蔵に?あそこは鍵がかかっているから、入れないだろうに」
「そ、えーと……なんと言えば良いんでしょう……」
 夢の中で何が起きても不思議ではないだろうが、嘘はつけない。
「その、気づいたら、としか……」
「あそこは閉じ込められると危険だ。何か月開けないこともある。まだ若いのに餓死はあまりに悲劇だ」
「気を付けます」
「ところでその恰好は……レディには向かないな」
 アレクサンダーはそう指摘した。
 上下とも飾りのない、ただの白いトレーナーとショートパンツだった。
「服を貸してあげよう」
「えっ、あの……急に、悪いです。そんな……」
「ここで会ったのも何かの縁なのだろう。その恰好では恥ずかしいだろう?どこかへ行くのでも、履き物もないなら足が痛いぞ」
「……はい」
 アレクサンダーはすらすらと話すため、断るに断れなくなってしまった。
 蔵から出て洋館に入る。中は螺旋階段があり、2階建てだ。
 調度品は全て日本のもので、長持がずっしりと壁に沿って置かれていた。
 藍染の着物と帯が渡される。
 アレクサンダーはそれを渡しながら言った。
「洋服の方が良かったかな」
「い、いえ。こんなに良くして下さって……とても助かります」
 アレクサンダーはしゃんと姿勢が伸び、とても美しい立ち姿である。
 まるで騎士だ。
 きょろきょろと洋館の中を見渡し、「きれいなおうち」と呟く。アレクサンダーはそれを聞くと腕を組んだ。
「賛否両論あるが」
「え?」
「日本の伝統が壊れる、と恐れを持つ者もいる。珍しさに惹かれる者もいる。私は両方だから、ここに住むことにしたんだ」
「両方?」
「父は薩摩隼人。母はオランダの女性だ」
 沙羅は頷いた、なるほど日本語が上手く、日本人らしい雰囲気もある顔立ちだ。
 だが同時に違和感があった。なぜ日本名ではないのだろう?
 オランダならまだしも、ここは日本で、オランダから女性が嫁いだなら日本人の名前がついている可能性が高い気がしたが。
 しかし疑問を口にする間もなく、アレクサンダーが重ねて口を開いた。
「君は私を気味悪がらないな」
「どうして?」
「内外人との結婚を忌み嫌う者もいるのでね」
「え……そんな」
「日本国内でも、かつては出身地が異なる者同士の結婚は稀であった時代もあるくらいだ。海の向こうの者と結ばれたのは、あまりいい気分ではないのだろう」
「奈良時代はもっと国際交流も、国内交流も盛んだったのに」
「確かにそうだ。シルクロードを渡り、ペルシャの者も、インドの女性もいた……そして豪族同士の付き合いも深かったらしいな」
「そうです。それにハーフの友達もいるけど、とてもかわいくて……」
 アレクサンダーの手が頬に添えられる。
 沙羅は目を丸くして彼を見上げた。
「あの……」
「柔軟な姿勢だ」
「良いものは良いって思うだけ……単純ですけど……」
「単純なものが一番強いものだ。サラ、どこかへ行く予定だったか?」
「いいえ……」
「それならここにいなさい」
「え?」
「部屋なら空いている。私の話し相手に」
 アレクサンダーは目を離さない。見ていると吸い込まれそうなほどに美しい目だ。
 沙羅は確かに「NO」と言えない性格だが、この時は自分の意志だった。
「……はい」

 

 やがて朝がやってきた。
 目覚めればいつもの部屋にいる、と考えていた沙羅だが、目に入る風景は見慣れないもの。
 天井は丸いドーム状になっており、その中央に小さなシャンデリアがついている。
 箪笥は黒鉄に縁どられた和風のもの。土壁にかけられた虎の絵、龍の絵はどこかの寺にありそうなもので、その西洋風と和風とが共存した興味深い部屋だった。
「……夢……だよね?」
 確認するようにつぶやき、首をかしげる。
 寝巻にと渡された着物は前が見事にはだけ、こればかりは恥ずかしい。
 沙羅はアレクサンダーに借りた着物を何とか着て、髪を梳かす。
 これもツゲの櫛で、通すと髪がなめらかに艶めいた。
(おばあちゃんの家に来たみたいな……でもそれよりもっと古い感じなのかな……)
 田んぼの稲穂が揺れる夏の日を思い出すと、胸がしくしく痛む感じがした。夏ほど切ない季節もないだろう。
 だがあの稲穂が沙羅は好きだ。
 郷愁をさらうようにお腹が鳴る。
 夢だというのに、五感を器用に使う体だった。
「おはよう」
 と、階下のアレクサンダーが声をかけてきた。
 彼は新聞を手にしている。
 年号は明治十九年と書かれていた。
「おはようございます。あの、昨夜はありがとうございました」
「不便がなかったなら結構だ」
「あの……ここはどこなんでしょうか」
 沙羅が質問すると、アレクサンダーは「奥多摩だ」と答えた。
「奥多摩……なぜここに住んでいらっしゃるんですか?」
「気分だ。もう府内に住む理由がなくなってね。君はどこから来たんだ?」
「都内です……でも……」
「逃げて来たのか?家が厳しい?それとも、夫君との間で問題が?」
「え?」
 明治時代なら、沙羅の年齢で独り身は珍しいのかもしれない。
 アレクサンダーは彼女を訳ありと思ったようだ。
 沙羅はいたって普通の女性だが、ここではそうではないのだろう。
 夢の世界だというのに、なかなか不都合ではないか。
「その……気づいたらここにいたので、理由は……」
「明かせないのか。まあ、色々あるのだろう。落ち着くまでここにいれば良い」
「でも、ご迷惑では?」
「まさか。サラ、君なら歓迎するよ」
 アレクサンダーは沙羅を見つめてそう話す。
 なぜ?と沙羅は首を傾げたが、アレクサンダーはそれ以上何か言うことはなかった。
 だがただ飯食らいというのは申し訳ない。沙羅は「せめてお手伝いをさせて下さい」と申し出た。
「そうか?」と言うと彼は新聞をそっと沙羅の前に置く。
 その一面には、明治時代を象徴するような見出しがあった。
 沙羅は目を丸くして、その記事を見つめた。
(明治……ずいぶんリアルな夢。紙の質感まであるわ)
「では何を手伝ってもらうか……掃除が早いか……」
 アレクサンダーは顎に手をあて考えながら口にしていた。
 彼は現在翻訳の仕事をして生計を立てているのだという。それなら沙羅も得意だ。
 彼はオランダ語も英語も得意なようで、医者達から頼りにされているようだ。
 それと、家事全般。住む代わりにそれを手伝うと告げ、ここでの暮らしが始まる。
(どこに行けばいいのかわからないし……)
 それに、アレクサンダーは優し気で、館も好奇心をくすぐられる。
 本の世界に入り込んだようだ。明晰夢なら楽しい夢に出来るのではないか。
 だが沙羅は不思議だった。
 一向に目覚める気配がないのだ。

 

「うーん……」
 市場に買い物に出かけ、食材を得ると通りを歩く。
 砂を敷いた通りに、露店が立ち並ぶ市場だった。
 野菜や豆腐、麦飯に乾物が売られ、市場を行く主婦と店員とが活気に満ちたやり取りをしている。
 魚の干物は美味しそうな色をしており、現実世界のものとなんら遜色がなかった。
 それに、お金だ。「りん」、「せん」、と聞きなれないものも使われている。
 ここは夢のはずだ。だが、目が覚めてもいつもこの場所のまま。そしてきちんと時が流れている。
(私、現実逃避してるのかしら。夢の世界のはずなのにすごくリアル……どうしよう?現実に帰れるのかな……)
 帰れなかったら?
 いや、そもそも、夢なのだ。いつかは終わるはずだろう。
 だが肉体的な感覚がここにはある。
考えるほど頭がこんがらがりそうだ。
(夢よ、夢。疲れてたし、すごく深く眠ってるのかも)
 などと考えていると、通りの向こうに出来ていた人だかりが目に入る。
 物売りが来ているようだ。沙羅は通り過ぎようとしたが、足を止めた。
「さあ、いらっしゃい。珍しい異国の宝石だよ。他じゃお目にかかれない、神秘の輝きをご覧あれ」
 そのだみ声。腹から出た声。
 聞き覚えがある――人だかりからのぞき込むと、小柄な中年男性がそこにいた。
 赤い布を敷いた台の上、並ぶ宝石はあの店で見たもの?
「さ、崎本さん!?」
 思わず名前を呼ぶと、崎本の目がこちらを向いた。

 

「夢じゃない?」
「そう、ここは夢じゃない。だから危ないことはしない方が良いよ、お嬢さん」
 思わぬ言葉に沙羅は頭が真っ白になり、次には笑ってしまった。
「またまたぁ! 崎本さんの冗談は独特だわ」
「そう思うかい?それならそれで結構。君の思うようにすればいい」
 崎本はゆっくりじっくり説き伏せるように言った。
 沙羅は笑い飛ばそうとしたが、それも出来なくなり崎本を捕まえる。
「ねえ、どうすれば目覚められるんですか?」
「ここから出たいのかい?」
 と言われると、一瞬考えてしまう。
 ここはどうしてか、懐かしい感じがする。
 子供の頃の夢にいるような……。
 だからといって、このままでいいわけがない。
「多分」
「そんな中途半端じゃいけないな。出たいなら出たいと言いなさい」
「でも……夢なら……そこに入り浸るのはいけないと思うし……向こうには仕事も友達も」
「だが向こうにアレクサンダーはいないぞ?」
 沙羅はどきりとした。なぜその名が彼から出る?
「どうして知ってるんですか?」
「君の”夢”だからでは?」
「そんな……」
「向こうじゃ君はバカにされて、悔しい思いをしたんだろう?」
 確かにそうだ、思い出すと胸がむかむかとして、息苦しくなってくる。
「でも、だからって夢に逃げるのは……」
「お嬢さん、よく考えるんだ。君はどうしたい?自分と向き合う暇もないほど働いて、働いて、いつしか年を取ってしまった。だが、まだ間に合うだろう。大切なのは夢かどうかじゃない。それと、俺は崎本じゃない。名前はエドガー・フィンチ……」
「崎本さん?」
 意味が分からない、と沙羅は彼を追おうとした。だが伸びた影が沙羅にかぶり、振り返る。
 そこにいたのはアレクサンダーだった。
「アレクサンダーさん」
「帰りが遅いから、どうしたかと思って。誰と話していたんだ?」
「崎本さんと……あら?」
「誰もいなかったが」
「え?」
 何度も振り返るが、そこには崎本どころか人の姿もなくなっている。市場は終わりだ。
 あとは夕陽が長く影を伸ばすだけ。
「……どういうこと?」

 

 夕食には沙羅の得意料理である煮物を作った。
 まだ火を起こすのは不慣れでアレクサンダーにやってもらったが、それ以外の作業は変わらない。
 アレクサンダーは沙羅の煮物を気に入ったようで、箸が進んでいる。
「君は料理が上手だ」
「そうですか?」
「ああ。もし夫君がいたなら、惜しい事をしたものだ」
「お料理だけで結婚は決まりませんよ」
 沙羅がふふっと笑うと、アレクサンダーはそれを見て「料理だけなわけがない」と返したものだ。
「優しく、努力家で、無垢だ。化粧ばかり濃い女性も多いが、中身がなければ意味がない」
「でも……」
「でも?」
「自分自身を表現するために、お化粧や服があるのでは……」
「……」
 アレクサンダーはじっと沙羅を見つめると、頷いた。
「確かに、それはあるのだろう。沙羅、君は何を表現しているんだ?」
「え……あっ……それは……」
 エラそうなことを言っておきながら、まるでなっていない。説得力のない自分を今更恥じた。
「わからなくて」
「そうなのか?」
「……はい。恥ずかしいことに、私は……自分のことが一番、わからない……です」
 目を見ていられず視線を下に落とす。
 しばらく沈黙が続いたが、アレクサンダーは箸を置くと静かに言った。
「君は子鹿のようだ」
「え?」
「いいや。無理に探す必要はない。いつか自然と出来ることもあるだろう。君は誠実な人だ、それが君自身を形作る」
 沙羅はそろそろと視線を上げた。
 やはりアレクサンダーはこちらを見て、穏やかに微笑むのである。
「そうですか……?」
「ああ」
 どきどきと胸が高鳴る。
 期待や、新しい本を手にした時と違う高揚感だ。
 体の奥がじわじわと温かくなる。
「そういえば、アレクで構わない。長いだろう、アレクサンダーさん、は」
「アレクさん」
「ふふっ。アレクで良いよ」
「あ……アレク」
 そう名前を呼ぶと、アレクは目じりを下げ頷いた。
 うるさいくらいに心臓が跳ね上がった。
(どうしてこんなに優しくしてくれるのかしら)
 沙羅は不思議に思った。だが彼が自分をだましているとか、あるいは下心を持っているようには感じない。
(私に魅力がない可能性……高いかな)

 

 アレクは少し飲み過ぎた、と言ってソファに横になった。かなり下戸のようである。
 体の大きな彼をベッドまで運ぶのは無謀だ。だが冷える夜に放りっぱなしも出来ない。
 沙羅は肌掛けを持ってきて、彼にかけた。
 じっと見ると失礼だが、今彼は眠っている。つい見つめてしまった。
 一本一本がきれいな黒髪で、ストレートである。
 流れるような手触りで、生まれつき緩くウェーブがかった沙羅の髪とは違っていた。
(羨ましい)
 とつい見入っていると、アレクのまぶたがうっすらと持ち上がる。
「あ、目が覚めたならベッドに……寝所に?えっと……」
 どちらが正しいのか、と思っていると、アレクの目がまっすぐに沙羅を見た。
「サラ」
 と、掠れた声で迷いなく名前が呼ばれ、沙羅はどきりとした。
 アレクの手が伸び、沙羅の腕を掴む。
 彼の手は大きく、熱いくらいに温かい。
 力強くつかまれ、驚きに言葉を失ってしまった。
 普段から濃い紺色の目をしているが、瞳が広がって更に色を深くしている。
 アレクの顔が近づいて、その瞳を見ていると時間が止まったように感じてしまった。
 だから理解するのに時間がかかった。
 今沙羅の唇に触れているのが、彼の唇だということに。

 階段を駆け上がり、部屋に入ると口元を覆う。
(今、今、キスされた?)
 柔らかく、もっちりとして、温かかった。
 アレクはそのまま眠ってしまい、沙羅は逃げるように離れたのである。
 驚きと興奮が入り混じり、頭の中が熱を帯びてぼうっとした。
 それと同時に胸がどきどき鳴って、体が熱い。
 震える肩を抱きしめ息を吐く。
 唇が何度もアレクを思い出し、指で触れると勝手に震えていた。
(これは……?)
 嫌じゃない。
 嫌だと感じない。
 それどころか、嬉しさが心と体をいっぱいにしている。
(どうしよう……)
 まさか夢の中で恋をするなんて。

次の話へ→【鏡中夢幻】 第3話

 

 

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  • この記事を書いた人

深月カメリア

ライター:深月カメリア 女性特有の病気をきっかけに、性を大切にすることに目覚めたXジェンダー。以来、性に関して大切な精神的、肉体的なアプローチを食事、運動、メンタルケアを通じて発信しています。 Writer:Camellia Mizuki I am an X-gender woman who was awakened to the importance of sexuality by a woman's specific illness. Since then, I've been sharing an essential mind-body approach to sexuality through diet, exercise, and mental health care.”

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